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武士の一分、女の一分などと使われるときの一分はイチブンと読んで、面目とか、名誉、体面として使われるそうですが、なぜ一分にそういう意味があるのでしょうか。
イチブと読むときは「ごくわずかな」たとえとして使われるそうですが、これは重さなどの単位である○割○分○厘の分(ブ)なので理解できます。たとえば、「一寸の虫にも五分の魂」など。
しかし、イチブンに面目等の意味があることがよくわかりません。
どなたか知っている方がいましたら教えてください。

A 回答 (2件)

素朴ながら、言葉の本質を考えさせる、良いご質問ですね。



「分」は本来、「分ける」と言うより、分けた結果「最後に残る1個」みたいな意味なんですよ。
言わば「最小単位」ですね。

それゆえ「ごくわずかな」と言う意味になったり、数学的な概念も含む言葉なので、数学の「分数」などにも利用されているのでは?と思いますが。

他の熟語と併せて考えると判り易いです。
たとえば「自分」にも「分」が付きますが、「一個人で、それが自ら」みたいな感じかと。
あるいは「本分」なんてのは、ある存在にとっての「本質的な一個」で、非常に大事な事柄などを指します。

では「一分は?」と考えますと、「一番目の一個」「No.1の一個」とかでしょ?
従い、たとえ「ちっぽけ」でも、「これだけは絶対に譲れません!」みたいなモノで、すなわち面目とか名誉を指す言葉になるワケです。

尚、これは個人的意見ですが、「プライド」と言うよりは、和テイストの「曲げられない意地」みたいな感じがします。
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「分」は我が身そのものという意味があります。


おのれ自身、一つの身、つまり一分です。

分不相応などと言います。この場合の「分」は身分とか地位の意味。
分をわきまえないこと。自分の身の丈を知らないこと。
自分の地位以上のものを望むとそう言われます。

過分な○○を頂き、身に余る光栄です。などと言います。
「過分な」は分に過ぎる、つまり自分には不相応に結構な扱いを受けて恐縮するといった意味ですね。

分が身分とか地位、名誉、身上を表す言葉であれば「面目」と解釈するのも頷けます。
「一分」は一つの我が身。「武士の一分」と言えば命をかけてでも守るべき武士の面目。
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