プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

先の戦争で亡くなった方は日本人で330万人と聞いております。なんと言う惨状でしょうか?今更なにも始まりませんが、避けられたのでしょうか? 回避はできたとしても理不尽な要求を呑んで日本人としてのプライドも無くなっていたのでしょうか?歴史に”もし”は禁句ですが、色々想像しています。

A 回答 (15件中1~10件)

どこまで歴史を振り返るのかで変わってくると思います。



NHKの番組やその取材班の日米開戦の本などでは「南仏印進駐」を戦争不可避の分岐点としています。
私もその考えに賛成です。

そもそも、日本の大陸進出が先鋭化しなければアメリカと戦争になる事は回避できたと考えます。

1932年の満州事変ではアメリカを含め国連が日本の行動に反対しましたが、決定的になるところまではいきませんでした。

1937年に日支事変が起きた時も、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。
日支事変発生を受けての九カ国条約会議の開催で、中国側が日本への経済制裁を提案した時、アメリカは反対に回りました。
なぜなら、日支事変発生によって、日本も中国もアメリカから購入する戦略物資の量が増えたからです。
つまり、戦争する両者に物を売ってぼろ儲けする立場にアメリカはいたのです。
だからアメリカは一方的に中国に味方する事はありませんでした。

その状況が変化したのは、中国大陸で日本が中国を負かすため戦略爆撃を開始したからです。
当時、アメリカは中国に多大な投資を行っていました。
それが日本の空爆で被害を受けます。
アメリカは日本に中国での空爆を止めるよう何度も抗議しますが、日本は受け入れません。
怒ったアメリカは日本へ徐々に経済制裁を開始します。
始めは空爆を止めさせるための飛行機関連の輸出停止でした。
しかし、日本の空爆は止みません。
しかも、日本は空爆での民間被害の補償は行わない方針を打ち出します。
さらに、爆撃を強化すると通告し中国にいる外国人の安全も保障しない方針を打ち出します。
アメリカの苛立ちはつのり経済制裁を日本に段階的に行いますが、日本の行動は止まりません。
しかも大東亜共栄圏構想という日本の植民地拡大政策と判断される政策を打ち出してきました。
そこでアメリカは中国への支援に乗り出しました。

アメリカが中国への資金援助を開始したのは1938年12月という日支事変開始より1年5カ月も経った時点からでした。

その後も日本はアメリカを怒らせ続けます。
1940年9月にアメリカがイギリスと防衛協定を結んでドイツを潜在的敵と見なせば、その二週間後に日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結びます。
アメリカが敵と見なしている国と同盟を結ぶのですから喧嘩売ってるのと変わりません。
怒ったアメリカは鋼鉄の対日輸出を停止します。

最終的には南仏印に日本軍が進駐してアメリカを決定的に怒らせ、アメリカの対日石油禁輸となりました。
この南仏印進駐についてはアメリカは日本に対して警告までしています。
当時の日本の外相は南仏印進駐はアメリカとの戦争になるから止めた方がよいと主張しますが他の閣僚が甘い見通しで押し切ってしまいました。
そしてアメリカは石油を止め、日本は戦争の決断を。

アメリカによる段階的経済制裁の始まりの原因は日本の行動にあります。
アメリカの抗議を受け入れ日支事変での戦略爆撃を止めていたら。
また、日支事変の戦略爆撃においてアメリカに与えた損害について補償をすぐに行っていたら。
大東亜共栄圏構想という他国に日本の植民地拡大政策と捉えられる発表をしなかったら。
アメリカが中国を支援する事は無かったかもしれませんし、その後の日米開戦も避けられたかもしれません。
その後も
日独伊三国同盟を結ばなければ。
北仏印に進駐しなければ。
南仏印に進駐しなければ。
恐らくアメリカと戦争になる事は無かったでしょう。

アメリカのチャールズ・A・ビアードという歴史家の「ルーズベルトの責任」という本の中で、ハーバード大学のデートレフ教授がこの本の紹介文を寄せていますが、そこには
「日本がアジア大陸で膨張主義的な目的を追求した事からルーズベルト大統領は懸念を覚え、日本を押さえ込むために圧力をかけ始めた」と記しています。
この本を読めばルーズベルト大統領が表向きは不戦の姿勢を見せながらもハル・ノートという過度な要求を日本につき付け、日本を戦争へ追いやった事がわかりますが、その前に日本のアジアの膨張政策が問題であった事もわかります。

