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山に詳しい方   父からの依頼で質問をします。

私の祖父の遺品の写真から、場所を教えてください。

このたび、祖母が102歳で亡くなったので、父(70代)が遺品整理をしています。
今では私が見ても使い方もわからないような物が多くあるのですが
祖父の遺品もいくつか出てきました。
私の祖父は大阪に住んでいましたが、戦後2,3年たったくらいに40代で亡くなりました。
私は祖父を知りませんが、たくさんの山の写真から察するに、
祖父は山が好きだったようで、中部地方の冬山にも登る腕前だったようです。
祖父が撮ったとみられる山の写真で、気になる写真があり、
場所を知りたいのですが、わかる方教えてください。

写真が古く、白黒?セピア色?ですが、山の上の方で撮った写真のようです。
金属製らしき観音?仏像?があり、横には「馬頭」という文字が読めます。
あまり大きくないようです。
ほかの写真は山頂付近でとったものが多いので、これも高い場所で撮ったと思います。


山の上にこのようなものがむき出しであるなんて珍しいと
父が場所を知りたがっています。お分かりの方、どうか教えてください。

どうぞよろしくお願いいたします。

「山の写真から場所が知りたい」の質問画像

A 回答 (6件)

こんにちは



後ろの山が槍ヶ岳みたいに見えるんです

どこからはたして見えるのか角度とか詳しい方だとわかると思うんですが
で、槍ヶ岳がこの方向
http://www.360navi.com/photo/17nagano/02ontake/0 …

ちょっと遠いですよね
http://kitayamawa.exblog.jp/19023289/
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この回答へのお礼

投稿ありがとうございます。
岩がゴロゴロしているところとか、素人眼に見て一番近い感じがしました。
山の頂上からのパノラマも見ごたえがあり、山に行く人はこの景色が見たくて登るんだろうなというのが理解できた点でも、ベストアンサーにさせていただきました。
もしかしたらこの観音は、もう場所が変わっているのかもしれませんね。

投稿いただいた皆様、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/01 13:14

今晩はこの写真だけど分かりません、山にはこのような物は少なくありません、この写真をよく見ると地蔵の後ろは池のように見え、その先にテントの様な物が見えます。


山頂近くに池があり地蔵そしてテントが張れる場所になると範囲が絞れます、あくまでも個人的な推測ですが御嶽山の二ノ池が条件に逢う場所です、今の二ノ池にあるのは馬と地蔵ですが新しいものです、昔は違う物だったら可能性は高いと思います、一度御嶽山に行かれて二ノ池にある小屋で聞かれてみれば答えが出るかもしれません、御嶽山を信仰根本道場としている御嶽教があるので時期により白装束の登山者が多く登られ地蔵なども多くあります。
http://www.geocities.jp/fdbph414/CCPO52.html
「山の写真から場所が知りたい」の回答画像5
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この回答へのお礼

投稿ありがとうございます。
写真を携帯カメラで撮って投稿していますので、かなり見えにくいかと思います。
実際の写真でみると、観音の向こうは近くの黒い部分は岩ばかりのボコボコな場所で、それより奥は山の稜線があります。ほんとに実際の写真を見ていただけたら一番いいんですが・・・

お礼日時:2014/06/01 13:08

写真から分析していきますと



・当時の35ミリカメラは極めて高価だったので、おそらくは軽量で持ち運びが便利だった「スプリングカメラ」か、もしくは二眼レフで撮られたものと推測。
スプリングカメラの場合は「6×4.5センチ」の版のため、正方形に近い長方形のフィルムサイズ。
二眼レフはほとんどが「6×6」のスクエアフォーマットなので、正方形です。
フィルムが残存していれば、様々な情報が得られます。

・レンズの焦点距離は、おそらく標準か、やや広角。
ほぼ被写体と同じ高さで撮られています。
背景に尖った山並みが見えますので、3000メートルクラスの山頂付近だと思います。
被写体までの距離は、おそらくは1メートル内でしょう。

・構図がある程度正確なことと、視点がなんとなく下向きに感じられること。
撮影ポジションから考えると「二眼レフ」の可能性が高いと思います。
スクエアの画面をトリミングし、長方形の印画紙に焼いたものと考えます。
ひょっとしたら「ベタ焼き」という、コマがたくさん一枚の紙に焼かれたものが存在するかもしれません。

