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この哲学カテゴリーを興味深く拝見しています。
先日も、この哲学カテで、興味ある回答とそのお礼がありました。
以下は、ある常連の方が質問をし、それに対してある回答者の(1)回答と、その質問者の(2)お礼です、
(1)回答 <哲学ではなく物理や科学カテゴリーで質問するべきです。>
(2)回答へのお礼 <物理や科学の世界では権威ある法則が多くて 自由に考えられないのです。>
このカテで回答される人を見ていると、他の各種のカテに頻繁にお顔を出されている方もいます。しかし、上の例のように、この哲学カテの常連さんが、このカテにのみしか、質問されていない方がみうけられます。
なぜ、他のカテに参加しないのでしょうか? 哲学のみでなく、歴史・心理・国語・科学・物理・天体学など、関連カテが沢山あります。一つの問題を、哲学一種類のみのカテでなく、他の関連カテを利用して多面的に考察した方が、理解が深まる、と思います。(私は、他のカテにも参加されている方の方(ほう)が、説得がある回答をしているような気がします) 
なぜ、哲学カテにのみ引き籠もり、他流試合を避けているのでしょうか? 

A 回答 (14件中1~10件)

はじめまして。

私は、あちこち覗いてみるのが好きで、park123さんのお名前は、落語カテゴリでときどき拝見してをります。今回も、いきな質問ですね。最近は、私も哲学カテゴリへの投稿割合が多くなつて、自分でも危機的状況を感じてゐます。さきほど、国語カテゴリと人生相談カテゴリに投稿してきました。

哲学カテゴリにとどまる一番の理由は、哲学は何でも包括してゐる、といふ点だとおもひます。つまり、何でも論じることができる。

ほかに考へられるのは、居心地がいい。気持ちの通じる知りあひがゐる。

ほかには?
自分の投稿したいカテゴリが活発ではない、といふのもあるかもしれません。私が、囲碁カテゴリに投稿しても、たいした反応はありません。投稿内容がくだらないせいなのかもしれませんけれど。

私個人の見解としては、park123さんのお考へと同じく、いろいろなカテゴリに投稿するのが、ふさはしいと思ひます。bさんやkさんを、外国語カテゴリに誘つたりしたこともあります。他のカテゴリの魅力をさりげなく、伝へることができたらいいな、と自分では考へてゐます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
plapota様は、随所に活躍しておられ、賞賛しております。
<哲学は何でも包括してゐる、>
ということですね。確かに、哲学は、この世の森羅万象を対象に、これを貫く(動かす)ものを求めていますね。したがって、哲学だけを考えていれば、栄養満点なのでしょうね。
しかし、他と係わりある面では、そちらを片目で覗いてみたらどう、と言いたくなります。

お礼日時:2014/07/09 08:25

哲学を、実世界の多様な情報=多くの分野の理解の


元締めとしてではなく、そうした学習を怠って、自己の
乏しい情報の中だけの内弁慶な思索(自己顕示欲)に
留まる人にとって、このカテに留まると心地よく、「多く
の分野」の情報と連携させようとすると「難しくて分から
ない!(学習するつもりはない)」と反論してカッコつけ
られていると思い込んでいるのだ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
psytex様には、多方面に亘って、度々ご回答を頂きました。思いもよらなかった視点からの見方には、感謝しております。ただし、難解な説明があり、十分には理解をしていない恐れもありました。今回は、分かり易い明快な説明です。
<自己の乏しい情報の中だけの内弁慶な思索(自己顕示欲)に
留まる人にとって、このカテに留まると心地よく、>
ですね。他の分野との関連を求めず、また求めることも不可能で、ぬるま湯のような風呂に浸たっているのでしょうね。

お礼日時:2014/07/09 10:43

 こんにちは。




 わたしは ぎゃくだと思います。
 ★ なぜ他のカテから逃避し、哲学カテにのみ引き籠もって
 ★ なぜ、哲学カテにのみ引き籠もり、他流試合を避けているのでしょうか? 
 ☆ つまり 他流試合を避けているのは 哲学カテに来ない場合ではないか。という意味の回答です。


 ★ なぜ、他のカテに参加しないのでしょうか?
 ☆ これは まったく自由です。参加するしないは まったくの自由であって この際の問題にはかかわりません。

 哲学カテに参加するかしないかが いまの問題です。

 どういうことか?


