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とても辛かったので相談させてください。長文になります。
過去に出た症状のことで、偏見にさらされて苦しんでいます。
1年前に双極性障害2型と診断された者です。

なかなか双極性障害との診断が出なかったため、発病以来ずっと抗うつ薬を飲み続けていました。すると半年の間に5回以上の大きな波がきて、鬱転すると周りの人間関係を遮断してしまい、家族に寸でのところで発見されるかなりギリギリの自殺企図。
躁転すると調子が良くなり、人間関係を復帰、掃除や勉強などをバリバリやってしまい、倒れてまた鬱転、ということを繰り返しました。

病名も分からず、何でこんなに不安定なのか私も周りも訳がわかりませんでした。
鬱転の度に何度も死のうと思いつめ苦しかったのですが、周りも振り回され、苦しかったと思います。いくら病気がさせていたこととは言え、それはとても申し訳なく思っています。

上記エピソードその他から診断がくだり、腰を据えた療養を始めたことや抗うつ薬をやめたことで症状も落ち着き、今はリーマスや抗不安薬で治療を続けています。やっと前向きになって考えられるようにもなり、病気に向き合い心理療法なども出来うる限り試してみようと意欲も湧いてきたところでした。

そんな中、親友からかなりショックなことを聞いてしまいました。

以前起こした5回ほどのエピソードの際、私は鬱転すると周りの友人たちと連絡を遮断し、音信不通状態にしてしまいました。一人になって死にたかったからです。みんなと連絡を取る価値もない人間だと強く感じたからです。

そのせいで親友に多大な心配をかけました。親友も精神的に苦しくなり、医療従事者を含む周りの人に双極性障害の友達がいると話し、その対処について相談していたそうです。
親友が周りの人に相談した内容は、「何度も音信不通になってはまた元気になるということを繰り返されて、疲れてしまった。どうすればいいか」という内容だったらしいのです。

それを聞いた周りの人たちは口を揃えて、「そんな変な病気持ちとは付き合いをやめたほうがいい!友達やってるのもおかしい!」と親友を責めたそうなのです。医療従事者もそう言ったそうです。
また、私と親友の共通の友人たちにも同じように相談してみたところ、やはり私がおかしい、付き合いをやめた方がいい、と言われたというのです。

確かにあの時、周りに迷惑はかけてしまいました…しかし、病気を言い訳にする気はないのですが、正直私でも訳も分からず、双極の診断も下っていなかったので薬も合わず、コントロール不能な病気がさせていた面が大きいと思うのです。
心疾患の患者が急に出てくる不整脈などをコントロールできないと同じようなことです。
親友も今はそれを分かってくれてはいます。


しかし、親友は病気の症状でそういったことになっていた、とは周りに説明してくれず、それどころか私がどういう経緯で病気になってしまったのか、それでも希望を捨てずに治療を続けていること、寛解にたどり着いて社会復帰していきたいと切望し、努力していることなども一切話していないそうなのです。

ただ端的に、その5回のエピソードでとかく親友が辛かったことだけ話され、誤解を産んだまま私だけが批判され、今でも友達を始めとした周りの人たちから偏見を持たれたままなことにショックを受けました。

正直、その5回のエピソードだけ聞けば、それは私がおかしいとなるのは当然だと思います。周りの人たちが言うこともそういう意味では納得しています。

しかし、あまりにも一方からの意見だけで、病気持ちはやはりおかしい、迷惑だと決めつけられたことに納得いかないのです。

ただ、周りからそう言われても、私を見捨てないでいてくれた親友には感謝しています。しかし、何故そのことを当事者である私に言ってきたのか、それも理解できません。

共通の友人たちも、病気について調べようともせず、頭ごなしに友達をやめるようアドバイスしてきたとのことで、人間不信になっています。
病気になる前は一切そういうことはなかったのですから、人となりを知っているのなら尚更、もしかしたら病気がそうさせているのかも、と想像力を働かせてくれなかったことが悲しいです。
仕方ないのかもしれませんが、友達ですら露骨に偏見丸出しだったことを知り、もうどうしたらいいか分かりません。

親友が言いふらすように10人近くの人間に偏った相談をしていたこと、その説明の仕方にも強く疑問を感じますし、周りから言われたことをそのまま私に伝えてきたことも辛かったのは分かりますが、正直理解できかねます。
また、相談者に医療従事者も含まれていたとのことで、そんな偏見を持った人間が医療に携わっていることも憤りを感じます。

見ず知らずの他人ならまだしも、ある程度の友達からもそう思われているなんて、辛すぎます。

親友は、あまりにも端的に話しすぎたことを分かってくれて、共通の友人に関しては誤解の解消に努めると言ってくれました。それでひとまずの溜飲は下がったのですが…

親友の話し方に問題があったとは言え、精神疾患への偏見はここまでひどいのですか?病気がある人も辛くてそういう行動を起こしているのでは?と考えられないものなのですか?

