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うろ覚えで申し訳ないのですが、どこかのカレンダーに書かれた箴言で「人間は知恵を得てから暗闇が更に深くなった」というような意味の言葉あって気になっています。大体、知性というものは人間にとって世界の闇を払うためのものではなかったでしょうか。単純に考えてこれは反語的な、ひねくれたアフォリズムのような気がします。
もっとも、人間は善悪を考え出したりして、却って混乱してしまったという部分もあるかもしれませんが、ちゃんと整理する知恵ももっているはずです。どう思われますか。それとも私が単純すぎて何かを見ていないのか、何か間違っているのでしょうか。出来れば易しい言葉でご指導ください。

A 回答 (18件中11~18件)

>知性というものは人間にとって世界の闇を払うためのものではなかったでしょうか。



いいえ。

身に迫る現実世界のリスクを回避して生存可能性を向上させるためのものです。

形而下のリスクが減少したけれども、形而上の悩みがふえてしまったということでしょう。

家の愛犬など、いつも悩みが無く、幸せそうにしておりますよ。
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この回答へのお礼

もくぞ様ご回答ありがとうございます。

>現実世界のリスクを回避して生存可能性を向上させるためのものです。

>形而上の悩みがふえてしまったということでしょう。

形而上の悩みに目覚めた分かえって悪くなった、闇が増したというご解釈ですね。

確かにこれは正統的な回答といえるかもしれません。
動物達が哲学を知らないのは幸せの方向でしょうか。
現実世界の悩みは彼らもあるに違いないのですが。
ここでこうやってお話が出来るのは愉しみでもあるのですが。

悩まない人間は病気なのでしょうか。
普通にしていたら結局悩んでしまうのでしょうかね。
そこがちょっと引っかかるのですね。

お礼日時:2013/03/06 11:23

人間は火を使うようになって、暗闇は明るくなりまちた。


電気が使われるようになって夜は昼のようになりまちた。

原子の火が灯り、今までにない深い暗黒が地球を覆うようになりまちた。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>原子の火が灯り、今までにない深い暗黒が地球を覆うようになりまちた。。

おお、これはまた、斬新な新解釈ですね。
少なくとも混乱と混迷が起こったことは確かです。
不幸なことです。
しっかり心にとどめておきます。

お礼日時:2013/03/06 11:13

高みに登れば視野が広がり、今まで見ずに済んだものまで見えてきてしまう。

それを闇が深くなったと表現したのでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

知恵を得るということは確かに視野を広げます。その結果見ないでも良かったものまで見ることになってしまった。しかしその見たものを人間は処理しきれない(知恵が追いつかない)、闇としてみてしまう、そういうようなことを仰っておられるのではと拝察しました(違っていましたらご指摘ください)。なるほどこれは新しい解釈として成立しそうです。確かに世界は人間の知恵よりもより無限に近いものだと思われます。しばし考えさせていただきたく。

お礼日時:2013/03/05 23:40

この話は聖書にも出ています、『知恵の林檎を食べて、神を疑うようになった、』と言うところです。

その証拠が『自分の裸を見せる事が出来なくなって、イチジクの葉で身体を隠した。』と言うところです。

是は、今までなら『裸で平気だった』と言う意味は、天国に一番近い存在『幼子』と言う答えで全てが説明出来ます。赤ん坊は『自分の裸を人に見られても平気』と言う簡単な事です。

脳の機能が未分化のためです、或いは未発達と言う表現でも可能と思います。人間の脳は思春期頃に『大人の脳に近くなります。』

大人の脳の研究成果です。ウイキペデアからです。

『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

この場合では『左脳に存在する意識が自我意識です。』物事を分析して割り切る機能としての結果である『言葉で表現する機能です。』

右脳の意識は、自覚出来ない場合が多いと思いますので、脳卒中の為に右脳と左脳の機能を、この障害によってはっきりと内部から観察出来た、脳科学者の動画を載せてみますので、じっくりと観察してください、後ほど、もう少し詳しく書いてみたいと思います。


URL:


この体験は、この女史が実際に体験した事を述べていますが、全ての人は『自分では信じられないとしても』毎日こう云った、二つの意識の交替制をしっかりキープ出来ている事から『正常な日常を送る事が出来ています。』

右脳の人格をもう少し詳しく書いてみます。右脳の人格と言うよりも、右脳の機能と言う言い方の方が適切かもしれませんが、判断は読む人に一任したいと思います。

人間でも命ある全てのものでも共通していますが、生命として芽生えた時から、『ある働きを働きながら生きています。』この働きが人格なのか?機能なのか?と言う事で先に読む人に一任したいと書きました。

