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中学1年の歴史です

中大兄皇子と鎌足が入鹿をやっつけて 中大兄皇子はそのあと天智天皇になりました。

天智天皇がなくなると皇位をめぐり 天智天皇の弟大海人皇子と 天智天皇の子 大友皇子が戦いました おじと甥っ子の戦いですよね?!この乱を壬申の乱 でいいんですよね?!
壬申の乱で勝った大海人皇子は 673年 天武天皇になりました。

天武天皇の死後 天皇の奥さん皇后が 即位して持統天皇となりました。

と 社会の先生が話してくれてましたが 持統天皇って 大友皇子と 言明のきょうだいですよね?!

自分のきょうだいの大友皇子が壬申の乱で負けたのはおじさんの大海人皇子のせいなのに なんでそんな人と結婚したんですか?
それもお父さんの兄弟でおじさんなんでしょ?
姪の私とおじさん……
考えたくないですー(泣)

血縁関係はわたしの解釈であってますか?

A 回答 (7件)

昔の皇族は近親婚が多かったので遺伝子的に弱く、早死にが多数いました。

これは生物全体に言えることで、ネズミなど番で飼っていると親子きょうだい関係なく交尾を繰り返してあっという間に増えます。皇族どころの騒ぎではないのですが、遺伝子的に同じになってしまうので、致命的な病原体が入り込むとあっという間に全滅してしまいます。

チーターはこれに近い状態で、すべての個体が一卵性双生児のように均一だそうです。数が極端に減ったことがあって近親婚を繰り返した結果であろうというのが定説です。
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天智天皇と大海人皇子は兄弟ではないと言う説があります。

天智天皇の子である大友皇子は即位していて弘文天皇になっています。大海人皇子は天皇と戦って勝ち、天皇殺しをしているのです。後に天智系天皇と天武系天皇に分類されるほどの犬猿の仲なのです。
奈良時代は天武系天皇が続くのですが、女帝の称徳天皇で男系天皇が絶えてしまうのです。そして天智系の光仁天皇が高齢で即位するのです。その子の桓武天皇が遷都して平安時代を作るのです。現在の天皇は天智系なのです。
これほどの確執があるのですから、天智と天武は兄弟ではないと言われています。この天武の出生の秘密を隠すために焚書させ古事記と日本書紀を作らせたと言われています。
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兄弟と言っても、当時は子は母に属すると考えられていたので、母が違えば結婚もOKな時代です。

母が違うとNGなのは、衣通姫伝説が興味深いでしょうか。

持統天皇と大友皇子は母が違うので、今風に言うなら親戚程度の感覚だったのではないかと思います。

天皇まわりは親戚だらけの近親相姦だらけなので、結構”おかしい”のが産まれていますw


近親相姦では、古代メソポタミアだったかの王は、自分の娘との間にもうけた一人目の男の子を跡継ぎにしてたとか。血でいうなら75%の継承になります。
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他の回答にあるように、どんな時代でも今と同じ感覚で見てしまっては、歴史は分からなくなります。


まして千年以上も前の話ですから、医学も科学も全然未発達の時代です。近親結婚が医学的によくないという発想が出てきたのは、恐らくここ100年程度か、せいぜい200年くらいのものでしょう。
むしろ当時は「高貴人は高貴な人と結婚する方がいい」という発想があったので、この後の時代を含め、近親者同士の結婚はオカシなことではありませんでした。なので持統天皇が叔父にあたる天武天皇と結婚したのも、歴史的に見れば不思議なことではないはずです。
まずは、そういう前提を理解しましょう。

その上で、血縁関係は間違っていません(あくまでも「定説では」という話ですが)。

>自分のきょうだいの大友皇子が壬申の乱で負けたのはおじさんの大海人皇子のせいなのに なんでそんな人と結婚したんですか?
順序が違います。弟が敗れた相手と結婚したわけではなく、壬申の乱が起こる前、即位前の天武天皇がかなり若い時、天智天皇すら即位する前に、結婚してるはずです。
腹違いの弟と夫が戦うことになったのは、結婚してずっと後のことですから、「なんでそんな人と結婚したのか?」という疑問は辻褄が合わないですよね。
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#1 にある「きょうだいの結婚」で分かりやすいのは, もうちょっと前の敏達天皇と推古天皇の組み合わせ (母が違う兄と妹) ですね.



ちなみに血族同士の結婚については特に日本に固有のものではなく, 「王族」がいる世界ではそれなりに一般的でした. まあ「おじ-おい」の組み合わせはあまり見ませんが (ヨーロッパでは教会的にアウトだったような気もする) 「いとこ同士」ならわりと普通です (家格の関係上選択肢が限られてしまうため).

逆にエジプト第18王朝 (ツタンカーメンとか有名ですな) はもうぐっちゃぐちゃなので調べてもわけがわかりません. これも血統的な問題 (ファラオは「神」なので基本「神の一族」としか結婚しない) や権力継承の問題 (ファラオを継ぐために自分の姉と結婚する, など) による場合もあったりしますが, そうでないようにしか見えないときもあるのでなんと解釈してよいものやら.
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当時の天皇家じゃ当たり前の血縁です



例えば
平安時代に一条天皇と言う人が居ますが
この人の奥さんは藤原道長の長女
そして この子供の三条天皇は自分の母の妹を妻にしています

明治に至るまで天皇家はこういう近親での血縁で皇統を維持してきたのです
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当時の天皇家は今みたいに近親婚とか制限が無かったので、叔父と姪どころかきょうだいの結婚すらありました。

但し、両親とも同じきょうだいの結婚はさすがに当時でも禁止されていたそうですが。今の基準で考えてはいけません。
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