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死刑冤罪は憎むべきものです。適当な捜査を行った検察や、判断を間違えた司法に怒りを感じます。

しかし、この社会には憎むべきものは沢山あります。ひとつの憎むべきものを消し去ったところで、意味などないのです。
社会全体として状況が改善する事。目指すものはそれしかありません。

命を残虐に奪われる事は、おそらく未来永劫なくなることはありません。ただそれを極力少なくするべく努力することしか
我々にはできないのです。

命をもってつぐなう、というのは日本の文化です。風習です。
文化や風習というのは、どんなものでも論理的には説明されていないものです。
命をもってつぐなう事が、はたして日本の人権状況全体にどう関与しているか?そんな事は分かりません。

ただ、それは日本の文化として多くの日本人に共有されている事は間違いないのです。
日本人は、「とんでもない事をしたら自らの命を持って償うしかないんだ」と考えています。

その事は果たしていい事なのか悪いことなのか・・・文化とはそういうものです。

ただ、確実なのは、東日本大震災において明らかになったように、日本では諸外国と比較してまだ秩序や礼、義、そういったものが残っているということです。
それがなぜ残っているのか、どういう理屈で日本人がそういう行動に出るのか。それは分かりません。

分からない事だらけです。この世の中は。
ただ、死刑もまたそういう「日本的なモノ全体」の部分である事が間違いないということです。

死生観、価値観、人生観、そういったもの全体が「日本的なモノ」を構成しています。決して個別に存在しているわけではない。「たかが死刑」その「たかが死刑」から全体は決壊します。

冤罪のリスク、死刑という手を汚す行為。それを喜んで行うひとなどいません。しかし、文化と言うものはキレイな面だけで存在するわけではない。

日本の殺人発生件数は主要各国と比較して決して劣ってはいません。むしろ日本は世界一安全だと言われています。
そのような状況を形作るもののひとつが「死刑」である事実は、間違いないのです。

日本人がもつ「命でしかあがなえない」という文化は、決して後ろ指を指されるものではないと私は思います。

願わくは、世界を、今の日本を、過去から連なる日本の歴史を、見ていただきたいです。
死刑冤罪だけガン見してもなにも見えてなどこない。

私はそう思います。

そこで死刑反対派の方に質問します。死刑反対派の方は “ 命をもってつぐなう”と言うのは誤っていると考えてらっしゃると思いますが、死刑反対派の方から見て、 “ 命をもってつぐなう”ことの 最大の不条理点は何でしょうか?

A 回答 (1件)

”死刑冤罪は憎むべきものです”


    ↑
それはそうですが、真面目な一般市民が冤罪
てことはあまり無い訳です。
疑われるにはそれ相応の人間、というのが
多いのです。
だからといって、冤罪を肯定は出来ませんが。


”命をもってつぐなう、というのは日本の文化です。風習です”
    ↑
日本には、死ぬことによって責任をとる、という文化が
ありますので、これはその一環ですかね。
風習てのはどうでしょう。


”文化や風習というのは、どんなものでも論理的には
 説明されていないものです”
     ↑
どんなもので論理的説明は可能ですよ。
その論理が正しいかどうかが問題になるだけであって、
論理的な説明は可能です。
自衛隊だって、憲法にあれほど明確に規定してあっても、
合憲という論理的説明は出来るのです。
社会学の論理とはそういうものです。


”その事は果たしていい事なのか悪いことなのか・・・文化とはそういうものです。”
    ↑
いいか悪いかは、歴史で判断する他ありません。
論理では判断出来ません。
革新派は論理で善悪を決めようとするので
間違えるのです。


”死生観、価値観、人生観、そういったもの全体が「日本的なモノ」を
構成しています。
決して個別に存在しているわけではない。「たかが死刑」その
「たかが死刑」から全体は決壊します。”
    ↑
全体が決壊するかは別にして、全体が日本を構成しており
一部を崩せば、全部に影響が出る場合がある、という
のは激しく同意します。
和をもって尊しとするのが日本の文化ですが、このマイナス
面として談合が出てきます。
談合の為だけに和を排斥したら、日本文化は瓦解する
でしょう。
日本の自殺が多い理由の一つに、日本人の生真面目さが
ありますが、だからといって不真面目にしてしまう
訳には行きません。
不真面目にすれば自殺は減るでしょうが、日本経済も
科学技術もガタガタになるでしょう。


”日本人がもつ「命でしかあがなえない」という文化は、
 決して後ろ指を指されるものではないと私は思います。”
     ↑
文化、伝統、習慣、常識などというのは、試行錯誤の
結果生き残ったもので、それなりの合理性があるもの
です。
論理などよりは、こっちの方がはるかに信用できる
のです。
短期間ではその合理性が判断できないだけです。
幕末、天皇制がなかったら、日本はどうなっていたか。
かといって、幕末を予想して天皇制を残した訳では
ありません。

論理で構築された社会主義は、伝統、習慣、常識を
無視した結果、見事に倒産してしまいました。
社会主義が産んだのは、独裁と貧困と虐殺だけ
でした。
人類は、論理で極楽を創ろうとしては地獄を創って
来たのです。


”死刑反対派の方から見て、 “ 命をもってつぐなう”ことの
最大の不条理点は何でしょうか? ”
    ↑
命をもってつぐなう、なんてことをしているから
殺人がなくならないのだ、
てな理論になるんでないですか。

命をもってつぐなう、というのはそれこそ命を粗末に
扱うことだ。
命を手段として扱うことだからだ。
命の価値は絶対であるから、手段として扱うのは
誤りである。

殺人犯の命さえ国家は大切にする。
こういう国家の姿勢があって、はじめて国民も
命を大切に思うようになるのだ。

要するに、繰り返しますが、理論などどうにでも
構築できます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>それはそうですが、真面目な一般市民が冤罪
てことはあまり無い訳です。
いや、冤罪のもっと大きな問題は無実の人がスケープゴートになるより、真犯人をみすみす逃がすことではないでしょうか?

>風習てのはどうでしょう。
文化と風習でどう違うんでしょう?

>社会主義が産んだのは、独裁と貧困と虐殺だけ
でした。
社会主義も悪いところばかりでないですよ。資本主義国は貧富の差が激しく、また 死刑を廃止している国も多いので 治安の悪い傾向にありますね。

>命をもってつぐなう、なんてことをしているから
殺人がなくならないのだ、
てな理論になるんでないですか。
hekiyuさんは 筋金入りの死刑賛成派でありながら、死刑反対派に通じる部分も持ち合わせておりますよね。 hekiyuさん自身、死刑は絶対に必要と認めておきながら、矛盾点を感じていらっしゃるんじゃないでしょうか?

お礼日時:2014/06/30 21:19

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