10秒目をつむったら…

最近うつ病と診断されました。

小さい頃から中学まで母親に虐待を受けていました。
高校に入りアルバイトをして親元を離れています。

最初は家出をしていて(現在は違います)度重なるストレスから
発狂して物を投げたり奇声を上げて泣き叫んだりしてしまい、
精神科を進められ受診したところ、うつ病という診断を受けました。

小学校のときに拒食症になり、現在は過食症です。
自傷行為や自殺未遂もしています。

自分を見つめ直す機会があり自己分析してみました。

私は見捨てられたくないという想いが強く、大切な人ができると「この人は自分を裏切るんじゃないか?」という疑問がわいてしまいます。そうすると「悪い自分」が私の思考回路を奪い大切な人を困らせ、意図にそぐわない発言や行動をされると「ほらやっぱりこの人は私を裏切るんだ」「裏切られるくらいなら縁を切ってやる」という考えに達して、大切な人に酷い言葉を浴びせたり「死んでやる」と相手を脅したりしてしまいます。

自分が覚えてるだけでたくさんの人を傷つけました。自分もコントロールがきかず傷つき、悩んでいます。

あまり自分の考えや感情が自分でもわからないし、人に「アンドロイドみたいだ」「人形みたいだ」と言われたこともあり、考えているうちに自分はいったい何者なのか?自分はいったいなにを考えているのか?わからなくなってしまいました。

同じ悩みを持つ人はいないかネットで調べてみたところ、境界性人格障害というものがでてきました。


私はうつ病なのでしょうか?境界性人格障害なのでしょうか?そもそも病気なのでしょうか?

治せるものなら治したいです。

本当に困っています。

A 回答 (7件)

今現在の目の前の現実を生きるのか?或いは頭の中の心配事を大事にして生きるのか?を貴方は聞いていると感じますのでこの二つの違いを書いてみて、現実の目の前の世界で生きる心構えを書いてみます。



現実の目の前の必要な事を出来た場合に『健常者』と言う言い方をしています。

現実の目の前の必要な事をなおざりにして『頭の中で湧き上る感情や考え』を大事にして、現実での必要な事をしないで、頭の中の心配事の対応をしている場合に、その心配事を具体的に上げて『症状』と定義しています。

それは厳密な意味では、仕事をしながらの場合でも当てはまります。

従って貴方が誰からも必要な人、或いは頼もしい人となる場合では『頭の中の心配事』よりも、『目の前の必要な事』を重視する価値観を持てた場合可能になります。

この意味は貴方には酷かも知れませんが、現実の世界よりも『頭の中の事』を重視していると言う意味です。

有る精神科医が書いた本の中に出てくる話が、今の貴方に分かりやすいと思いますので書いてみます。

神経質な性格の人の話です。ある婦人が『夫が私から離れて行くかも知れない。』と言う不安を抱えてその精神科医の元に訪れた話です。

その婦人の為に精神科医も、夫もその不安の解消の為に、力を貸していますが、その不安は一向になくなりません。その内にその夫は『妻の不安が解消しない事によって』その婦人から放れてゆくことになります。

この婦人の場合では、現実の目の前の夫に、只『普通の妻の役割をこなす事で』夫を失う事を回避出来たはずです。目の前の夫が欲するものを妻として、その役割を演じる事で、です。

『夫が離れて行くかも知れない』と言う不安を抱えていたとしてもです。その予期不安が、例え湧き上がっていたとしてもです。不安の相手をしないで、現実の夫の相手をしている事によって、夫からは感謝されて、可愛い妻として扱われると思います。

頭の中に湧き上る『予期不安』の相手ばかりして、その夫にまで『自分の不安の相手をしてもらう事で』返って、自分が望まない結果となっています。

話を替えて、戦国時代の武将の話です。川中島での信玄と謙信の話です。お互いが『今必要な事を、頭の中の予期不安に振回されないで』必要な事を必要に応じて出きる、『出来た人達』だった事が、お互いに負けない理由と思います。

現実に手を打つ場合に、『頭の中の予期不安』を相手にしないで、現実に今必要な事事だけをやりぬく場合では『失敗がなくなるからです。』

仕事でも恋愛でも或いは何にでも共通する事です。

今現在の目の前に展開している世界で.『今必要とされている事』を必要な順に必要に応じて、やるべき方法でやってゆく場合では『失敗が少なくなります。』

その反対に、今現在の目の前の世界で『予期不安の為に』必要な事を必要な順番に必要に応じてやれない場合に『失敗が付き物』と言う状態になっています。

と言う事で、目の前の世界を『頭に湧き上る感情や考え』に振回されないで着実にやってゆけるための『訓練の仕方』を書いてみます。

最終的な理想像を先に書いて置きます。必要な事を必要に応じてやるべき最良の方法で、『頭に湧き上る感情や考えに振回されないで』効率よくてきぱきと出きる人間像です。

他の言葉で表現するなら、『頭に湧き上る感情や考え』=『雑念』を相手にしないで、目の前の現実の世界で、その時々に応じて『必要な事を必要に応じて』自分の事を後回しにして、相手のために出来る人になる。という意味です。