親友からそれを聞いたときはかなりイライラし、躁転したのですが、一夜明けると鬱転し、悲しくなってきました。

もう誰を友達だと信じていればいいのか分かりません。当事者のみなさんは偏見とどう関わっているのですか?また、当事者の周囲の方は、当事者の病気についてどう考えているのですか?

A 回答 (5件)

お礼について。


研究者である事は、私の生き方の側面なので、それを取っ払えと言われても、無理難題です。
個人的な経験として、偏見の現場に遭遇する事は、度々ありました。それで、辛い思いをする、という事は正直申しましてありませんでした。
偏見は、それを持っている本人を苦しませる作用の方が強いようです。偏見を向けられる側の方が、それを乗り越える事が容易のように、思いました。
あなたも元気一杯に、偏見に怒りを感じておれられるようで何よりです。乗り越えられない苦しみは、人を沈黙させるものですし、その事から遠ざかろうとするものですよ。あなたの友達も、あなたから遠ざかりたいのです。あなたの問題が友達の苦しみというのでは無く。友達自身の苦しみをあなたが理解しようとしないからです。だから、他の誰かと共有したのですよ。
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この回答へのお礼

助かりました

ふたたびのご回答、求めたわけではないのにありがとうございます。よほどお時間おありの様ですね。
こんなところに張り付いていないで、ちゃんとお仕事に励まれて、少しでも子供たちが偏見に遭わぬよう、遭っても心を強く持てるようになさってはいかがですか?

正直、私のお聞きしたかった趣旨と外れてきていますし、それを平気で何度も回答という形で絡まれて迷惑極まりないです。

偏見に遭遇し、特に辛い経験がなかったとは、驚きです。感覚は大丈夫なのでしょうか。不思議ですねえ、そういう人もいるんですかね。それともあなたが研究職というのに関係あるのか。ここまで絡まれて、私にはもはや興味のないことですが。

あなたは偏見に遭う苦しみが分からない人間なんですね。そんな方から特に何も答えて欲しいと思いません。建設的な話が何もできやしない。

ええ、おかげさまでだいぶ元気に憤っておりますので、ご心配なく。
あなたは私が友達に理解をしないということばかりに気を取られ、友達が私の苦しみに理解を示さないという点について、本当に言及しないですよね。それこそ偏った意見というものですよ。気づいてないのですか?

理解力が足りてない人と話をする気力がないし、あなたから絡まれ続けて他の方もいらっしゃらなくなってしまったと思うので、残念ですが締めます。

本当に残念ですね、発達障害って。空気読めないというか。ほら、偏見ですよ、何も感じないのですか?感じないのでしょうね。変わった人です。

あなたの研究が世の役に立つかはわかりませんが、人の気持ちが分からないのはあなたもですよ。それに気がついて、少しでも建設的な思考ができるようになるといいですね。

お礼日時:2015/08/01 20:53

お礼について。


あなたは、偏見の被害者であるとばかりに自分を捉えていますが、あなた自身も偏見を持ち、それを克服し難い人のひとりですよ。偏見とは、ものの見方に偏りがある事です。この質問内容と回答への返答も、あなたの友達とその友達連中と同じように、自分の都合ばかりに偏っている。お互い様なのですから、許したり、仲良くしたりと、出来ませんかね。
私は、障害児童の発達の研究職に就く者であり、自身も発達障害者です。研究者にとって、偏見は、最も意味をなさないものです。偏見の無い人間というのも、嫌われますけどね。あなたと同じく世の中は、偏見がお好きですから。
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この回答へのお礼

再びのご回答ありがとうございます。

私は病気をしてから当事者の立場しか分かりにくくなりました。しかし、当たり前のことではないですか?周りの人は当事者の気持ちはわからない。だから偏見も生まれるでしょう。しかし、そこはおたがいに慮るところではないか?頭ごなしに決めつけてどうする?また、偏った情報のみで何が判断できるのか?そう言いたかったのですが。私の言葉足らずでしたかね。

