プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

この哲学カテゴリーを興味深く拝見しています。
先日も、この哲学カテで、興味ある回答とそのお礼がありました。
以下は、ある常連の方が質問をし、それに対してある回答者の(1)回答と、その質問者の(2)お礼です、
(1)回答 <哲学ではなく物理や科学カテゴリーで質問するべきです。>
(2)回答へのお礼 <物理や科学の世界では権威ある法則が多くて 自由に考えられないのです。>
このカテで回答される人を見ていると、他の各種のカテに頻繁にお顔を出されている方もいます。しかし、上の例のように、この哲学カテの常連さんが、このカテにのみしか、質問されていない方がみうけられます。
なぜ、他のカテに参加しないのでしょうか? 哲学のみでなく、歴史・心理・国語・科学・物理・天体学など、関連カテが沢山あります。一つの問題を、哲学一種類のみのカテでなく、他の関連カテを利用して多面的に考察した方が、理解が深まる、と思います。(私は、他のカテにも参加されている方の方(ほう)が、説得がある回答をしているような気がします) 
なぜ、哲学カテにのみ引き籠もり、他流試合を避けているのでしょうか? 

A 回答 (14件中11~14件)

 No.3です。



 せっかくのていねいなご返答をいただきましたので。・・・



 ◆ 哲学を、実世界の多様な情報=多くの分野の理解の元締めとして
 ☆ 捉えることと 自己了解――あるいはつまり 世間との和解 もしくは自己自身との和解を得て 心がやわらがしめられる自己還帰――として哲学を捉えることとは 何の関係もありません。前者は 量の問題にとどまりますから。


 ◆ 自己の乏しい情報の中だけの内弁慶な思索(自己顕示欲)に留まる人
 ☆ と言うその本人じしんが そのように留まっていないと どうして証明できましょう?
 知識にかんしては ほとんどつねに量の問題ですから みなが互いにどんぐりの背比べです。


 しかも 自己自身に到来し わたしがわたしであるとさとることは 《乏しい知識や情報の中にあるだけ》であっても 得られます。真理は 単純なはずです。



 要するに たいていのひとは この哲学の役割を知らないなら くるっている。と言うべきでしょう。

 質問者さんは いかがでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<◆ 哲学を、実世界の多様・・・>
について。私は、哲学全般のことは、あまり考えたことがありません(考える能力がない、の方が正確かもしれません)。ただ、哲学は、漠然と
<多くの分野の理解の元締めとして>
と思っています。また、多くの分野の補完をするもの、とも考えています。
 <◆ 自己の乏しい情報・・・>
について。
<みなが互いにどんぐりの背比べです。>
は正しそうな、また、そうでもなさそうな気がします。人は全体的には、総知識量はほぼ同じと考えて良い、と思います。しかし、各分野・得意分野ではかなりの差があるな、と驚いています。(なお、内弁慶な思索・・・については、私の質問に対して、真正面への分かり易い回答でした、ので評価しております)

お礼日時:2014/07/10 09:32

 こんにちは。




 わたしは ぎゃくだと思います。
 ★ なぜ他のカテから逃避し、哲学カテにのみ引き籠もって
 ★ なぜ、哲学カテにのみ引き籠もり、他流試合を避けているのでしょうか? 
 ☆ つまり 他流試合を避けているのは 哲学カテに来ない場合ではないか。という意味の回答です。


 ★ なぜ、他のカテに参加しないのでしょうか?
 ☆ これは まったく自由です。参加するしないは まったくの自由であって この際の問題にはかかわりません。

 哲学カテに参加するかしないかが いまの問題です。

 どういうことか?


 
 けっきょく哲学は 自己了解という行為です。存在の全体としての・人格全体としてのわたしについてわたしが これがわたしだと納得するかたち――それは なお動態ですが――を得ることです。

 言いかえると ほかのカテゴリでは おそらく存在や人格のあるいは世界の一部分についての知識を得るかどうかを問題にしている。いかんせん 知識も世界について部分的です。

 自然科学の内の或る種の行き方として 世界全体の探究だというばあい それでもそれは 人間の得ることのできる知識だという限界を持ちます。つねに その限界がつきまといます。


 むろん哲学も これらの部分的な知識を総合して いまここなる自己の了解を得ます。ただし 知識プラスαにもとづき 《全体として――つまり 隅々にわたっての全体を ではなく全体として――》わたしと世界とを捉える心的にしてかつ意志の行為です。

 哲学とほかのカテゴリとのあいだの情況は こんな感じだと思います。






 もう少しつけ加えれば ほかのカテゴリにあってもその回答内容は けっきょくその人の哲学にもとづいた知見です。ですが おそらくその知見が拠って立つ思想については 一般に明らかに述べることを控えているはずです。総合的な思想がない場合なら なおさらです。

 そして 大幅に悪口を言うなら その思想は 知識や学問の対象となる領域にのみかんする部分哲学であるのだと見られるのですが どうでしょうか。

 つまりは わたしがわたしであるという自己到来にもとづく自己了解は まだ得ていない状態にある。のではないでしょうか?

