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歴史の参考書を見ていて、たまたま目に付いたのですが、江戸末期に「ええじゃないか騒動」というのがあったそうです。その参考書を読んでも、よく分からないので、ネットで調べると、「ウィキペディア」で、下記のようにありました。

『ええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。』(終期については、翌年の春頃までという解説もある。)

しかし、どの解説を読んでも、他の参考書を調べても、歴史的位置づけが小さいのか、その実態が、よく分かりません。

「お札」を作ったり、ばらまいたりするのも、経費の掛かることだし、仕掛け人はいるのだろうとは思います。討幕派との説もあるようですが、証拠もないとのことです。倒幕のために、自発的な民衆運動が起こるというのも、私のような素人には、想像しがたいです。

ここで質問なのですが、
(1) 「ええじゃないか騒動」の仕掛け人がいるとすれば、その仕掛け人は誰だと思いますか?そして、その目的は?討幕派が倒幕のために仕組んだことですか?それとも、他に?
(2) 「ええじゃないか騒動」は倒幕に貢献したのでしょうか?私は、1867年というのは、すでに維新へと大きく時代が流れており、倒幕に貢献したとも思えないのですが。
(3) 「ペリー来航以来、大地震、津波、大雨が相次いで起き、コレラが流行し、人々は恐慌状態に陥っていた。そうした中で民衆は、敏感に世の変革を兆しを感じ、重くのしかかり社会不安に耐え切れず、新しい世への世直しに熱狂した。いわゆる大衆的狂乱である。」という解説もあります。「ええじゃないか騒動」は、東海道沿線を中心に、確かに広い範囲に及んでいますが、さりとて全国的に広がったとは言えません。「ええじゃないか騒動」の発生した範囲は、は「大地震、津波、大雨が相次いで起き、コレラが流行した」範囲と一致しているのでしょうか?なぜ全国に及ばなかったのでしょうか?
(4) (1)~(3)とは別に、これを「大衆的狂乱」とするならば、その大衆のエネルギーというのは、どこから(狂乱の原因、狂乱を心理的に支えているもの、などなど)生まれたと思いますか?……多少のことでは騒がないというか、我慢強い日本人が、ここまで騒いだ原動力というのを知りたいです。

少しでも、歴史に関心を持たれている方が、この騒動についてどのように、理解し、また感じられておられるのかを教えて下さい。……(1)~(4)について、全部でなくてもかまいませんし、どんなことでもかまいません。

A 回答 (5件)

(1) 「ええじゃないか騒動」の仕掛け人がいるとすれば、その仕掛け人は誰だと思いますか?そして、その目的は?討幕派が倒幕のために仕組んだことですか?それとも、他に?


討幕派には「ええじゃないか騒動」を起こせるほど力はありませんでした。
資料は聞き書き伝聞の類のみです。

(2) 「ええじゃないか騒動」は倒幕に貢献したのでしょうか?私は、1867年というのは、すでに維新へと大きく時代が流れており、倒幕に貢献したとも思えないのですが。
貢献したと立証できるだけの史料がありません。
但し、戊辰戦争が始まったのは「ええじゃないか騒動」の後です。
しかも、当時の江戸城内の出来事なぞ一般町民が知るよしもありません。
ただ断片的にもれてくる噂程度です。
江戸庶民が実感したのは明治元年の上野の彰義隊敗走からです。

(3) 「ペリー来航以来、大地震、津波、大雨が相次いで起き、コレラが流行し、人々は恐慌状態に陥っていた。そうした中で民衆は、敏感に世の変革を兆しを感じ、重くのしかかり社会不安に耐え切れず、新しい世への世直しに熱狂した。いわゆる大衆的狂乱である。」という解説もあります。
根拠のない記述者の推定創作です。

>「ええじゃないか騒動」は、東海道沿線を中心に、確かに広い範囲に及んでいますが、さりとて全国的に広がったとは言えません。「ええじゃないか騒動」の発生した範囲は、はなぜ全国に及ばなかったのでしょうか?
江戸時代というのは、江戸には確かに人口の50%前後の武家がいましたが、その他の地域は2%強です。
大半が農民です。
農閑期でもない限りわざわざ他所の土地へ出かけたり、農作業を放り出してお祭り騒ぎをするほど暇ではありません。
騒いでいたのは街道筋の町民です。のこのこ出掛けて行ったのは江戸、京、大阪の町民です。

