プロが教えるわが家の防犯対策術!

子供の難病を唄い街頭で募金活動をしている奴の殆どがインチキなんでしょうか?
私は先日、関西方面に出かけた際、関西空港近くのアウトレットのショッピングセンター前の歩道橋の隅々で大々的に、そんな(子供の難病)募金活動をしている集団に会いました。
涙が出てしまうぐらい気の毒な難病を看板に掲げていましたので、思わず僅かながらですが募金箱に千円をいれました。

しかし、後日それがインチキだった事が大々的に報道されそれを見て非常に腹立たしい思いをしております。
別に千円がどうこうじゃなく気持ちが腹立たしく思います。
その後も別に団体が街でヌケヌケと募金活動をしていると「このインチキ野郎!」と唾を吐きかけたくなる位です。
今まで募金活動を見かけると100円とかの時も多いですが必ず募金してきました。
そんな自分が情け無いし恥ずかしいです。

皆さんは今でも募金活動をしている人を信用しますか?

A 回答 (10件)

一切信用していません。

    • good
    • 3

>街頭募金は絶対信用できません


皆さんは今でも募金活動をしている人を信用しますか?

       ↓
インチキが有る、不正流用されているケースがある事を報道で知りました→悲しく嘆かわしい、人の優しさ善意に付け込んだ詐欺だと腹立たしく思います。

東日本大震災の基金の普及復興以外への使途や善意の基金を使い込んだ事例への怒りと共に、街頭募金への人々の心の疑念が増し、我欲で行う一部の心無い集団の荒みが、本来の地道な募金や献金の活動を妨げたり、人々の善意や好意が廃れて行く事が有っては、本末転倒であり、世の中&人々の助け合いの精神・優しの衰退・消極化に繋がっては困ります。

大多数の募金運動の健全性や活動の主旨には、共感したり信用したいと思いますが・・・
最近では、その方々の服装や態度、募金箱や呼び掛けるポスターに、少し疑いの眼や主旨や使途に質問&チェックする気持ちが有るのは悲しくも現実です。

お互い様であり、助け合いの精神は同胞へのサポートであり、和の心からの親切心・小さな善意だと思うので、募金運動を見かけたら、その目的や主旨を見聞し、信じ納得と共感のバロメーターに即した支援を安心して出来れば良いと思います。
そして、募金する行為それが少しでも、自分自身の心を和ませ、優しい気持ちに成れば・・・と。




        
    • good
    • 0

人間誰しも、一度痛い目に遭うと疑心暗鬼になってしまいますよね。



とりあえず少し冷静に考えて、この世の中善人・悪人両方いるぐらいの気持ちを持ちましょう。だからといって善意を踏み潰すような人間を容認する気はありませんが。

ぱっと見でいい団体かどうか見分けるのは難しいですが、ボーイスカウトがやってたりするのは信用できます。
私の個人的見解ですが、絶対~と決めつけてしまうとどことなく視野が狭まりがちになる気がするので、失敗を教訓に時間を置いて、少し寛容な心持ちになった時に街頭募金に協力するか否か決めるといいと思います。

私は、全て一括りに信用できない!とばっさり切り捨てないように心がけてます。
    • good
    • 2

悪があってこその善。


警察は悪い、のではなく、特定の警察官が悪い。

街頭で立っている人、集めた資金を管理する専従者、その先の流通を考えると、どこかの経路にこの募金を給与として生活している人がいるはず。
それを考えると、募金する気が失せてきます…
    • good
    • 2

私は街頭募金は100%詐欺だと確信していますし、当然ながら一度も街頭募金に応じたことがありません。

決算の監査を受けて財務諸表を公開している団体しか信用しません。私は街頭募金にたとえ1円でも貢ぐつもりはありません。それは犯罪者に成功体験を与える犯罪幇助だと考えているからです。国境なき医師団などノーベル平和賞を受賞したような認定特定非営利活動法人すらあるのに街頭募金の存在意義など全く無いと考えます。
    • good
    • 5

