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他人の命を奪ったら 自分の命で償うのは 当然と考えるのは 私だけでなく、日本人の多くがそうだと思います。
しかし、死刑反対の人は 命を命で償うこという 私たちが至極当然だと見做していることを どのように解釈しているでしょうか? どのような不条理があるとお考えでしょうか?
私と同レベルの愚かな同調意見は不要です。聡明な反論をお待ちしております。

A 回答 (16件中11~16件)

#10


殺人犯が自らそのボタンを押すでしょうか。
遺族は必ずそのボタンを押すでしょうか。
誰も押さなかったら無期懲役?
そうなると事実上死刑は廃止になりますね。

この回答への補足

>殺人犯が自らそのボタンを押すでしょうか。
他の死刑囚の執行ボタンです。

>遺族は必ずそのボタンを押すでしょうか。
誰も押さなかったら無期懲役?
遺族が土壇場でボタンを押すのを思いとどまることもできます。その場合は死刑は免れることになりますね。

補足日時:2014/07/06 09:51
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#11


>他の死刑囚の執行ボタンです

誰も押さなければ無期懲役になるのですから自分の時の為にボタンは押さないでしょうね。
すると裁判所の判決が死刑囚または遺族によって覆されることになりますね。
法治国家ではなくなってしまいますね。

この回答への補足

>誰も押さなければ無期懲役になるのですから自分の時の為にボタンは押さないでしょうね。
だから、死刑囚Aの執行ボタンを死刑囚Bが押すんです。

>すると裁判所の判決が死刑囚または遺族によって覆されることになりますね。
裁判所の判決は 単なる死刑でなく、「極刑」または 「執行猶予つきの死刑」ということになりますね。
それを言うなら、集団的自衛権に関する憲法解釈の方が無理がありますよ。

補足日時:2014/07/06 18:15
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>死刑囚Aの執行ボタンを死刑囚Bが押すんです。



ですから死刑囚Bはそのボタンを押さないはずです。
なぜなら死刑囚がボタンを押さなければ誰の死刑も執行されないという暗黙の了解が出来るはずだからです。

>「極刑」または 「執行猶予つきの死刑」ということになりますね。

結局それは死刑廃止のことじゃないですか?
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この回答へのお礼

やっぱり、これが日本人の国民性じゃないですかね。
つまり、日本人の大半が死刑に賛成しているものの、いざ、死刑の執行側に直面すると踏みとどまるというか・・・・

お礼日時:2014/07/06 19:45

死刑が執行されるとその執行官には手当が出るらしいですね。


昔テレビで見たんですがある執行官がその手当が出るたびに自分の子供におもちゃや勉強机を買ってあげたそうです。
後日、その子が自分のそれが死刑執行時の手当で買ったものだと知った時、全部自分の部屋から庭に放り投げたとのことでした。

私はその話を聞いて以来、そのボタンを誰が押すべきか気になるのです。
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 「人を殺したら必ず死刑」ならともかく、殺した数とか残虐性とかそういうのを結局かんがみたうえでその人間が死刑に値するか否かをきめているわけですよね。

「他人の命を奪ったら自分の命で償う」が完全に日本人(あるいは人類)に共通の認識だとするならば、そういう客観的な数とか事実のみで死刑は決まるべきです。ただ、実際には「情状酌量」とかその人の生い立ちとか、遺族の希望とかが複雑に絡み合って死刑にするべきかどうかというのは決まるんです。それを決めるのは結局は裁判官や検察官あるいはそもそもの法律や「判例」を作っていった社会に過ぎないんですからはたして誰に特定の人間の死を判断できるかというのが本当の意味で難しい問題なんじゃないかということです。

 仮に死刑を一律に決めるとすると、これはまた問題も含んでいると自分は思います。第一統計学的に殺人犯(あるいは死刑囚)ってのは少なくともあまり幸せな家庭じゃなかった人が多いのは事実だと思います。あるいは、どこでそうなったかわかりませんが、少し考え方や性格に癖のある人が多いのも事実で、突発的な出来事で殺してしまった場合はともかくとしても社会に不適合者とされる人間が多いのが事実でしょう。実際「殺人罪」としては計画性が認められる=つまり理性をもって殺人に至った度合が高いほうが罪が重いとされますよね。このことからもわかるように、人間ってのは感情的にやってしまったこととかそういうものに対しては多少なりとも情状酌量の余地があるんじゃないか、という前提があると思います。では、逆に計画的に殺すことをいとわない人間が生まれるというのはどういうことなのか?というのが死刑の広い意味での倫理観になってくるかと思います。

 細かい死刑賛成、反対意見に対する倫理観はいろいろありますが事実国際的な動きとしては多くの先進国ではどちらかというと死刑をやめようという動きのほうが大きいです。一方死刑を積極的にやっている国ってのはどちらかとうと発展途上の国が多いです。アメリカは州によって度合が違いますけど。ただ、裁判員裁判も始まりましたが、そもそもある犯罪者が何をもって死刑とすべきなのか、そしてそれを判断するだけの権限を持つ人間はいかにしてそれを決められるか、というのは簡単なことではない気がします。単に「性格がゆがんでいて、人を殺したから救いようがない人間」を死刑としてみんなは平和に暮らせばいいとするならば、それが日本人の今の社会での倫理観なんでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/07 17:46

他人をぶっ殺したらダメなんて嘘。


ぶっ殺されたくない奴が法律つくっただけ。
人間は他の生物ぶっ殺す毎日毎日。
蟻なんか、生きる価値すらないのかもしれない。
生物的には共食いはオッケー、それどころか必要不可欠。
だから人間も必要なんだよ。
軟弱で弱虫で雑魚のくせに口だけはパクパク開いて調子に乗って。
これまで弱肉強食の世界だった。
これからもそう。
だから本来人殺しはオッケーなはず。
倫理だの不条理だのほざく奴らは潰せばいい。
俺ら人間が踏み潰してる蟻みたいに、喰らいつくしてる牛みたいに、毎日轢き殺してる猫みたいに、劇薬でころすゴキブリみたいに。
そうさ、雑魚が勝手に法律をつくった。
自分が助かりたいから。
覚えときな、俺らは生かされてる、世界の武闘家に、暗殺者に、軍人に、警察官だって銃でいつでも誰でもどこでも俺らをぶち殺せることを。
そんで、回答としてはね、そもそも命を奪うことが罪ではないから、償う必要がねえのさ。
だから死刑か否かは論外よ。
まあ、今の世界は、特に日本は喧嘩でさえ許さないクソ虫世界。
なんでか?
決まってる。もはや共通概念としてガキの頃から催眠みたいに聞かされる。繰り返される。倫理、理性、思いやり、その他云々。反吐がでる。
文科省、つまり国が作り出した教育という名の集団催眠にかけられた俺たちは思考を制限されている。
だから気づかない。法律なんて法律家に、国に、政府に都合良く創られたただの鎖。
俺らを支配する鎖。気づかない普通のやつは。だから考えられない。簡単なことに。
人間同士が殺し合ってもいいことに。
何を今更。俺らの先祖は殺し合いで生きてきた。当たり前だったのさ。
真の回答は、殺し合いオッケー➡︎罪になるわけない➡︎そもそも人が人を裁くことは神に反している➡︎償いなんて必要ない➡︎死刑こ否か関係ない➡︎質問者さんの質問は成り立たない。
ってことになります。
以上です。
まあ俺の理論、ガキの頃から心のノートだの道徳などで一般化、つまり鎖にすら気づかないやつには理解できないかな
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