その為の訓練は簡単です。

『良い事があっても喜び過ぎない』でいる事です。

『悪い事があっても落ち込み過ぎない』でいる事です。

たった是だけを忠実に守る事が出来た場合には、どのような不安の時代でも『泰然自若』としてテキパキと仕事が出来る事に繋がります。

何故ならば、人間の不安は今現在の目の前には存在していないからです。不安そのものは『頭の中に湧き上る感情や考え』を相手にしているだけだからです。

従って不安の相手をしない時、現実の相手をしているからです。

病院に行く暇がなくなった時治っていますし、仕事をしないで不安の相手をする場合に病気になっています。
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似たような質問を見た記憶があるのですが、まぁ


それはともかく、
Abandonment-depression や自殺未遂の繰り返しなどは、
BPD(=境界性人格障害=
境界性パーソナリティ障害=ボーダー)の 特徴ですが
ここでは診断は無理です。(医師法違反等)

度重なるストレスから発狂したとしますと……1度でも
発狂してしまえば、簡単には戻れませんので
質問者さまは発狂ではなく過度に激昂して、
理性を欠く暴虐な行為をしてしまったのではないでしょうか。

お早めに、
精神科医の診断を受けてみませんか。

お大事に!
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 おせっかいにも別の視点から分析してみた。



 親に虐待を受けた経験が、「親さえ自分を評価しないのだから、他人ならもっと自分を評価しないだろう!」「親が自分を棄てるのだから、血が繋がってない他人は自分を捨てて当然」という先入観に繋がると仮定する。(無自覚の深層心理)

 先入観により疑心暗鬼しやすくなり、人間関係をダメにしやすい。
 「見捨てられたくないという想いが強い」のは本来なら誰しも持つもので、貴方自身が特別強いという訳ではない。
 疑心暗鬼になりやすい傾向があるから、「この人は自分を裏切るんじゃないか?」という疑問がわいてきて「見捨てられたくないという想いが強く働く」機会も多くなる。

本来は誰でも怒り狂うば破壊行動するのだけど、破壊行動をする程に怒り狂う出来事が無い。
貴方の場合、先入観により普通の人より上手くいかない事が多いので、ストレスばかりである。
ストレスに耐え、やっと見つけた幸せ(彼氏)、を失うとしたら その恐怖は並大抵ではない。
人よりも多くのストレスに耐えて幸せを得たなら、人よりも沢山の努力してきて幸せを得たのだから。

その幸せを失う事は、それまでの努力を失う事と同じ意味になり、人としてとても腹が立つ。
普通の人は貴方に比べて努力不足故に、腹立つ感情が小さいので、自己コントロールできる。

貴方は努力したからこそ、普通の人の腹立つ感情を遥かに超えた腹立つ感情が沸き起こり、コントロールしきれない。

人は努力すればするほど、その分の見返りが欲しくなる。
見返りがもられないどころか、得たものを失う羽目になるとしたら、それは悲しいもである。
得たものが一つしかない場合、それが自分の人生全ての場合、失うということは、自分の全てを失う訳であり、驚異であり、恐怖となる。
普通の人よりも失うものが多かったからこそ、感情的になった。

上記の様に考えると、貴方は、ペットや趣味等の自分を絶対に裏切らないものから幸せを得るのが良いのではないかと思う。

そうすれば、いざというとき、友人や彼を失う事になっても、不幸だけをイメージしなくて済んで冷静でいられるかもしれない。
だからまず、好きなものは何かを追求するのをオススメする。
あと、これらは全て憶測だから確実性は保証できない。
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現在は質問できるくらい落ち着いてらっしゃるようですから、重症ではないと思います。



上記の内容だけは、人格障害とは言い難いのですが・・・

子供のころに過剰なストレスを受けた人たちがなりやすい状態でもあるので、病気と括らず「自分を改善したい」それだけで良いでしょう。

病名までつけられてしまうと不安が大きくなりますよね。

そういうのを考えてお医者さんにも言ってもらいたいところですが・・・

まずは「過去に何があったか話せる人」を、お医者さん以外で探してみる。

何度もカミングアウトを繰り返していくうちに、自分で感情を整理しやすくなります。

恥ずかしいと思わず、繰り返し過去をカムしましょう。

「そうだ、あの時はこう思ってたんだ」と納得できた時に、ようやく感情の爆発はなくなっていきます。

時間がかかります。

感情を殺して育った人たちは、なかなか人との距離がつかめません。

だから、先に感情を殺さずに冷静に判断できるようになりましょう。

会話はキャッチボールです。
自分の感情を殺すのではありません。

そこを踏まえて、他人にカムしていくのです。
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こんにちは。



