プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんばんは。質問というより相談が近い気がしますが、質問させてください。

私は中学生の時不登校でした。理由はよくあるいじめというやつです。その時、私は適応指導教室に行くことになりました。そこで、Aという友人と出会いました。Aは、中学も行っていない私に正しい(?)性教育や、当時黎明期だったインターネットの使い方などを教えてくれた先輩でした。
ところが、この先輩は受験生になると、学校に戻ることになります。理由は真偽は不明ですが、当時の受験生は、大体3年生になると学校に戻る風習のようなものがありました。
ところがAは、4月に学校に戻り、5月、6月と自殺未遂をし、私が止めに行きました。当時私は中学二年生でした。ところが私は、二度目の自殺未遂事件で、Aを見捨ててしまったのです。
少し話は戻りますが、Aには妄想癖がありました。(後で知ったことですが、彼女は解離性障害でした)私はその非現実的な話を聞くことも、それに合わせた世界観を考えることも、楽しくもあり苦痛でもありました。
話を戻します。結果的に、Aは9月に自殺しました。私たちには心臓発作と伝えられましたが、生徒たちは自殺だと気づいていました。その時、私は将来適応指導教室を作り(この頃は適応指導教室とフリースクールの定義が曖昧でした)、学校に行かなくても社会で働き、生きることができる人間を作る、つまり、学校に戻すことを目的としない場所を作るために、臨床心理士になることを決めました。本当は教師になるのが一番の近道だったのですが、私にとって教師はAを自殺に追いやる風習を作った殺人鬼、学校という組織は、私たちを篩にかけてゴミ屑のように弾き飛ばす非道な組織と認識していたのです。
その後私は、Aと私を主人公にしたノンフィクション小説を書き、自費出版直前まで行きましたが、Aのご遺族が原稿を見て大激怒し、怒鳴り込んできて泥沼になってしまいました。結局、Aの仏壇に選考をあげに行けたのは、死後一度きりです。
更に同じく、私自身もAと同じように解離性障害を発病し、Aと同じように自傷行為を繰り返すようになりました。その為に、当時所属していた劇団も劇団員からも「死にたきゃ首を切れ、楽になれるから」などと罵倒されて追い出され、親戚からは自傷行為をやめられるという宗教勧誘が続き、死ぬに死ねない、ご先祖様に顔向けができないなどと暴言を言われました。その時の悔しさや悲しみが、今の私の原動力です。

そして現在、私は心理系大学を卒業し、現在は院浪人のため予備校に通いながら、教員免許のための大学にも通っています。教員免許は、教師にならなくても取れるということで(つまりフリースクールで働くためにとっても良い)とのことで、自分を必死になだめて取る決意をしました。それほど、私は教師が憎かったのです。

ところが最近、その大学の進路(どの教員免許を取るか)を決める際に、適応指導教室の恩師と話をしたのですが、最近の不登校児は、私が不登校だったころとは違い、積極的に勉強し、積極的に学校に戻ろうとしているという風潮があるそうです。
正直戸惑いました。私の将来の目的は変わりませんが、もし資格を取っても、私の考え方が化石であれば、いえ、そもそも不登校という言葉すらなくなっていたら、私は、私のように苦労し罵声を浴びている子供たちを救うという目標がなくなってしまいます。しかし裏を返せば、私が職に就くには、その様に学校からはみ出した不遇な子供がいる必要があります。

私の考え方は間違っているのでしょうか。不登校=家の恥という時代がなくなったのは喜ばしいことですが、もう不登校という言葉すらないのでしょうか。考えがまとまらず困っています。

現役の不登校の方、あるいはフリースクール、適応指導教室の教員の方に特にご意見を賜りたいと思います。

質問者からの補足コメント

  • 申し訳ありません、書き方が悪かったようです。
    私の考え方では、子供たちを救えない、親御さんの力になれない(=今勉強していることが無駄になり、検討違いの方向に行っている)のかと心配しているのです。
    もし現代の状況で、10年も立てば不登校事情が変わり、臨床心理士や教員免許の他にとらなければならない資格ややらなければならない勉強がないかと不安なのです。不快な思いをさせてしまい申し訳ありません

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/06/08 11:33
  • とても詳しくありがとうございます。
    Aの死は今でも思い出すと見捨ててしまった後悔と当時の学校主義に歯向かえなかった悔しさで我を忘れてしまいまうくらいに焼き付いています。そのために、私自身が学校に戻りたい子供を自分の教室に縛りつけないか、それが一番の不安なのです。幸にも学びの機会が多いので、私は自分の理想を追いかけ、Aという少女が確かに私の人生にいたということを天国のAに伝えたいと思います。
    もう少し他の方のご意見を聞きたいと思います。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/06/08 13:44

A 回答 (3件)

過去に不登校の経験あり。


社会人になってから、不登校生徒を集めた相談学級にボランティアとして不定期で参加。
教育委員会の管轄なので、指導教室と同じような学級のはず。
教員ではないので詳しくは知らないが。

#1の方もおっしゃっているが、不登校も多様化しているのは現実。
また、不登校でもそれを苦しんでいない生徒がいて、それを受け入れる家庭もいるのも事実。

質問文を見る限り、質問者の不登校に対する定義というか価値観のようなものが、自己の経験によって固定化されているように見える。
一言で言えば、固定概念で固まっている。
まだ学生なのだからこれは当然ともいえるので、今後の成長の伸にしろとも言えるだろう。


指導教室は今後も必要な存在だと思う。
ただし、現状のままの形であれば、多様化する子どもたちに対応できずに、指導教室でもふるいにかけられてこぼれていく生徒が増えて行くのではないか。
質問者が目指している「形」も一つだろうし、それにマッチしない不登校生徒がいればその生徒を受け入れられる指導教室も必要だろう。

私が誘われて参加した指導学級では、こういった多様性の一環として、教員でも何でもない外部の「大人」を招へいして不登校生徒と関わらせるというもの。
他にもいろんな取り組みをしていた。
そこは本籍校に戻らなくても構わないというスタンスでもあったので、独自に卒業式を行っていた。
全員が感極まりながら卒業の言葉を一人一人述べる、親や関係者など参列者も涙ぐむ、とても良い式だ。
生徒たちにとって学校はここであり、本籍校ではない。
だから戻ることを望まない。
私の知る限りはそこの生徒たちはみんな高校では不登校ではなくなっているそうだ。
結果、その指導学級にいた生徒たちは、中学校時代は不登校のままなので、本籍校へ復帰させるという指導学級の目的は達成していない。
しかし、生徒たちにとっては最高の学校だったのではないかと思う。

不登校の原因や理由に応じていくつかの指導教室を選べるようになれば、きっと苦しむ生徒も減るのではないか。
質問者は自分にできる指導を実現できるように今は勉強すればいいと思う。
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>最近の不登校児は、私が不登校だったころとは違い、積極的に勉強し、積極的に学校に戻ろうとしているという風潮があるそうです。

正直戸惑いました。私の将来の目的は変わりませんが、もし資格を取っても、私の考え方が化石であれば、

不登校の子供の親は文字通り子供が学校に行かないから悩むのです。学校に戻ろうと努力する子供が増えたことは喜ばしいことです。それなのにあなたは将来、自分の目指す職業が必要でなくなるかと心配しています。あなたの職業を選ぶ動機は不純ですね。
この回答への補足あり
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プチ不登校は増えてますよ。


不登校の理由や環境が多様化しているのでしょう。
学校に戻りたいというより、ふつうに学校を卒業しないと、その後の進路が昔より難しくなってるからでしょう。あきらめでしょうね。

試行錯誤しなから、やるしかないのでは。
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