アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私は大学2年生で、教育学部に通っています。今度教育に関するディスカッションを授業中に行なうことになりました。そのお題が「今学校教育で、人間形成の上で必要とされるもの・いらないもの」というテーマと「現在の教師のあり方」というテーマと「教育基本法は改善すべきか」・・・3つもテーマがあります。↓
2週間前から考えているのですが全く思いつきません。現在社会で「キレる」「情緒不安定」・・・そんな子供たちのためにもっと道徳の授業が必要なのと、勉強だけでなく、人間として生活していくうえで自らの身体を動かして、何かを作る(野菜の栽培・掃除など)ことが必要というのも考えましたが、何の根拠もないのでディスカッションまで持ち込めません。ほかのテーマについてもそうです。
お願いします。皆さんの根拠のある意見をお聞かせ下さい。自信がなくても全然かまいませんので、どうかお力添えいただきたいです。お願いします!!

A 回答 (16件中1~10件)

今教育に求められること・・・独りでも生きていける力でしょうか。

つまり、判断力、忍耐力、批判的思考、論理的思考、想像力、内的外的関心、感性などなどいっぱいありますが、これらを高度な状態でもてるようにすることかな。
「学校教育で~」のいらないものは「運動会で手をつないでゴールするようなこと」です。世の中の現実と間逆をいっていますね。
    • good
    • 0

 少し教育に関係している人間です。


 「今学校教育で、人間形成の上で必要とされるもの・いらないもの」「現在の教師のあり方」の二点について考えを述べます。
 
 最も必要なものは「教師の教科専門家としての力量」だと思います。
 荒れる学校でどう授業を成立させるかとか、生徒指導の重要性とか言われますが、それらは教師の力量が問われる最も重要な問題ではありません。例えば、生徒が静かに授業を聞き、学習への意欲も失われていないとして(こういう学校は世間一般に思われるほど少ないわけではなく、むしろ多いのです)を考えてみればどうでしょう。そういう教室で、果たして教師が50分間の授業を通して、生徒を感服させるに足る内容の話ができるかどうか、それができないのなら、「荒れ」「生徒指導」がどうこうは本質的な問題ではないのです。生徒が静かに聞いてくれさえすればとか、もっと時間があればとか、社会全体に道徳心が確立しておればとかいうことは、教師の言い訳です。生徒を惹きつけて離さない授業をするのが教師のすべき最も大切な仕事であって、どんな状況にあるにせよ、教師自身にその力量があるかどうかが問われているのです。私自身もそういう力量を十分もっているわけではありません。しかし、その点に最も大きな課題があることを認めず、外部に原因を探す態度は見当はずれだと感じます。「道徳の授業」が充実し、「勉強だけでなく、人間として生活していくうえで自らの身体を動かして、何かを作る(野菜の栽培・掃除など)」こと等をしてみたところで、教師が教えるべき専門的教科内容そのものが魅力あるものでなかったとすれば、どれもむなしいと思います。
 教師以外の職業について考えて見ましょう。大工さんが住む人の満足する家を建てることができる、料理人が客の満足する料理を作る事ができる、染色家がすばらしい色に布を染める事ができる…、いずれも理屈でなく「知識と技術の蓄積」がものをいうのであって、道徳や人格が客を満足させるのではありません。教師の場合も基本的には同様ではないでしょうか。しかし、教師の場合、問題の所在が「知識と技術」にあるといういわば常識的な前提が忘れられ、問題が教師の人格や道徳にすりかえられやすい傾向があります。しかし、どんなに人格的に優れた教師でも、知識が不足し、技術が拙劣で、授業が魅力なくつまらなかったとすれば、教科教育の専門家としては失格ではないでしょうか。人格的にたいした個性や特徴がなくても(教師とはいえ、普通の人が就いているのですからこれは認められなければなりません)、教科内容の魅力を生徒に感じさせる授業をしていれば、その人は教師として立派というべきはないでしょうか。私は、例えば「サラリーマン教師」などと言う言い方で、教師に人格的な高さを要求するような考え方こそ、教師の教科専門家としての力量の不足を棚に上げさせ、本当に大事な問題から目をそらさせる結果を生んでいると思います。