1941年8月1日、アメリカが日本に対し石油の全面禁輸を禁止を行いました。
その2日後、ニューヨークタイムズにギャラップのある世論調査の結果が載りました。
それは「アメリカは戦争の危険を犯してでも日本の膨張に歯止めをかけるべきか」というアンケートに対するものです。51%の人がYESと回答していました。
この時点でアメリカ国民も半数が日本のアジア進出に危機感を抱いていたのです。

そもそも当時のアメリカの好景気でした。

「ニューディール政策」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5% …

この上に貼ったウィキの「ニューディール政策」のところにあるアメリカのGDPのグラフと失業率のグラフを見ていただければわかりますが、戦争が開始される1941年12月よりも前の1940年以前において、既に世界恐慌前のGDPの水準に回復している事がわかりますし、戦争開始前に失業率が低下していっているのがわかります。
これはヨーロッパにおいて第二次世界大戦が始まったからであり、イギリス、フランス、カナダ等、連合国から大量の武器や物資の受注があったからです。
それだけではありません。イギリスはアメリカの軍需産業に投資を行い工場の拡大や設備の増強を求め、生産の拡大に動いています。
つまり戦争特需が発生していたのです。
自国が戦争を起こし戦争で経済を回復させるなどという必要はありません。
そもそも第二次世界大戦におけるアメリカの戦費は戦時国債です。つまり国の借金でしかありません。
それに一時的に景気が回復しても戦争が終われば軍需生産は萎みます。
その後は不況が来るだけです。実際、アメリカは戦後に戦後不況に陥っています。
上に貼った「ニューディール政策」のGDPや失業率のグラフにおいて、第二次世界大戦後に悪化を示しているのは戦後不況が起きたからです。
もし世界恐慌からの経済回復を目指して戦争を仕掛けさせる謀略を行うというのなら、そんな回りくどい事をしなくても1937年12月に発生した日本軍機によるアメリカ軍艦攻撃事件「パネー号事件」を利用していた筈です。
何せ、この時はアメリカ政府内から日本に宣戦布告するべきだという声が上がっていたのですから。

ともかく、日本がアメリカの敵視する独伊と日独伊三国同盟を結んだり、南仏印に進駐するなどの膨張政策を見せなければ、アメリカも日本に過度な要求を突き付け戦争に追い込んで来る事はなかったでしょう。

これらの事を考えれば、日本とアメリカの戦争を回避する可能性は南仏印進駐前までなら、その時、その時でありました。
日支事変での戦略爆撃の停止。
日支事変における戦略爆撃被害の補償。
大東亜共栄圏構想の公表を控える。
日独伊三国同盟の締結中止。
北仏印、南仏印進駐の停止。
そうした事が為されていたら、アメリカとは戦争にならず朝鮮も満州もそのまま日本の支配下で暫くは歴史も進んだのではないかと思います。

天皇陛下は日独伊三国同盟に反対していました。
また南仏印進駐にも反対で東条陸相に言いましたが受け入れられませんでした。
もっと天皇陛下の御意思を政府の閣僚が尊重していれば日本とアメリカの戦争は避けられたと思います。
    • good
    • 4

