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1、人から笑いものにされる

2、激しい抵抗と反対にあう

3、それまで笑いものにしたり反対したりした人達が
いつの間にか「そんなことは分かっている」と同
調するようになる

アルトゥール・ショウペンハウエルの名言ですが、私
は自身の経験上、この傾向は一般庶民よりも、そうで
ない階層に強くあると感じています。それは、庶民が
「賢」であるということであるとも思うのです。
非庶民が「愚」であって、庶民は「賢」であるという
ことが、やはり私の経験上からの結論なのですが、い
かがでしょうか?

A 回答 (9件)

独裁政権やファシズム、理不尽な新興宗教が常に大衆の卓見により、微塵に粉砕されて来たこれまでの世界史を通暁しても、極めて自明の論理であると斟酌致します。

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この回答へのお礼

ご回答を読んで、少し安心致しました。
庶民の立場に立つ人が、少なくなっていはしないかという
危惧の念を感じつつ‥‥

お礼日時:2015/09/28 15:19

>非庶民が「愚」であって、庶民は「賢」であるという


ことが、やはり私の経験上からの結論なのですが、い
かがでしょうか?

これは全く違うと思います。
庶民であるか非庶民であるかに拘わらず、「愚」もいれば「賢」もいる。
これが真実じゃないですかね。
非庶民が「愚」であるように感じるのは、一般的に非庶民が目立つ存在だからでしょう。
存在自体が目立つから結果的に愚も(むろん賢も)目立つ、というだけの話。

また、人間というのは目立つ存在が好きなので、すぐに引きずられてしまう傾向が強い。
さらに、決め付けることで何かの意味や価値を明確に認識しないと不安でならない、という傾向も強い。結果的に正否・善悪は二の次にされる。
アベノミクスというにんじんさえ与えておけば、多少強引なことをしても、国民はすぐに忘れてしまう。「決める政治」こそが命、とタカをくくっているようなどこかの国の指導者。
ユダヤ人に生活圏を奪われてしまうと喧伝して国民を不安に陥れることで、自らの精神的不安払拭の正当化を図った、かつての同盟国の指導者。
たった一人が誰かに対して何かを決め付けることが発端となることが多い「いじめ」。
などなど、歴史的にも現在時点でも、構図は全く変わっていない。
つまり、ひとりの強い悪が多数の愚を引きずり込み、同時に、多数の愚がひとりの強い悪を請い求める、という構図。
基本的に悪の源流は不安や恐怖なのですが、様々な形態の権力を持ってしまった非庶民は、庶民を引きずり込みたくなる欲望に駆られるという二義的な悪も犯してしまう傾向にある、ということは言えるように思います。
そして、結果的に庶民は多数の愚と化すわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

庶民、非庶民にかかわらず、「愚」も「賢」もいるというのは
全くおっしゃる通りなのですが、私が庶民を「賢」とする理由
は、生活でも産業でも、現場の中で生き、現場をよく知ってい
るということと、生活にそれほど余裕がなく、世間の高い評価
も特にないゆえに、生き方が真摯であろうということです。

一方、非庶民は現場のドロドロをよく知らない(忘れている)し
生活にも余裕があるだろうし、世間の評価も得ています。例え
ば国会議員などは20万票の得票をする場合もあります。20件の
回答を哲学カテでもらって、喜んでいる私などとはえらい違い
ですよね。だから、大抵、慢心は免れないと思います。慢心まで
ゆかずとも、気持ちは庶民に比べ余裕でしょう。

お礼日時:2015/09/28 21:59

時には愚であり、時には賢である、という


ことだと思います。

かつて、知識人の多くは社会主義を賞賛して
いました。

しかし、大衆はそんなモノは信じませんでした。
ワタシの祖父は小学校しか出ていませんが、
やはり、社会主義など頭から信じようとしません
でした。

結局、大衆の方が正しかったわけです。

大衆は生活に根ざした考え方をしますので、
ああいう理想的なことは信じないのです。

反面、高い所から、遠くを見渡す、という
ことが苦手です。

という訳で、愚かであるときも、賢である
こともある、ということになると
思います。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りだと思います。
庶民、大衆の愚かなところは、国とか企業の
根幹となる情報を知らない、理解をしていな
いという点と、自分たちは支配をされる存在
なのだという思い込みだと思います。