 「今学校教育で、人間形成の上で必要とされるもの・いらないもの」「現在の教師のあり方」の二点について、最も重要と思われることは、教科内容に対する教師のプロとしての知識と表現力であって、それに比べれば、他の問題はいずれも枝葉だというのが私の考えです。
    • good
    • 0

いまの教育の問題は、政府・自民党が、憲法・教育基本法とかけ離れた政治を行ってきたのが元凶であります。

高校の希望者の全員進学を反故にし、競争に駆り立てるなど、人間を貶めるようなことをしていたのです。人権教育や法教育、性教育に、力を入れるべきでしょう。

参考URL:http://www.jcp.or.jp/
    • good
    • 0

人間形成にとって、自然が与える力は想像以上です。


自然の中で自ら遊び、行動し、考える力を育てるこができると思います。
その中で、あくまで子供達を自由にさせてやることです。子供達は自分たちであぞびを見つけ出し、仲間同士でなんとかやっていくはずです。

道徳では、子供の多様性を認める授業が必要です。子供達は自分だけが他の子と違うのではないか、という不安にかられるものです。そして、その多様性を教えるには、いろんな年代の人と接触する機会を持つことだと思います。
現代の子供達はひどい競争社会のプレッシャーの中で生きています。圧力は成長の障害になるだけです。
競争というものは、物差しが同じ中で起こるものです。しかし、多様性が認められているのであれば、例えば自分は勉強は苦手だけど絵は好きだから、それでいいという風にとらえられるようになると思います。
決められたことしかできないのではなく、自ら考え行動できるような環境を与えてあげるのです。そして、失敗をほめてあげられるような先生が必要です。
失敗の中から、成功へのヒントを自分でみつけられるようにアシストしてあげられる先生になってください。
    • good
    • 0

教育問題とは、今の日本に必要な改革の中で、最も重要で、最も緊急に解決しなければならない問題です。


しかし、この問題は、単に教育基本法を改正すればよい、といった単純な問題でもありません。
子供と接する大人達の意識改革が必要です。戦後教育の弊害が今、いろいろな形で、噴出しているのです。戦前の全体主義の反動として、戦後は、個人主義がもてはやされ、戦前教育の良い面も含めて全てが否定されました。個人主義は、悪ではありません。しかし、個人主義と、他人に無関心になる、ということは、同じではありません。なぜか、個人主義=無関心といった誤解が出来上がり、その無関心を教育されて育った大人が、実は今、子供を産んで育て、そして、教師をしています。
キレル子供や、凶悪犯罪の低年齢化は、われわれ大人が施された教育の中に原因がある様に思います。日本人が昔から持っている良い資質や、精神的なバックボーンを今一度見直し、そして、戦前教育の悪い点は修正し、われわれ大人が、日本人としての誇りを取り戻すところから、始めないと、根本的な教育改革はなし得ないと思います。
    • good
    • 0

回答になっていないかもしれませんが、キレる子をどうにかできるのは、教師ではありません。

親です。
愛が足りない子ほど暴れたり、自傷行為を繰り返したりしています。
以前、小学校にいたとき、自分の無力さだけが募りました。どれだけその子をかわいいと思っても、態度で示しても、家で親に「いらない子」と言われれば他の子をいじめてしまうのです。
その子が悪いわけではないに、その子に注意しなければならない。すると、余計に態度を硬化させてしまうのです。
子どもを教育する前に親の教育が必要だと私は思います。
本当に子どもをどうにかしたいなら、授業参観、運動会、学芸会ぐらいは親を強制的に(しかし、気持ちはいやいやでなく)参加しなければいけないという法律を作るべきだと思います。無理だとは思いますが、これは切れない子どもにする第一歩です。
授業参観に誰も来てくれない小学生の気持ちをわかってあげてください。
情緒不安定なのは愛がないからです。