自分の経験です。


駅頭で交通遺児基金「あしながおじさん」に幾どか募金しました。
駅頭で被災地の犬を救う義捐金に幾どか募金しました。「ありがとうございます。だいじに使います」とお礼をされました。
初詣で、ちょっと姿がみえなくなった友人が「助けあい」の募金をしたと話をきいて、取り戻してきました。


騙されるのも勉強だと思います。
    • good
    • 1

募金は自己責任。


だからこそ、自分で疑いながら、確かめながらしたほうが良いよ。

募金は確かに「難病の子供の手術のため」とかの「資金集め」を目的とする場合もあるんだけど…本筋は「たくさんの人に知ってもらったり、自分たちに対して興味を持ってもらったり」
するために行うもの。

本当に真摯な目的でしてる人は、堂々としてるものさ。
聞かれたいんだから、目的をちゃんとね。
そのためにやってるんだもの。
募金は活動資金の一環として使っている場合がほとんどさ。
それくらいの額にしかならないからね。
交通費や印刷物くらいかな。

街角募金は効率が悪いんだよ。
資金集めなら、いくらでも今の時代は方法があるから。
ただ、ネットじゃやってる人間の顔は見えないし、話も聞けないでしょ?。
だから街に出てるって事。

今も昔も関係ないね。
私は自分で信用できる人にはするし、出来ないと思う人にはしない。
周囲の情報なんか当てにしない。
だからもし騙されても「それは自分が足りなかったんだ」と思えるから、気楽なもんだよ。
…そうしたら?。
    • good
    • 5
この回答へのお礼

お礼日時:2012/12/24 13:07

私は街頭募金はあまり入れません。


 神社やお寺で許可を得て持っている人には入れています。
 街頭募金でも、名の知れている団体やニュースで分かっている内容には入れます。

 昔ですが、飢餓に苦しむ海外の子供たちのために活動しているという団体の一人が
 家に来たので、それは可哀想にと思って一口2000円というのでカンパしました。
 
 
 一口2000円ということは後で思えば、金額指定をするのが変だなと。もちろんきちんとお金を使ってくれているのなら良いのですが、分かりませんから。
 人の気持ちの金額ですから一口何円といって募金を募る所に寄付するのは、やめることにしました。
    • good
    • 2

>皆さんは今でも募金活動をしている人を信用しますか?



自分で判断しますからその時次第です。
信用するかしないかのような二分割思考はしないよう心がけています。
    • good
    • 1

あ、わかりますー!私も騙されましたよ。



三宅島が噴火で避難しているときに募金している人たちがいました。椅子に座ったおばあちゃんがいましてね。「年寄を使うとは卑怯なり」と思いましたがいたたまれず、募金しました。おばあちゃんに「早く島に帰れるといいですねえ」と声をかけましたが、今ひとつ会話がかみ合わない。ま、おばあちゃんだしいっかとそのときは思いました。
しばらくすると同じ場所で「拉致被害者を救うための募金」というのがありまして、そこに以前の三宅島募金で見かけたおばあちゃんと同じおばあちゃんがいました。ファッ!?とそのときは思ったのですが、とりあえずそのまま通り過ぎまして、そうしたらどうもそういうことを生業としている連中がいるというのを報道で知りました。その団体もどうやらそうだったようでして、拉致被害者の会は「お金なんてビタ一文もらったことないよ」といいましたので、以来、彼らの姿を見たことがありません。

以来、街頭の募金は年末の救世軍か赤い羽根募金にするくらいになりましたねー。赤い羽根募金は子供がやっている場合は募金するようにしています。子供たちは「大人は見て見ぬふりしかしない」という現実を知ってしまうわけですが、「中には募金してくれる大人もいる」ってことを知ってほしいので。

あとね、困るのは「障害のある人たちが一生懸命作ったので」とハンカチとかを自宅に売りに来る人たちです。ハンカチくらい買ってあげてもぜんぜん構わないのですが、どうもそれが彼らの狙い目らしくて、「ハンカチなら・・・」とうっかり買ってしまうと次から「あれも買ってくれ」「これも買ってくれ」とエスカレートするらしいです。家だとこっちも逃げられませんからね。
偽善をする人はまだ許せますが、他人の善意を逆手に取る連中は腹が立ちますねー。
    • good
    • 3

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!