 
 けっきょく哲学は 自己了解という行為です。存在の全体としての・人格全体としてのわたしについてわたしが これがわたしだと納得するかたち――それは なお動態ですが――を得ることです。

 言いかえると ほかのカテゴリでは おそらく存在や人格のあるいは世界の一部分についての知識を得るかどうかを問題にしている。いかんせん 知識も世界について部分的です。

 自然科学の内の或る種の行き方として 世界全体の探究だというばあい それでもそれは 人間の得ることのできる知識だという限界を持ちます。つねに その限界がつきまといます。


 むろん哲学も これらの部分的な知識を総合して いまここなる自己の了解を得ます。ただし 知識プラスαにもとづき 《全体として――つまり 隅々にわたっての全体を ではなく全体として――》わたしと世界とを捉える心的にしてかつ意志の行為です。

 哲学とほかのカテゴリとのあいだの情況は こんな感じだと思います。






 もう少しつけ加えれば ほかのカテゴリにあってもその回答内容は けっきょくその人の哲学にもとづいた知見です。ですが おそらくその知見が拠って立つ思想については 一般に明らかに述べることを控えているはずです。総合的な思想がない場合なら なおさらです。

 そして 大幅に悪口を言うなら その思想は 知識や学問の対象となる領域にのみかんする部分哲学であるのだと見られるのですが どうでしょうか。

 つまりは わたしがわたしであるという自己到来にもとづく自己了解は まだ得ていない状態にある。のではないでしょうか?

 ★⇒☆ なぜ、哲学カテに参加することをしないで 人びとは引き籠もりがちなのか? 
 哲学カテにあってさえ じつは にんげんどうしとしての他流試合を避けているのが ほとんどです。総じて言って知識の切り売りしか見られず ほんのひと言二言世間話をしゃべって去って行く社交の場でしか ないのではないでしょうか? 


 ○ (2)回答へのお礼 <物理や科学の世界では権威ある法則が多くて 自由に考えられないのです。>
 ☆ これは ささやかな抵抗です。自己了解を目指していない部分知識の行き方に抵抗するささやかな自己表出のことばです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
bragelonne様が、この哲学カテゴリで大活躍されていることは、重々存知あげております。

私の質問が明確さを欠いていたようですので、質問を補足します。
引き合いに出して、申訳ないのですが、例にあげた質問は、エネルギー・物質・ヒックス粒子という言葉を使った考察ですね。ところで、この3つの言葉は、もともと物理学に由来しております。(物理学が本家だから、どうだこうだ、という訳ではありません)

これらの言葉を哲学に使う場合、物理学の影響を考えずに、考察はできない、と思います。質問は、「なぜ物理学のカテから逃避し、哲学カテにのみ引き籠もっているのですか?」ということです。

<むろん哲学も これらの部分的な知識を総合して いまここなる自己の了解を得ます。>
ですね。ただし、この自己の了解を得るためには、哲学のみの中で考察するのではなく、この部分的な知識(今の場合は物理学)の助けを借り、使う方が、現実から遊離しない、と思いますが。

お礼日時:2014/07/09 16:19

 No.3です。



 せっかくのていねいなご返答をいただきましたので。・・・



 ◆ 哲学を、実世界の多様な情報=多くの分野の理解の元締めとして
 ☆ 捉えることと 自己了解――あるいはつまり 世間との和解 もしくは自己自身との和解を得て 心がやわらがしめられる自己還帰――として哲学を捉えることとは 何の関係もありません。前者は 量の問題にとどまりますから。


 ◆ 自己の乏しい情報の中だけの内弁慶な思索(自己顕示欲)に留まる人
 ☆ と言うその本人じしんが そのように留まっていないと どうして証明できましょう?
 知識にかんしては ほとんどつねに量の問題ですから みなが互いにどんぐりの背比べです。