 ★⇒☆ なぜ、哲学カテに参加することをしないで 人びとは引き籠もりがちなのか? 
 哲学カテにあってさえ じつは にんげんどうしとしての他流試合を避けているのが ほとんどです。総じて言って知識の切り売りしか見られず ほんのひと言二言世間話をしゃべって去って行く社交の場でしか ないのではないでしょうか? 


 ○ (2)回答へのお礼 <物理や科学の世界では権威ある法則が多くて 自由に考えられないのです。>
 ☆ これは ささやかな抵抗です。自己了解を目指していない部分知識の行き方に抵抗するささやかな自己表出のことばです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
bragelonne様が、この哲学カテゴリで大活躍されていることは、重々存知あげております。

私の質問が明確さを欠いていたようですので、質問を補足します。
引き合いに出して、申訳ないのですが、例にあげた質問は、エネルギー・物質・ヒックス粒子という言葉を使った考察ですね。ところで、この3つの言葉は、もともと物理学に由来しております。(物理学が本家だから、どうだこうだ、という訳ではありません)

これらの言葉を哲学に使う場合、物理学の影響を考えずに、考察はできない、と思います。質問は、「なぜ物理学のカテから逃避し、哲学カテにのみ引き籠もっているのですか?」ということです。

<むろん哲学も これらの部分的な知識を総合して いまここなる自己の了解を得ます。>
ですね。ただし、この自己の了解を得るためには、哲学のみの中で考察するのではなく、この部分的な知識(今の場合は物理学)の助けを借り、使う方が、現実から遊離しない、と思いますが。

お礼日時:2014/07/09 16:19

哲学を、実世界の多様な情報=多くの分野の理解の


元締めとしてではなく、そうした学習を怠って、自己の
乏しい情報の中だけの内弁慶な思索(自己顕示欲)に
留まる人にとって、このカテに留まると心地よく、「多く
の分野」の情報と連携させようとすると「難しくて分から
ない!(学習するつもりはない)」と反論してカッコつけ
られていると思い込んでいるのだ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
psytex様には、多方面に亘って、度々ご回答を頂きました。思いもよらなかった視点からの見方には、感謝しております。ただし、難解な説明があり、十分には理解をしていない恐れもありました。今回は、分かり易い明快な説明です。
<自己の乏しい情報の中だけの内弁慶な思索(自己顕示欲)に
留まる人にとって、このカテに留まると心地よく、>
ですね。他の分野との関連を求めず、また求めることも不可能で、ぬるま湯のような風呂に浸たっているのでしょうね。

お礼日時:2014/07/09 10:43

はじめまして。

私は、あちこち覗いてみるのが好きで、park123さんのお名前は、落語カテゴリでときどき拝見してをります。今回も、いきな質問ですね。最近は、私も哲学カテゴリへの投稿割合が多くなつて、自分でも危機的状況を感じてゐます。さきほど、国語カテゴリと人生相談カテゴリに投稿してきました。

哲学カテゴリにとどまる一番の理由は、哲学は何でも包括してゐる、といふ点だとおもひます。つまり、何でも論じることができる。

ほかに考へられるのは、居心地がいい。気持ちの通じる知りあひがゐる。

ほかには?
自分の投稿したいカテゴリが活発ではない、といふのもあるかもしれません。私が、囲碁カテゴリに投稿しても、たいした反応はありません。投稿内容がくだらないせいなのかもしれませんけれど。

私個人の見解としては、park123さんのお考へと同じく、いろいろなカテゴリに投稿するのが、ふさはしいと思ひます。bさんやkさんを、外国語カテゴリに誘つたりしたこともあります。他のカテゴリの魅力をさりげなく、伝へることができたらいいな、と自分では考へてゐます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
plapota様は、随所に活躍しておられ、賞賛しております。
<哲学は何でも包括してゐる、>
ということですね。確かに、哲学は、この世の森羅万象を対象に、これを貫く(動かす)ものを求めていますね。したがって、哲学だけを考えていれば、栄養満点なのでしょうね。
しかし、他と係わりある面では、そちらを片目で覗いてみたらどう、と言いたくなります。

お礼日時:2014/07/09 08:25

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!