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伝説の「吉田拓郎コンサート・イン・つま恋’75」のDVDを観てとても感動しました。
5万人(警察発表では7万5千人)を集めて、朝まで12時間も続けてコンサートするとは他に例をみないですね。(あります?)
歌手と観客がいったいとなった熱い青春の息吹が伝わってきました。
 おそらく観客は音楽を聴きにゆくというより、歴史的なイベントを体験してゆくという感覚だったのだと思います。とてもうらやましいことです。

そこで当時のことを知っている方に質問です。
1.このコンサートの宣伝はマスメディア(新聞、テレビ)を大々的に利用したものだったのですか?
 それとも口コミ中心のものだったのですか。
2.入場料はいくらでしたか?
 ウッドストックのように途中からフリーになったりしたのでしょうか?
3.かぐや姫も競演していますが、かぐや姫ファンの割合はどれくらいでしたか?すでに解散していたそうですが。
4.テレビ中継されたのでしょうか?
5.夜明けまで12時間つづけて聴くというのはどういう感覚ですか?
 疲れきって眠くなるものですか?
 それとも燃焼しつくすつもりの興奮状態がずっと続くのでしょうか?
 何かエピソードがあればきかせてください。

以上です。
よろしくおねがいします。

A 回答 (5件)

体験者です。

1は、あまり記憶にありません。当時TVを使ったライブのPRはまったくといっていいほどなかったと思います。私はラジオと音楽雑誌で知りました。2について。ソールドアウトしたのかどうか詳しくは知りませんが、ダンピングなどは行われなかったと記憶しています。3ですが、吉田拓郎さんのファンとかぐや姫のファンはかなりリンクしていて、後年篠島で行われた長渕さんへのそれのような、拓郎に対するものと180度違う声援はなかったと思います。私も両方好きでした。4はノーTVです。現在の10~20代の方々には想像しにくいでしょうが、TVに出ないことが拓郎さんのポリシーでしたので、私のようにファンの多くはTVに出るイコール悪いこと、大衆への迎合として忌み嫌う傾向があったのではないでしょうか。翌日のお昼のワイドショーで報道されていたことは覚えています。5は興奮が続いたと言えそうです。私にとっては拓郎さんが他の歌手のために作った曲を歌ったことも嬉しく(ああ青春、明日の前になど)、前日からおよそ40時間、帰りの列車の中はおろか帰宅しても暫くは眠ることができませんでした。自分の言いたいことを社会に向かって提唱してくれる存在としての拓郎さんに、そしてその日のために復活してくれたかぐや姫に、大変感謝したライブでした。チケットの版権は今でも私の宝物です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
コンサートは混乱もなくスムーズに進行していったようですね。

>前日からおよそ40時間、帰りの列車の中はおろか帰宅しても暫くは眠ることができませんでした

 すごい体験でしたね。うらやましいです。

>そしてその日のために復活してくれたかぐや姫に、大変感謝したライブでした

 かぐや姫はすでに解散していたのですね。かぐや姫ファンと拓郎ファンが重なっていたのなら納得です。
 現在のミュージシャンは不思議と政治的発言はしませんね。イラク戦争に関する曲も耳にしません。
 

お礼日時:2004/03/23 14:29

お兄さんが、ファンなんですね!


それで納得しました!
それにしても、この質問の題目で書き込みが、他に無いのは、寂しい限りです。これも時代の流れなんでしょうね!

フォークソング全盛時代の背景は、そちらが、おっしゃる通りだと思います。

しんみりと聞かせる曲のビデオを見てから”つま恋”は、かなりインパクトあったでしょうね!

今の若者も充分聞けると言ってくれて嬉しいです。

いくら書いても書き足りないので僕からの書き込みは、これで最後にします!

ちなみに”落葉”って曲は、コンサート以外では、歌わない曲でした。

今回の質問で青春時代を思い出させてくれてありがとうございます。

感謝します!
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この回答へのお礼

いろいろとありがとうございます。
「つま恋」に影響を受けて、大変遅ればせながら70年代のフォークを聞きあさっています。
泉谷しげるのデビューアルバム、岡林信康の狂い咲きライブ、加川良の「親愛なるQに捧ぐ」などど度肝を抜かれました。
全盛期のパワーを追体験できてうれしいです。

お礼日時:2004/03/23 14:14

”つま恋”は、当時は、ビデオで販売されて、その後、同じ内容のLDが、発売されました。



それとは、別に舞台裏やライブ前の状況を中心とし内容のビデオが発売されてたと思います。(今は、手に入らないと思いますが?)

