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細井浩志著の、“日本史を学ぶための<古代の暦>入門”を興味深く読んでいます。
この中で、975年8月7日の皆既日食が政治に影響を与えた事例が挙がっています。
<このため、朝廷は大あわてで、神仏に祈り、行事を中止し、安和の変(省略 質問者)で配流された人びとを、京都によび戻したわけです。これは、犯罪者を哀れみ許すのはよい政治だとされていたので、きっと神仏が喜ぶだろうという考えからです。
このように日食は恐れられていたので、暦博士は日食予報をだすことを義務ずけられていました。>
当時は、日食の予報ができる状態になっていました。もちろん現代のような精度高いものでありません。しかし、現代の地震や噴火の発生予測と比較できない、正確な予測でした。
従って、日食という現象は、今の言葉でいれば、天文学の分野のことで、神仏や悪魔の関与することではない、ことが分かっていたと思います。
当時の人が日食の被害をカウントしたとしても、地震や水害、日照り、大火、疫病などに比べたら、軽いと思います。
なぜ、古代、予測される日食が、恐れられていたのでしょうか?

A 回答 (7件)

じゃあ、今の日本人はどうでしょうか。



たとえば、正月の初日の出、こぞって見に行くのは日本人だけです。天気予報で「○○地方は雲がかかって初日の出は拝めないでしょう」と言ってくれるのも日本だけです。
さらにいえば、初日の出や富士山のご来光などを万歳三唱で迎えたり、拝んだりするのも日本人だけです。
また、天文学ファンの間でも「日本人は特別日食に関心がある」といわれており、海外で起きる日食でもツアーを組んでたくさんやってきます。


これは「日本人の心の中の奥深くに、太陽が隠れる恐怖」があるからだ、といわれています。天の岩戸の物語・日食と卑弥呼の死去など日本の古代史には「日食」が大いに関係している、といわれています。

このことから、日本人は民族的に「天文学で日食を予測できるようになる以前に、日食によって民族的なトラウマを抱えた」と主張している民俗学者や歴史学者がいます。

そのため、中国から輸入した天文学である程度の予想が出来るようになった10世紀ごろでも、日食=不吉であり続けたのだと思います。

さすがに現代の日本人は日食を不吉だとまでは思いませんが、日本(ひのもと)という国名も含めて、日本人は太陽に多大な関心を寄せる民族であるのは間違いありません。

日食が予測できるようになっても、古代からのトラウマや時々しか起こらない不思議さ、そもそも日本は太陽信仰が盛ん、ということが日食を特別なものとしていたのだと思います。

実際に、海外で早朝、日の出を見にいって、いろんな国の人がいるのに、日が昇った瞬間に歓声をあげるのは必ず日本人です。他の国の人は「きれい」とは思っても、歓声を上げるほどよろこばないものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<日本人は太陽に多大な関心を寄せる民族である>
ですね。お天道様は、日本人の心に強い影響を持っていますね。
<「日本人の心の中の奥深くに、太陽が隠れる恐怖」>
は、古代から現代まで、少しずつ薄まってきているのでしょうが、依然として残っていますね。

お礼日時:2015/09/25 21:17

やや誤解があるように思うので再度回答させていただきます。

日食が恐れられるのは、日食がさまざまな災厄の原因になると考えられていたからであって、日食という現象単体で恐れられていたわけではありません。鬼や悪霊が跳梁跋扈し、災害や病気、事件、事故などのありとあらゆる悪いことが、異常な高確率で起こるデンジャラスタイムだと考えれば、少しは当時の人々が日食を恐れた気持ちも理解できるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<日食がさまざまな災厄の原因になると考えられていた>
のですね。日食単独だけではなく、起こされるさまざまな災疫が恐れられていたのですね。当時の人の気持ちを追想することは、難しいですね。

