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人を愛したとき、その人の”何か”を愛したと思います。
それは、容姿かも知れない、男らしさ(女らしさ)かもしれない、優しさかもしれない、趣味の一致かもしれない、”肌が合った”からかもしれない。そして”尊敬”だったからかもしれません。

でも、その気持ち、本当に相手への愛ですか?
その人は「自分好み」だったからではありませんか?

真の愛はたとえ奇形で産まれてしまった人へも持てるはず。
そう考えると、人への恋心という存在は実は自己満足やマスターベーションではありませんか?
それで相手を振り回すことは業因になるのではないでしょうか・・?

最近、そう思うようになりました。
人を愛したことのある人・・・・なぜ相手を愛せたのか。それは相手の個々の要素以外で何を愛しましたか?

私は最近、一人の男性を心から愛したつもりでいました。
でも思ったんです。その男性によって満足する自分を仮定してその男性を愛していたのではないかと。
自分自身を可愛いがゆえにその男性に何かを求めていたのではないかと。
自己愛だけだったのではないかと。

長文失礼しました。質問にすべて答えくださらなくても結構です。
「愛する」について、フランクに述べて頂ければと思います。

A 回答 (18件中11~18件)

自分の好みを追い続けるのは「恋」じゃないかな。



そこを少し乗り越えてお互いがお互いのために行動できるようになって「愛」になるような。

だけど、究極を言えばどんな言動も自己満ですよ。その自己満にどれだけ他人が乗っかってくれるか、だけですよ。
「愛」は必ずパートナーを乗っけようとしているだけだと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
短い文章にすべて集約されている気がしました。
お互いがお互いのために行動できて愛・・・。
やはり自分の為ではなく、相手の為、それが双方にできていれば愛なのでしょうね。

自己満にどれだけ乗っかってくるか(笑)
要は相手や自分がどれだけ相手に合わせられるか、ということでしょうね。それは自己犠牲だから、本当の愛なのでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/18 21:59

…本名不明



…職業不明

…顔は普通かな
…音信も不通かな笑

私は、ADHD発達障がい(軽い自閉症あり)です。でも好きになりました。

そもそも人が苦手なのに (でも現在接客業)
不思議ですよね。

今までも 一人二人なら、好きになった事がありますが
その人達とは気持ちが
全く別なんです
同じ好きでも。

例えたら、自身と同じくらい大切に想います
今の自身では
その人には 嫌われて
毒になる存在でしかないと認識できました

上辺だけじゃなくて、根底から(心から?自己から?)
今後、彼にかかわるかからわないか関係なく、他人の迷惑にならないように自身を変える(発達障がい特有の脳の偏りを修正すること)を実行するなんて…

やっぱり好きになって良かったよ

ありがとう
ユキトさん (o^^o)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
自分と同じくらい大切に思える相手、確かに愛ですね。

素敵な恋をされているようす。ユキトさんとこれからも仲良しで♪

お礼日時:2013/10/18 21:56

自分をわかってくれてるから愛せるんじゃないのかな。


自分ってなに?こんなくだない人間を好きだと言ってくれた。それだけでしょ?優しさってのは、貴女が存在してくれていてくれればいいって思われること。それが愛ではないのかな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
自分の理解者は確かに愛せますね。

「貴方が存在していればそれでいい」って思われる、私もそういう女になりたいです。ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/18 21:55

どんな感情であれ、行動であれ、意思の主体が自分である以上はすべからく自己満足だと思います。


愛も例外でないと思います。

無償で見返りを求めなくても、相手のためを思ってでも、自分の「したい、してあげたい」という気持ちが起点なのであれば、究極的には自己満足です。

そして、恋と愛は違うのだと思います。
恋は生殖行為を根源とする感情だと思います。
愛はもっと広く、種の保存、継続を根源とする感情だと思います。
この場合、恋は愛に内包されます。

恋は相手と一緒にいることが条件ですので、当然好みはあるでしょう。
愛の究極は自己犠牲だと思うので、一緒にいられなくても構わないでしょう。
「守りたい」という気持ちが愛だと思います。
恋に条件(要素)は必要ですが、愛に条件(要素)は不要です。
相手が自分の側の存在、本当の意味での「身内」になってしまえば、愛することができると思います。

私は恋愛感情がないので恋はわかりませんが、身を挺してでも守りたい愛する人たちはたくさんいます。
それは完全に私の自己満足だと認識してますが、そんな自分に胸を張ることはできます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

とっても納得しました。
恋は生殖行為を主とし、愛は種の保存・継続を主とする感情なのですね。まさにごもっともだとおもいます。人間の本能ですね。

そして”身内”になれば愛することができる・・・
家族愛ですね。やはり納得!

