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曽野綾子先生の主張、違和感覚えませんか★
信者さんの方にコメントいただければです 東京の信者と地方とでは、考え方違うんですかね
私自身は、学生時代にカトリックの受洗を

「70、80にもなって、『年寄りが安心して暮らせる生活を』などというたわけた言っていて、それで通るのが、日本の弱くて強いお年寄りなのである。人生はどこでも、いつでも『安心して暮らせる』ことなど決してないことを、改めて肝に銘ずるべきだろう」

霞が関の中央分離帯は、たいていの場合、雑草だらけ。〈中略)こうした公共の場の清掃に、足腰の立つ生活保護受給者には働いてもらった方がいいだろう。

放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいんですよ。何も若者を危険にさらすことはない

以上が曽野綾子先生の主張です
私と同じアパートの独居老人、寂しい、寂しいというので、わたしが毎週日曜日に行く、カトリック教会に行こうと、おすすめしたところ
「カトリック、ああー、あの曽野綾子さんのねー。いやだね。あんた、彼女の言動を調べなさい」と
また「キリスト信者が、広島、長崎に原爆落とした、あれはキリストの裁きだと、人種差別はするし、またイラクで劣化ウラン弾をばらまいて」
「東京のキリスト教会は、金持ちで社会的地位の高い人の行くところ、麻生さん、与謝野さん、山谷えり子さんなどあんたが行ったら白い目でみられるよ」
こんなことを。

A 回答 (1件)

まず一般論として、敬虔なカトリックだから「優しく美しい人道主義者」であるはずがないということを。



十字軍の遠征で異教徒を大量虐殺し悪行の限りを尽くしたのも、宗教裁判で「異端者」を火炙りにしたのも、魔女狩りで無実の人間を大量に殺したのも、すべてキリスト教徒です。
でもこれは、どんな宗教でも自分たちの教えを広めるために、多かれ少なかれやったことです。

さて曽野綾子さんのことですが、彼女が何と言ったか私は知りませんが、質問者さんが書いたようなことを言ったとしたのなら、それは曽野綾子さんが自分自身も老人の側の人間の一人として、逆説的に主張したのではないでしょうか。

老人だから何でも許されるとか、老人だから何もしなくて良いのではなく、老人にしか出来ないことを一生懸命やろうという、曽野さんも含めた老人に対する「応援歌」のようにも感じます。

あと余分なことですが、寂しさを紛らわすために教会に行くのが良いのなら、キリスト教でなくてもイスラム教でも、創価学会でも、幸福の科学でも何でも良いという理屈になります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/08/26 11:58

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