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テレビでタルタル様をみてて思いました

中国は韓国を属国としていたようですが

これは侵略されたということですか?
韓国が進んで属国になったのですか?

属国といっても完全に支配されてる国だったのでしょうか?
年貢的なものもありましたか?

歴史的に言えば韓国は中国の領土といえますか?

A 回答 (7件)

5番回答者です。

訂正します。

 第3代王太祖 ・・・ ×
 第3代王太宗 ・・・ ○
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現在の韓国の国旗は別名を大極旗と言われています。


現在のWikiには、その原型になった旗の画像があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93% …
百聞は一見にしかず。まず一度ご覧ください。
「初期の大極図」の右側に旗が3つあります。
この真ん中の黄色い旗の上には「大清国属」と書かれています。
この時期には、朝鮮は中国に属していることが常識でした。



朝鮮時代、朝鮮は中国の冊封体制に組み込まれていました。
これは、伝説とされる衛氏朝鮮が燕の配下にあった時代から
殆どの場合、王朝が交代する毎に冊封を受けるのが通例でした。
冊封体制は、中国皇帝と形式的に君臣関係を結ぶことにより、
中国を中心とした文化圏に所属することを許されました。
中国に対しては、朝貢や元号の使用が義務でしたが、
他国からの侵略に対しては中国が救援することになります。
中国の一部ではありませんが、中国を中心とした華夷思想による
中国文明に所属することで、非文明国との差別化を目論みました。
形式上の朝貢から、中国の強い影響下にあるように見えますが、
実際は独立国に近い裁量権が与えられていました。
このため、朝鮮は中国の領土ということは難しいです。
ただし、彼らは「大清国属」と書くように、中国の冊封体制に
組み込まれていることが誇りだったのです。



朝鮮が中国の影響から脱して真の独立国になったのが、
1897年の「大韓帝国」です。
これは、日清戦争によって中国の影響力が低下したもので、
下関条約の第一条は、中国が朝鮮の独立を認めることでした。

今の韓国では絶対に認めないでしょうが、
実は朝鮮が独立できたのは日本のおかげでした。
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タルタル様って、何ですか? と思いましたら、 NHK BS放送で放送中の韓国時代劇ドラマ『奇皇后』に出てくる架空の登場人物のことなんですね。


 高麗(こうらい)の時代のお話ですね。高麗は元(げん)という国(モンゴル人が建てた国)に攻め込まれ、30年以上頑張って戦争をしましたが、とうとう負けて、元(げん)の属国になりました。属国ですので、元(げん)が親分(おやぶん)で、高麗国が子分(こぶん)です。子分は親分のいうことをきかないといけません。
 属国になって、元(げん)から貢物(みつぎもの)をいろいろと要求されました。いろいろな物品を要求されましたが、貢物の中に処女の女の人も含まれていました。女の人が、物(もの)だったのです。「今年は何人の処女をみつぎなさい。」と、元(げん)の皇帝様から命令が来ます。
 あまり地位の高くない貴族か地位の低い貴族の家の娘が選ばれることが多かったのですが、娘のお父さんとしては自分の娘がみつぎものにされるのはイヤ。何だかんだ言い訳を作って出さないようにしましたが、しかたがないと自分が所有してる奴隷(朝鮮半島にはずっ~と長く奴隷制度がありました(1885年くらいまで)ので)の娘を「私の娘です。」とウソついて差し出したり、なんてこともありました。
 そのため、貴族の娘も他の身分(みぶん)の娘も貢物(みつぎもの)にされないために早く結婚する「早婚の風習」が生まれました。結婚してる女は貢物の対象にされなかったからです。女は12・3歳くらいになると結婚しました。それに合わせて、相手の男も早く結婚するようになり、同じか女より少し幼い歳で結婚するのが普通になりました。そのため、初夜に新郎が寝小便をし、新婦がオシッコの染みた布団を前に「どうしよう」と困った顔をする、ということが少なからずあったそうです。新郎が今でいう小学校高学年ですからね。
 高麗(こうらい)国の後を継いで朝鮮半島にできた国である、朝鮮国も元(げん)国の後に出来た明(みん)国や清(しん)国の属国になり、同じように処女を毎年貢いだので、この早婚の風習は朝鮮国が滅亡する20世紀初頃まで続きました。
 貢物(みつぎもの)として元(げん)に送られた「貢女(こうじょ)」の一人が、このドラマの主人公ですね。貢女なんてことばは日本語にはないことばです。
 物(もの)として送られた貢女は、煮て食おうが焼いて食おうが元(げん)の勝手。どうなったかはよくわかっていません。一番多かったのは、元(げん)の兵士のお嫁さんにあてがわれた例が多かったのではないかといわれています。韓国人研究者の説なので、悲惨な末路を迎えた人が少しでも少ないほうがいいからと希望的観測でそう言ってるのかもしれません。
 貢女の中で一番出世したのが、このドラマの主人公、奇皇后です。「物(もの)」から皇帝様のおきさきに。すっごいシンデレラストーリー。
 他には、李氏朝鮮の第三代王、太祖が明(みん)の皇帝から「朕の側室候補を差し出せ」と命令を受けて、太祖自らが選抜会に出て選んだ貢女の何人かが明の皇帝様のお気に召して側室になった、という例があります。これが奇皇后の次に出世した例です。明の歴史書に残っているそうです。韓国の国営KBS放送局の歴史ドキュメンタリー番組でやってました。
 (この時も貴族の娘たちは貢女になりたくないので、地方ごとの役所に集められて役人の前に出ると、急に上を見てヘラヘラ笑ったり奇声を発したり、急に足を引きずって障害があるフリをしたりで、朝鮮全土で選抜をやったのに一人もまともな女性が現れなくて、明(みん)から「どうなってるんだ。早く差し出せ。」と怒られて、とうとう太祖王自らが選ぶ仕事をするということになりました。『朝鮮王朝実録」という歴史書の太祖のところに書いてあります。『朝鮮王朝実録』はユネスコの世界記憶遺産に登録されていますので、「そんなこと書いてない」とは言えません。)