あいにくと病気をする前の記憶も感覚も持ち合わせておりますので、精神疾患への偏見があること、今回の場合、親友の言葉足らずもあり、周りの反応は仕方ないことと理解はしている、とも書いたはずです。

私自身も偏見を持ち、それでも周囲と分かり合いたかった。しかし親友の言葉足らずで質問内容のようなことになった。これが真実です。それをわざわざ私自身の偏見をことさらに言及されるような追加のご回答をいただくようなことはなかったかと思いますが。気に障ったのですね、申し訳なく思います。

当事者も周りもお互い様とおっしゃいますが、あなたご自身は偏見で悩んだことがないのでしょうか?ご家族は?友人は?恋人は?何か言われて態度を取られて傷ついた経験がないのですか?素直に疑問に思います。別に研究職だから中立ぶらずにあなたの発達障害当事者の体験が聞きたかったですね。

それが特にないのでしたらご回答いただかなくて結構でした。確かに、私の気持ちが分かるのは正直当事者の方だけだと思いますので、あなたがこのような追加回答をしていただいたのもお気持ちは分かります。
回答者は当事者のみ、とくくればよかったですね。こちらの不手際で申し訳ありません。

発達障害がまた違うのですね。や、これも偏見でししたかね。ですが勉強にはなりました。
大丈夫です、あなたも偏見に満ちていらっしゃるようです。それこそお互い様ですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/01 18:16

私自身は 心の病になったことはありませんが


姪がかなり重度な境界性だったため 8年近くさまざまな状態を見てきました。
境界性と双極性もあり かなり入り組んだ思考回路していました。
1年近く家に引き取り一緒に生活もしていたので さまざまな人間関係の構築が
難しいのは 客観的に良くわかります。

貴方や姪の気持ちはわかりません。理解したいとは思っても わかってあげることはできませんが
お友達の気持ちは分かるような気がします。

きっと・・・としかいえませんが
お友達は貴方が大好きです。でも 実際起きている出来事につかれることはあるんです。
もらい欝という言葉があるように 気分が沈み 自分がこれだけ思っているのに 貴方がわかってくれないと
自分の存在意義がわからなくなります。
そのときに 誰かに相談します。 病気をよく理解していない人 または一方的に友人の話だけ聞いた人
または偽善者的な思想の人は 「離れなさい」というでしょう。

私も 同じような相談されたら「離れなさい」というでしょう。私がそういう訳は
心が疲れている人と関わり 対応して 支えていくには 生半可な覚悟ではできないからです。
下手すると仕事にも影響がでて(ODなどで救急車で運ばれ 深夜から付き添い仕事を休むなど)
生活も脅かされる危険があるからです。
心が疲れている人は まさしく命がけで愛情を求めてきます。それも変化球で(笑)
こちらも命がけじゃないと 受け止められません。
それで居て どんなことにも動揺せず 受け止めながら 実社会で生きていくのは
本当に生半可ではできないからです。

友人は そのような意見を聞いていて 頭で「離れたほうがいい」と
気持ちでは「でも大好き」で 葛藤したのではないでしょうか。
貴方と向き合う覚悟したんだと思います。

・話しているニュアンスや相手の温度で 「詳しく説明しても無理・・・」と思ったかもしれません。
・友人自信が 貴方に頼られることに自分の存在意義を見出していて(無意識に)
その存在意義が危うくなったときに 誰かに「よくやっているね がんばってるね」と
認めて欲しかっただけかもしれません。(だとしたら 貴方の病気の説明 貴方の頑張りは説明不要なので)

そして 結果貴方を選んだ現在があるんでしょうね。自分の感情 「貴方が大切」に素直に。
周りから反対されようが。
だからこそ 貴方に話して 「このような時期があって このように言われたが
私は貴方が大切である」と伝えたくで 貴方に話したんだと思います。
言葉たらずも否めませんが、悩み苦しんで 色々相談して反対された結果
貴方を選んだということを わかって欲しかったんだと思います。

心が疲れ重いときは たくさんの思いを言葉にすることも下手になりますよね
彼女もきっとそうだったんだと思います。
誤解 偏見を回りに残してしまったようですが 逆に貴方もその人たちは
貴方を 病気を理解できない人とわかってよかったんですよ^^

そして医療従事者といっても専門家でなければまったく理解してもらえません。
医療従事者に過度な期待はしないほうがいいですよ。
姪は境界性ということだけで 救急でも受け入れ拒否の病院が多く
入院しても ずっと付き添いが居ないとダメという病院ばかりでしたから。
(救急で内科とかだと 自殺を防げないからとの理由で)