歴史にもしは禁句というのは根拠が無い与太話。


歴史でもしを考え現在において未来のもしもを
考えて行動することが肝要。

政治とは内部統治の意味とすれば戦争を避けるのは
外交力の分野。で当時だけどね・・・
日本人アメリカ移民に強大な排斥政策が法律で取られ

ていた事で判るように基本は黄禍論に有る。
アメリカの懸念は台湾や満州の経営成功に有る。
弱小日本国がアメリカに比肩する国家に大発展中・・・

間に合う内に潰そうと言うのは向こうとして当然。
それが外交。 発展妨害政策がアメリカの外交策。
そして個別の対処での要求となった。

発展妨害の最終手段が戦争である。
日本が発展を放棄しない限り外交で戦争を避けるのは不可能。
現代でいえば原子力は日本の発展手段である。

これを破壊あるいは放棄させれば日本の発展は無い。
外国投資なんて踏み倒せば良いんだからねー
それを避けるには会社に外国資本を入れざるを得ない。

で、日本の大会社に大きな外国資本が有るんだよね。
韓国と同じなのさ、少しはマシだがね。
国の利益は吸い取られ国民は窮乏して行くんだ。

国家戦略として避けられるかどうかは重要では無い。
どの時期にどのような戦争をするかが最重要。
真珠湾とフィリピンを攻撃しなければ数年は後と出来る。

東南アジアと大陸に主戦闘を行い3年で目的達成する。
海軍はドイツの要請に応えインド洋で戦う。
3年後はインド解放戦争を行いつつソ連に準備する。

航空機消耗はほとんど無いだろうから戦闘機10000機
でソ連に対峙可能。インド戦線は戦闘機3000機以上で
戦える。ドイツから技術導入して墳進戦闘機実用開始~

ここらでアメリカが出てくれば防衛戦で善戦出来たと思う。
もちろんインド解放軍はチャンドラボース最高指揮官で。
武器援助と航空作戦でインド解放戦。

つまり日本陸軍は主力でソ連に対処。海軍は基地航空隊の
援護のもとアメリカ艦隊を迎え撃つ。
敵艦隊を撃滅したうえでハワイ提供を条件に停戦し平和条約。

太平洋は日本の独壇場に・・・・かも。
    • good
    • 0

>太平洋戦争は政治力で回避できましたか?



「政治力」による回避はほとんど不可能だったと考えられます。

まず、当時の日本の体制は、天皇を頂点として内閣と軍とが並列の立場にありました。アメリカでは軍は大統領の下にありますし、今日の自衛隊は内閣総理大臣の下に位置してシビリアンコントロールが効いていますが、当時の日本軍は違っていました。

政府が外国と軍縮交渉などしようものなら、軍部が「統帥権の干犯だ」と猛反発して内閣が倒れてしまうような時代でした。また、中国大陸に駐屯している陸軍の現地部隊が軍上層部に断りも無く勝手に武力紛争を起こし、大本営も結果オーライなら現地指揮官の暴走を咎めなかったりして、外務省が対応に苦慮するといった事が日常茶飯事のような時代でした。

>先の戦争で亡くなった方は日本人で330万人と聞いております。なんと言う惨状でしょうか?

仰る通りです。誠に悲惨な結果です。ですが、考えてみて下さい。昭和十六年の秋から冬にかけて、対米開戦是か非かをめぐって日本の首脳部が激論を交わしていた頃に、330万人もの死者を出す事になると明確に想起できたでしょうか。アメリカと戦争をすれば高い確率で負けるという分析はできていました。しかし、死者330万人という予想はその時点では出なかったと思います。当時は日清・日露戦争の延長として戦争を考えていた時代だったからです。

当時の日本の上層部にも、何とか戦争を回避しようと懸命に取り組んだ人達が(昭和天皇も含めて)少なからずいたのですが、結局のところ「軍部の暴走」を「政治力」で止める事はできなかった訳です。


この種の問題について私の知っている範囲で詳しい本をご紹介しておきます。
事例研究 日本と日本軍の失敗のメカニズム 間違いはなぜ繰り返されるのか
中央公論新社刊
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784120044977
    • good
    • 0

金貸しは、襲って来るのです。

アメリカ大陸のデスティニーも金貸しの仕業中国共産化も金貸しの仕業そして、日本を襲わせ武力支配され強制的に徴兵されデスティニーされたのです。
    • good
    • 1

できます。



清朝末期に、紫禁城を落城させた後に、中国人に統治させたのが間違いで、み普通にG5で分割していれば、こうはならなかったでしょう。

日本=太平洋になったでしょうし、現在のように人口問題で苦しむこともなかったように思います。

また、世界に先駆けたレーダー技術を信用して、他国へ秘匿していれば、太平洋戦争で負けることもなかったでしょう。
※配線理由はレーダーの探知能力の差でした。

日中戦争で、度々停戦協定が結ばれたのにも関わらず、再びテロにより戦火が広がったのは、そんな中国人を信用した左翼政治家のせいです。
そもそも朝鮮併合も左翼政治家案でした。

