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東西冷戦、つまりアメリカとソ連の対立の「本当の原因」に関してお尋ねします

よく「イデオロギー」・・・政治体制・・・だと思うのですが、が原因だと言われているようですが、でも、そんな政治体制の違いだけで対立するようには思えません

国家同士の付き合い、というのはハッキリと言えば経済的に「儲かれば」良いのであって政治体制のみで付き合えない、という事は有り得ないと思うのです

では、何が「原因」なのか?

と、言えば、その政治体制の違いにより「貿易」が非常にしにくくなり事実上「貿易」出来ない為ではないでしょうか?

こうなれば「一大事」です、富を搾取出来なくなる訳ですからね。

と、思うのですが「本当の原因は何なのか?」詳しい方、おられましたらお願いします

A 回答 (4件)

質問者さんの解釈で、概ね正しいと思います。



第二次世界大戦の前は、日本も含め「列強」と呼ばれる各国を中心に、植民地支配などを進め、世界の利権争奪戦をやっており、各国の利害が、複雑に対立しまくってます。
その終着点が第二次世界大戦であると言っても良く、特に太平洋戦争はまさに典型ですね。

その中でソ連は、ロシア革命からソビエト連邦の成立と言う激動の時代を迎え、思想的,政治体制的にも資本主義陣営と対立すると共に、利権争奪戦に出遅れちゃいました。
終戦直前に、ようやくドイツや朝鮮半島と、不可侵条約を締結していた日本にまで食指を伸ばしたものの、時すでに遅しで、戦後に蓋を空けてみれば、目ぼしい利権は殆どが西側陣営に帰属・・と言う状態です。

一方では英仏あたりも列強として、戦前は利権争いに明け暮れていましたが。
しかし戦後は保有していた利権の多くを失うと共に、戦時中は連合軍,戦後は戦勝国と言う関係になり、逆にこの一連を通じて最も利権を獲得したアメリカを筆頭とする、「西側陣営」と言うスキーム構築に至ります。

さすがに戦後は各国は疲弊し、また厭戦感が蔓延していましたので、アメリカ(or 西側)VS ソ連の戦争にまでは至りませんでしたが。
西側としては、獲得した利権の安定化を図りたいと言う思惑に対し、少しでも出遅れを取り戻したいソ連は、事ある毎に各地で火種を撒き、西側陣営の利権安定化の妨害や崩壊を画策したのが「冷戦構造」の根幹です。

尚、昨今は、経済力を有した中国が、旧ソ連と同様の役割を担ってますね。
また現在のロシアも、基本的に立ち位置は変わってませんので、中国の合間に、ちょくちょく悪さを続けてます。
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この回答へのお礼

>西側としては、獲得した利権の安定化を図りたいと言う思惑に対し、少しでも出遅れを取り戻したいソ連は、事ある毎に各地で火種を撒き、西側陣営の利権安定化の妨害や崩壊を画策したのが「冷戦構造」の根幹です

なるほど「利権」がらみでの冷戦ですか、その利権なるもの我々素人には今一つピンと来ない為、解り難いのかもしれませんね

ありがとうございました

お礼日時:2015/02/17 15:41

本当の原因は権力争いでしょうね。


宗教でもそうなのですが、権力欲が宗派をどんどん作っていきます。
考え方が違うというよりも、新しく作って、そこの権力者になりたいからです。
政治も同じ構図だと思っています。
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この回答へのお礼

なるほど「権力」争いですか、人も国家も同じ事。ありがとうございました

お礼日時:2015/02/17 15:42

共産主義・社会主義と資本主義・自由主義の闘いですね。

1945年から1989年までの44年間続きました。対立の根を遡ればロシア革命にまで遡りますが、区切るとすれば発端はヤルタ・ポツダム会談あたりからです。

戦争によって大きな損害を蒙った西欧諸国において、共産主義の伸張が危惧されるようになりました(フランス、イタリアなど)。共産主義者は政府を武力で打倒してドミノ的に独裁政権(共産党一党独裁体制)を作ろうとしますから、西欧の価値観とは相容れなかったのです。そこで米国を中心に生まれたのが「反共・封じ込め政策」。東西の対立点は「貿易」などではありません。

東欧諸国のうちルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、スロバキアにはソ連軍が進駐し、共産主義勢力を中心とする政府が樹立されました。ポーランド、チェコスロバキアにも飛び火しました。ドイツとオーストリアは、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連が分割して占領統治しましたが、ご存知のように東西ドイツに分断されました。

アジアでは中国が内戦の結果共産主義国となりました。東南アジアでも共産主義が勢力を伸ばしました。朝鮮は分断された後、朝鮮戦争が起きました。米国はフィリピン、日本、韓国、台湾、オーストラリア・ニュージーランドと同盟を結びました。

核兵器開発と宇宙開発競争が行われました。が、1953年、スターリンが死去した後でキューバ危機(1962年)などをきっかけに雪解けが進みました。

現在ではロシアも形式的には資本主義・自由主義の国ですが、昔のプライドがあって心底和解には至っていません。西側が東進してロシアを圧倒したためウクライナの政変をきっかけにロシアの軍事も絡めた反抗が始まっています。

備考:米国は中国を平和裏に資本主義・自由主義体制に飲み込む考えでしたがどうやら無理と分かって、今では軍事対決も辞せずという気分が生まれています。
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この回答へのお礼

>米国を中心に生まれたのが「反共・封じ込め政策」。東西の対立点は「貿易」などではありません

「貿易」ではありませんか、封じ込め、となれば、さまざまな要素があるのかもしれませんね

ありがとうございました

お礼日時:2015/02/17 15:37

基本的には「世界の覇権争い」以外の何物でもないでしょう。



南北朝鮮や南北ベトナム(これらは実際に戦場となりましたが)をはじめ東西ドイツを含めた東欧・西欧でのいわば「親ソ国家」対「親米国家」という云わばグループ作りをお互いにしていたわけです。
中でも当時は発展途上が多かった中南米やアフリカやアジアでの親ソ・親米政府の成立を目指していたと思われます。
(中国は共産社会主義国家ですが、アメリカよりはソ連寄りではあるもののソ連とも一線を引いていました。)
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この回答へのお礼

>「親ソ国家」対「親米国家」という云わばグループ作りをお互いにしていたわけです

グループと言われれば、経済のみならずさまざまな事柄で結びつくんでしょうね
その結びつきをされれば非常に不味い!という事なんでしょうか?

また、私の質問で「政治体制が違えば、事実上の貿易が出来ない」と、いうのは間違っているのでしょうか?

両国共、非常に「激しい」争いをしていましたね、という事は、それなりの「理由」がある!と思うのです、その訳を正確に知りたい、と思っています

お礼日時:2015/02/17 10:29

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