アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ずっと思っていたのですが、日本で売られている様々な商品、車や、家具や、家電製品のデザインって、世界的に見ても相当ダサいというか、野暮ったいというか、とにかく、劣っている気がします。
今まで、国産デザインが私の好みではないというだけの話であって、消費者の大多数のニーズは満たしているのかな、と思っていたのですが、携帯電話市場でのiPhoneの売れ方を見ると、どうもそうではないような気がしてしまいました。

例えばスマートフォンで見たときに、iPhoneの洗練されたデザインに比べて、日本製Android端末のごちゃごちゃしたデザインの方が好きだ!という人が多いとは思えないのです。私はApple信者ではない、というかむしろ機能面を考えるとアンチと言ってもいい位ですが、デザインに関してだけはmacやiPhoneの上を行くところは無いと思ってしまいます。

これは何かの調査を基にしたものではないので、多分、なんですけど、
iPhoneを買う人の中には、別にSiriがどうとかFacetimeがどうとか抜きに、「かっこいいー」っていうだけの人、けっこう居ると思うんです。そしてそれは割と周知の事実だと思うんです。
ニトリとIKEA、HONDAとaudi、何に関してもそんな感じがします。
なのにどうして(原因も解決策というか模範解答も分かっている問題なのに)、日本のプロダクトデザイン(携帯に限らず)というのは全くと言っていいほど進歩しないのでしょうか。

別に煽りでもなんでもなく、純粋な疑問です。
意匠権?であるとか、そうした法律的な何かが邪魔をしているのか、それとも技術的な問題があるのか、ただ日本の国土の問題なのか…、何だか、よくわかりません。

こうだろ!という意見、こうじゃない?という意見、ぜひ寄せてほしいと思います。
あと、「別に日本ダサくねーよ!」みたいな真っ向からの反論はちょっとめんどくさいので無しでお願いします。

A 回答 (5件)

プロダクトデザインに限らず、


日本のデザインをダサくしている要素は2つ。

それは、中途半端さと、パクリです。

なぜそうなってしまうかについて、私は以下のように考えます。

1.中途半端になる原因:自信の無さ

自信がないので、空白を活かしたり、手短な説明で済ませたりできません。
「手抜き」「不親切」などと批判されたくないから、何でも混ぜ込みます。
結果、スキはないけど、複雑で、何がいいたのかよくわからないモノができあがります。
複雑さを良しとして作っているわけではないので、結果「複雑さ」としても中途半端なのです。


2.パクリの原因:先代に対抗するために外国文化を使用する

若手デザイナーが、ベテランに勝つために、外国のデザインを引用する。
外国の新しくて評価されているデザインなら、それまでの日本に無いわけですから、
それを盾にしてベテランに打ち勝とうとするわけです。
パクるならパクるで、潔くパクれば、それもまた面白いわけですが、
デザイナーはカッコつけたがりなのでそこは認めない。
結果、何かをパクっていそうな雰囲気漂うデザインになります。
初めこそ、日本国内においては真新しくても、本家と並べられたときに恥ずかしい気持ちになります。
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日本製品、ダサいですよね。



激しく同感です。
ほんとずっと感じ続けてます。

なのでケータイはずっと海外製品ばかり使ってきてます。
エリクソン(ソニーとくっつく前から)、ノキア、モトローラ、アップル。
ただ最近のアップルは好きじゃないのでもうすぐiPhoneはやめるつもりです。


なぜ日本製品はダサいのか。
この質問を見て激しく共感し、私も何でだろうと考えてみました。
以下、駄文ですがよければ読んでください。

1、日本の企業を取り巻く構造的な問題
特に大きな企業になるほど経営陣は経済界や業界団体、場合によってはマスコミなどともつながりが強く、それがメリットになる場合もあるが、それがあるゆえに周りと同調せざるを得ない状況もあると思う。全く新しいデバイスを発信するのは周囲と温度差を作り出すことにもなり、余りにも革新的な発想のものは敬遠されがち。また企業自体も未だに上意下達の部分もあり、カッコいいものを生み出したい人間が、政治的な思惑で動く経営陣を動かすのは難しいと思われる。周囲との同調は今の日本にはまだまだ自然にある。例えスティーブ・ジョブズが日本にいても日本の企業では働けないだろう。だってスーツ着てないのだから。Tシャツとジーパンで働く時点で日本ではアウト。これは同調があるゆえ。ケータイからは離れるが銭湯にタトゥーしてる人が入れないのも同じ。人と違う人を排除する意識が普通に世の中にある。この辺は私は全然理解できない。なので、企業自体も周囲との同調があるし、企業内でも周囲との同調があるので、人と違うものが出てきにくい構造になっていると思います。