人間も例外では在りません、生命としての芽生えから『働き始めている働き』があります、それは『命の働き』=『生命としての機能』と言う事になりますが、自分は知らないとしても『細胞分裂の順番を正確に知っている機能』が存在しています。

その機能が正確に働いた証拠として、誕生出来ています。そして誕生した時には『全てを知り尽くしている働きと共に在ります。』

泣く事も、笑う事も、心臓や肺を働かせる事も、ホルモンの調節も、神経細胞でさえ自在に操る事が出来る機能として、働く働きと共にいます。

この働きと、自我意識が『一つの者として働いている場合』を、『幼子が天国に一番近い存在』と聖書では説明しています。

その理由は、脳の機能から言っても、心の問題としても『心=司令塔=意識』が一つの者として機能しているからと考えられます。具体的に表現するなら『見ている自分』しか脳内には存在していない、と言う意味です。

人間に知恵が付いたとか、知恵を得てから暗闇が更に深くなった、と言う意味は『心=機能的な問題』として『心が二つに分かれて機能するようになった事』が関係しています。

つまり『見ている自分』と『見られている自分』と言う風に、自分自身の働きに疑いを持つようになった、と言う意味があります。そうして自分自身に疑いを持つ良い例が『自分は何者か?或いは人生とは何なのか?』と全てに疑いを持つように成る事を意味します。

この疑いを持つ事が『知恵が付く』と言う意味ですが、この二つの機能が『相争う場合に』暗闇が更に深くなったと言う意味があります。

この解決方法が無いように見える問題『自分は何者か』と言う問題は、形を変えて人間を蝕む場合があります。

人間には元々備わっている機能と『自我意識』が戦いを始める場合です。こう云う場合には、『心が分裂をする、心同士が戦う、心に矛盾を感じる』と書く事が出来ますが、事はそう簡単には見えて来ないようです。

元々備わっている機能とは、一言で表現するなら『命の働き=生命の維持機能』と言う事になります。動画から判る事は、人間の営む全てに係っている事です。

健康な身体、健康な心、行動する自分です。これ等をもたらしている機能を疑って、仲違いするものですから、当然その『命の働き』からはシグナルが発せられます。このシグナルが『罪の意識です』聖書での表現では『原罪』です。仏教的な表現方法では『業』です。具体的な表現では『漠然とした不安や、生き難い思い=生き難さ』です。もっと簡単な表現なら『心が痛いと感じる』と言う意味です。

もう一つ説明して置きたい事は、右脳の人格の居場所です。右脳の機能と言う言い方も可能ですが、『自分が無意識の時の自分の身体心と行動の主人公です。』

無意識の中に存在している事です。自我意識が無くなる時には『無意識の自分と交替しています。』

分かり易い例を挙げて置きます。眠る場合です。眠る場合では『意識が無くなっています、この時には、自分の無意識の意識が、心と身体の支配権を握っています。』朝になって目が覚める時、支配権は自我意識に返されています。二つの意識は出会う事が無いように思われます。

処がその出会いはあります、この動画は仏教で言うなら『見性』体験を語っています。キリスト教での『神と会って、和解している最中』と言う意味です。

その出会いによって、二つの意識の間(脳梁)には、新しい回路が構成されます。その事によって、是いごは『二つの意識の間には、齟齬は生じなくなります』言葉を変えて云うなら、『出番争いが生じなくなる』と言う意味です。

従って『心の中での云い争いが無くなって、心の中に、幼子のように、静寂がもたらせられます。』この静かな心の様を『涅槃』と形容しています。大人の嬰児が誕生したと言う意味です。

眠れない場合では『無意識の自分と交替制が、ギクシャクしている事を意味します。』うまく交替したとしても、交替した瞬間には『意識はなくなっていますので』眠った事は覚えていない事を意味します。

『眠った気がしない』と言う言い方は正解です。眠りに入るところは『覚えている筈が無いからです。』ですが自覚が無いとしても、眠っています。少なくとも、その人が必要としている睡眠は、無意識の自分が交替して取っています。自我という自分が眠っていないと思っているだけです。

心を病む場合も、身体を病む場合も、行動が自由にならないと感じる場合も『脳の機能と身体の機能の検査をして異常が無い場合では、無意識の自分を疑っているだけ』と思います。

メンタル面が弱いとか強いと言う意味を書いておきますので、他でも学んで、確かめてみてください。

メンタル面が弱いと言う意味は、『自我意識がでしゃばってしまって、引っ込めなくなっている現象です、そのかわり、無意識の自分の出番がなくなってしまう現象ということが言えます。