これを、どうにかしたら大したものですよね。

お礼日時:2015/09/28 22:05

#2です。



>私が庶民を「賢」とする理由
は、生活でも産業でも、現場の中で生き、現場をよく知ってい
るということと、生活にそれほど余裕がなく、世間の高い評価
も特にないゆえに、生き方が真摯であろうということです。

「ゆえに」の前後には因果関係が必要なわけですが、
前項を後項の因とする理由が理解できません。
『生活でも産業でも、現場の中で生き、現場をよく知ってい
るということと、生活にそれほど余裕がなく、
世間の高い評価も特にないゆえに』⇒悪を為す。
というパターンだって、
嫌というほど我々は経験しているんじゃないでしょうか。
ショウペンハウエルの意図までは知りませんが、
彼が言っているのは、あくまで人間一般に関しての言であって、
庶民非庶民を持ち出すのは、
単にニャンポコリンさんの趣味としか思われませんけどね。
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この回答へのお礼

多少の夢はあるにせよ、現場を自分の生きる場所
とし、余裕のない地道な日々の中で、庶民はどこ
に人生の充実感を見出すかと言ったら、仕事や生
活を真面目にきちんとすることと言っていいと思
います。これが、非庶民にはあまりない庶民の真
摯さだと思います。

悪をなすのは、庶民、非庶民かかわらずでしょう。

しかし、この「庶民性」が段々と薄れていってい
るように思い、とても気になっています。

ショウペンハウエルの言葉と、庶民、非庶民をく
っつけたのは確かに思いつきではありますね。

お礼日時:2015/09/28 22:56

はじめまして。

アホのplapotiと申します。回答番号3の方の無難な御意見がまさしくそのとほりだと思ひます。

回答番号4の方が「ショウペンハウエルの意図までは知りませんが」とおつしやるとほり、私が質問文を読んでも、なぜここにショーペンハウアーが登場してくるのかがわかりません。どの本のどこに出てくる言葉なのですか。どんな文脈のなかで述べられてゐるのですか。このサイトでは偉人の名言とされるものが出典の明示なしに取り上げられることがあまりに多く、なかにはまつたくでたらめの迷言すらあります。今のままではきちんとした回答はできないと思ひます。解説をお願ひいたします。
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この回答へのお礼

この言葉は、以前に耳にしたことがあり、このサイトで目にしたことが
きっかけになり、他のサイトでも確認したうえで引用したので、間違い
はないと思ったのですが、正式に確認してはおりません。また、確認し
ている時間もなかなか取れないものですから、ここはショウペンハウエ
ルか誰かが言った言葉として、(これだけでも十分にその真意は理解でき
ると思いますので)ご回答いただけたら幸いでございます。
また、「そんないい加減なことでは困る」ということでしたらば、お詫び
する以外にございません。

お礼日時:2015/09/28 23:22

回答番号4のplapotiでございます。

コメントを拝見しました。さつそくの御返事に感謝いたします。

>これだけでも十分にその真意は理解できると思いますので

hakobuluさんがおつしやるとほり、この名言とされるものが何を意図してゐるのか私ではわかりません。tanzou2さんも無視していらつしやつて、結局は無難な内容の回答になつてゐます。ショーペンハウアーであらうと、一庶民の言葉であらうと、それはかまひませんが、意味するところがわからなければ回答は困難です。

>他のサイトでも確認したうえで引用したので

ネットの名言集サイトの多くは無批判な受売りの山です。情報のたらひまはしです。少なくとも、出典の記載がないサイトは、でたらめだと思つたほうがよいのではないでせうか。そんなものに目を通すよりは、ショーペンハウアーの本を1冊でもいいので読んだほうが有益であると思ひます。ちなみに私は読んでゐません。

質問文の言葉の意味が判明しましたら、御教示ください。他のかたがたもそれを望んでゐるのではないかと存じます。
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この回答へのお礼

名言集のサイトなどを、それほど信頼していたわけでは
ありませんが、「デタラメ」という認識はありませんで
した。
この機会にショウペンハウエルの本を読んでみることに
しました。辛口で私好みに思えたからです。