小さい頃から中学まで母親に虐待を受けていた。
高校に入りアルバイトをして親元を離れている。

人格を無視されて育てられた結果なのです。
よく思い切って、親元を離れられましたね。
大変に良い判断でしたね、質問者さんはエライ!
精神科を進められ受診した、うつ病という事でしたが
これも大変良い判断と行動ですよ。

小学校のときの拒食症、現在は過食症。
自傷行為や自殺未遂もしています。
その様な、自分を見つめ直す、自己分析してみる。
それは、見捨てられたくないという想いが強く、
大切な人を「この人は自分を裏切るんじゃないか?」
と疑問がわいて、意図しない発言や行動をして
「ほらやっぱりこの人は私を裏切るんだ」
「裏切られるくらいなら縁を切ってやる」
「酷い言葉を浴びせたり」「死んでやる」と
大切な人を困らせてしまう。

この行動は当然と思います、本来は安心をして
親に守られるべき心が、傷つけられたのですからね、
疑心暗鬼になり、たくさんの人を傷つけますし
自分もコントロールがきかず、傷つき、悩むわけです。

あまり自分の考えや感情が自分でもわからないし、
人に「アンドロイドみたいだ」「人形みたいだ」と言われた
、考えると、自分はいったい何者なのか?
自分はいったいなにを考えているのか?
わからなくなってしまう。

なにものにも代えがたい自己・自身が実際に存在していますね、
質問者さんの事ですよ!。
その個性や主体性をもった自分の存在そのものを意識的に、
いけないものとして外し、相手に合わそうそうとしています。
先ず、ご自分を、抑圧している事に気付いてください。
質問者さんは、同時にそれに対する異議申し立てをおこなって
居るのです、一連の想いと生き方としてです。
少し突っ込んだ書き方です。↓ 
人間とは「何であるか」(本質)、が明らかになる前、すでに存在してしまっている(実存)。
つまり人間という存在が,すでに存在しているという事実が先行しているのであり,あとから自らの決断によって本質を創りあげていかねばならないのです。
人間は自由です、と同時に不安なのです。
自由をもった人間は,同時に自己が選択したすべての行為に責任を持たされます。
しかも,この責任は自分一人に留まらずに,社会全体に対しても向けられる。
そのために積極的に社会に参加し,矛盾した社会(不安)を変える事をしなければならない。
主観的すぎるとかの批判も出るが、現代社会ではこのアプローチでないと対応できない。
ケース:
「生きる意味が見出せない」「何をしてよいかわからない」といった大きな悩みから、
依存できる価値観(本来は親)が壊れてしまい、自分はどう生きたらよいのかわからない、目的のない自分に耐えられないという悩みが生じてきた。
人づき合いが希薄になったため(本来は親の指導)、自分に頼らざるを得ない、その孤独のなかでどう生きたらいいのかわからない。
現代は「組織」の時代であり(親を主体とした家庭)、組織の期待する行動様式に自分を合わせる方法が解らず、本当の自分を無視・抑圧してしまう。
必要なら闘う勇気は、お持ちなのです。
それは、自分の原点に帰りたいからなのです。
善か悪か、魂か肉体かという考え方じゃなくて、質問者さんが裁かれない事なのです。
生きていくのに一番頼りになるのは自分自身の体験であると考える。
知覚や体感をともなった具体的な体験こそが、この世で間違いなく存在するものであると考え、「人は○○○かもしれないが、自分はこうだ」という自分の認識を大事にする。
「知る」というのは体験学習で、体で覚えたものが真に知ったことになると考えます。
知るとは概念化したり数量化したり法則化することではない。
統計学も特定個人を知る何の足しにもならないと考えます。
体で感じたことが知ったことと考えます。
「善」とは、自分にとって意味があると思うことを行うことです。
タバコは体に良くないと知っても吸う人がいますが、タバコが本人にとって意味があるならそれもよいという考え方です。

そもそも病気なのでしょうか?
治せるものなら治したいです。
本当に困っています。

でしたら、そうじゃない!と申し上げます。
質問・相談に関して、思考!そのものですから
“そうじゃない”
と質問者さんが決めたら、そうじゃないのですよ。
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境界性人格障害は厳密に精神病とはいえません。

その人の考え方の固執による人格障害です。その考え方の為に生きにくさがあり、関係性を破綻させやすいので、欝などの二次障害を発症しやすくなります。この二次障害については治療の余地はあり、医者は処方を尽くしますが、根本の問題である人格障害は解消されずに残るので、欝は改善されたとしても繰り返し発症します。
根本を絶つのは難しいです。医者が手を下す分野でもありません。医者は人生を説く立場の人ではないからです。
あなたが境界性人格障害であるなら、あなたの考え方全てを肯定する環境を手に入れるか、あらゆることをよく学び認識力を高め、あなたの考え方そのものを精査する作業を努めなければ、状況は変わりません。あなたの決心さえあれば、カウンセリングは効果的です。
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鬱病 セルフチェック


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境界性人格障害 セルフチェック
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ひとまず、これをやってみましょう


私がぱっとみるには、鬱病の症状が余り書いていないように思います
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