プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

正直いま教会へ通っていてクリスチャンは押し付けが強いし
こういう風になりたくないな・・と思ってしまいます。


普通に社会生活の中では憧れる人がたくさんいますが
クリスチャンは逆に大丈夫かな。。って方が正直多いです。


常識から逸脱してるというか、正しさばかりを押し付けて
嘘つかないとことか神さまを信じていて感動することも
多いのですが、人として。。。って思うことが多いです


以前はクリスチャン同士が結婚したほうがいいと思っていたのですが
リスクが高く感じています。


信仰は持っているのですが、教会の人を見ていると
常識を逸脱しているところや話が通じないところ
人の意思を尊重できないところ、冷静に見てしまいます。
常識がない人のことを常識ない人に伝えても伝わらなく
困るなぁということや誤解をとこうとしても、こじれるので
周りの人に言ってもこじれるので、表面上話す分には
いい人なので深入りしないようにしています。


イエス様を信じているとこうなっていくのか
教会だけで社会と関わらないようにしててこうなるのか
(皆こぞってクリスチャンとなるべく過ごしてノンクリスチャンと
交わらないほうがいいといいますが・・そんな風になりたくないし
心の病を抱えてた人には有効だったのかもしれませんが
私はそういうことはないので不安や心配の中で生きたくないので
流して聞いています。人をそんな風に判断しながら苦しく生きたくないです)


もちろん健全なクリスチャンもいるのかもしれませんが
正直なんだか違和感がある人が多く、クリスチャンであることに
恥ずかしさも感じてきました。神さまを盲目的に信じることは
可能ですが、盲目的に社会を生きれるはずないしそのように生きたくはありません。



もちろん信仰が一緒のほうがうまくいくとは思うのですが
私自身教会へ通っている人たちのようになりたくない、でも
神さまは信じている。でも信じているとこんな風になるのか。。?と
怖さがあります。


人が集まるとどんな信仰も宗教のようになるのでしょうか?


結婚は一大事なので正直考えさせられます。
大きな間違いをしてしまう前に経験談や参考になる
アドバイス、URLなどあれば参考にしたいです。

A 回答 (3件)

なるほど、クリスチャンでいらっしゃるのですね。


信仰を持ちつつも盲信を避け、理性を保って客観視できるとは素晴らしいことです。尊敬できる形で信仰を持っておられますね。
イエス様、ということは、聖書を学んでいらっしゃるんですね。神様の存在と聖書の記述には感銘を受けるが、人を見ると…ということですよね。

まず大前提ですが、聖書にも「人間は不完全である」と書かれているはずですね。誰も聖書の勧めを100%その通りに実行することは土台無理な話なんです。それを受け入れた上で「如何に理想に近づこうと自分を客観視して努力しているか」がポイントになるでしょう。質問者さんの所属する教会の方はいかがですか?聖書には何と書いてあるでしょう。
「隣人を愛しなさい」
「口を閉じていなさい(余計なことは言わない)」
「他の人が上であるというような、謙遜な気持ちを持ちなさい」
「噂話を退けなさい」
「自分の見解に頼ってはならず…」
さて、仲間のクリスチャンの方はどれくらい当てはめて生活しているのでしょうか。もし質問者さんが客観的に見て、『あまりにも当てはめてなさすぎるし、まとめる立場の人もそれを改善しようともしていない…』と思われるのなら、厳しい言い方ですが、それはそのグループ自体誤った有り方なのでしょうね。本当に本気で聖書を学ぼうとしているなら、謙遜に自分に当てはめるはずですから。
質問者さんが、そのグループではなく、神様や聖書そのものを信じているなら「やがて偽物の宗教ががたくさん出てくる」という記述にも興味を引かれるのではないでしょうか。

あまり唆すのも良くないですが…質問者さんが求めるような気質を持つ人たちを、教会の外に探してみるのも一つの手段かもしれません。つまり「同じ聖書をベースにして学んでいる別のグループの人たち」に接触してみる、ということです。本当に自分が納得できる宗教のグループを探すのも一つの手段でしょう。まぁ…よく気を付けて探すべきだとは思いますがw

それと、結婚の話でしたね。
確かに同じ信仰を持っていた方がずっとうまく行くでしょう。でも質問者さんが納得のできない今の状態のまま、今のグループ内で相手を探して結婚したとしても、あまりうまく行かないような気がします。今後も信仰を持ち続けるおつもりであるなら、
「納得できるグループを探して、その中で相手を見つける」か
「今のグループの中で何とか納得して相手を探す」か
「特定の宗教に属すことを止め、自分の中だけで信仰し続ける。結婚相手には宗教観は求めない」か
このあたりのどれかがベターじゃないかと思います。あくまで個人的な憶測ですけどねw