 しかも 自己自身に到来し わたしがわたしであるとさとることは 《乏しい知識や情報の中にあるだけ》であっても 得られます。真理は 単純なはずです。



 要するに たいていのひとは この哲学の役割を知らないなら くるっている。と言うべきでしょう。

 質問者さんは いかがでしょう。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<◆ 哲学を、実世界の多様・・・>
について。私は、哲学全般のことは、あまり考えたことがありません(考える能力がない、の方が正確かもしれません)。ただ、哲学は、漠然と
<多くの分野の理解の元締めとして>
と思っています。また、多くの分野の補完をするもの、とも考えています。
 <◆ 自己の乏しい情報・・・>
について。
<みなが互いにどんぐりの背比べです。>
は正しそうな、また、そうでもなさそうな気がします。人は全体的には、総知識量はほぼ同じと考えて良い、と思います。しかし、各分野・得意分野ではかなりの差があるな、と驚いています。(なお、内弁慶な思索・・・については、私の質問に対して、真正面への分かり易い回答でした、ので評価しております)

お礼日時:2014/07/10 09:32

こんにちは。



考察するためにそれは?と言う意味での疑問ですよね。

カテゴリの参加は自由意志ですから、どのカテゴリを選ぼうと問題は無いように思います。
真の意味で理解を深めたいのかも、本人の自由意志ですからね。

他流試合と言われているのは、勝負すると言う意味でしょうか?
Q&Aは、個人的には勝ち負けの世界では無いように思っています。

Q&Aと言う場は、疑問を解決できる一つのチャンスの場であろうと思いますが
体系的で基本的な勉強をしていなければ、基礎が無い分だけ
適切な質問が出来ない状態にあると思います。

適切な質問と自分が求める答えは、学びの上にしか構築されないと思います。
ゆえに自身が学ぶ姿勢を持つ者が、自身が求める答えを手に入れる訳ですが
学びの意志が無ければ、知識を有する人に出してもらうしかありません。

Q&Aと言うここのシステムは、部分的に解明・理解できていないものを
明確にして行くのは向いていると思うのですが、全体の勉強には不向きだと思います。

質問はシステムを理解しての適切な質問と回答で解決に導かれますが
それにそぐわなければ、解決は難しいものと思います。

質問者が知りたいものを知りたい形で知りたいように
与えてくれる場では無いので、質問する方もよく考える必要はありますよね。

どのカテゴリでも同じだと思いますが、質問者の認識と
事実を受け止める覚悟が無ければ、必要なものは手に入らないように思います。

そのことを理解出来なければ、質問がしたいのか人との交流が
目的なのか、内容がぼやけてくると思います。

自身に都合のいい望んだ答えを与えてくれる場だと
どこか頭の隅でも考えていると、一貫した理論構築は
永遠に訪れないとは思います。

求めるものが回答なのか、実は他にあるのか
質問者本人も意識しないで質問をしている人も、それなりにいると思われます。

でもそれが悪い訳では無く、人は摩擦が起きたことから
上手くいかない現象から学ぶことに意義があると、私は思っています。
その学びこそが、人間としての学びだと思います。

学術と人間としての学びの両輪が、人を成長させて行くと思います。
人の様々な気づきは、覚悟ができた時でしょうかね。
リアルで多くの人と経験を共有していると、そんなふうに思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<どのカテゴリを選ぼうと問題は無い>
には、異論ありません。ただし、今回の私の質問は、不出来なので、あらためて教えて頂きたいことを書きます。、
なぜ、他の分野(この例に挙げた場合は、物理学)のカテゴリに参加しないのか、です。
たとえば、停滞していた台風が、昨日東に進路を選びました。当然、台風の自由ですから(人の思惑には関係せず)東西南北何処へ行こうと自由です。しかし、私が質問したかったのは、なぜ北へ行くのを避け、東に向いたのですか、ということです。
他流試合については、
<勝負する>
と捕らえられてしまったようです。この言葉は不適切ですので、取り下げた方がよろしいですね。言いたかったことは、自分の道場では最強とは言え、広い世間に出れば、自分の本当の実態が評価できる、ということです。
<Q&Aと言う場は、疑問を・・・・>
以下について。同感します。
<自身が学ぶ姿勢を持つ者が、自身が求める答えを手に入れる訳です>
ですね、私も改めて自分を振り返っております。自分の器に以上の質問はできないし、頂いた回答も自分の器以上のものは消化でできない、と自戒しています。