2、文化的な問題
欧米などと比較した時に文化的な違いもデザインの違いに現れるのではないかとも思います。
「デザインとは物事の本質を形にすること」と言ったデザイナーがいました。では物事の本質とは何か。物事をどう見るか。その理解のプロセスが欧米と日本では違うのではないか。物事を考え理解し形にするうえで言葉は重要です。日本は象形文字である漢字を使い、表音文字としての仮名文字を使います。対して欧米では表音文字であるアルファベットを使い、その組み合わせで意味を持つ単語を作ります。で、各々そういう言語の土壌で考える基礎を育んでいます。日本語は、角が多く気難しげな漢字と、流線的で柔らかなひらがな、直線的で冷たい印象?のカタカナで考えます。もとが象形文字ということもあり有機的なイメージを受けます。アルファベットは至ってシンプルで無機的なイメージです。で、日本語はあくまで漢字が表意の核となります。仮名文字だけで文章を作るとどういう意味かわからない言葉が沢山あるから。つまり日本人は文字自体が持つ意味にしばられて考える習慣なわけです。しかし残念なことにこの漢字は進化してない。新しい概念が生まれてもそれを表すために新しい漢字を作るということはあまり聞いたことがない。今のところ新しい概念は和製英語になったりして取り入れられている(この場合は表音文字の組み合わせということか)。英語などはどうだろう?アルファベットの組み合わせを変えて新たな概念を意味する単語を作り出している。ということは日本でも表意文字ではなく表音文字で考える習慣に変わりつつあるとも言えるかも。で、何が言いたいかと言いますと文字そのものが幼少期から触れてきた最も身近なデザインのひとつではないかと言いたいわけです。漢字、ひらがな、カタカナ、それぞれ違いますが、アルファベットに比べるとスタイリッシュとは言えない。何か独特の味がある形をしています。線対称じゃないし。アルファベットはシンプル、スタイリッシュ、どちらかといえばシンメトリー。その辺りの幼少期からの感化がデザイン、つまり形に対する感覚の違いにもなってると思うわけです。

で、日本人は開国してそんなに時間たってないからか世界のなかの自分たちの立ち位置を客観視することが下手なのではないか。
文字の形の話はあくまでも私的な仮説のひとつでしかないけれど、もしそうならば私たちにとっての心地よいデザインとは流線的で、時に角もあり、気難しさと柔らかさ、冷たさが調和して混在するものであり、尚且つシンメトリーである必要が全く無い、という書いてて混乱しそうですが、そういうものなのにそれを日本人自体が欧米の色に飲まれて自覚できてないことに問題があるのだと思うわけです。

私のなかではまさに上記のような日本的デザインとして例えば桂離宮とかね、思い浮かびます。とても好きです。最高です。
最近のプロダクトではないけれど少し前のオリンパスのオープロダクトというカメラも超好きです。あれもある意味日本的な美しさを感じる。

そういったわけでそもそも日本的なデザインとは、いわゆる欧米的なデザインとは全く別物である。にもかかわらず欧米のデザインを真似しようとするから変になる。ダサくなる。というのが私なりの結論です。
この質問に激しく共感し、私なりにそのことについて考えてみたことで私自身も発見がありました。

あくまで私的な回答ですみません。
また、駄文、長文になってしまい申し訳ありません。

今後、日本製品が魅力あるものになっていって欲しいと心から願います。
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日本は、まだ旧来自由主義なのです。

新自由主義ではない。USはベトナム戦争が終わるまでには切り替えてしまった。日帝の帝国主義を引き継いでいる自由主義(あってるかな)。
世界のデザインは、その産品につける「表現」ですから、くにの「アート」が疑われるような酷いまねはできない。日帝では、菊軍隊で常識知らずなので、義務兵役でしたし、「昭和不虞の前を行けない」ので、「デザインは凝るな」と言うのが公然と言われていました。
今ではそう言った人たちもお亡くなりになり、デザインを考えてもいいのですが、「自由な株式市場」ではない事実が現れているのでしょう。日本ではスティーブ・ジョブズは生きられない我慢してチョ。