メンタル面が強いと言う場合は、今とは逆で『自我意識が出ないようにしていられて、無意識の自分に任せる事が出来ている。』と言う意味になります。

神を疑うと言う意味は、『自分の無意識を疑う』と言う意味があります。
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この回答へのお礼

つまり様、長文のご回答ありがとうございました。
前半は脳科学の最新情報のようです。随分勉強になりました。
後半が自我意識の問題で、生き物としての自分(右脳?)をこの精神的な存在である自我意識(左脳?)が見つめて思考する、この二重性に葛藤があればそれが闇になるという解釈でよろしいでしょうか。これは大層整理されたクリヤーな問題把握ですね、素晴らしいです。
この葛藤が解決されない状態がいわゆる「罪の意識」だとおっしゃるのですね。こういった葛藤そのものは異常なのでしょうか?病気(メンタルが弱い状態?)はふつうではないということだろうと思いますが。動物は自我が弱い(メンタルが強い?)つまり無意識で、ほぼ右脳だけで自動運転している。しかし人間は手動運転にこだわるので乱れて闇へ突入してしまう。こんな解釈でしょうか。
何しても神にまかせていれば心は平安になるでしょう。つまり様は信仰がおありになるのでしょうか。闇を抜けるにはそれしかないと?
おかげさまでかなり解けたように思います。
もう少し考えさせてください。もし脱線しているようならご指摘ください。

お礼日時:2013/03/05 22:11

komaas88 さん こんにちは。




光が闇を払うのは一瞬である。その一瞬に深みを知ってしまった。

深みの知識を持っていても、また光で照らさなければ闇は闇のままである。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>光が闇を払うのは一瞬である。その一瞬に深みを知ってしまった。

これも比ゆとしては美しいですね。どういう意味でしょうか?
光は知恵ではありませんね。人間には制御できない神のささやき(啓示)のようなものでしょうか。

>深みの知識を持っていても、また光で照らさなければ闇は闇のままである。

うーん、深みの知識とは?言葉では表現できないもののようです。
じっくり考えさせていただきます。

お礼日時:2013/03/05 21:43

そういう言葉って、抽象的に書いて結末を書かずにいれば、見た人が勝手に解釈して意味がわかった気になり、名文などと思わせるだけですので、あなたの思ってる通りだと思います。



でも、面白いですよね。
野生動物のうちネコ科などの肉食獣は夜行性で、闇が怖くちゃ狩りなんかできないですし、明かりという文明を手に入れた人間は、闇が余計に怖くなったという意味に私は取りました。
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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございます。

>そういう言葉って、抽象的に書いて結末を書かずにいれば、見た人が勝手に解釈して意味がわかった気になり、名文などと思わせるだけです

確かに、そういうことなのかもしれません。ジャストフィットしていただき、うれしいです。でもどうも気になる文章でしたので疑問がしょうじました。

>ネコ科などの肉食獣は夜行性で、闇が怖くちゃ狩りなんかできないですし、明かりという文明を手に入れた人間は、闇が余計に怖くなったという意味に

なるほど、そういう解釈も十分可能ですね。知恵が灯明を発明し、それに慣れて目が闇に順応しなくなったことで恐怖が…。
確かに、原子力が使えないと権力者が臆病になってくるのと良く似ています。こういう連想が出来るだけでもこのアフォリズムは有効なのかもしれませんが。

お礼日時:2013/03/05 16:29

知恵がなければ悩みはありません。


自分がいつ死ぬか、子供から質問を受けることもありません。
将来の年金の心配や、失業や借金や自殺なんてものもありません。
闇が深いのは、すべての動物の中で人間だけだと思います。
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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございます。
>知恵がなければ悩みはありません。

闇が深いのは、すべての動物の中で人間だけだと思います。

ああ、その通りですね。悩みは知恵から来るのですね。
すべてではないにしても、動物は死ぬことについて
直接的な恐怖はあっても、
悩むことはないのでしょう。
肉豚たちが悩んだらあれほど太れませんよね。
これが解なのでしょうか。

お礼日時:2013/03/05 16:16

言葉遊びですよね。



川の表面をピチャピチャと戯れてる小さな小さな波のような。



もっと大河のようにその底流をゆったりと流れているもの。

意識しようとしまいと、どんなに否定しようとしまいと、

厳然として存在しながら存在すら感じられないもの。

そちらのほうがはるかに大事で・・・
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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございます。
>言葉遊びですよね。

 川の表面をピチャピチャと戯れてる小さな小さな波のような。

ぼさぼさ様もそう考えられますか、そうかもしれませんね。
ちょっと意表をつくような、反転した考え方のような気が私もしたのです。
たしかに、知恵とは何かというよりも、私もその底の方にもっと重要な根本的なものがあるような気もしますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/05 16:10

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