プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

以前学校で裁判員制度は素晴らしいものだ!という内容のビデオを見せられました。
しかし、裁判員制度は本当に公平と言えるのでしょうか?
被告を見た目で判断したり(見た目がかっこいいから悪い事をする筈がない等)弁護側や検察側が裁判員の感情に訴えかける劇場的な演出をしたりしてしまうのではないでしょうか?

皆さんの意見をお聞かせください

A 回答 (4件)

 裁判員裁判は、べつに「公平であること」を目指して作られた制度ではなかったと記憶しております。



 だから、裁判員裁判が公平でなくても、想定内です。学校で、「公平ですばらしいものだ」と教えたのなら、その学校が間違っています。

 じゃあなんで裁判員制度を作ったかというと、裁判の理由、結果が世間の常識とかけ離れた、世間常識からするとばかげた判決になることを防ごうとしたのだったと思います。

 例えば、Aは、何十年も前のBの仕打ちを恨んで執念深く計画を練って、誰もいないところでとうとうBをぶん殴って殺しました。Cは気分がむしゃくしゃして人を殺したくなり、誰でもよかったので、たまたま通りがかったDの頭をぶん殴って殺しました。

 AとCはどっちが危険で、どっちを重く処罰(社会から排除)したらいいと思いますか?

 まあ、常識からいうと、Cのほうが危険です。むしゃくしゃして、たまたま通りかかってという理由で殺されてはたまりません。明日は自分や自分の子供が殺されるかもしれませんからね。そういうのが野放しになっていたら不安で眠れません。

 それに対して、Aは計画を綿密にたてて、Bだけを恨んで狙い、殺しているわけです。自分や自分の子供が他人からそれほど恨まれるとは思えないので、殺される危険も感じないで日々暮らせます。Aは、一般人にとってはそれほど危険ではないです。

 ところが、法律家の判断は逆です。Aは殺人を思いとどまる期間は十分にあったのにあえて人を殺した。罪は重い。Cは衝動的だから、殺人を思いとどまる期間が足りなかった。だからAは危険だから刑務所へ20年、Cは危険ではないので3年、とかの判断をしたのです。

 「それでは危なくて暮らせない」「それじゃあ法律を守る気がしない」という一般人の法律感覚に合わせるために、裁判員を裁判に加えたのであって、裁判員と「公平」とは無関係なのです。

 したがって、一般常識、世間の感覚から離れた判断をしたら、それは裁判員の責任。裁判員裁判の欠陥です。

 「公平性」は、後ろで訴訟を指揮する裁判官が担保します。劇場型裁判になって公平さが失われたら、それは裁判官の責任です。裁判官を教育しなおすべきです。
 
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”被告を見た目で判断したり(見た目がかっこいいから悪い事をする筈がない等)


弁護側や検察側が裁判員の感情に訴えかける劇場的な演出をしたり 
してしまうのではないでしょうか?”
    ↑
ハイ、その可能性は否定できません。
米国などの陪審員制度をみても、その懸念は
あります。

被告は、悪いことをしたから罰せられるのではなく、
訴訟技術がまずかったから、罰せられる、
なんてことになりかねません。

これに対して、裁判官は一応プロですから、
そういう懸念は少ないと考えられる訳です。

だから、いままで裁判員制度を導入しなかった
のです。

それを米国の圧力で、公明党が中心になって
導入したと言われています。

民事に採用しなかったのは、感情に委ねることが
多い裁判員では、民事裁判で米国企業が
不利になる危険があるからだ、という
説もあります。

ただ、これも程度問題ですね。
オフレコで聞いたことがありますが、
プロの検察、裁判官でも、被告が
美人だとどうしても、甘くなる傾向があることは
否定できない、と言っていました。

こんなキレイな人が悪人な訳がない。
更正させなければ・・・。
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被告を見た目で判断したり、男女差で判断するのは昔のやり方でも一緒です。



裁判員制度の方が1人の裁判官の個人的な意見に左右されないだけマシとも言えます。

裁判員制度は「公平」だというのには少し語弊があるように思います。

公平かどうかよりも、一般的な感覚の取り入れ(裁量)が問われているのだと思います。

現実には裁判は毎日行われている為、1人の裁判官で多くの判決を下していると
少しづつ感覚もズレが生じてしまいます。

例えば、私達の周りで、友人や自分の家族が覚せい剤使用で捕まった・・となれば
それはとても大ごとになりますよね?

しかし、毎日その様な犯罪者と付き合っていれば、
覚せい剤使用も日常的&またか・・・となり、大ごとだという感覚が失われます。

大きい事件、小さい事件様々ありますが、毎日それらに遭遇・関係する人と
それらとは無縁の一般的な感覚とでは感覚が違ってきます。

そういう一般的な感覚もまた時代とともに変化している、ともいえるので
裁判員裁判はその移りゆく一般的な感覚や考え方を取り入れるには一番だと個人的に思います。

ただし、素人が相手という事で、弁護士や検事の意見やパフォーマンスが過剰になり
裁判員が洗脳というか、空気に飲まれてしまう・・・というデメリットも憶測出来、
そこもまた問題があるとも言えると思います。

しかし、基本的には1人の裁判官が独断で決めてしまうより、
複数の裁判員の多数決で決まる方法の方が良いというのが、個人的な見解です。
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 公平じゃないと思います。



ただどう見てもおかしいという判決が有ります

例)痴漢裁判
 http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-3042.html

 これをただす為には裁判員制度は必要だと思います
日本の場合は疑わしいは 罰せよ・・ですからね
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