 高麗からは先記のようにいろいろな貢物を差し出しましたが、親分の元(げん)からは高麗の政治を行う役人と軍人たちがたくさんやって来ました。高麗が謀反(むほん)の心を起こして「子分でいるの、やめます。」と言わないように、高麗の政治軍事を見張るためです。
 元(げん)の役人たちは高麗王のすぐそばで、高麗王のやる政治にいちいち口を出し、高麗王が元(げん)皇帝の言う通りにするように「指導」しました。属国ですものね。
 そのまま朝鮮半島にとどまり、中国大陸へ帰らなかった元(げん)の役人・軍人も結構いました。
 国連のパン・ギムン事務総長の祖先もこの高麗時代に元(げん)から来て、帰らず帰化した人です。先祖はもともと今の中国の河南省が出身地です。
 バンクーバーオリンピックのスピードスケートで金メダルを取ったモ・テボム選手の祖先も元(げん)から高麗に派遣されてきた人です。

 また、ドラマに出てくるだろうと思いますが、高麗国は次の王様を誰にするか決めるのに高麗国自身で決めることが出来ませんでした。元(げん)の皇帝様が決めました。
 日本が次の天皇を誰にするか決めるのに外国の皇帝にお伺いを立てて決めてもらいますか?そんなことしませんね。朝鮮半島では19世紀末まで、次の王は中国大陸の親分様が決めていました。属国だとこうなるんですね。
 高麗や李氏朝鮮の高官、王族は自分たちに有利な人を次の王に決めてもらいたくて、元(げん)や明(みん)、清(しん)の皇帝の取り巻きたちにワイロを送って工作しました。

 また、元(げん)からは皇帝の娘(皇女)が高麗王のおきさきとしてやって来ました。属国になって以降、高麗の王は元(げん)の皇帝の娘をお嫁さんにしないといけないという決まりが出来たのです。つまり、高麗国の王は元(げん)皇帝のおむこさん、ということになります。
 次期高麗王は小さい時から元(げん)の首都である大都で暮らすことを強制されました。皇帝の娘、皇女をお嫁さんにしての新婚生活も大都で送りました。王に即位するときにやっと高麗にお嫁さんと一緒に来ました。
 皇女であるお嫁さんのお世話をするために元(げん)の宮廷からたくさんの女官も一緒に来ました。皇女や元(げん)の宮廷女官たちが持ち込む元(げん)の最新ファッションが高麗のトレンド(潮流)になりました。
 韓国で伝統的婚礼衣装とされている服装も実はこの時代に元(げん)から来たモンゴル民族の婚礼衣装なのです。よく焼肉屋さんの入り口なんかに飾ってある、ガラスケースに入って青い服の男の人と赤い服の女の人が自動でお辞儀してる人形、あの服装です。実はモンゴルから入った文化なのです。
 このように、血も文化も朝鮮半島には中国大陸から入ったものがいっぱいあります。
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>これは侵略されたということですか?