実用で不便でないなら、表現してみようか、とか、やって欲しいですがね。
昭和不虞が64年続いたので、染み付いている。菊軍隊は、軍人恩給が続いているので、これのある限り駄目かな。刷新を、事業仕分けするくらいなら、やってよ。
昭和不虞とは、(「『項羽』将軍」のように)「覇王」には成れないと言うこと。ま皇統譜あるからねぇ。
鴻海のように、新自由主義なら、Sony、パナソニック、シャープの赤字はない。
私は、世界のアートみたいに飾られ過ぎると、欲しくなくなるのですけど。
「宗教を言えない『国』」に歩調を合わせているとか。

FinePixA800や同じくT300は、良くないとしても好きですけどね。
IXY‐Digital‐910ISは嫌いでしたね。おすすめは、と聞いて購入したけど手放した。買ってもう5年半もするか。旧いですね。
A800はもう6年。T300にしても2年だ。
私はX10がいいと思う。予算がないけどね。って言うか、まだ2年じゃ買い過ぎ、中毒さ。
910は、親父が欲しいと言うから追加した。ひとり1台って事で。
300は、10倍ズームと、安いからで、動画がHDに変わると言うから(誰がかな)。
X-E1でズーム・レンズなら、欲しいとも思うかな。何にしても予算がない。8Kテレビで今は投資を手控えているのかな。8Kテレビの詰めがないと、デジタル・カメラは、出せないぜ。
X-Pro1は画期的なモデル、35ミリレンズで決めれば、取材もありかな。
PENのNewはまた、ちさいモデルかと。見てないよ。どうかな。前はEP3だったか、ズーム・レンズが持ちやすい印象だった。ホールドできなければ、絵作りができても意味無いし。
写せて外せて付け替えられてそれで合わせられないと。
私はフジノン派。でもPENを気にする。下位メーカー、チェック。瑞光もいいけど、まさかの不祥事。レンズが泣くぜ。
フジノンや瑞光は、デザインに力を入れてないが、と言うか、しょっちゅうデザインしてるから、力を入れ過ぎてバランスの悪いレンズにしたら誰が評価するか。と思う。
怖いね。レンズは光りを通して何ぼの世界。落とすなヨ。
いや生産者じゃない。言い過ぎ。ご免。
稼ぐ事を考える前は、ニコンを欲しがっていたが、稼ぐような考えでは、ニコンは高過ぎて手が届かず。ニッコール派ではない。昔は、ズーム・レンズ80-200F4.5を使っていたが。手放した。
このズームで135ミリ付近だとよく写したい画角である。今の、デジタル・カメラでは、この画角を得られているので無駄に買い揃える必要がない。
然し、市販のX-Pro1には、タムロン18-270・15倍ズームを回してみたい。
デジタル・カメラは、日本が殆んどシェアを持っているんでしたかね。最近調べてない、と言うか、昔から見てないですね。そう言えば。私はキャノンやSonyにペンタックス・リコーは好きじゃないです、企業を。売れて当然と言う見方しかできないので。今のSonyの赤字は理解できない。自由貿易でないんでしょう。
自由貿易で謳うとすれば、フジフィルム、オリンパス、カシオそしてニコンですか。嫌いなのは、キャノン、Sony、パナソニックそしてペンタックス・リコーでしょう。京セラやコニカ・ミノルタは前に消滅しました。ミノルタは、特に嫌いだった。京セラは経営を理解できなかった。日本最大シェアをキャノンとSonyが争っている。私は、今ではSonyを嫌っている。開かれたマーケットとは思えないので。PCのdvdタイトル作品のリッピングが禁止されたから。今の記録をNewマシンに移設するのが禁止対象だと言うので。Sonyはゲームやシネマの生産をしている。BDを早くからリッピング禁止にして、言論を構成しないように逃げ込んだ。私は、言論を構成しないようにされても、それで通用するなら、フェア・ユースを言えなくとも、構わないと考えている。国際政治上問題だとしても司法を導入する流れは違うと思うし、武装権即ち知る権利とその行使であり、強く言えなくともそれで困るのは、コンテンツ所有企業だからそれでいいのさ。(こちらからすると)守ってやる必要がない、と(企業が)司法に訴えているのだから。自由と平等は、国家主権を得た日から、その大衆が等しく守るものである。この事を日本の社会党、今の社民党は理解できていない。言論の自由の前に自由を守り給え、学問の自由の前に平等を守り給え。武力なしでどう守るのか。違うだろう。
言論に使用できないコンテンツは自由を言えない。学問に使用できないコンテンツは平等を言えない。国際信義同盟でも創らないと、企業の所有するコンテンツを守るような組織はない。
フェア・ユースを理解しない企業は、法はその所有するコンテンツを組織が組織として守る義務を認めない。失ってもそれを回復できるようには考えないとする。