お礼日時:2014/07/10 12:35

ご丁寧な「お礼」ありがたうございます。



>>「賞賛」しております。

私が「小三」が好みであることを、よくご存じですね。

>>哲学だけを考えていれば、栄養満点なのでしょうね。

この点については、これまで何度も書いてきたのですが、各分野の未解決問題への答を出す(もちろん正解かどうかわからない)のが、哲学だと、私は考へてゐます。したがつて、同じ主題であつても、哲学カテゴリと他のカテゴリとでは、答がちがつてきます。だから、質問文の

>>(2)回答へのお礼 <物理や科学の世界では権威ある法則が多くて 
>>自由に考えられないのです。>

と述べる人の気持ちが私にはわかります。以前『新古今和歌集』の解釈について、哲学カテゴリで質問しました。各人の独創的な見解が回答として寄せられ、和歌の世界が広がりました。もし同じ質問を文学カテゴリで出したら、市販の注釈書のとほりの回答ばかりが寄せられることは目に見えてゐます。私としては、あれだけの哲学カテゴリの回答があるなら、手もちの『新古今和歌集』の注釈書を10冊くらゐ捨ててもよい、とさへ思つてゐます。既存の知識に(あへて悪い言ひ方をしますが)毒されてゐない意見こそが、このコミュニティーQ&Aの醍醐味だとおもひます。専門的知識だけなら、本を読めばいい。

>>(1)回答 <哲学ではなく物理や科学カテゴリーで質問するべきです。>

この回答も充分すぎるほど理解できます。まづ、科学カテゴリで質問して、それでも納得できなければ、哲学カテゴリに来ればよい、それが筋だとおもひます。ただし、質問者の意図は、質問者自身にしかわかりませんから、周囲は、この回答者のやうに、別カテを勧めるくらゐでいいのではないでせうか。(私もさうしてゐます。)でも、決めるのは、本人です。科学カテゴリで質問して、現代の標準とされる理論をききたいのか、それとも、哲学カテゴリで質問して、それ以外の答を知りたいのか、本人次第です。

>>他と係わりある面では、そちらを片目で覗いてみたらどう、
>>と言いたくなります。

回答番号1で記したとほりです。私もまつたく同感です。しかし現実には、ここで手一杯です。メインで活動したい外国語カテゴリでさへ、ほとんど投稿できてゐません。ネット社会の新入りの私には、とまどふことばかりです。私は普段の生活どほりしてゐるのですが、それが通用しません。書いてあるとほり(最近は遠まはしですが)に読んでもらへたらいいのですけれど。豚には敵がゐない、とか、おしやべりしたいだけだ、とか何度も書いてゐるのですが、多くの人たちに伝はらない理由がわかりません。Q&Aサイトの目的は、学ぶことではないのでせうか。

私としても、化学、生物学、音楽、プログラミング、囲碁、外国語、歴史、などなど、投稿したい内容をたくさん抱へてゐます。現状ではそれができません。いまも、家のパソコンで仕事をしながら、その合間に(息抜きとして)投稿文を書いてゐます。私だけでなく、多くの人は仕事をもつてゐます。日常生活を豊かにするために、このサイトがあるのではないでせうか。サイトが中心になつて、日常生活に支障がでては、本末顛倒です。サイトに割ける時間には限りがあります。

