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あれって、玄米を食べるという思考がそもそもなかったから発生したのですか?

それとも、玄米の入手手段が難しかったからそうなったのですか?

A 回答 (7件)

玄米は白米より不味かったから食べなかっただけです。


玄米は幾らでも入手は可能でした。
米を貯蔵するときには玄米で貯蔵します
白米は精米後時間をおくと食味が悪化します。不味くなります
現在でも必要な都度精米されておられる方もいます。
自動精米機なども設置されています。

江戸市民が白米を主として食べていたのは、贅沢でもプライドでもありません。
満腹感を得る食材としては最も廉価だったからです。
ちなみに江戸時代の物価は以下のようなイメージです。
一善飯(丼飯) 12文
かけそば    16文
天麩羅蕎麦   32文
握り鮨     4文~8文 
稲荷寿司    4文
汁        8文~12文
どじょう汁    16文
お汁粉      16文
白米の丼飯が安かったことをお判りいただけましたでしょうか。
現在でも、学生街の食堂などではライスが一番安いのではありませんか。

江戸の町で米が安かったのは、江戸には全国の大名の屋敷があり、領国で徴収した税である米を換金していました。
江戸の人口は約100万人と言われますが、その約半数が武家です。
彼等は給与として米を支給されていました。
生活費を捻出するために売却しました。
つまり、市中には常に米が潤沢にありました。

江戸っ子はむしろ初物好きであらゆる季節の食材を競って食べていました。
漬物は糠を使った糠漬けを常食していました。
野菜にしろ魚にしろ食材は豊富にありました。
一歩町へ出れば、そばでも天麩羅でも寿司でもみんな屋台で売っていました。
真面目に働いてまともに食べていれば脚気なんぞにはなりませんでした。
誰もが脚気になった訳ではありません。
ただし、安くて手軽な米を大量に喰うという習慣はありました。
米だけたらふく食うという習慣は昭和の時代まで続きました
日の丸弁当などと言うのはその典型です。梅干し1個をおかずに満腹していました

武家は親子代々給与(禄高)は変わりませんでした。
他の職業につくことも禁止されていました。
貰う給与は米です。
江戸の市中は貨幣経済です。
すなわち、江戸時代に最も経済的に困窮していた階層は武家でした。
貧乏な武家ほど米だけ喰っていました。
贅沢で喰っていた訳ではありません。
大名なども日常は1汁1菜が関の山です。
儀式や来客の時だけ体面上おかずを豊富に並べていただけです。
参勤交代についてきた単身赴任の武家は、現金の持ち合わせが少なかったことから米ばかり喰っていました。
江戸へ出てきて半年もすれば脚気になります。
道中、藩の費用でおかず付の飯を喰えばすぐ治りました。





      
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ninntomo さん、こんばんわ。



どっちかというと上流階級の人が良くかかる病気で贅沢病のようなものです。
江戸では白米で炊いたご飯は贅沢で将軍様も白米を食べていたので、江戸っ子としては白米を食べるのが一種流行していました。だから、ビタミン不足で脚気となり、お亡くなりになった方も多かったようです。江戸詰めになった武士も白米を食べるようになるので、脚気になりやすかったのです。玄米は比較的に入手しやすかったようです。だって、体一つでできるので精白する業者も多かったようですから・・・ただ、あまりやっていると腰が痛くなるらしいですが…氏家幹人著「小石川御家人物語」に記載されています。

詳細は下記脳rlを参照してください。
小石川御家人物語
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E5%B7 …

脚気
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%9A%E6%B0%97


玄米
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E7%B1%B3

白米
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%B1%B3
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ほかの方々の仰る内容で正しいと思います。



そこに一言追加で、「江戸患い」の意味の追加を。

当時、地方では白米は常食はされていませんでしたが、江戸では白米が中心でした。

しかも白米が美味しいために、ろくな副食も無い漬物程度で米だけを何杯も食べる事が贅沢の象徴でした。

幕末の話ですが土佐の郷士が芸者そっちのけで生まれて始めての白米に感動して食べまくったと言う話を聞いた事が有ります。(真偽不明の上、確か京での話ですが)

そんな世情の中、参勤交代等の江戸勤番がビタミンB1不足になり脚気症状を見せた者が、故郷に戻った途端に症状が治る事からもそう言われたみたいです。
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もう一つの背景として、他の地域ではぬかみそを食べるので白米をたべる富裕層でも脚気はあまりでませんでした。


江戸は仙台みそ(米麹がふんだんでぬかが入ってません。)がかなり普及していたので、ぬかみそ味噌汁からビタミンB1を取る機会も失われたんです。
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玄米を食べたことがありますか。

玄米に比べると白米(精米)は甘くて柔らかくて美味しいのです。現代の私たちが白米を食べているのも「そっちのほうが美味いから」です。
それで、江戸時代は精米技術が普及していなかったので白米が食べられるのは江戸市民がほとんどだったので脚気は江戸患いと呼ばれたのです。
精米技術が全国に普及する明治時代となると、一気に脚気は国民病として普及することになります。ただ、当時は原因が分からず、欧米ではほとんど見られず日本人によく見られたことから日本特有の細菌を原因とする風土病だと思われていました。海軍は「パン食べてる欧米人はかかってないから、パンを食べればかからないんじゃないの?」と食事原因説をとり、水兵にパンを食べさせようとしたら「あんなもん食うくらいなら死ぬ」と抵抗する水兵が続出、困り果てた海軍が試行錯誤の末にたどり着いたのがご飯と一緒に様々な栄養がとれるカレーライスでした。カレーライスに効果があったので海軍は食事原因説に自信をつけたのですが、だったらもっとカレーライスを食べさせればいいと思うのですが、とにかく戦後になるまでの日本人の米食に対する愛情と執着は異常ともいえるほどで、とにかくみんなお米が食べたかった。なにせ昭和になって脚気の原因がビタミンB1不足と分かっても戦後に日本人の食事が欧米化するまで庶民にとって脚気は身近な病気だったのですからね。

>あれって、玄米を食べるという思考がそもそもなかったから発生したのですか?

そうじゃなくて、食べ物が原因だとは思わなかったからです。ただし、そばを食べると脚気が良くなることに江戸っ子は気づいていたので、「江戸患いにはそばがいい」といわれていたのですが、明治のお医者さんは「そりゃ迷信だ」と思っていたんですね。
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白米のほうが美味いから。



安くてに入るなら白米を食べたい
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江戸っ子のプライドの問題も有ったようです。


http://cleanup.jp/life/edo/10.shtml
http://heeko.hamazo.tv/e3529613.html
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