従って、今日の時点ではこの言葉の意味の私流の解釈を
述べることにします。

成功への三段階

まず、変わったことを言い出すと、大抵世間では笑いも
のにされる。

それでも言い続ければ、また行動をはじめると、自分の
利害にかかわると思った人から、激しい抵抗と反対にあ
う。

そして、成功してしまい、それが当たり前になると、「
前からそう思っていたんだ」と人は言うものだ。

人間の保守性を鋭く突いた言葉だと思います。そして、
その保守性は、非庶民により強く存在するのでしょう。

お礼日時:2015/09/29 00:21

回答番号5,6のplapotiです。

さきほどは「4」と書いてしまひました。碩学のhakobuluさん、すみませんでした。さきほども(そして昨日も)国語カテゴリでhakobuluさんの名回答のすぐあとにボケ回答をしました。

>この機会にショウペンハウエルの本を読んでみることにしました。

それがよろしいかと存じます、せつかくの機会ですので。岩波文庫や光文社古典新訳文庫などから読みやすさうな薄い本が出てゐたと思ひます。doc_somdayさんの話によれば主著とされる書はきはめて難解で歯が立たないさうです。私はむづかしいものは嫌ひです。

>私流の解釈を述べることにします。

言葉の直接の意味はわかるのですが、意図がつかめないといふことです。前後の文脈や具体例が示されてゐればよいのですけれど。私も「今日の時点で」考へられることを回答いたします。

*** *** *** *** ***

「人間の保守性」との御指摘はおつしやるとほりと存じます。自分のこれまでの歩みを否定されると、多くの人は反発します。ときをり正論を述べれば説得できる、などといふ主張がなされますが、私は違ふと思ひます。先日も「人間としての科学の公理」と題してその点の質問をしました。正論であればあるほど、それに反する行動をとつてきた人たちから憎まれます。それが人間といふものです。cyototuさんが哲学は「人間はどうあるべきか」ではなく「人間はどうあるのか」と問ふべきだと言つてゐますが、そのとほりです。他の人を強制的に「かうあるべし」と縛るのではなく、人間としての本質を利用して自然な形で導くのが最善です。

>それでも言い続ければ、また行動をはじめると、自分の利害にかかわると思った人から、激しい抵抗と反対にあう。

私はこの方法には賛成しかねます。短期で成果を出さねばならないのであれば、このやうなやり方をして反発を招いてでも、どうにかします。しかし結果はどうなりますか。「それが当たり前になると、「前からそう思っていたんだ」と人は言うものだ。」といふことに本当になるのでせうか。その人たちは、心の中では自分をだましてゐることに気づいてゐるのではありませんか。

これまで何度か投稿しましたが、私は「アホの正論」こそが最有力だと考へます。アホが正論をつぶやきます。周囲の人はただそれを耳にするだけです。ショーペンハウアーのありがたいお言葉などと言つてゐるうちは、それが身についてゐない証拠です。もしその言葉を実践して何か失敗をしたら、その人は「これは私の考へたことぢやない。もともとのショーペンハウアーの発想が悪いのだ。」と他人のせいにしたがります。それが人間といふものです。ところがアホの正論の場合は、ありがたがられません。ともかくは正論であるため、すこしづつ周囲の人を感化してゆきます。そしてだんだんとその正論が心の中で大きくなつてゆきます。「これはアホから影響を受けた結果だ」などと思ひたくありませんので、だんだんと「これは自分のオリジナルの発想なのだ」と勘違ひをし始めます。自分の発想だと思ひこんでゐれば、実行して失敗しても他人のせいにはできません。これこそが完璧に元の正論が身についた証拠です。

といふことで、特に庶民がどうとかはあまり関係しないと私は思ひます。ただし回答番号2のコメントの、現場に目を向けることはきはめて重要な要素です。

>非庶民により強く存在するのでしょう。

権力、経済力、過去の実績など、守るべきものが多い人ほどニャンポコリンさんがおつしやる意味での保守性が強くなるのだと思ひます。さういふ点において賛同いたします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

論理的にキッチリとものを考える方にとっては、私の文章は
雑なんだということがわかりました。ある程度は改善される
でしょうが、ある部分は変わらないでしょう。それは、何か
新しいものを作りたいという気持ちが強いからです。