整理しますと
・仏像群は山頂付近にある。
・仏像の側にまで寄れる場所である。
・3000メートル級の高い山である。
・カメラはおそらくは二眼レフで、片膝をつきながらの撮影だったと思われる。

…といったところです。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

写真機とフィルムについては情報を聞いていませんでした。
明日は夕方まで仕事なのでそれから父に確認し、
新たなことがわかれば、追加情報を書こうと思います。

詳しい分析、ありがとうございます。
もう少し皆様からの情報があればと思い、回答を待ってみます。

お礼日時:2014/05/25 00:02

もう少し調べてみました




質問に貼られた写真では書かれている通り「山の上の方で撮った写真」であるので、No.2の回答では不成立になってしまう

そこで、ある仮説をたてて調べてみました


『奥社は駒ヶ岳の山頂(1130メートル)に鎮座しており、里宮が山麓の雛子沢にある。
もともとは奥社の地に鎮座しており、かつてはそこが本宮であった。この駒形の霊山神域は容易に登拝することがかなわず、いつしか山麓の雛子沢に里宮を建立。明治4年(1871)に当社が国幣小社に列格するにあたって、現在地に鎮座していた「塩竃神社」を仮遙拝所として明治36年5月に塩竃神社の地を正式に駒形神社本社となし、山上より神霊を奉遷した。このときに山上を奥宮とし現在の形式が整えられた。
なお当社がもともと山上にあったとされるのは、山岳信仰の隆盛にともなう説ともいわれ、胆沢城のあった平野部こそもともとの鎮座地ではなかったかとの説もある。』


つまり、明治36年(1903)まで山頂にあった可能性があります


しかし、お祖父さんお生まれになったのは丁度、その時期(終戦が1945年)にあたりますので、撮影されたのはそれ以前になってしまいます


よって、以上の仮設では、お祖父さんが撮影された可能性が低いので、この回答とNo.2も間違っている可能性が高いかもです

参考URL:http://jinja-kikou.net/ousyuu3.html

この回答への補足

父からの追加情報です。
「馬頭観音の背景は山の稜線です。
写真を撮ったのは1936年頃と思う。
その頃集中して、北、中央、南アルプスの写真がある。」
とのことでした。

補足日時:2014/05/25 19:54
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この回答へのお礼

そうですね。1903年だと祖父がまだ学校に通っていない
くらいの年齢と思われます。時代的にちょっと合わないかもです。

親身にお調べ頂きありがとうございます。感謝です。
もうちょっと皆様からの回答を待って
父にも報告しようと思っています。

お礼日時:2014/05/24 23:58

調べてみました




恐らくですが場所は、山梨県と長野県との境にある山、「甲斐駒ヶ岳」の「甲斐駒ヶ岳神社」です

※右に移っている観音象が、「馬頭観音(馬頭明王)」であると推測し、「馬頭明王・山」で検索


※検索結果参考

http://hirasetsu.jugem.jp/?eid=573
(2枚目の写真)

http://ameblo.jp/okasurfer-bmw/entry-11285983781 …
(8枚目の写真)

http://www11.ocn.ne.jp/~kaikoma/index.htm
(トップページの上の画像)



登山を好かれていたご祖父さんでしたら、駒ヶ岳に行かれていてもおかしくないと思います

昔の写真と今の写真で象の損傷や、また、どこから撮影したのか分かりませんが、間違っていたらごめんなさい
「山の写真から場所が知りたい」の回答画像2
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60数年過ぎたのでは当時とまるっきり変わっているのでわかりません。

それにしても、そのころ、写真機を持っている人は少なかったと思いますよ。戦後の混乱期は生活がしんどかったのに・・・・・・・・。どんな仕事やっていたの?ぜいたくできない時代に。
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この回答へのお礼

早々に回答ありがとうございます。
写真は第2次大戦より前の若いときに撮影したものと思います。

私は山に登らないので時代とともにどれだけ山が変わって

いくかよくわかっていません。山も大きく変わるんですね。
いろいろ知れてよかったです。

お礼日時:2014/05/24 23:53

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