>「大地震、大雨が相次いで起き、コレラが流行した」範囲と一致しているのでしょうか?
江戸と伊勢の間を中心に起きた騒動と、太平洋沿岸で起きた天災疫病の流行とを直接結び付ける根拠がありません。

>「大衆的狂乱」とするならば、
現代の感覚での「大衆的狂乱」ではありません。

>狂乱の原因、狂乱を心理的に支えているもの
お祭り気分でしょう

>我慢強い日本人が、ここまで騒いだ
我慢強い一方で流行に弱いのも日本人です。
AKB48、サッカーワールドカップなど現在でも集まって大騒ぎします。

江戸時代というのは、武家が直接庶民を統治していませんでした。
庶民の自治組織が庶民を直接統治していました。
農民の場合には名主(庄屋)を頂点とする村役人が統治していました。
町民も農漁村同様に町名主を頂点とした町役人が統治していました。
武家はこの自治組織の長を通じて行政を行っていました。
藩では武家は城下町を離れることは簡単にはできませんでした。
藩によっては禁止している所もありました。
庶民と武家との接触の機会は極めて限られていました。
この中にあって江戸という町だけが特異な人口構成の町でした。
江戸の町のイメージで全国を判断すると致命的な間違いを起こしますので注意して下さい。
生噛りのマルクス主義に毒された左翼系の人達が無理やり欧米や中国の歴史的状況を当てはめて、支配者対非支配者という構造で議論を薦めますが、全く的はずれです。
大衆だの大衆狂乱だのという概念は該当しません。

明治維新というのは、総人口の2~3%程度の武家階級内での政権交代です。
この為に革命と呼ばれません。
明治維新の結果が庶民に影響を及ぼすのは、明治以降です。
歴史小説家が好んで書く戊辰戦争も極めて限られた地点でだけ行われたものです。
戦国時代のように全国で戦闘が行われた訳ではありません。
これでは、小説家はおまんまの食い上げになりますから、面白おかしく書きます。

「ええじゃないか騒動」は各藩の藩政や幕府政治には何の影響も及ぼしませんでした。
ええじゃないかに参加した庶民も幕府や藩に対しては何の要求もしていません。
短期間で自然発生的に起きて自然消滅したのもこの為です。
正確な記録が見当たらないのも、当時の人達も記録するほどの事件とは見做していなかったことによるものです。
大規模ではた迷惑なお祭り騒ぎが流行した、という程度のことです。
おかげで歴史学者が苦労しています。
未だにその詳細が不明です。

もともと江戸時代には伊勢参りという習慣がありました。
裕福な人は、伊勢神宮の門前町にある料理屋や旅館が派遣する、今でいう観光ガイドに連れられて往復していました。
その一方で、無一文でも柄杓を一本だけ持って、それを「伊勢参りでございます」と差し出せば、宿泊も飲食も可能でした。
良く似ているのが霊場巡りのお遍路です。
四国地方では現在でもこの習慣が残っていてお遍路さんには親切です。
この貧乏旅行の連中が、伊勢皇大神宮のお蔭で世の中がよくなるのだからええじゃないか、と囃し立てて集団で伊勢を目指したのが引き金です。
囃し立てるための歌が沢山つくられました。もう完全に季節外れのお祭り騒ぎです。
指導者も管理者もいる訳ではありませんから騒ぎはどんどんエスカレートします。
街道筋では相当に迷惑だったとは思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

(1) 『討幕派には「ええじゃないか騒動」を起こせるほど力はありませんでした。』……他の方のご回答を見ても、どうも、討幕派のやったことではないようですね。

(2) 討幕派が関係していないとすれば、それ程意味のある質問でもないですよね。

(3) 「根拠のない記述者の推定創作です。」……分かりました。参考書を理解するのも難しいですね。

(4) 「町民」……「お祭り気分」……「はやり」ということですね。

「江戸の町のイメージで全国を判断すると致命的な間違いを起こします」、「明治維新というのは、総人口の2~3%程度の武家階級内での政権交代です。」というのは、勉強になりました。

「短期間で自然発生的に起きて自然消滅したのもこの為です。正確な記録が見当たらないのも、当時の人達も記録するほどの事件とは見做していなかったことによるものです。大規模ではた迷惑なお祭り騒ぎが流行した、という程度のことです。おかげで歴史学者が苦労しています。
未だにその詳細が不明です。」……少し、姿が見えてきました。