「アホの正論」は有力だと思います。これを「庶民の正論」
としてもいいのではないでしょうか?
非庶民は、庶民のことをアホだと思っているでしょうから。
庶民の中でも、今最も軽んじられている「おっさん」(これは
同意していただけると思いますが)、地位も財力もない「おっ
さんの正論」「おっさんの実績」でもって徐々に信頼を得て
ゆくことが、日本の社会を変えてゆく「急所」であると思っ
ています。

社会も家庭も「柱」の存在は必要だと思いますし、「柱」に
耐えうる力を持っているのは、おっさんだと思うからです。
「柱」が立ってこそ、女性も青年も、より力が発揮できるも
のと思います。
また、日本人は、自分より下のものを作って、そこに安住し
たがる性質があって、だから「アホの正論」が有力であるし
「おっさんの実績」も有力だと思います。下のものが実績を
上げれば、「まずい」と焦るだろうからです。

非庶民の保守性は、もはやどうしようもないように思えます。
だから、庶民なのだと思います。

お礼日時:2015/09/29 07:50

何人かの方が指摘されているとおり


まず「人間はどうあるのか」から入って
そこに立脚して問題があれば改善を、
というのが自然な流れだと思います。

その路線で行くと
動的に混沌の中で揺らぐ人間社会というものがまずあって
そこに必然的に生ずる互いに相容れない要素から溝が深まってしまったときに
いつまでも対立の尾を引くことなく
互いを尊重しようとした落としどころをめざそうという模索の仕方の一つとして
ニャンポコリンさんの言う1から3の流れは
特に立場が弱い方からの知恵であるような気もします。

精一杯平和という大筋を見失わない範囲で
同時に意地も認めてもらうという方向もキープして
それを常識の中での基本的なベースとして
互いに保証し合うような
暮らしやすい世の中をめざす知恵の一つ。

それは社会的動物として税金を払うような前傾と
解釈してもいいのかもしれません。
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この回答へのお礼

いつもご回答ありがとうございます。

「人間はこうあるべきだ」ということを訴えても、かえって
反発をくらい関係が悪くなるということは、経験上いやとい
うほど知っているはずなのに、しばしばそれをしてきたのは
自身の社会との関係が悪かったということと、自身の目的が
なかなか不動のものにならないというあせりだったのだと、
認めることができるようになったのは、ここでのやりとりが
あったことが一つあると思い、回答を下さった方々に感謝し
ております。

この質問にも、社会に対する「恨み」が色濃く出ていますね
(我ながら)。冷静なご回答は、鏡になりました。

<立場が弱い方からの知恵

その通りだと思います。そのような庶民の生き方が、自分自
身を守り、社会の基盤を作っているのですから、それをとや
かく言うことは、悪と言えるのかもしれません。
ただ、立場の強い人間の、保身、エゴは、これは絶対にイカ
ンでしょう。

お礼日時:2015/09/29 08:52

またまたplapotiです。

(回答番号5,6,7)

>何か新しいものを作りたいという気持ちが強いからです。

これが文章の原動力ではないかと存じます。ちなみに私の場合は、パクリばかりです。

>「アホの正論」は有力だと思います。これを「庶民の正論」としてもいいのではないでしょうか?

私といたしましては記述のとほり、「庶民」「非庶民」の二元的対立はあまり考へてをりません。王様にご忠告を申し上げたときの反応につきまして、こんな言葉があります。

「同じことばを智者たちが口にしたなら死刑になりそうなことでも、阿呆の口を衝いて出ますと、信じがたいほど喜んでいただけるのです。真実というものは、人を傷つけないかぎり、本来聞く者の心を喜ばせる力を秘めているということですね。ですが神々は、阿呆たちにのみ、それをなさしめることとしたのです。」
(エラスムス『痴愚神礼讃』第36節 沓掛良彦訳 中公文庫 93,94ページ)

「人間とは実際にはどうあるのか」を哲学として具現したのは、ショーペンハウアーではなく、エラスムスのほうだと私は見ます。

今後ともよろしくお願ひいたします。
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この回答へのお礼

「阿呆の哲学」勉強になります。

こちらこそよろしくお願ひ致します。

お礼日時:2015/09/30 12:51

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