ライブ前は、泊り込みの人や早く着いた人達が、ギターを持ち込み会場のあっちこっちで輪になって歌を歌ってたようでした。

ハメを外したり周りに迷惑をかける行為は、なかったそうです。

拓郎が、現役を引退する最後のコンサートでは、”もう二度と、みなさんの前に顔を見せる事は、無いでしょう!”と言った為、数年後に復活して芸能活動を始めた時、昔のファンから”かっこ良く、言葉どおり復活して欲しくなかった”と言う人と”また、見れて嬉しい”と言う人が、居て拓郎ファンの間で騒ぎになりました。

復活してから”昔の歌の歌詞は、すべて嘘”なんて言ってましたが、拓郎流の照れ隠しとジョークだと思います。

昔の歌の歌詞は、ファンが共感できる内容だったし拓郎自身も、そんな気持ちだったのだと思います。

ところで何歳ぐらいの方か解りませんが、なんで拓郎のDVDを見ようと思ったのですか?嬉しいけど、すごく不思議です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
兄がファンで、帰省したときにDVDを観たのです。
それからファンになりました。
他のビデオも観たのですが、つま恋がもっとも強烈な印象でした。
他のビデオでは拓郎さんはとてもおとなしかったです。

フォークソングは、学生運動が盛んなころは政治的メッセージ性が強かったらしいですが、学生運動が終焉するとともに活気を失っていったと思います。
その最後の光芒がつま恋75だったのではないでしょうか。

拓郎さんが、現役を引退する最後のコンサートを行ったとは知りませんでした。
70年代の拓郎さんの音楽は、現在の若者でも十分に楽しめ、熱中でき、エンターテインメントにすぐれていると思います。
今でも現役ですが、数年後にふたたびブームが起こるのではないかと期待しています。

今のストリートライブをやっている人たちと、当時のフォークギターを抱えて広場で歌っていた人たちとどう違うのか興味があります。

>復活してから”昔の歌の歌詞は、すべて嘘”なんて言ってましたが、拓郎流の照れ隠しとジョークだと思います。

 そうだと思います。
 準ちゃんの歌などはとても純粋です。

お礼日時:2004/03/22 16:13

rory23です。

追加です。
吉田拓郎のファンが、居て嬉しいです。
そもそも”人間なんて”は、即興で出来た曲で、間を繋ぐ為に出来た曲と記憶しています。
もっと情報を持っていたのですが、思い出せない自分が、悔しいです。
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この回答へのお礼

追加情報ありがとうございます。
「人間なんて」は即興でできた曲ですか。
本人が別のビデオで「人間なんてと歌っているが、決して人間を卑下しているわけではなく、慈しみを込めている言葉だ」というような発言をしておりました。
 歌詞は荒っぽいですが、生きることの苦しみと同時に喜びも表現しているものと解釈しています。若々しくて好感がもてます。

 つま恋’75のコンサート前の観客の雰囲気はどうでしたか?
 待ちきれない様子で騒いだりしてましたか。
 それともおとなしくしていたのでしょうか。

お礼日時:2004/03/21 22:43

かなり前の話になるので忘れてた事も、多いのですが、一応、ライブ、コンサートは、実際みたり、ビデオ、LDなどでだいたい見ました。


”つま恋”ライブは、かぐや姫の南こうせつさんが、裏話として言ってましたが、拓郎さんは、ライブ前に体を休める事も無く”ひたすら”歌ってたらしいですよ。
ライブの準備や後片付けの時、一部のファンは、手伝ったらしいです。
テレビ中継は、されなかったと思います。
朝日が出てきた時の”人生を語らず”のシーンは、良かったですね。
記憶が、薄れてるのでこの程度しか書けません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>朝日が出てきた時の”人生を語らず”のシーンは、良かったですね。

 興奮して眠気や疲れなど感じなかったと解釈しました。幸福な体験だったわけですね。

>拓郎さんは、ライブ前に体を休める事も無く”ひたすら”歌ってたらしいですよ。

 本人もだいぶ興奮していたのですね。一曲目から気合が入っているのがわかりました。拓郎さんのライブのときの声はいつもかすれてしまっていますね。つねに全力投球だったのでしょう。
 「つま恋」の前にも「中津川フォークジャンボリー」での「人間なんて2時間歌いっぱなし」という伝説があります。
 これを見ている人で、このコンサートを体験した人いるんでしょうか?

お礼日時:2004/03/21 22:06

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