No.4ベストアンサー
- 回答日時:
補足ありがとうございます。
>疑問に思ったところもありました。それは土器と燃料の関係についてです。
突っ込みありがとうございます。
実は私もこじ付けだと思っていますw
現実、北海道は原生林が多く、燃料に困ったとは考えにくいとも思えるのですが、幕末の蝦夷地調査団で雪に閉じ込められた宗谷での越冬隊は、薪炭・食料の調達が出来ず、全滅している事例も在ります。
まぁ、冬に素人が食料を得るのが困難なのは判りますから、此れだけで判断は出来ませんが、土地によっては狩猟は出来ても燃料の乏しい場所はあるのですよね。
ま、妄想のこじ付けですw
現実に北海道で生産された土器は存在しますので、擦文時代には間違いなく生産・利用していたのは事実です。
ただ集落が少なかったのか、遺跡が少ないので、出土が少ないと言う事になっています。
此処から更に妄想・・
北海道アイヌ文化は、早い段階で自給自足を捨ててしまっているので、残っている形から古代の生活を類推するのが難しいのです。
それと生活様式が、北から来たというより、南から渡った感が、どうしても拭えないのです。
農耕は捨てたのか?新たに得たのか?少なくとも北回りでは、農耕は入り様も無いです。
またエスキモーやイヌイットには高度な醗酵文化があるのに、アイヌに無いのも、どの様な理由か・・
実は擦文時代には暖房用の囲炉裏と、調理用の竈が、住居に存在していたようです。
しかし徐々に竈は姿を消し、囲炉裏のみとなります。
此れが鉄器に切り替わった時点だと、一般的には推察されています。
擦文時代はそもそもが7世紀辺りからで、600年代ですから、既に本州では鉄器が生産され、関東・東北でも始まる頃なのですよね。
高価な物ですから広がりが遅れただけで、その間に土器を使用していたのかもしれません。
どう~~も、最初期段階から「交易」をしていた気がしてしょうがないのですよね・・・
北方から南下して、本州に接したのならば、生活様式は自給自足型が成立していなければ、話にならないのです。
其れに豊かな土地なのですから、人口も増加して然るべきで、其れに伴い遺跡も多くなければなりません。
しかし本州から・・・、と考えると、整合性が付き易いのです。
ま、此れからの研究次第ですね。
No.5
- 回答日時:
アイヌ民族というのは、なにを指しているのかに注目してしまうと、
けっこうやっかいなことになるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4% …
土器は、北海道各地で昔から作られ利用されていたようです。
http://jomon-heritage.org/jomonculture/
http://jomon-heritage.org/beautyofjomon/
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/19m …
北海道のそれぞれの文化などについても、webで見ることが可能です。
続縄文化 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%9A%E7%B8%84% …
オホーツク文化 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9B% …
トビニタイ文化 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%93% …
擦文文化 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%A6%E6%96%87% …
アイヌは、交易で色々の生活物資を各地から入手出来たので、交易に必要なものの生産供給と漁労、狩猟、採集、農耕で十分だったのでしょう。 13世紀以降に出現した比較的新しい文化の形態のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7# …
参考URL:http://pucchi.net/hokkaido/history/history_sensh …
No.3
- 回答日時:
No.1です
補足を頂戴しましたので、追加で説明させて頂きます。
>東北、北海道の古代アイヌ民族は縄文人との区別はなく、いわば古代アイヌ民族は縄文人の一部だったということでしょうか。
現在、正確なことは分かっていません。
分子遺伝学などと呼ばれる生物学的な知見では下記のようになっています。
注;パブログループというのは共通の祖先を持っているグループという意味です。
DとかD1bというのはそのグループ分けの記号です。