長くなりましたが、気分のいいときだけでいいので ご友人を許してみませんか?
それは 貴方が貴方を許すことにもなるとおもいますよ。
心が疲れたときの友人の気持ちを一番わかるのは もしかしたら貴方ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとう

ご回答ありがとうございます。たくさん書いていただいて…ありがたいです。全てにお返事しきれないのを残念に思います。

書いていて段々親友に対してだけ腹が立ってきてそういう書き方になりましたが、私が理解しがたいと思っている対象は親友が相談を持ちかけたという相手に対しての部分もあります。

前提として、病気に罹ってしまったということを聞いるのに、そういった批判を展開するのが分からなかったのです。しかも私と親友が数十年来の友人であると知っていて、です。
いや、正直情報が偏っているので批判をする理解はできるのですが、ちょっと待てよ、病気なんだからそういうことがあっても仕方ないのかもしれない…と自制をかけないものなんだな、と思い、憤っているのです。

端的に精神的病気=危ないから離れろ、の図式が相手の頭の中にあると感じるのです。そこで病気=少し休養が必要なのではないか、本人も辛いのではないか、という想像力が欠如しているのに気がつかず、批判を展開するのが分からないのです。

あなたの回答は率直に、かなり近くで精神的疾患患者を見ている方のご意見として大変参考になり、ありがたいと思います。

ですが、申し訳ありません、「当事者でなければ分からないことが多すぎる」という感覚に至りました…

親友が振り回しにあい、辛かったこと、そこで周りに相談するという選択肢を選んだことは、全く特異なことだとは思っていません。私でもそうします。相当の辛さだったのだと察し、本当に申し訳なく思うのです。

しかし、あまりにも私への誤解を生みやすい部分だけ選択し、話したことは納得できません。そんなの、「精神疾患持ちは危ないから離れろよ!」と言ってもらうために話したに等しいです。

私に伝えたこと自体も、少し想像すればそれは本人の耳に入れず、他の人にまた相談するなりする内容だと分かると思います。
「周りに散々批判もされたけど、やっぱり友達は続けるよ!」って、なんのアピールなのか、さっぱり分かりません。

認知の歪みが発生しているところも多いかと思いますが、確かに誰が友達で、誰がそうでないのかはよく分かりました。おっしゃる通りです。

私なら相談する時は相手の利になることも言います。単純に同情して相手を批判してほしい時なら、親友と同じことをするでしょう。つまりはそういうことだったのではないかと思います。

お礼日時:2015/08/01 15:54

その人、変ですよね。


そういう人いました。
「こういう人(私)と今付き合ってるんだけど、これこれこうでああでこうで(一方的な批判)どう思う?」って知り合いに相談したら、◯◯(私)はやっぱり変だって意見が多かった
ってわざわざ報告してくる人。
自分ひとりで私に意見する自信がないからいろんなとこに聞きに行って、その報告をしてくるんだと思っちゃったし、
第一私を直接知らない人の意見なんか信じないっつーの(笑)
質問者様も「私を直接知らない人の意見なんか気にしないから、ごめんね。」って友達に言ってみたらどうでしょう。言えなくても、そう思いません?

私も双極性障害1型です。
エピソード数は18年分なんで、数えるのが難しい。
双極に対する偏見についてはまだ経験していません。
経験していない理由は、友達がいないからです。
質問者様は友達が居てよかったですね。
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この回答へのお礼

Thank you

ご回答ありがとうございます。

同じ当事者様からのご回答、大変心強く思います。
まったくその通りですね…よしんば聞くのはいい。でもなぜ報告してくるのか意味不明です。陰口が耳に入ったときと同じ感覚ですが、事がことだけに不愉快さの度合いが違います。

親友と話していて、近頃はだいぶ症状も落ち着いたね、あの時(5回のエピソードの際)は申し訳なかった、ごめんね、と話している時に実は…と打ち明けられました。

何を言っているのか分からず、頭が混乱しました。親友の言っていることが飲み込めた時、嫌な汗をたくさんかきました。目の前もクラクラしてきて、相当ショックでした。

私もご回答者様と同じように思いました。相談という名の、悪口偏見大会ですよね。そしてそれを「みんなの意見」として重みをもたせて報告してくる。こちらがどれだけの衝撃を受けるか、想像もできないんでしょうか。

