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ヒンドゥー教や仏教等に詳しい方、若しくは独自に理解している方でも構いませんのでご教授下さい。
最近、仏教(釈迦)の教えから派生しヒンドゥー教に興味を持って調べております。
その中で宇宙の根本原理「ブラフマン」が有ると思うのですが、これら「理論」や「智慧」「考え方」そのものが何故「梵天」の様な形で擬人化されてしまうのでしょうか?
「ブラフマン」という形而上の物が擬人化されてしまう事により、自身としてはとても理解が難しい物になってしまうのです。
自身の勉強、理解が浅い為にこの様な思いになっているのかも知れませんが、皆様それぞれの意見を伺えれば幸いです。
宜しくお願します。

A 回答 (5件)

どうも流れ的には、ブラフマンが宇宙原理などの観念的な存在で有ったと言うより、そのような考えに至ったと言う方が理にかなっているようです。


つまり、ブラフマン→ブラフマーは、バラモン教においてバラモン(ブラフマー)による祭司宗教の為に必要だったわけですが、ブラフマン自体も観念的な存在では無く、何かを実行できる存在として認識されていた可能性が高いのではないでしょうか?
バラモン教、仏教、ヒンドゥー教では、在家、出家は四住期によって定められています。
仏教以外は、カーストも維持していますから、出家できるカーストも決まっているわけです。
これ自体は、何か問題があるわけでは無く、教義上の問題で、社会生活を維持する為には、必要な制度です。(カーストの意味については無視した場合)
祭司宗教である以上、なんらかの本尊は必要だったわけで、バラモン教においては、ブラフマー(及びブラフマーの力を持つ祭司)を具現化する必要があったと言う事でしょう。
初期仏教においては、小乗なわけですから、それらは不要でした。(サンガ内のみで解脱を目指していたと言う意味です)
ヒンドゥー教では、バラモン教を中心としながら、仏教の一部を取り入れながら、バクティを中心とした教義が生まれて行ったわけです。
基本は、三位一体の、ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーの各神を信仰する事になったわけです。
バクティは、それぞれの一神への絶対帰依が必要ですから、自ずから神格化した存在が必要だったと言う事です。
三位一体のそれぞれの神は、ブラフマンから生まれ、ブラフマンと一体なわけですから、特にブラフマーに限定する必要は無いとも言えます。(それぞれの神は宇宙原理と一体だからです)
六派哲学においては、ヴェーダーンタ学派が不二一元論から、ブラフマンは無属性な存在として認識する事に到達しています。
やはり、在家と出家でわけて考えるのが妥当なのではないでしょうか?
在家は、社会活動を維持しながら、業を減らす為に神(又は仏)に帰依する事を生活の規範とし、出家は、解脱に至る道を極めるのが生活規範なわけです。
それぞれの信仰は、一見違って見えていても、それぞれの立場においては同じだとも言えるでしょう。
自分が為すべき正しい道を歩んでいるわけです。
神格化されたものが必要かどうかは、信仰者の立場によると言う事でしょう。
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仏教的に言えば、「方便」と言うヤツかと考えますが。



仏教用語における方便は、「真理(悟り)」に至る前に、真理を判りやすくするための「仮の悟り」であって、言わば「ウソ(ニセ)の悟り」なので、「ウソも方便」と言うのですが。

それはさておき、特に仏教は「衆生(極論すれば全ての生き物)」を救済する宗教であって、人間に限って言えば、知識層から無学な者まで救済せねばなりません。
従い、仏教理論を誰にでも判りやすく説明するために、原理や概念を比喩的に表現したり、擬人化なども用いられたものと考えます。

もっとも、これは仏教やヒンドゥー教に限ったことでは無く、キリスト教など大衆に受け入れられた宗教の殆どは、宗教概念を「エピソード」や「たとえ話」などにもして、判りやすく伝えていますね。
極論すれば、ブラフマンを概念として伝えるよりは、スーパーマンとして登場させた映画でもを見せる方が、信者が増えそうですから。

従い、ご質問の様な部分は、学術的な宗教学や宗教理論と、信仰としての宗教を、区別して考えるべきではないでしょうか?

言い換えますと、ブラフマンの擬人化は、低学年向けの「つるかめ算」みたいなモノで、数学的な「連立方程式や因数分解への入口」とでも考えればどうでしょう?
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この回答へのお礼

方便の例えは非常に参考になりました。
ご回答頂きありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2015/06/04 13:37

補足:


>元々そのような存在がいた、という史実も有るのですね。
史実と見るか否かは、人それぞれ、教団次第でしょう。幾多の化石によって時代が検証される現代において、そういった話を信じられるかどうか。。この点をお忘れなく。
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簡潔に述べるのならば、


1 わかりやすい、理解しやすいから
2 親しみがもてるから
の2点からでしょう。

ブラフマン(梵)は、そもそもバラモンの祭式や祭式原理(オマジナイの原理)に深く関係していて、実は結構、胡散臭い存在なんだよね~。
魔術や魔法の源泉、神々に勢力を与え、その勢力を顕現させるもの、こういったニュアンスのものが、そもそも、ブラフマンであった。
後に宇宙の真実在、最高原理と見なされるようになったけれど。
元々、宇宙の創造主や創造神じゃなかったしね、ブラフマン。
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この回答へのお礼

ご回答頂きありがとうございます
なるほど、元々は胡散臭い部分も否めないのですね^^;
参考にさせて頂きます。
ありがとうございました

お礼日時:2015/05/28 22:40

ヒンドゥー教にもいろいろ有って、ある一派では擬人化とは捉えていませんでした。

実際にそういう人物が居たのだと主張しています。
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この回答へのお礼

なるほど、擬人化というより元々そのような存在がいた、という史実も有るのですね。
参考にさせて頂きます
回答頂きありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2015/05/28 22:41

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