ハプログループD (Y染色体) - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループD_(Y染色体)
日本全国
「ハプログループD1b」は、ハプログループDの中でも、M55など少なくとも5つの一塩基多型の変異によって、チベットやアンダマン諸島等のグループと明確に区別される。
日本列島でのみ見られ、日本で誕生してから少なくとも3万年は経過していると考えられています。
アイヌ
アイヌにおいては「D1b」が16人に14人の割合に当たる87.5%の高頻度で見られた。
アイヌに見られるD1bの内訳はD1b(81.25%)、D1b1a(6.25%)である。
本州以南
九州、本州、四国は、地域差もあるが、30~40%のハプログループが「D1b」である。
これは古代の縄文人の末裔である可能性が高い。
「D1b」から「D1b2a」まで様々なグループが見られる。
沖縄
沖縄北部では、住民の56%がD1b系統に属している。
朝鮮半島では、ハプログループD系統が0.001%以下の頻度で見られるが、これは近世にチベットからモンゴル経由で入ってきたD1aや、弥生時代に日本列島から朝鮮半島へ北上したD1bの系統であろうと推測されている。
参考
Y染色体ハプログループの分布 (東アジア) - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/Y染色体ハプログループの分布_(東アジア)
以上からのみであれば、アイヌ民族は縄文人の一部ではなくご先祖様ということになります。
ここで問題となるのは文化人類学的な見地からの議論です。
縄文文化とアイヌ文化とはどのような関係なのか、ということです。
この部分がよく分からなくなってきています。
旧来であれば、別々に発達した、とスパッと割り切れましたが、近年発掘が進むにつれて、次々と遺跡が発掘されていて、どうも今までの考え方は違うのではないのか、となってきています。
縄文人と言いますが、語源となった縄文土器という言葉が誤解を招きやすくなっています。
現在は縄文土器と呼ばれる土器で縄目模様がついているのはごくわずかだということが分かってきています。
全く模様のないものもあります。
約23000年前から約1万6000年ぐらい前までに使われていた土器としか言えないようになってきています。
北海道は気候の関係で稲作文化の流入が非常に遅れました。
結果として弥生式土器と呼ばれるデザインのものの普及がおくれました。
この間に擦文(さつもん)土器とよばれる独特のデザインが発達して六世紀ごろまで使われました。
後期縄文文化が継承され続けたと考える学者さんもいます。
古代文化もオホーツク文化と呼ばれるものが発達しました。
このオホツーク文化はだれが構築したのか、どのように継承されたのかがよく分かっていません。
モヨロ人と仮の名前で呼ばれています。
オホーツク文化
www.okhotsk.org/news/kodaibunka.htm
本州の北端で三内丸山遺跡と呼ばれる巨大遺跡が発掘されました。
この遺跡はだけれが構築して継承していたのかは、良く分かっていません。
時代的に縄文人としているだけで、アイヌ民族の末裔ではないのか、という疑問は等閑視されています。
DNAの理屈からいえばアイヌ民族と同じご先祖様だといっても一向に差し支えが無いことになります。
どうも古代史なるものは、今までの常識が通用しない時代に突入してきているようです。
No.2
- 回答日時:
擦文時代と呼ばれる時代があり、土器は其れなりに在るようですが、遺跡の数自体が少ない様で、其れに伴って、出土数は少ないようです。
無い訳ではないです。
ただ、土器の生産には大量の燃料が必要で、土地にも因りますが、大々的な生産は難しかったかもしれません。
アイヌでは農耕は盛んには行われず、大地に施肥をする事も「穢れ」と認識していた様で、また女性の仕事でもあり、耕地も累代で使用すると言う発想は無かったようです。
ですので炭水化物が少なく、食料の多くは獣肉や魚肉に採集した山菜や果実、木の実が主でした。
で、此れは私の想像ですが、土器での煮炊きは薪の消費が夥しいので、本州以南に比べて、あまり選ばれなかった調理法なのでは無いでしょうか。
此れが擦文時代以降になると、本州から鉄器が交易により入ってきて、また、炭水化物の栽培作物も流入してきます。
此れにより熱伝導率の高い鉄鍋にとって変わられ、竈が無くなり、囲炉裏だけでの生活に移行したのではないかと考えています。
ちなみに彼等は味噌も醤油も生産はしませんでしたが、交易で手に入れて使用していました。