質問文の

>>他流試合

といふ表現は、私にはまつたく理解できません。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
『新古今和歌集』の解釈についての経緯を通して、
<既存の知識に(あへて悪い言ひ方をしますが)毒されてゐない意見こそが、このコミュニティーQ&Aの醍醐味だとおもひます。>
については、私は今まで思ってもみなかった見方です。これから、この見方についてよく考えよう、と思います。
今回の私の質問は、不出来だったので、釈明します。知りたかったことは、なぜ、他の分野(この例に挙げた場合は、物理学)のカテゴリに参加しないのか、です。なぜ、
<現代の標準とされる理論>
を求めないのか、その理由が知りたい、ということでした。(標準理論が正しいかどうかはわかりませんが、現時点では一応最有力の考えであり、肯定する・否定するに係らず無関心で過ごすことのできないもの、と考えてております)
他流試合については、勝負する、と捕らえられてしまったのであれば、不適切ですので、取り下げます。言いたかったことは、自分の道場の中では最強とは言え、広い世間に出れば、自分の本当の実態が評価できる、ということです。

お礼日時:2014/07/10 16:21

お礼、ありがとうございます。



>なぜ、他の分野(この例に挙げた場合は、物理学)のカテゴリに参加しないのか、です。

理由は人それぞれでしょう。
人それぞれ違いがあります。

これは、ある意味納得いかない当たり前の答えだと思います。
それでも、共通項は「違い」でしかないのです。
質問に挙げられたのは、共通項を探されているのだと思い
あえてそう書かせていただきました。

それ以上は、それぞれの方の違いを知りたい方が
「相手を理解しようとする姿勢」から汲み取って行くしかありませんよね。
相手を「理解出来ない」目で見るより「理解しようとする」
こちら側の努力しかないと思います。

知りたい方が理解しようとするのも、ごくごく自然である形
それが学びの基本だと思います。
疑問は個々に理解をしようとすること。

数学には、数学の解き方を、一つ一つ理解しようとするのと
何ら変わりはないと思います。

一人一人別の人格、別の価値観、別の生き方の上に今があります。
ですから一人一人を理解しようとすることが
なぜそうするのかを見出す、一番の近道になると思います。

ひとまとめで相手をみようとするのは
ステレオタイプの罠にあっさり落ちてしまう危険性が
誰にでも存在します。

誰しも、自らが自らで陥らないように気をつけることしかできません。

学術的な学びも自らが分かろうとして、理解に到達するよう
人を理解する学びも自らが相手を分かろうとして
その先に温かみのある人としての理解に近ずくものだと感じます。

そんな、当たり前だと言われるようなベーシックなスタンスで
ご自身で心理学を学ばれるのも、また一興かと思います。

というような考えで有りますから、他者との比較(比べる)は
しないようにしています。

相手や自分にとって、上下や優劣が絡んでくる目で見るようなことは
その人そのものが見えなくなるだけでなく
そのスタンスでは、誰も幸せにならないからです。

唯一自分に許しているのは、過去の自分との成長記録です。
子供の時、柱に付けたあれですね。
「これが出来るようになった」「あれが分かるようになった」
それくらいです。

個性を潰すのは、その人なりの良さを引き出すことなく
人として潰していくのは比べるからです。
比較は、排除も生み出します。

誰しもそういう自覚的認識が培わられれば
その人だけをみて、違いから理解が及ぶように
なれるのではないかと思います。

そのために人が人として人に対しての学びが有り、全ての人間の
可能性を強く信じて疑うものではないという信念で過ごさせていただいてます。

自分の評価は、自分がするものでは無いですよね。
自分自身を理解していけば、評価に値するものは
自ずと自身の中から誰しも見つかるかと思う次第です。

たとえば評価に左右される人と左右されない人
どちらになりたいですか?

一喜一憂して、落ち込んだり嘆いたり浮かれたり。
自分の道を自分のペースで、黙々と歩く人。
ご自分ならどうなりたいですか?
自身がなりたいものに評価を重要視する目は必要でしょうか。

そんなことを自身に問いかけるのも哲学であります。

無意識に、ごく普通に使う言葉に誰でも自分の価値観やスタンスが出てきます。
それを見直すのも、また哲学だと言えると思います。

長文にて失礼しました。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。

私は、
<質問に挙げられたのは、共通項を探>
しています。共通点とは、今の場合は、理由のことと思っています。ただし、共通点について、私は、当初二つ三つの理由があるかな?、とは思っていました。少し多めの共通点になるのでしょう。背後には、
<ステレオタイプの罠にあっさり落ちてしまう危険性>
が控えていますね。