国際平和、民族共存・・・耳障りは良いですが、そんなものは無理だったんです。
実際WW2以降は、民族独立、分離独立が山のように起きました。

ま~強いていえば、慶長・文禄の役の時に、朝鮮は滅ぼしておくべきでした。
そうすれば、明治時代に、挑戦の為に莫大な費用を立て替えてやる必要もなかったですし、ロシアが東征することもなかったんです。
ロシアがソ連化したのも、日本の左翼が工作したからです。

日本は鎖国な時ほど平和なんです。
    • good
    • 2

プライドというより、前代未聞の大不況によって、1000万人の人が失業して路頭に迷うことになると想像されたのです。

当時の人口8000万人と言われています。そのうち労働人口を訳5000万くらいで考えれば、どれたけ悲惨なことになっていたでしょう。「経済封鎖はもはや戦争である」というのが現在の認識です。
    • good
    • 2

 ごく単純に。



 政治力で戦争を回避できた可能性はゼロではありませんが、そのための最低限の前提として朝鮮半島・満州から手をひくことが必須条件となったものと思われます。当時の日本は米の15%と大豆等の豆類の50%を両地域に依存していましたので、ここから安価に食糧を入手できない(経済的にも参っていましたし)ことは、深刻な食糧難を招いたことは想像に難くありません。
 戦争にはならなくても経済崩壊、餓死者続出で内乱になっていた可能性もあるんじゃないですかね。なんせ当時の日本人は血の気が多くて、政府を転覆させかねない騒乱事件なんか頻繁に起こっていましたし。
 下手すると300万人以上の犠牲者がでていたかも。
    • good
    • 3

最も短期的な目で見れば、日独伊三国同盟が成立した時点で「詰んで」いたと思います。

それはあくまで歴史の後知恵にすぎませんけどね。ドイツといつか戦争をしなければならないと思っていたアメリカと、そのドイツと手を組んでしまった時点で虎の尾を踏んだといっていいでしょう。

では、ドイツと手を組まない方法はあったか?
実はナチスドイツは日本と戦争をしていた蒋介石を支援していて、そういう点では反日的でしたし、あのヒトラーも人種差別主義者なわけですからアジア人は劣等民族だと見下していたし、ヒトラー自身が日独伊が防共協定を結ぼうというときも「なんでアジアのチビと組まなきゃいけないのか」と反対していたそうですよ。
しかし、戦前の日本には「ソビエト連邦」という巨大な敵が存在しました。日独伊が手を組んだのは、実のところ「ソ連対策」であり、それは当時の日本にとっては喫緊の課題でした。「ソ連の脅威」というのは、今の尖閣諸島を巡る中国軍の脅威よりはるかに強烈だったのです。
ロシア帝国が崩壊し、内戦の中で生まれたソビエト連邦は、最初はとるに足らないウドの大木でした。ところがあの五か年計画をきっかけに、重工業国家として大成長していくのですね。
五か年計画が始まる前、1928年のソ連の鉄の生産高は330万トンでした。一方の日本の生産高は109万トンです。これが1932年にソ連は620万トンと倍増させるのですが、一方の日本の生産高は101万トンとむしろ減少してしまいます。これはあの世界恐慌の影響です。
工業力をつけたソ連は、トラクターなどを使った大規模農業もおこなって農業生産力もつけていきます。つまり、どんどん豊かになっていったのです。そしてその工業力の恩恵を直接受けるのはなんといっても陸軍です。ソ連陸軍は急速に近代化し、かつ数も増えて強力になっていったのです。トハチェフスキー将軍が、という話をすると長くなってしまうので割愛しますが、実は戦前のソ連陸軍はあのスターリンが粛清するまでは世界最強の陸軍国といって差し支えないレベルだったのです。あのドイツ陸軍の将校がソ連にお勉強に行ってた、というとご理解頂けるでしょうか。
このソ連の脅威を満州国国境で受け止めなければならかったのです。「とても日本一国では敵わない」と考えるのが常識的ですし、かつて日露戦争で日本は満州をロシアから奪ったわけですから、ソ連が「捲土重来」をするだろうと考えるのも常識でしょう。