お礼日時:2014/02/15 06:38

 まず一言で言って「おかげ参り」の直接影響大と思います。


元々、自由な旅行がなかった時代の例外が「お伊勢参り」。
 年のために申し添えると「おかげ参り」は伊勢神宮への
大規模集団参詣。だから「ええじゃないか」は西日本から東海
に限られます。」ふと思ったのですがその地域は日本の富裕地
と重なるので何らかの関係があるかもしれませんね。

(1)僕は自然発生説をとります。幕末には世直し一揆がいくつも
 発生しているわけですから、世直し気分で多数の人々がおこした
 と考えていいでしょう。勿論、「お札が天から~」を言い始めるの
 だけど。ヨーロッパでも寒村の1少女が「私は神の声を聞いた」
 で1回「子ども十字軍」がおきています。

(2)貢献したと思います。というのも本来のお伊勢参りは町や村の
 名主が発行する通行手形を関所役人に見せるのですが、大挙おし
 かける群衆に役人は見ぬ振りで通す。「許可」はできないが儂は
 見ていないので知らなかったの理屈をつけた。群衆の力が幕府の
 権威を無視した実例と思います。

(3)地域限定なのは「お伊勢参り」が始まりなのと近畿・東海が当時
 の富裕地域だということ。(素人で只の推理ですが富裕層が関わって
 いないでしょうか?)

(4)奈良時代の「逃散」、平安時代の「荘園寄進」、鎌倉時代の「元寇」
 室町時代の様々な一揆。「悪党」の活躍、下剋上。戦国大名の産業開発
江戸時代の富農が指揮する百姓一揆。そして武士・大名の財力をこえた
 大商人の経済力。決して日本人は圧政に対して大人しくしたわけでは
 ありません。確かに「長いものには巻かれろ」もあるけれど民衆はたく
 ましく生きて社会を変えて来たと思います。

※辛抱強いと言えば江戸初期の「天草一揆」。幕府と派遣された大名の策
 で島中が根絶やしにされそうになり、百姓たちがおこした一揆。名主の
 残した日記に「どうせ死ぬのなら」という文言があり、最後まで降参しな
 かった島原城の農民・女子どもの死体の腹には何の食べ物もなく餓死した
 そうですね。

※辛抱強いと言うけれど、関東大震災では怪情報が入り乱れて大混乱。
 阪神淡路大震災は地域の人々の助け合いが世界で注目されたのは確かに
 事実で誇れるけれどそこには今日本で嫌われている韓国籍中国製その他
 外国人の協力が大きかった。そしてやはり混乱に乗じてあくどく儲けよ
 うとした日本人も決して少数ではなかった。東北大震災、東北人の我慢強さ
 僕も尊敬するけれど、政府はそれをおだてて必要な支援をさぼったと僕は
 思う。どうして復興税を違うことに使って平気なのか!どうして復興法人税
 は前倒しで廃止し、直撃する消費税は実行するのか?オリンピックで浮かれて
 確かに建設ラッシュはあるだろうけれど、昔の東京オリンピックで東北からの
 出稼ぎで「日雇い」で働いた人たちはオリンピックを楽しむゆとりはなかった。
 彼等を我慢強いなどと賞賛する気にはなれないです。

 主旨それました。すみません。



 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
(1)「日本の富裕地と重なる」ということは、自然発生説とのご説明にもあるように、民衆の不満から発生したものではないということですね。

(2)自然発生した「ええじゃないか騒動」が倒幕に貢献したとすると、幕府にとっては、本当に迷惑なことだったのですね。(*^_^*)


(3)素人で只の推理ですが富裕層が関わっていないでしょうか?……わかりませんが、私も書いていますが、仕掛けるには「経費の掛かること」ですよね。

(4)「民衆はたくましく生きて社会を変えて来たと思います。」……否定しません。

お礼日時:2014/02/15 06:40

1.