侵略されかけたけど白旗を上げて属国になりました。

>韓国が進んで属国になったのですか?

苦肉の選択でした。

> 年貢的なものもありましたか?

はい、ありました。
朝鮮は中国に宦官と貢女を貢ぐ朝貢国家でした。これは貢女(こんにょ)と呼ばれていて長い間朝鮮が中国に貢いでいたのです。

> 歴史的に言えば韓国は中国の領土といえますか?

いえ、そこまでは言えません。属国ですが、一応別の国でした。

日本は朝鮮に四度も頼まれて併合の形になりました。併合は莫大なお金がかかるから中国が朝鮮にしたように保護国としてそのままにしておきたかったんです。しかし繰り返し併合を頼まれて仕方なく併合しました。
併合後、後進国そのものであった朝鮮にインフラを整備せねばならず莫大な費用が必要でした。日本は東北地方を見殺しにして朝鮮に資本投下しました。日本人の名前が欲しいと言われて与えました。つまり日本は四度も頼まれて仕方なく朝鮮を併合することになりましたが、日本と同じようなレベルの国にしてあげようとして、その親切心が裏目に出ました。
日本は、
1.無理矢理日本語を押し付けた。
2.無理矢理日本の名前を押し付けた。
と恨まれています。
冗談言うなよ。韓国人は日本人になりたがりました。軍隊だって朝鮮人に門戸を開いたところ、強い日本軍に憧れてたいへんな競争率になったんです。それを今になって「無理矢理徴兵された」などと言っています。
なにが「日本は歴史を認識せよ」だ。本当の歴史を知らねばいけないのは韓国人です。
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韓国(=朝鮮)とします。



そもそも、朝鮮はどのようにできたのか?

元々は、倭との交易のために、関所として楽浪郡を中国が設けました。
で、ソウル(漢城)と平壌に城を構えます。
それは、当時は人扱いでなかった濊(わい)人からの略奪に備えたからです。

当時の国境は、燕(えん)といって、中国の山東省の黄河河口の万里の長城の関からでした。
なので、ソウルや平壌は飛び地ですね。
後漢末期に、燕の太守の公孫度が、この楽浪郡に進出し、征服しました。
で、漢から独立しますが、魏に駆逐されます。
以降、度々酋長が蜂起しては、中国の王朝に駆逐されます。
高句麗が大きな蜂起を起して山東省まで攻め込みますが、やはり駆逐されました。
その時に、初めて楽浪郡の一部の統治が認められます。
これを契機に、朝鮮内では”中国王朝に冊封を受けることが命題になりました。
しかし、後にも先にも、人扱い(王)にしたのは日本だけです。
日本は邪馬台国の時代から中国で唯一の対等な王国でした。
後漢でいうところの蜀や呉と一緒です。
ハンコで例えると、日本は金印。
韓国は銅印です。
で、王とは自称していますが、実際は酋長クラスの話です。

今一生懸命沖縄で建ててる龍門と同じように、中国からの使者を迎える門まで作って、貢いでいました。
というか、何か子供が生まれたとか。王の世代交代の旅に貢いでいました。
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今の、アメリカと日本の関係みたいなものです。

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>中国は韓国を属国としていたようですが


 正確にはしてません。
 この場合の『中国』は中華人民共和国ですが、建国は1949年10月1日です。
 最近の国でアリ、韓国も建国は1948年9月9日も最近の国です。

 中国大陸で発生した国家群が朝鮮半島に発生した国家を属国とした
 というのは正解です。
  国家で言えば清と李氏朝鮮がそれに該当します。
 完全に支配されていましたし、年貢(正確には朝貢)もありました。

>歴史的に言えば韓国は中国の領土といえますか?
 言えないこともありません、がそうなるといったもんがちになりますよね?
 清は中国の北方民族(満洲族)の愛新覚羅氏が立てた国ですし
 元はモンゴル族です。
  そうなると中国に固有の領土なんてものはなくなります

  極論からいえば、1度でも支配すれば固有の領土となると
  東南アジアからロシア、中国、ポーランドに至るまで モンゴルの固有の領土といえまますし
  ヨーロッパ全域からアフリカ北部全域はイタリア(ローマ帝国)の固有の領土となります。

もし中国の言い分を全部認めるならハワイから西(日本を含む)、ロシアを含む東ヨーロッパ、インドに至るまで地球の半分は中国国有の領土になります
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