また日本は日中戦争というのにも巻き込まれていました。ハルノートがどうこうとか、自分で書いておいてソ連の脅威がどうこうといったところで、直接的には日中戦争をやっていた以上は第二次世界大戦に巻き込まれないということが不可能であったと思います。
当時の中国は、今の中国の腐敗や不正が可愛く見えてしまうほど無秩序で無茶苦茶な状態でした。馬賊と呼ばれるゲリラが跋扈し、豪族みたいな連中がその馬賊を従えて私利私欲に突っ走っていたのです。当時の中国には租界と呼ばれる外国人居住区域があったのですが、それは中国人からすると「我が国にある外国の植民地」ですから、しばしば馬賊の襲撃を受けて欧米人も虐殺されたりしたのです。そのとき、彼らの最も身近にいる「話の通じる文明国の軍隊」というと日本軍であり、在留邦人保護というのもありましたから、日本軍はそれらの地域に治安維持のために出動するわけで、組織の統制のとれていない馬賊と違って日本軍は(まだ当時は)略奪などもしませんでしたから、中国租界の欧米人からは日本軍は大歓迎されてたのです。
当然そうなれば馬賊との戦闘も起きますし、そんなこんなでズルズルと泥沼の日中戦争に巻き込まれていったのです。
この日中戦争を政治で回避するのは非常に難しい。なにしろ、中国側の代表である蒋介石軍はとんでもなく腐敗した組織だったからです。後に第二次世界大戦になったとき、アメリカは蒋介石軍にも支援を行いますが、なんとアメリカが送った支援物資は途中であちこちから横領されて、前線に届く頃には1/10くらいまで量が減ったそうです。さらに訳のわからないことには、横領された物資はどういうわけか蒋介石軍の敵であるはずの赤軍(毛沢東軍)に売られることもあったとか。さすが中国人、根っからの商売人だなあ。いうとる場合か。

さて、先ほど日本の鉄の生産高が減ったことを書きましたが、その原因はあの世界恐慌です。戦前の日本は軽工業国家でした。現代日本の自動車に匹敵する主な産業は繊維業で、インドなどから生糸を輸入し、それを加工してイギリスなどに売っていたわけです。ところが、世界恐慌で欧米の輸出先がぜんぶなくなってしまった。それこそ国家存亡の危機だったのです。
それで日本はそれまでの課題でもあった重工業へのシフトを行おうとするわけですが、しかし当時の日本人の生活水準はまだ貧しくて、自動車なんかを買う経済力がない。イタリアだって自家用車があったんだから、戦前はイタリアのほうが豊かだったんです。また、小規模農家が多いし、地域あたりの面積も狭いのでトラクターなどの機械器具を使った大規模農業(コスト削減と生産量増加のダブルメリットがある)もできない。できる場所は唯一満州国だけです。そう、だから余計に満州国も手放せないのです。日本は戦前からすでに食糧輸入国なんですよ。植民地がないと国民が食えないのです。
だからそのために軍事力を強化したのです。軍艦は鋼鉄の塊ですし、戦車や大砲も重工業の賜物です。そう、恐慌後の軍需産業とは、「公共事業」に他ならなかったのです。国が失った需要を軍事という公共事業で下支えしていたのです。これは実はある程度成功し、日本は工業生産高を増やしていきます。特に鉄の生産高は30年代になって右肩上がりに増やしていきます。
その点から考えると、「世界恐慌が起きた」という時点で既に日本は第二次大戦に巻き込まれざるを得ない立場に置かされたといえるのではないでしょうか。それはもちろんドイツに関してもいえると思いますけどね。
    • good
    • 5

出来たでしょう



逆に当時の政治が今のように腑抜け政府だったら戦争は回避できたはず
    • good
    • 1

開戦までに外交でそのような状況になっていったというべきと私は解釈してます。



中国、アメリカなどの外交プレイヤーがいて、だんだん開戦せざるをえなくなっていった気がします。


暗黙知という言葉は、ライブドア事件などビジネスの話が全盛の時代を通過した現在なら普通の言葉ですね。当時も現在よりかなり情報が少ないとはいえ、陸軍などでもよぎってたのではとも思います。暗黙知という言葉が当時はなかったかどうかわかりませんが、よぎっても具体化されなかったのでは。

回避できないことは全くなかったというわけではないですけど、かなり狭い可能性だったと思います。

どちらかいえば、トップダウンで機敏な外交を展開してこそできたはずで、官僚層が部分最適的に実務をこなしていては後手にまわったのかもしれないような気もします。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!