お礼日時:2015/10/03 10:10

一部の人しか予測できなかったからではないですか。

だから、予測できる能力を独占し、まるで、神様の意思がわかっているかのように演出して利用した、そんな感覚かと思います。日食に限らず、気象や天文の知識を独占し、それを、人々への能力の誇示につかったり、軍隊のモチベーション管理に利用したり、学問や知識が安易には流通しなかった時代には、十分考えられることかと想像します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
為政者(皇室)は、日食の
<予測できる能力>
を持っているから、平常に対応できたのですね。しかし、日食の情報を持っていない、持たせない世間に対しては、日食を恐れる、という演出(ポーズ)をしていたのでね。

お礼日時:2015/10/02 09:21

予測できるかどうかと、恐れる恐れないは、また、別問題ではないでしょうか?たとえば現代でも、42歳が厄年だとかいって、悪いことが起きるんじゃないかと恐れて、お祓いをしてもらったりします。

厄年とか厄日というのは、何歳のときとか、何月何日と決まっていて予測できますよね。日食も何年、何十年かに一度の大規模な厄日みたいなものです。そもそも古代の朝廷が暦博士や天文博士を置いて暦をつくらせているのは、いつが厄日なのかを正確に知るためですし、暦博士・天文博士が所属しているのは、吉凶を占ったり呪術で悪霊を祓ったりするのが仕事の陰陽師が属するのと同じ陰陽寮です。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<予測できるかどうかと、恐れる恐れないは、また、別問題ではないでしょう>
そうですね。
厄年を気にする人はいる、と思いますが、恐れる人は少ない、と思います。その位のレベルで、日食を気にする、のであれば納得するのですが、恐れるというのが、まだよく分かりません、。

お礼日時:2015/09/25 11:44

周期性があって計算で予測可能だから神仏のような非合理な存在とは無関係だとわかるはず、というのは、もとから神仏の存在を信じていない現代人ならではの考え方ではないでしょうか。

おそらく、昔の人には神仏と無関係な事象がこの世のあるという発想自体がなく、不合理なものも合理的なものも、神仏の計らいでそのようになっていると考えられていたのだと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
不合理的なものも、合理的なものも、
<神仏の計らいでそのようになっていると考えられていた>
なのですね。したがって、(精度が低いとはいえ)予測のできる日食も、神仏の計らいであり、恐れることはない、と私は思いますが。

お礼日時:2015/09/24 21:51

日食の予報は、その周期性からされていたのであって、何故日食が起きるのかや、それが何を引き起こすのかは分かっていない訳です。



当時は、今以上に日々が平常であることが望まれていました。季節ですら四季がちゃんと巡るようにと、いろいろ儀式などが行われたりしていました。夏が寒ければ秋の収穫が激減します、夏は夏らしく暑くなってもらわないと困るのです。

ですから日食のような天変地異が起こることは恐怖だったわけです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<今以上に日々が平常であることが望まれていました。>
ですね。(精度が低いとはいえ)予測される日食は、夏が来る・冬が来ると同じように、恐れることなく、儀式を執り行えば充分、と私は考えるのですが。

お礼日時:2015/09/24 21:46

当時の天文学者は数人しかいません、その人たちだけが月の動き太陽の動きを計算することが出来ました。


ですから暦を作るのも皇室の仕事です。
 ですから日食の予測なんてとんでもない難しい事です。多くは中国の天文学の文献をみて日本ではいつあるのか計算するしかありません。
 庶民はなぜ月が満ち欠けするのかも、月食や日食が起こるのかも分かりませんので、日食は不吉だと恐れるのは当然のことなのです。でもそれを予測することが出来れば皇室は偉大な神だと言うことになります。
 映画「天地明察」を見ると当時の天文学の様子が分かります。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
庶民には
<日食は不吉だと恐れるのは当然のことなのです。>
ですね。おそらく、為政者(皇室)は、庶民に日食発生の情報を与えたなかた、と思います。日食の予測が正確ではないため、外れた場合、為政者の権威が疑われるため、と思います。
しかし、為政者はなぜ日食を恐れていたのでしょうか? 発生するメカニズムは、信頼性が低いと言え、分かっていたのですから。また、被害も(あったとして)少ないはずですから。

お礼日時:2015/09/24 08:31

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