プロが教えるわが家の防犯対策術!

 
誰がそれを確かめた
 


 

A 回答 (8件)

NO.7の方のご意見にあるように


死後の表情の変化から・・体は器・・・と感じられる
手厚く看取られた人は、安らかな顔になる
といった事は確かだと思います

死相は確かに変わります
顔の皺がなくなり、安らかに眠っているように見えてくる場合が多いものです
でも たまには、反対の場合もあります
口が開いたままで塞がらず、何かを求め訴えるような顔のままの人もいます
・・


安楽死というものの解釈ですが
通常は、早く楽に死なせてあげよう というものでしょうが

>誰がそれを確かめた

というように
実際は確かめようがない とは思います
本人自身の死に至る状態の全てを知ることはできないと思います
また、どのような療法を用いても完全に苦痛を取り除くこともできないように思います
しかし、医師や周囲の人達の判断によって
最も苦痛のない状態で死を迎えられるようにしてあげようとするのが、安楽死なのでしょう

少しでも安らかに・・という願い
本人の心には伝わっているのではないでしょうか
そのような暖かい心を受けながら臨終を迎えた人は、死後安らかな表情になる場合が多いと思います

死んだ というより 眠っている 本当に眠っている みたいな 
そんな顔を見るとき、楽になったな、これでよかったのだな と思わせられます

そうした事のみをもって、「確かめた」とは言い切れないのかもしれませんが
何も確かめてはいない、とも言えない



延命を打ち切って、死を早める・・・のが安楽死と言われますが
少しでも安らかに・・という願いに包まれた死が 安楽死ではないでしょうか
延命を打ち切る際に、そうした周囲の心情の有無が、本当の安楽死であるか否かを決めてくれるように思います。
    • good
    • 0

こんばんは。


保健医療福祉関係の地域と在宅の現場で働いていましたので、少しだけ体験を。

積極的な医療行為をしない「安楽死」には遭遇したことがあります。
子宮がん末期の独り暮らしの高齢者で、娘さんが三人おられました。
最後まで在宅でと、本人も娘さんも希望されていて、娘さんたちが交代で泊まりにきていました。

主治医は、電解質・水分補給を中心とした点滴とペインコントロールの注射くらいで、最期は、点滴量も減らしていきました。極端な表現をすれば、栄養が十分に与えられず、干からびるといった表現になるかな。(終末期、この治療方針が望ましいとは限らない)
高カロリー輸液ならば、もう少し延命できたかもしれませんが、苦痛を延ばさないとの、本人・家族・支援者で合意しての在宅看取りでした。
下血のため、紙おむつは常時していましたが、亡くなる3日前まで、付き添われトイレやポータブルトイレで排泄してましたし、前日には、鯛を三口食べたと聞きました。
家族もスタッフも(たぶん、本人も)、共に安らかな死を迎えることができたように感じた事例です。
昔は、これが自然の看取りだったかもしれません。しかし、ペインコントロールの医療技術が未熟で、痛みに苦しんだ人が多かったと思います。

事例では、医師が北欧の医療に関心が高く、視察や勉強されていて、24時間在宅医療支援が可能だったことも大きかったと思います。説明理解も同意も共有もなく、「安楽死」信者になっては、逆に危険かと思います。ひとつ間違えば、殺人行為ですものね。

病院施設の現場で、死に遭遇したのは、二十人くらいですが、死者の表情は、不思議に、苦しみが残らない・・といった印象を持っています。闘病中は、苦しみが顔貌に張り付いたようだったのに。身体は「器」であったことを感じさせられます。

「死」を忌み嫌い否定するのではなく、どのように通過するか。
安楽死の「安楽」について考えるひとつの材料にしてもらえば、幸いです。
    • good
    • 0

こんばんは。




それがいいかどうか、個々人の「意思」に委ねられ、尊重されるのです。


※「全身冷凍保存して、(近)未来の医療に期待する」というのも、あるらしいよ。
    • good
    • 1

安楽死は本人ではなく、家族の観念でしょ。

楽にさせたい=介護から解放されたい。どうでしょうか?
    • good
    • 0

安楽死と言うと、私は、延命治療が頭に浮かびます。



延命治療と言うと、植物人間の様になってまで、人間は、生きなきゃいけない、(生かされなきゃいけない)のかと、。

質問の意図とは違うかもしれませんが、少なくとも、私は、延命治療はしてほしくは無いと思っています。子供たちにも、そう言っておくつもりです。

先日、ある質問に、私が、70以降はいつ死んでもいいようなことを書いたとき、捕捉で、かっこつけてるみたいな言い方をされましたが、そういう事じゃ無く、今はそう思うと言う事。その時になれば、人間、死にたくないと思うでしょう。でも今、延命治療までしては、生きたいとは思わないのは本心ですからね。
そこで、安楽死と言う事が出てくる。楽かどうかは解らないが、体が、まったく動かないとか、痛くても手の施しようがないといった場合、安楽死があってもいいと思う。
    • good
    • 0

常識的に言えば、苦痛は意識がある段階の現象ですから、意識がなくなり、熟睡の状態から死ぬまでに苦痛がぶり返すということは臨床的にありえない、ということになると思います。

それは経験的に脳波や体の各部位の動きの有無で眠りの深さや夢のありなしの確認が出来るということでしょう。
恐ろしい悪夢が死ぬ直前に臨死者の意識に襲い掛かるというようなことは現在の科学ではありえないと考えられているはずですから、どうか貴方も安らかに安楽死を選んでくださいね。もちろん保障はしませんし、死後に地獄へ落ちる可能性も否定しません。
    • good
    • 0

安楽死には二種類あります。



1,自然の死期に先立たないで、つまり寿命を縮めること
  なく、死に至る間の苦痛を取り除く場合。
2,自然の死期に先立って、苦痛を与えず寿命を縮めること。


”誰がそれを確かめた”
   ↑
苦痛を受けているかどうかは、今の医学なら
判りますよ。
苦痛を受ければ、脳波が反応します。
身体が反応します。
    • good
    • 0

生き物は自らが死ぬ体験を語ることが出来ません。

だって体験した後に話すことなんて出来ないんですから。

ということは、推論でしかと安楽な死であるか確認できないわけです。しかし、安楽死を選ぶ人がいるとして、その人は安楽死を選んだ時点で心の安楽を得ているのかもしれないと考えられます。

とある場所にAさんがいるとします。Aさんは酷い苦痛をともなう病気です。このAさんが安楽死する権利を手に入れました。そうするとAさんは現状の苦痛から開放されるということ、死ねるということで、心の安楽を得ているのかもしれませんよ。


その死が安楽かどうかなんて確かめることはできません。もしかしたら、Aさんは奇跡的に病気が治って、自然死する可能性ももしかしたらあるかもしれません。そうしたら、安楽死は安楽ではなくなります。

安楽死とは、その人が壮絶な苦痛とともなう死に方をするが絶対的な条件です。そうした未来の酷い可能性が存在することによって、安楽死は成り立ちます。しかし、未来のことを予測できる人なんて誰もいません。ですから、安楽死は必ず推論でしかないのだと考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 
>ですから、安楽死は必ず推論でしかないのだと考えます。


つまり安楽死は安楽な死をもたらすかどーか分らないゆーことでしょ。

場合によっては安楽死はふつうの死に方より10倍苦しんで死ぬことを意味するかも知れんのです。

誰も確かめた人はいません。

だから安楽死は不気味であり、安楽死ほど危険なものはないかも知れんのです。
 

お礼日時:2013/04/24 03:52

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す