いろんな方が研究しているようですが、未だに分からないようです。「なんだかよく分からないけど、自然発生的に生まれた」という説が有力なようです。

2.
討幕に政治的に貢献することはなかったでしょうが、「時代が変わる」という世間の空気を後押ししたのはあると思います。

3.
誰かが意図的に発生させたわけでないなら、全国に広まらなかったのも不思議はないと思います。今のようにメディアが発達している時代ではないので、その熱気が伝わらなかったのでしょう。

>多少のことでは騒がないというか、我慢強い日本人が、ここまで騒いだ原動力というのを知りたいです。

いやいや。今のソチオリンピックもそうですが、そういう「お祭り」が始まると日本中が熱狂するじゃないですか。面白いのは、始まる前は「つまらん」「興味ない」「こんなのに乗せられて騒ぐ奴がバカ」とかいってるのに、いざ始まると猫も杓子も大騒ぎすることです。オリンピックは毎度毎度だし、ワールドカップも日本中が熱狂するし、WBCなんかも大騒ぎです。野球やサッカーのルールも知らない女の子までが熱狂するじゃないですか。
要するに、日本人はお祭り騒ぎが大好きなのです。ちなみに私も大好きです。「ケとハレ」って聞いたことがあるでしょ。あれなんです。ハレの状態になるとドカンと爆発させるんですよ。
幕末のあの時代は、江戸幕府というシステムが制度疲労を起こしていて行き詰まっており、人々の不満というか、エネルギーがマグマのように溜まっていたんじゃないかと思います。自民党が下野して民主党政権が誕生したときの前みたいな雰囲気だったんじゃないかと思います。あんときも日本中がお祭り騒ぎだったでしょ?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

(1)「なんだかよく分からないけど、自然発生的に生まれた」という説が有力なのですか?ますます分からなくなりました。(T_T)(*^_^*)

(2)「時代が変わる」ということに、いろいろな気持ちが湧いてきたのかも知れませんね。

(3)「自然発生」、「自然消滅」ですね。

(4)「日本人はお祭り騒ぎが大好きなのです。」……言われてみるとそうですね。世の中の見方を変える必要がありますね。

お礼日時:2014/02/15 06:39

(1)仕掛人の存在は確認されていませんし、それが全部の騒動の仕掛けを行うのは不可能です。



そもそもの切っ掛けが明らかではありません。

(2)民衆の力を見せ付けたとは思いますし、押さえ付けるだけの・納得させられるだけの力が幕府に無い事も証明はされました。

そういった意味では倒幕に影響があったかもしれませんが、これは人によって説の分かれる所でしょう。

(3)災害等と一致しているかどうかは、私にはちょっと判りません。

端的にいって社会不安の大きい、つまりは統治のタガの緩んでいるような地域から起きているとは思いますが、これも確証はありません。

(4)一言で言えば社会不安でしょう。

特に西国は諸外国との関わりが大きく、情報も速くて多く、またそれに合わせて科学技術の習得・進歩も目覚しいものがありました。

それに対しての幕府の態度は動脈硬化を来しており、改革が進まないのに諸外国との交渉は待った無し。

幕府の人材も内部抗争からの政変の度や交渉の責任を取ったり取らされたりで、詰め腹を切らせたり更迭したりするものだから、どんどんいなくなります。

日本は外交をしてこなっかたのだから、現在の外交官に相当する役職も知識経験もそもそもありませんので、別の役職を持つ人間が兼任したり別の人間と入れ替えたり。

で優秀なほうは交渉(や何かの折)の度に減っていく。

米の相場は上がり続け、金の流出を防ぐ為に一夜で両替相場(金銀交換レート)が変わり、病も流行し、災害まで起きる。

しかし現場での判断を赦さない政権運営をしていたので、処理しきれなくなってしまっているのに、幕府は前例踏襲主義・身分主義からは抜け出せない。


ここまで生活が脅かされて来たら(まだまだ色々ある)、庶民だって何かをしたくなるのでないでしょうか?

「いいかげんにしろ!」とは言いたくもなるでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

(1)「経費が掛かる」ことだから、仕掛人がいるのだろうと思ったのですが、他の方のご回答を見ても、存在しないようですね。

(2) 討幕派が関係していないとすれば、それ程意味のある質問でもないですよね。

(3)東海道沿線というのは、幕府の統治という観点から、重要なるがうえに、幕府の統治能力の低下があらわれたとも言えるのかも知れませんね。

(4)世の中の動きに敏感な地域での、一般庶民の「心情の表れ」ということですね。

お礼日時:2014/02/15 06:37

詳しくは解明されてないらしいんですよね。


でも苦しい生活の中、今で言えば大酒飲んで酔っ払わなければやってられない、という心境に近いのではないでしょうか。
苦しい現実から逃避して踊り歌い狂ってうさをはらした、というのが一番ありえるのかなと。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

「一般庶民の気持ちを分かってくれ」ということですね。

お礼日時:2014/02/15 06:36

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