身を挺してでも守りたい人がたくさんいるrainbow_lizardさん。とっても素敵です。自己満足とおっしゃいますが、そうではないと思います。「自分さえ良ければいい」という人が多い世の中、とっても尊い感情だと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/18 21:53

わーお深い!! 『愛について』かー。


人類の永遠のテーマでしょうね。

私も人並みに恋愛をしてきて、
その度に一途に人を好きになって、
尽くして、愛が芽生えてってていうことを
繰り返してきましたが。。

子供がいないので子供に対して無償の愛とかも
まだわからないですし。
結婚もしてないので生涯かけて愛する、とかも
まだ、?という感じです。

人を愛するのって難しいことだし幸せだとは思いますね。
心から切なくなったり心配したり焼きもちやいたり
喜ばせたくなったり、ときに依存したり。

『人生をかけて愛する人を探すのをやめない
あなたが大好きなことを一生懸命しているときに
あなたの前に愛する人は現れます』

という言葉を先日、本で読みましたのであなたにプレゼントします☆
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。素敵な言葉も♪

確かに私もまだ子供もいないので、無償の愛が理解できません。
人を愛することは、一つ一つのパーツではなく、もっと深いものなのでしょうね。様々なご意見をいただき、とっても勉強になりました。

愛は永遠のテーマとよく聞きますが、本当ですね(^_^;)

お礼日時:2013/10/18 21:49

「愛」なんて所詮、人が作った単語に過ぎず、その定義はさまざまであっていいと私は思いますが、私が考える「愛」を前提に回答します。



>人を愛したとき、その人の”何か”を愛したと思います。
(略)
>でも、その気持ち、本当に相手への愛ですか?

いいえ、それは「恋」だと私は思います。その人の“何か”が「自分好み」だから、その人に恋をするわけで、それがやがて「愛」に変わると、その“何か”は、幸か不幸か、わりとどうでもよくなります。

>真の愛はたとえ奇形で産まれてしまった人へも持てるはず。
> そう考えると、人への恋心という存在は実は自己満足やマスターベーションではありませんか?

その通りです。「恋心」は自己満足です。余談ながら、奇形でも性格に恋したり、蓼食う虫も好き好きで、奇形そのものに恋する場合もあるとは思いますが。

>自分自身を可愛いがゆえにその男性に何かを求めていたのではないかと。

まあ、そうなんでしょうけれど、こういうことではないでしょうか。

人は、相手を愛するとはいっても、「その人といる時の自分を愛している」のだと思うんです。Aさんは、「Bさんに愛されて、Bさんに影響を与えている自分A」に自信を持つようになり、自分Aを愛おしく思うわけです。

すると、Bさんにしてみれば、AさんはBさんがいることで自信を持ち、A自身を愛するわけなので、そんなAさんに影響を与えている自分Bを愛おしく思うわけです。

いずれにしても、双方にとって、お互いは欠かせない存在となっていきます。なぜなら相手がいないと自分を愛しにくくなってしまうからです。

ちなみに、「愛する人のためなら死ねる」みたいな自己犠牲もあり得ますが、それとて、「それができる自分」を愛しているのだと思います。

ところが、人はとかく錯覚に陥りがちです。特に、相手に勝手な期待をしてしまいがちです。例えば、「この調子で行けば、相手は私の影響を受けて、あんなこともできるようになるはずだ」などと考えてしまいます。ところが、それを相手ができないとわかると、自分は期待を裏切られるばかりでなく、自信を失い、自分を愛しづらくなったりもします。

そういう時に頭を切り替えて、「あれは錯覚だったのだ。ありのままの相手を受け入れねば」と思えると、冒頭に述べた相乗効果で、ひいてはお互いに幸せになっていける可能性が高まります。

> それで相手を振り回すことは業因になるのではないでしょうか・・?

よくはわかりませんが、この頭の切り替えがうまくできないと相手を振り回すことは確かにありますね。でも、愛にも浮き沈みがありますから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
相手の”何か”を好きなうちは「恋」なのですね。

相手がいないと、自分をも愛せない・・・。やはり自分の為に人を愛するということなのでしょう。やはり自己愛ですね。

相手の為に自己犠牲もいとわない位の愛情を持てるようになりたいと思いました。双方が幸せであるという前提で。

お礼日時:2013/10/18 21:46

個人的には「見返りを求めない」事が愛だと思っています。



男性を愛した自信はありませんが、子供だったら愛せます。

質問に対して疑問があるのですが「何を愛する?」が、分かりませんでした。

愛するというのは、その人の幸せだけを願うのではないですか?

「その人の為に一生懸命になる」

こういう事とは違うのですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
「見返りを求めない」ことが愛・・・まさにおっしゃる通りですね。与え続けて求めない、求めたい気持ちも起こらないということでしょうね。

まさに家族の姿なのでしょうね。

お礼日時:2013/10/18 21:41

哲学的要素もあり生物学的要素もあり、難しい問題ですよね。



>真の愛はたとえ奇形で産まれてしまった人へも持てるはず。
これは純粋に見た目だけの問題であれば個人的な好みの
話しに近いと思います。
奇形好きといっては語弊がありますが、そういう外見が
気にならないほど愛し合うカップルもいると思います。
基本的には太った人が好きとか外見が生理的に好きになれない
という事と同じことかと思います。

それに元々そういう外見でなかったにしても事故などで
そうなってしまった場合、即、嫌いになるかと言えばそうでは無いはずです。

愛というものが化学反応なのかなんなのかは正直わかりませんが
相手が喜ぶ顔を見て自分も嬉しい事って”愛してる”相手には
より大きく感じられますよね。
自己満足やマスターベーションでも結果的にお互いが幸せを感じられるのであれば
それだけでいいんだと思います。

私は結婚25年になる妻がいます。
年齢と共にお互い外見はかわってきますが
そのシワさえも愛おしいと思います。
一緒に歳を重ね生きていきたいと思います。
その思いに特に疑問も持ちません。
そうしたいと思うからそうするだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お互い幸せなら、それが愛かも知れませんね。
シワさえも愛しく思える奥様と一緒にいられて幸せですね。それこそ深い愛なのでしょうね。これからもお幸せに♪

お礼日時:2013/10/18 21:39

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