以下、人生論風のようになりますが、kanto-i様は
<他者との比較(比べる)はしないようにしています。>
とのこと。
<唯一自分に許しているのは、過去の自分との成長記録です。>
とのこと。これらは、なかなかできない行為ですね。私は、ついつい他人を意識し、優劣を並べ、得意になったりしょげ込んだりしています。

以下は、今までの流れと、矛盾するところがあるかもしれません。
<一人一人別の人格、別の価値観、別の生き方の上に今があります。>
これは、kanto-i様の考える意味を少々取り違えていることは、知っておりますが、敢えて誤解させて頂きました。私は、他人をみるのに興味を惹かれます。その他人とは、ベったりの関係になることはなく、ある程度距離を置いているようです。その他人を(客観的にー否冷やかに)みているようです。 は、一人ひとりの「別」の人に強い関心があるようです。

以上まとまりのなく焦点のない(散らかった)文章を連ねました。

お礼日時:2014/07/11 09:46

こんばんは。

回答番号6の少し強めの意見は、お気になさらないでくださいね。最近「おふろ理論」といふのを0fool0さんから教はりまして、まづ、DVで相手をいためつけておいて、そのあとで、優しくすると効果があるのださうです。このところそれを試してゐます。提唱者ご本人が実践してくださると、うれしいのですが。

「お礼」拝見しました。いつも丁寧な文章に感服してをります。

>>なぜ、<現代の標準とされる理論>を求めないのか、その理由が知りたい、ということでした。

私の場合は、回答番号6に記したとほり、本を読めばいい、と思つてゐます。読んだあとで、さらに何かあれば、このサイトに投稿するかもしれません。最近は、あまり理系の本を読むこともなく、せいぜい「日経サイエンス」の拾ひ読みをする程度です。最新号の「素粒子論の危機」は興味深く読みました。結局はそのときの興味が、何にどれだけ向いてゐるか、といふことだとおもひます。物理学カテゴリは覗いてみる程度です。#2さんのご活躍も、もちろん拝見してゐます。

>>広い世間に出れば、自分の本当の実態が評価できる、ということです。

これはおつしやるとほりです。すくなくとも、自分の場合は、ときどきこのサイトでも書きますが、もともと文系で、深い知識のもちあはせはありません。化学だけは仕事で扱つた経験があり、いくらかでも議論できるかもしれませんが、物理学の分野で、#2さんや、殺虫剤さんや、ねこさんたちと、張りあふだけのものはありません。

私の長年の大きな関心事は「言語と人間」です。ですから、理系の話題でも、STAP細胞のやうに社会問題化したものには、大いに関心があります。ですから、このサイトでもしばしば投稿してゐます。#2さんの件にしても、物理学と社会とをむすびつけてゐるからこそ、興味があります。そのあたりのお話をゆつくりしていただけたらと、思つてゐます。お話の前に、私の手の内をすべて明らかにしてゐるだけのことです。そのほうが、話しやすいでせうから。弱虫の私は、他流試合とか、自流試合とか、するつもりはありません。ひたすら逃げるのみです。ただ、考への違ふ人ほど、おもしろい、さう感じます。先日も、frauさんと、いい話ができました。

私の立場は、以上です。基本的にpark123さんのお考へには賛成です。ほかの人たちの場合は、推測でしかわかりません。それぞれが好きなやうにすればいいのではないでせうか。許された時間内で、楽しめばいいと思ひます。

そんなことよりも、park123さんの御指摘どほり、#2さんと、#3さんの文章が、このところすこしづつ読みやすくなつてきてゐます。言語の基本的機能は伝達です。特に、不特定多数の集まるコミュニティーではきはめて重要なことであり、良い傾向にあるとおもひます。他流試合や自流試合をしても、言葉の意味が伝はらなければ、試合になりません。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございました。
plapota様の場合には
<本を読めばいい>
ということですね。そのように、各自、自分に相応しい手段・方法を持っているのですね。
<「素粒子論の危機」は興味深く読みました。>
羨ましいですね。私は、素粒子論とか量子論とかに通じている方を、無条件に尊敬する、という悪癖(否善癖)を持っています。私も、かって、それらを学ぼうとは思っていましたが、本の目次を見ただけ、尻尾を巻いて退散しました。それらを少しでも齧っていれば、世の中の見方がもう少し変わっているだろう、と嘆いています。
<私の長年の大きな関心事は「言語と人間」です。>
とのこと。私も、言語についての関心があります。そして、最近は、気象についても、です。なぜこの二つに、関心があるかといいますと、両方とも日常に考える材料が転がっている、ということです。たとえば、先程の素粒子論などは、考える対象も手段も、私の日常の生活からまるでかけ離れたものです。しかし、言語や気象については、毎日の、例えば、新聞やテレビなどを見ていても、(いっぱし風に)考えることができる、というわけです。