質問者さんの仰る通り、結婚は一大事なので軽く考えるべきではありません。客観視といい、質問者さんの感覚は本当に素晴らしいと思います。
もし質問者さんが本当に神様を信じているなら、探せばきっと正しい道を示して「私はここにいるよ」と教えてくださるかもしれませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがたいです。ほっとしました。
常識外のことで困って伝えても
人を愛してないように言われて
迷惑かけられたほうが忍耐ないように
言われる始末で困って質問しました。

隣人愛となんでもOK!と勘違いしている
人がきっと問題の根本なのかなという気が
しています。

いい言葉も持てる器の人でない人には
毒になるのかもしれないです。

お礼日時:2013/11/18 23:53

クリスチャンというのはキリスト教徒の総称ですからね。

様々な宗派があってさまざまな考えがある、さらに同じ教会内でも人によっても様々と考えるべきです。そもそも「原理主義」という言葉はキリスト教徒に対するものでした。聖書絶対主義のキリスト教徒を「原理主義」と呼んだのです。だから「原理主義者」はクリスチャンで、イズラム教の場合は「イズラム原理主義」といわなければなりません。(最近そんな基本も知らない新聞記者やニュースキャスターも増えていますけど)
つまり、人それぞれということで、貴方の周辺の教会ではそうなんでしょう。でも私の通った教会ではそんな堅苦しい生活等なかったですよ。
多くの人が信者同士結婚しても子供の信仰は子供に任せ、幼児洗礼でも最終判断は本人次第という友人がほとんどです。
ようするに自分の考え方を理解してくれれば信者であるなし関係無いと言うこと。

私はカトリックですが、妻は浄土真宗。子供たちは無宗教です。
公教要理でも「他宗派の葬儀や結婚式は、その人の為に出ればいい。そんな事で信仰が揺らぐとかありませんし、そんな信仰ではいけません」とならいました。
国内の某教会で神父と聖書の理解について口論になり、教会を離れています。某国教会の信者からは友人の揉め事に巻き込まれ、一時期命さえ狙われました。なので今は無教会のカトリック信者と自称しています。
私は教会に通っていましたが妻は留守番。あるとき家族でクリスマスに行って、息子が「神様居ない」と言い、それ以来教会には行きません。息子は視線に入らない邸内社でも場所を言い当てるほど霊感が強かったんですけどね。

信仰はあくまで個人のものであって、教会に属さなきゃダメって言うもんじゃないでしょ。自分と神との契約ですから。
クリスチャンはどうかではなく、考えが理解し合えるかどうかで決めればイイと思いますよ。
    • good
    • 0

宗教にかかわった経験がないので、憶測での回答になってしまいますが。



質問者さんの文章を読んでいて思うのは、(1)何かを信仰する (2)教えに服従する (3)宗教団体に所属するという3つの状態があるような気がします。

(1)に関しては、宗教は関係ないと思います。よく非理法権天といいますが、非ず者は理屈にはかなわず、次に法律が強く、最後は権力、しかし権力者でも最終的にはお天道様には敵わないということです。いつでも天は見ているのだという畏れ(おそれ)・畏敬の念を持っている人。それとか、命は生かされているとか、いまがあるのはご先祖様のお蔭だねとか、そういう観念を持った人はたくさんいると思います。

(2)の教えに服従するは、規律が厳しいということですから、自分だけでなく得てしてパートナーを「教え」というメガネで見てしまい、相手も厳しく見てしまうのではないでしょうか。温かい関係性は作りづらいような気がします。真の意味で教えに服従できる人は相当の鍛錬を積まれているのではないでしょうか。

(3)宗教団体…単なる仲良しグループから組織的なものまでいろいろですが、団体ですから、いくら崇高な教えを広めようとする団体であっても色々な人がいると思います。会社組織でもそうですが、自己実現したいためにとか、組織を大きくしたいためにとか、寄らば大樹の陰という依存心の人までいろいろだと思います。


極端な話ですが、この世からイエスキリストの教えがなくなってしまっても、
あなたは自分の足で生きていかないといけないのですから
宗教も日常生活もすべてバランス感覚が大事ということなのではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かにあたたかい関係作りは難しいのかもしれないですね。
盲目的にならず社会とのバランスを失わず本末転倒と
ならないようにしていきたいと思います。

お礼日時:2013/11/18 23:58

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!