栄養学的に彼らの生活の多くの部分で、交易に頼っていたのは間違いが無いので、恐らく彼らの生活様式の文化から考えるに、北海道に流入して来た時点から、さほどのタイムラグも無く、本州との交易に依存をしたのではないかと、私は想像しています。(あくまで妄想で、学会の認識ではないです)
この回答への補足
いろいろお教えいただいてありがとうございます。分かり易かった点が多かったのですが、疑問に思ったところもありました。それは土器と燃料の関係についてです。アイヌの集落は比較的小規模だったとされていますので、大量に土器を生産する必要はなかったのではないかと思いました。また野焼きで土器を焼くのであれば燃料もさほど必要ではなかったのではないかと推察しています。また土器での煮炊きは熱効率が悪いため薪の消費が多くなるとのご指摘はその通りだと首肯しましたが・・・、なんとなくひっかかるものがありました。私は最近北海道を旅して自然の豊かなことを実感しました。狩猟中心の生活を支える豊かな自然が集落の周囲に広がっているのであれば、薪の消費など心配する必要がなかったのではないかと思ったわけです。そこで私なりに二つのことを妄想してみました。
(1)アイヌ民族の伝統的、宗教的感覚として樹木の伐採(薪の生産)は神々の居場所を損なう行為として好まれなかったのではないか。また農耕を含め、生産するという行為そのものが避けられ、彼らの生活は神々からの恵によって守られ支えられていると考えていたのではないか。
(2)豊富にある粘土や薪で土器を造るのは一見経済的にも利に適っているようであっても、実は狩猟や漁撈で豊かに収獲できる物と交易(物々交換)でより使いやすく、長持ちする金属の器を手に入れるほうが容易で利点が多かったのではないか。
確かにご指摘の通り彼らが本州との交易を盛んにやっていたことは白老町のアイヌ民族博物館でも実感しました。
どうもありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
>アイヌ民族の文化遺産として土器が見られないようですが
最初に坪井 正五郎(文久3年1月5日(1863年2月22日) - 大正2年(1913年)5月26日)が唱えた説で1960年代ぐらいまでは残っていたおそろしく古い説です、
>なぜアイヌの文化財に土器が見られないのか、その理由を教えてください。
多数出土が確認されています。
カテゴリ-出土品(土器) | 北海道・北東北の縄文遺跡群
jomon-japan.jp/library/photo/sort-6/
帯広の主要遺跡
www.octv.ne.jp/~hyakunen/iseki-guide.htm
大正遺跡群(帯広市大正町)
2002年~2004年の発掘調査で14000年以上前の土器であることが確認されています。
縄文時代後期のものについては以下のような論文もあります
北海道釧路市幣舞遺跡出土の亀ヶ岡式土器について
www.city.kushiro.lg.jp/common/000057546.pdf
従いまして、理由以前にご質問が成り立ちません。
>アイヌ民族はかつては東北地方にも多く住んでいたとされています
ご指摘の通り、最近のDNAを用いた研究では、アイヌ民族と青森以南のいわゆる和人と呼ばれる人とは共通性が高いことが分かってきています。
西日本の人達の中には渡来系に極めて近いとされる人が多いとされています。
何やら日本人もいろいろで所詮は混血ですね。
縄文代の人々の行方
www.geocities.jp/noran42/history/history/jyomon.htm
最近は考古学上の発見が相次いでいます。
それに、DNA分析などの技術も加わり、古代史は年々塗り替えられています。
教科書の記述も怪しくなってきています。
各サイトに比較的新しい情報が多数投稿掲載されていますので是非ご覧下さい。
you tubeにもこんな動画があります。
最初から日本古代史を確認する
投稿者:hino kou
この回答への補足
ご返答ありがとうございます。私には基本的な認識が欠けていますので、質問のしかたが悪かったのかと反省している次第です。そもそものところアイヌ民族と縄文人とは区別されているものと思っていました。ご説明の内容から推察しますと、東北、北海道の古代アイヌ民族は縄文人との区別はなく、いわば古代アイヌ民族は縄文人の一部だったということでしょうか。どうぞご教示ください。
補足日時:2014/09/03 21:00お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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