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太陰暦と太陽暦、太陰太陽暦について、おおまかな理解はしていると思うのですが、
いくつか細かな点で分からないところがあります。

暦、日本史について詳しい方いらっしゃいましたら教えて下さい。


太陰暦、月の朔望を基準に、一ヶ月を29日ないしは30日とする暦。

太陽暦、地球の太陽周回を基準に、一ヶ月を28日、30日ないしは31日とする暦。24節気と対応。

太陰暦は、1年につき約11日、3年で約33日(約1ヶ月分)、暦と季節がずれてしまいます。 そこで、3年に約1回(19年に7回)閏月をいれることで、暦と季節のずれを調整した。

太陰太陽暦は、月の地球周回と地球の太陽周回という二つの、それぞれに独立した自然現象を基準に、人間が、時間をはかるために併せ用いていたということだと思います。

そこで質問です。

太陰暦における基準点、一日は朔日(新月の日)ですよね。
睦月の朔日、如月の朔日、弥生の朔日、、、が、29日か30日に一回やってくると。

では、太陽暦における基準点は、どこですか?

閏月のことを考えると、太陰太陽暦では、睦月の朔日が、太陽暦の基準点がきもちよくぴったり重なる日が三年に一回あるということになると思うのですが、この理解で間違っていませんか?
(西暦何年に、それがぴったり重なったとかっていう正確な記述があれば、ついでに教えてもらいたいです。)

A 回答 (4件)

まず、言葉の整理から。



日本の暦は、古くは中国から輸入していました。
中国の暦をそのまま使っていたわけです。

で、中国では戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正すために、二十四節気を取り入れ、季節を春夏秋冬の4等区分しました。
この時点で、暦は太陰太陽暦となります。

つまり、「閏月をいれることで、暦と季節のずれを調整した」瞬間から、それは太陰暦ではなく、太陰太陽暦なのです。

今の日本で「旧暦」と言えば、天保暦を基本とした太陰太陽暦のことです。


さて、ではいわゆる旧暦(太陰太陽暦)の基準はどこかというと、厳密に決まっているわけではありませんが、大まかに言えば、冬至と立春ですね。
1.暦法上では冬至を11月のうちに置くのが基本
2.冬至の約45日後にくる立春は12月15日から正月15日の間におさまる

さて、一日は必ず朔(新月)でなければならないので、立春すなわち正月とはなりません。
12月のうちに立春がくることを年内立春、新年1月の立春を新年立春と呼びます。

ただ、約30~40年に1度、立春が朔と重なり、旧暦1月1日になる年があり、これを「朔旦立春」といいます。実にめでたい日です。
前回は1992年、次は2038年らしいです。

「睦月の朔日と、太陽暦の基準点がきもちよくぴったり重なる日」といえば、この朔旦立春ということになるでしょう。
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この回答へのお礼

長い間気になっていたことが、解決した気がします。。。

多分、現代の12ヶ月カレンダーに慣れた現代人の頭で古代を振り返ろうとすると混乱するのですね。

太陰暦/24節気基準の太陽暦/現代の12ヶ月カレンダーはそれぞれに別のものと肝に銘じるところから始めないといけないのだなと思いました。


2038年というとかなり先ですが、とても楽しみです。


本当にありがとうございました。

お礼日時:2014/09/19 17:32

太陰太陽暦の基準点を各月の朔日に置くという考え方と同様にして、現行太陽暦の基準点を求めれば3月1日ということになりませんか。

月日を3月で表せば、4月1日は3月32日、5月5日は3月66日、2月28は3月365日、閏日は3月366日。年によって変わることはありません。

陽暦3月1日が旧暦朔日になる日は余り多くありません。1773~1872の100年間で該当するのは、明治3年 天保5年 文化10年の3回だけです。3月に限定せず、陽暦・陰暦どちらも1日になる日を数えれば下記の通り100年間で38回あります。約2.6年に1回ですが、19年7閏が約2.7年に1回ですから相応ではないでしょうか。

明治05/11.01//1872.12.01
明治04/10.01//1872.11.01
明治03/04.01//1870.05.01
明治03/03.01//1870.04.01
明治03/01.01//1870.02.01
元治01/09.01//1864.10.01
元治01/08.01//1864.09.01
文久02/02.01//1862.03.01
安政06/05.01//1859.06.01
安政03/07.01//1856.08.01
嘉永06/11.01//1853.12.01
嘉永06/10.01//1853.11.01
嘉永04/04.01//1851.05.01
嘉永04/01.01//1851.02.01
嘉永01/06.01//1848.07.01
弘化02/09.01//1845.10.01
天保14/02.01//1843.03.01
天保08/07.01//1837.08.01
天保05/11.01//1834.12.01
天保05/10.01//1834.11.01
天保05/04.01//1832.05.01
天保05/03.01//1832.04.01
文政12/06.01//1829.07.01
文政06/12.01//1824.01.01
文政01/08.01//1818.09.01
文化12/11.01//1815.12.01
文化12/10.01//1815.11.01
文化10/04.01//1813.05.01
文化10/03.01//1813.04.01
文化10/01.01//1815.02.01
文化02/02.01//1805.03.01
文化01/12.01//1805.01.01
寛政11/07.01//1799.08.01
寛政08/09.01//1796.10.01
寛政03/06.01//1791.07.01
天明03/04.01//1783.05.01
安永09/07.01//1780.08.01
安永06/09.01//1777.10.01
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

私の質問の意図とは違う角度からの回答だったので面食らったのですが、
これは、考えてみれば非常に合理的ですね。

これまで思いつきもしなかったので、目からウロコという感じでした。

朔日との合致まで調べていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/26 03:09

知識が足りないのでお答はいたしません、余計な物を持ち込むかも知れませんが、お許し下さい。



>太陰太陽暦は、月の地球周回と地球の太陽周回という二つの、それぞれに独立した自然現象を基準に、人間が、時間をはかるために併せ用いていたということだと思います。
広い意味ではその通りですが、米を主体とする農業国であるアジア諸国では、二十四節気だけでは充分精密では無いので、これが採用されたものと思われます。

砂漠の民であるアラブ諸国、特に赤道に近い地域では季節感がほとんど意味が無いので、モスレム諸国では太陰暦が用いられており、ラマダンの位置が動き回ることは御存知だと思います、農業国であるマレーシアもモスレムが国教ですが不便でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

今回の質問は日本の暦についてのものだったのですが、アラブの暦についても分からないことがあって困っていたので、助言いただいて非常に助かりました。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2014/09/18 22:46

大昔は、春分の日=太陽が真東から昇る日=昼と夜が等しい長さになる日、が種まきからの一年の耕作の始まり、ということで太陽暦の年のはじめ、と扱われていました。



そのため、現在3月末である春分の日が、第1月となっており、その名残りが、9月なのに September(7の月)、10月なのに October(8の月)、11月なのに November(9の月)、12月なのに December(10の月)、という名前に残っています。

そして、2月は第12月なので、日数調整に使われたために28日しかなくなった(閏年でも29日しかない)というのも、これの名残りです。

あとは、ユリウス暦やグレゴリオ暦(現在の暦)で調べていただければ、詳細や、この昔の月の番号付けからの調整などの経緯もおわかりいただけると思います。

グレゴリオ暦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

今回の質問は日本の暦についてのものだったのですが、次回、西洋の暦についても質問しようと思っていたので助かりました。

url参照させていただきます。

お礼日時:2014/09/18 22:43

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