私の場合、私をまま良く知る人たちにも同じように偏った情報だけつたえ、同じような回答を引き出してきました。私を知らない人なら私ももはやどーでもいいです。親友にもそう伝えました。
でも、やはり顔見知りからやられたのは辛かったです。

こんな気持ちになるなら、親友すら疑い、嫌いになり掛けている気持ちになるなら、いなかった方がマシだとすら思えます…

それでも確かに理解してくれ、受け入れてくれる友人もいることが分かったのは今回唯一良かったことです。
その人たちを大切に(とはいえ、頼りすぎないよう距離は取りつつ)接していこうと思いました。

偏見は本当に身近にありますよ…うちは両親もだめです。
ご回答者様は、治療の妨げになるような偏見に遭いませんように。願っております。

お礼日時:2015/08/01 16:07

私は、特には障害児童の発達の研究職に就く者です。


友達は、自分の好みで選んでいいものですよ。あなたと友達でいたい人は、あなたを理解する為に双極性障害への理解を深めようとするでしょう。それが、あなたを「知る」事に繋がるから。でも、あなたと友達でいたくない人は、あなたの双極性障害を知る事に興味が向かないのです。それだけの事です。
人は、誰とでも友達になりたい訳じゃない。その都度選択するのですよ。自分に都合の良いものをね。都合が悪い人とは、友達になれない。極自然な事です。
年齢が違う人とは、友達になれない。男とは、友達になれない。女とは友達になれない。貧乏人とは、友達になれない。金持ちとは、友達になれない。これ、全て偏見ですよ。これを取っ払えば、選択肢が増えるし、その人の人生はより豊かになる。そう考える事も出来ますけれど、その人の自由な選択は、常にその人自身の都合の為にあるものであって、あなたの都合の為にあるものでは、ないのです。
ですから、あなたの友達が去ったのは、偏見ゆえではありますでしょうが、その友達の人生にとって、あなたが不都合な人だからです。
なのに、その友達は、自分の不都合のせいにしないで、一般論としてあなたを拒絶した。だから、あなたは傷付いたんですよ。
でも、それが事実なのですよ。あなたが嫌いだから、友達でいられないのではないのです。あなたの病気は、その人の許容力を超えたんですよ。
あなたも、その人を友達だと感じていたのなら、その苦しみに目を向けてみて下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。研究職の方ということで、障害を持つ人と、その周りの人の反応や対応などたくさん見てこられたのではないかとお察しします。

確かに、あなたのご意見はごもっともだと思います。友達は自分で選ぶもの、だから病気を理由に友達だと思えなくなったとしても、批判や偏見を展開したとしても、それは私が病気を持っていることがその人にとって不都合なことであって、キャパ超えだったと。それだけのことだと。

あなたのいう一般論というのも、自分にとっては不都合というのも、正直どちらも偏見ですよね。違いはないと感じます。
一般論を選んでも自分にとって都合がいいかで選んでも、どちらとしても偏見にさらされる。疾患と戦う身として、これ以上絶望することはありませんよ。

病気を克服しようとして頑張っている人にとって、病気を理由に決めつけられることは、これ以上の苦痛はないほどです。自分ではどうしようもないですからね。研究職の方なら、ぜひ知っておいて欲しいと思います。

苦しみではなく、ただの切り捨てではないのですか?親友は苦しみましたが、共通の友人たちに関しては何も苦しんでいないと思うのです。一般論でも自分に不都合だという理由でも、どちらでも精神的疾患=危ないという偏見があって、どちらを使っても私との関係に終わりを告げられる理由になる。すべて、向こうにだけ都合のいいことではないですか。どこに苦しみがあるのでしょうか。病気もちを排除できて清々する、くらいに思われても不思議ではないと思います。

とは言え、お互いの気持ちに寄り添えないのは、お分かりかとは思いますが私の方も歩み寄りができていません。
友達は自由に選ぶもの。私にも当てはまります。
病気を理由に友達をやめる、非常に端的な情報しかもらっていないと知ってか知らずか、簡単に人を判断する。
「本人からも聞かないと正直分からないよね」程度の思考もせずに人を切り捨てる人間と、友達でいられないのは私も同じです。これも偏見でしょうかね。

以前読んだ書籍に、人間は想像力を持つから人間であると書いてありました。
あなた様もどうか障害をお持ちの方に関わられるのであれば、想像力を働かせて端的に判断しないよう、くれぐれもお願いしたいところではあります。

お礼日時:2015/08/01 16:23

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