企業がデザインを求めるのは、印象を深めてもらい、サービスを拡大する為に資する。然し、コンテンツを司法で守って貰うようにすれば、そこまでである。誰もコンテンツを守ろうとはしない。
コンテンツを私的保存するその行為を違法だと言われてそれ(そのコンテンツ)を守るように勤める民衆があるだろうか。捨て去るのではないか。民衆の私的発意によるコンテンツ保存は、法によるそのコンテンツの保護であり、これを違法と言う著作権法は法の持つべき市民性を認める事ができない。よってその法のその効力を認めない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
カメラの話はわからないし特に興味がなかったので前半だけ拝見させて頂きました。

要は帝国主義時代からの負の伝統を受け継いでしまっているということですね。
日本の国民性という部分、根は深そうですね…。

お礼日時:2013/05/22 21:12

Appleのデザイン性は透明なiMacから始まって神がかりですね。

「天才の仕事」って言われてるぐらいすごいでしょう。
iPhoneに関していえば、デザイン上Samsungのパクリ訴訟があったので、日本メーカーのスマホはみんな角がとがっていたりしたんです。
でも、じつは日本メーカーなんて世界中から鼻にも掛けられてないことに気が付いて最近は角が取れてきた。情けないですね。
そんなことが独自性じゃないのに。
スティーブジョブス名言集かなんかで「市場リサーチなんてするな」
というのがあったでしょう。
人が想像して欲しがるものじゃなくて、だれも想像すらしたことのないものを作れ、という理念ですね。

日本メーカーはいろいろな人の意見を聞きすぎてデザインの独創性、とんがったエッジが全部丸くなってしまってると思います。
だから、デザイン的にユーザーの心に刺さってこないわけ。
これ、人と同じことするのが正しいっていう日本の国民性でしょう。
基本性能はばっちり、品質管理もばっちり、長持ちするし壊れない。だけど、「魅力」がない製品。それが日本製品。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

Appleすごいですよね。悔しいですけど(笑)、神がかっているという言い方も納得してしまいます。
訴訟の件、そんな話があったんですね、知りませんでした。言われてみれば確かにそうだったかも知れません。日本メーカーの主体性の無さを象徴するような話ですね。

Appleのデザインはジョブズの神経質なほどのこだわりから来てるんですね。
日本にそういうカリスマがいない、というかそういう人間を育てる土壌がないということも、要因のひとつなのかも知れませんね。日本の国民性。

確かに魅力がない!的を射た意見、ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/22 21:04

日本人特有の優柔不断さというか、曖昧さというか、はっきり決められない風土なんでしょうね。



シンプルに1つのことだけビシッといこう!って提案する人がいても、まわりから、あれも入れたほうがいいんじゃないか、これを入れたほうがいいんじゃないか、1つだけだと失敗したら大変なので、リスク回避するために5つくらい盛り込んでおけ、みたいな。

そうなると、なにを主張したいのか、どこを狙っているのか、はっきりしないちゃんぽん的な製品ばかり創り出していくのでしょうね。

私もアップルは好きではないのですが、ことスマートフォンにおいては、iPhoneのユーザーインターフェイスの素晴らしさは認めざるを得ない状況です。

iPhoneには、なにか開発方針にビシッと軸があって、外部から何を言われようが方針を曲げない頑固さや、絶対これで間違いないという自身やらが感じられます。

メーカーがユーザーに媚びを売って合わせるのではなく、「使いたかったら使えやー」という感じで、強気なメーカーにユーザーを合わせさせているって気がします。

国産Androidは、八方美人的というか、誰からも好かれるというより、誰からも嫌われないようにしようという感じで、どの層にも少しずつ購入対象としてかするような、そんな弱気な製品が多い気がします。

まぁ実際、日本人は、機能を使う使わない関係なく、アレもコレも盛りだくさん搭載されています、っていうのが好きなんでしょうけどね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

日本の製品が消費者に媚びているという意見、とてもその通りだと思いました。
Apple他、海外メーカーのような明確なコンセプトが見えないというのもそうですね。

やはり「日本人の性格」というようなところに落ち着くのでしょうか。
だとしたら改善の見通しは暗いかもしれませんね…。

お礼日時:2013/05/22 20:55

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