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ハンス・ヨアヒム・マルセイユの最後の戦果である158機目に落とした敵機は
連合国側の北アフリカ戦線でのエースだった、というのを本で読んだことがあるのですが、誰だかわからないでしょうか?インターネットで知らべても出てこないので困ってます。

A 回答 (1件)

調べた範囲では、英国空軍RFAのFlying Officer(少尉) D. Turvey


の様ですが、彼がエースパイロットであったかは不明です。

マルセイユの最後の空戦は日本語Wikiと英語のWikiに詳しく書かれています。
日本語Wikiは英語Wikiの翻訳ですが、関連個所の訳文が気になるので手直し
しました。

<特に注目すべきは、マルセイユの158機目の撃墜申告である。
9月26日午後の着陸後に、肉体的に消耗し切っていた。いくつかの報告は、
彼の飛行中隊メンバーはマルセイユがはた目にも判るほど肉体的に
消耗しているのにショックを受けたことを示唆している。マルセイユ
自身の戦闘後の報告によると、彼はあるスピットファイアのパイロットに、
高高度に始まって低空まで降下する強烈な格闘戦を挑まれた。マルセイユは、
いかに彼と敵の双方が相手の後尾につこうと努力したか、詳しく話した。
双方が成功し、射撃したが、その度に追われる側はなんとか攻撃側へと
形勢を逆転させた。最後に、燃料残りわずか15分で、彼は太陽へ向かって
上昇した。英軍戦闘機はそれに続き、まぶしい逆光に捕らえられた。
マルセイユは急旋回とロールを行い、100mの距離から射撃した。
スピットファイアは火を吹き、翼がとれ、パイロットを乗せたまま地面に
激突した。マルセイユは書いている。「あれは私がこれまで相手にした中で、
最もタフな対戦相手だった。彼の旋回は素晴らしかった。…私は、それが
私の最後の戦いになるのではないかと思った」。不幸な事に、そのパイロット
と彼の飛行隊は特定されていない71)、72)。

71)Tate 2008, p. 66.
72)Kurowski 1994, p. 207.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3% …
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans-Joachim_Marsei …

日本語Wikiはこれまでですが、英語Wikiには更に続きが有り。マルセイユの
全撃墜機を挙げ、それにノート(注)が付いています。

その表では:152~158機;1942年9月26日;時間(撃墜);
09:10、09:13、09:15、09:16、16:56、16:59、17:10となっており、
ノートには
.マルセイユの朝の作戦の対戦相手は英国空軍第33と第213航空中隊の
Mk IIハリケーン、に英国空軍第92航空中隊のMk Vスピットファイア
8機を加えたものであった。
・・・・・・・
マルセイユの最後の勝利は空軍小尉Turveyに対するもので、彼は
スピットファイアBR494から脱出した。マルセイユの、その日の午後の
最後の戦いの対戦相手は英国空軍第145航空中隊と第601航空中隊のスピット
ファイア11機を含むものであった。

Wikiの記事は順次追加されますので、この記述が正しく、古い記述が訂正
されなかったと考えられます。

RFAの第92航空中隊の記録にもPO Turveyの9 月26日の戦闘参加が
記録されていて、彼が撃墜され生還していることから間違いないと
思われます。
http://sirius1935.wix.com/92squadron#!losses/cosf

彼がエースであったかどうかは不明です。
92.Squardonはバトルオブブリテンの戦いから活躍していますから、
錬度が高かったとも考えられます。

よろしければ
David Lloyd George Turveyで調べてください。1944年までRAFに
在籍しています。最後の所属部隊は異なるようですが。
人名検索して、無料登録すれば彼の詳細が見られます。

この回答への補足

David Lloyd George Turvey内のサイトでFlying Officerと調べてみたのですがそれらしい人が出で来ないのですがどうすれば良いでしょうか?
また、無料登録とはなんでしょう?詳しく教えていただいてまた恐縮なのですが、よろしければ教えていただけないでしょうか。

補足日時:2014/10/05 02:13
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この回答へのお礼

大変詳しく詳細を教えて頂きありがとうございます。
勉強になりました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/05 02:13

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