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満洲独立守備隊について質問です。

大正4年生まれの大叔父が年代は不明なのですが、満洲独立守備隊歩兵第12大隊に出征しています(出征時の写真が残っていました)。
昭和16〜17年頃に結婚もしていることから、その後、一度除隊して再度召集令状を受けた(部隊は不明)と推測していますが、昭和19年10月2日に台湾沖のバシー海峡で輸送船が攻撃され戦死しています(郷土史に陸軍主計少尉とありますが、大叔父は職業軍人ではないので主計准尉で戦死した可能性もあります)。
そこで、以下が質問になります。

1、満洲独立守備隊は創設されてから、その組織を変えながら鉄道警備にあたっていたらしいのですが、満洲独立守備隊歩兵第12大隊は満洲のどこに駐留していたか、また、最後はどうなったのでしょうか?(満洲独立守備隊自体が終戦時まで存在していたかわかりませんが・・・)

2、満洲独立守備隊について、詳細に書かれた本、資料や番組等がありますでしょうか?

3、昭和19年10月2日に台湾沖のバシー海峡で沈没した輸送船というだけで、所属部隊や沈められた艦船がわかりますでしょうか?また、資料等がありますでしょうか?

おそらく、不本意にも出征して志半ばで若くして戦死した大叔父。
少しでも後世にその足跡を遺してあげたい気持ちです。
難しい質問だと思いますが、少しでもお分かりになる方がおられましたら、ご教示のほどよろしくお願い致します。

質問者からの補足コメント

  • 大叔父の本籍は(終戦時)、香川県小豆郡草壁町です。現在の香川県小豆郡小豆島町になります。
    その他、軍事郵便なども一切残っておらず、所属部隊に関する手がかりは出征時の写真のみです。

      補足日時:2015/07/23 20:02

A 回答 (1件)

>満洲独立守備隊歩兵第12大隊は満洲のどこに駐留していたか、また、最後はどうなったのでしょうか?



独立守備歩兵第12大隊は、1933年(昭8)に当時の奉天省鞍山において編成され、第8独立守備隊編合のもと、黒竜江省北安(北安省北安県)の鉄道重要拠点警備に従事していました。1944年(昭19)4月大陸命第982号下令により中部太平洋ヤップ派遣のため、第24歩兵団長有馬大佐を長とし、第24歩兵団司令部、独立守備歩兵第12大隊(長:土井大佐)独立守備歩兵第14大隊、独立守備歩兵第28大隊からなる第9派遣隊が北安にて編成され、同年4月5日北安出発、同月14日釜山出発、16日神戸出発、5月4日館山出発、16日サイパン島出発し途中被雷により一部海没し6月ヤップ島着。同年5月軍令陸甲第57号下令により、独立混成第49旅団隷下の独立歩兵第330大隊に改編、同58号下令により臨時編成され、コロール島に派遣され同島にて終戦を迎えました。

>満洲独立守備隊について、詳細に書かれた本、資料や番組等がありますでしょうか?

『満洲独立守備隊史』 岩手県独歩会 昭46 非売品

があります。岩手県立図書館に問い合わせられてはいかがでしょうか。


>昭和19年10月2日に台湾沖のバシー海峡で沈没した輸送船というだけで、所属部隊や沈められた艦船がわかりますでしょうか?また、資料等がありますでしょうか?

台湾の高雄からフィリピンのマニラへ向かった「タマ28船団」(戦車第2師団の隷下部隊、第100師団の補充要員などが乗船)の「津山丸」が同日バシー海峡にて沈没しました。

船団名や船名から調べてみてはいかがでしょうか。

また、質問されるにあたっては、徴兵時の本籍地や戦地からの軍事郵便など、なんでもよいので推測できる資料をご提示くだされば、特定が進むことと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはりわかる方にはわかるものですね。
あまりにも詳しいので驚きました。
本当は兵籍簿があれば一番良いのですが、県情報公開条例で三親等以内の親族がいないため兵籍簿はあるのですが、取り寄せできないのが残念です。
また、軍事郵便等が無いため情報が少なすぎて申し訳ありませんでした。

お礼日時:2015/07/28 02:02

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