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大地震や地球温暖化の前では宗教より自然に対する畏敬の念のほうが大切ではないかと思います。太陽崇拝や自然信仰は原始的と言われても、地球温暖化を経済としてしか考えない近代的思考よりエコなどとは別にはるかに信ずるに値するように思います。逆に寒冷化で全地球がアイスボールと化すような場合、宗教には救いがあるのだろうかとも考えます。

A 回答 (4件)

そういう意識、すごく大事だと思います。

明治以降の資本主義社会では薄れつつある価値観ですね。
日本では神道(しんとう・かんながらのみち)に根付くものがありますが、
西洋の「自然は支配するもの」という価値観に順調に毒されているように思います。
科学力の発達により自然にまつわるたくさんのことが分かるようになりましたが、
それでも自然を敬う意識、特に食物への感謝「頂きます」の意識は持つことができると思います。
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この回答へのお礼

私は科学的知識と自然に対する畏敬の念とは両立するものだと思っています。ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/15 16:45

> 大地震や地球温暖化の前では宗教より自然に対する畏敬の念の方が大切ではないかと思います。


⇒ 大地震や地球温暖化の前と後で、何がより大切なのかの考えが変化する理由や根拠が不明確な文章です。
 
> 太陽崇拝や自然信仰は原始的と言われても、地球温暖化を経済としてしか考えない近代的思考よりエコなどとは別にはるかに信ずるに値するように思います。
⇒ 信じるに値するか値しないかの判断基準が不明です。「信じるに値する=自分にはピンとくる・フィット感がある」ということなら、個人的な好悪・親愛ですから、他人が関与できることはありません。
 
> 逆に寒冷化で全地球がアイスボールと化すような場合、宗教には救いがあるのだろうかとも考えます。
⇒ 日照り干害・多雨冷害・疫病流行のような場合にこそ、宗教行事や祭祀が盛んになった歴史的事実は無視できません。アイスボールになった時期に人類はいなかったし、氷河時代の人類の文化状況は不明ですが、岩絵などから見ると昔から祭祀・宗教行事は盛んであったと推定する方が合理的でしょう。「宗教に救いがある」という言葉で何を意味させているのかが不明ですが、何かの期待や価値を感じて祭祀や宗教行事は行われたと考えるのが合理的です。それが不安や恐怖からの解放という効果であったにしても同様です。
 
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宗教とはどのようなものとお考えなのかわかりませんが、教会や寺、神社、聖地や尊像、儀礼、呪文、聖書や経典の片言に示された節理・思考方法あるいは戒律やタブーを重視し心を寄せることで、不安を除き、安心を獲得するようなことを宗教とされているのであれば、平和でも戦時でも、同胞意識の集団内でも、対等競争者の中でも、暴風雨や快晴、寒冷化、温暖化、津波、噴火、洪水、砂漠化、湿潤化、大陸の移動分裂集合、隆起沈降、紫外線や宇宙線の増加、新興感染症の大流行、高齢化、少子化、強盗殺人の増加、テロや戦役の増加、貧富の格差増大、敵対感情の増大など、どのような状況になろうとも、宗教は重要性を失うことはないと考えて良いでしょう。
人間が理性のみで生きていくのが辛い状況があるなら、上述の意味での宗教はそれなりに大事にされるでしょう。
上述の意味での宗教がそれなりに大事されていることを「宗教による救いの効果」により起きる現象であると考えるのであれば、温暖化・アイスボール化・大地震襲来などを不安に感じる人がいるならば、そうした不安に感じる人が増えるほど、宗教による救いに依る(拠る)人は増えて当然です。
 
「自然に対する畏敬の念」とはなにかも考えた方が、問題追求はしやすいです。
「自然に対する畏敬の念」とは「自然を畏れ、敬い、恭順を示す・受容する・讃仰 ・崇めたてる」ということです。 内容的に、上述の意味の宗教の一部です。 
 
宗教と自然畏敬崇拝とをまったく別のものであるとするなら、その意味での宗教は求道者・真理探究者・覚悟者たらんとする人の追求する人の求めるものでしょう。一般民衆には無関係のものです。 そうした意味での宗教は民衆に救いや安心をもたらさないというよりも、もともと民衆は、そうした求道心・探求心・全てを捨ててでも悟りをあくまで追求する気持ちを持ちません。 通常の教会や寺社、神父、牧師、層、禰宜や社人、行者、巫女、宗教本や呪、賛美歌、御文、戒律、礼拝儀礼などを尊重し生活の一部に組み入れる前述の宗教と、他の一切を無視して真覚醒や神や仏を真に追求する宗教を混同しては、思考が整理できません。
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この回答へのお礼

精密な論理性に裏付けられたご指摘感謝いたします。

お礼日時:2013/01/18 14:06

>大地震の前では宗教よりも自然崇拝のほうが



○地球も生き物ですから生き物としての考えもあるのですね。ただ寿命が100億年とか150億年ですから人間のような泡沫のような寿命の生き物には理解できないものです。温暖化も寒冷化も地球という生き物の試練ですから地球にも修行課題があるということですね。南極や北極が赤道と入れ替わるということも地球が生き物とすれば理解できることですね。地球も太陽という母に平均的に温めてもらいたいわけですね。
そのような生き物の上に生かされている人間が地球や太陽に感謝することは当然のこととしても、泡沫のような人間が存在する理由を地球や太陽、自然に求めることには無理がありますね。規模が違いすぎますからね。言い換えればすっぽんが月に感謝しても月は小さな生き物の意思や存在に無関係に存在し続けているのですね。小さな生き物の生死を見続けているだけですね。つまり、すっぽんはすっぽんでしかないのですね。すっぽんがすっぽんであるために宗教があるということですね。
天変地異は地球の営みですから起き続けるのですね。その大小はその上に生かされている生物が目に見えない神仏を敬うような存在であれば少しは緩和するということですね。
神仏をないがしろにする左翼政権が生まれると巨大な天変地異が起きるということは左翼を地球は嫌なんですね。
ところが左翼の人は神仏の信仰はないがわりと自然主義の人多いですね。
日本も神仏を信じない人が5割を越していると言われていますから、今後も相当の天変地異が予想されますね。
まあ、天変地異で被害を受けるという意味をもっと深く考えて欲しいですね。信仰をないがしろにした天罰と言えば天罰ですよ。
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この回答へのお礼

そういう考え方もあるのですね。ご教示感謝いたします。

お礼日時:2013/01/16 22:49

大概の宗教観は自然を重んじる潮流を含んでいます。

宗教に対して無知な日本人らしい
印象を持っているモノと見受けます。人間の作り出した偏狭な神よりは健全かも
しれませんが、本来の宗教はある種の価値観を有しています。自然崇拝だけでは
得られない部分です。まあ、同列に語る事自体に矛盾がありますが。
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この回答へのお礼

大所高所からのご教示感謝いたします。

お礼日時:2013/01/15 16:46

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