お礼日時:2014/07/11 21:59

ご親切な「お礼」を毎回ありがたうございます。

この質問ページの核心に迫つてくるのかと予想したのですが、拍子抜けです。

穏便にすませるつもりで一番回答をしたのですが、うまくいかなかつたやうです。

私は、他流試合などしなくても、自流試合がすばらしいと思つてゐます。左翼右翼のページに自作自演者が書いてゐますが、似た者同士のやうに見えます。右翼も左翼も、相手を見れば、自分の姿が見えてくるのではないかといふ気がしてゐます。なほ、右翼への正攻法は、逆効果です。左翼は、物の理に足が向かない人とばかり話して、いくらかでも物の理に関心がある私のほうが無視されるのは、寂しいものです。

>>各自、自分に相応しい手段・方法を持っているのですね。

このたびせつかく、おすすめいただきましたので、たまには物理学カテゴリにも投稿してみようと思ひます。

>>それらを少しでも齧っていれば、世の中の見方がもう少し変わっているだろう、
>>と嘆いています。

回答番号6に書いたことですが、知つてゐることも、知らないことも、ともにすばらしいことではないかと、考へてゐます。

>>両方とも日常に考える材料が転がっている、ということです。

さうしたことに興味をもつのが通常だとおもひます。私もふくめて。「素粒子」などといふものに真剣になる人は、どこか変です。益川敏英さんなど、その最たる人でせう。いかにもノーベル賞にふさはしい人物です。
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この回答へのお礼

再三のお付き合い、ありがとうございました。
私は、空気は読めないは、孝行音痴だは、で、ご心配をお掛けしております。
この質問をして、初めてわかったことが、
<自流試合がすばらしい>
<知らないことも、ともにすばらしい>
と考えられる方がいらっしゃるのですね。私は、その真逆でした。他流試合や知っていることがすばらしい、とばかり、疑問もなく思っていました。ただし、「おまえは、それなら、何を実践しているのか」と詰問されると、「・・・・」と返事ができません。理想や希望として、他流試合などを崇めているだけです。
以上は、今回の質問の成果の一つでした。

お礼日時:2014/07/12 19:08

こんばんは。

こちらこそ、お付き合ひくださり、感謝してをります。私のほうこそ、とても勉強になりました。くはしくは、「人参」ページに書きました。このあたりで、私の最終とします。

私としては、他のカテゴリにも出かけてゆきたいのですが、嫌になつてしまつたカテゴリもあります。「恋愛相談」カテゴリです。私はすぐに女の子が好きになります。その膨大な経験をいかして回答するのですが、いつも無視されます。きつと、私の意見をないがしろにした質問者は不幸になつてゐるにちがひない。いい気味だ。

park123さんは投稿履歴を公開なさつてゐないので、お姿が見えてきません。カテゴリでは哲学と落語で拝見してゐます。今回うかがつたところでは、言語と気象ですね。偶然、御一緒できたらいいと思つてゐます。
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この回答へのお礼

回答あるがとうございました。
<私はすぐに女の子が好きになります。>
plarota様は人が好き、なのですね。まさに今、生きている人に関心があるのですね。振り返ってみますと、私はベールを通した人が好き、なようです。
<私の意見をないがしろにした質問者は不幸になつてゐるにちがひない。>
いくら言っても、分かる人にしか、(当然ですが)わからないのですね。

お礼日時:2014/07/13 17:48

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