No-55--Loveさんは、教師を目指していらっしゃるのだと思います。応援します。
でも、だからこそ忘れないで頂きたいのは、あなたができることなんて、親ができることの1%にも満たないことです。それをわかった上で学校ができる最高の1%を目指してください。
    • good
    • 0

空き時間に書いたんで文章としては汚いですが。



「今学校教育で、人間形成の上で必要とされるもの・いらないもの」
いらんもの→道徳の時間。眠いだけ。質問者さんも眠かったでしょ(笑)?あんなものよりも子供向けアニメ・戦隊ものの方がよっぽど効果が大きい。更に意外となかなか面白い(いやたまに・・)。
いるだろうけど優先順位は低いもの(やって欲しいけど)→野菜の栽培・工場見学など→自分達のまわりのことくらい知っててあたりまえ。
絶対いるもの→月一ディベート大会→キレるとか情緒不安定とか、現代の「心の病」なんていうのはすべてコミュニケーション能力の欠如からくるものだと思う。そしてこのコミュニケーション能力と言うのは、単純な技術の問題だけではない。マナーや心の持ち方も含みます。というかそっちの方がよっぽど大事。勝ち負け第一のディベートをするべきではないということだ(これは高校生くらいからで十分)。

具体的には、
(1)自分の考えはどんな考えであっても絶対に話し、自分の意見が間違った意見だと思ったら修正・撤回・謝罪をする。これを教える。特に修正・撤回・謝罪にこそポイントを与えるべき。
(2)相手の話はどんな意見であろうと絶対に聞く。論破する場合にも相手を叩き潰すようなやり方は最悪。論破してもマナーが悪ければ点数を与えない。

「現在の教師のあり方」
「標本であれ」という考えです。生徒が見て「大人ってこんな感じなのか」と漠然とでもいいので思えること。それにはお互いに上記コミュニケーション能力を持った接し方をするしかない。

「教育基本法は改善すべきか」
はっきり言っていらんと思います。これを言い出しているのはTVやら新聞でも戦争体験世代の方だけです。それは単に「自分達の時代よもう一度」という思いからでしょう。その世代の識者が言うには、「若者がおかしくなったのは年上・教師を敬えという昔の日本人が持っていた美徳を失ってしまったからだ。それをもう一度教えるためには教育基本法を改定すべきだ」ということなんですね。そんなもん学生からしたら「アホクサ・・」でしょう?教師だってそんなもんあったからって権限が増えるわけじゃなし・・。
    • good
    • 0

大学浪人中の(♀)です。

浪人生の身で図々しくも根拠ある意見が出来るかどうか分かりませんが、自分も「教育」については日々思うことがあるので、私なりの考えを述べさせて頂きます。

まず、3つのテーマは分けて考えるべきものではないと思います。切っても切り離せないテーマです。

α.1)「今学校教育で、人間形成の上で必要とされるもの・いらないもの」
―――――
小・中学校を卒業してからもう何年も経ってしまって、現在の小学校の制度や方針がどうなっているのかあまり分からないのですが・・・「ゆとり教育」!果たしてこれは人間形成の上で必要・不必要、どちらだったんでしょうか?(「ゆとり」不経験者)
文部科学省が子供達の人間形成“心”を求めて組んだプロジェクトが「ゆとり教育」だったんですよね。
しかし、開始早々親御さん達から不満の声が。
「“ゆとり”ばかりじゃこの子の勉強が心配よ!お受験が不安よ!(`д´)」
その結果、塾産業がどんどん発達していきました。そして子供はと言うと、
「学校なんかよりも塾とかの方が楽しいし、よく分かる(´∀`)」
・・・親子共々ゆとり教育を必要としていないのが現状です。そして、文科省のゆとり教育に泣かされたのが教師達。
ゆとり導入によって授業時間の削減、授業内容の大幅削減etc
円周率3.14は3に変更(ナメてんの、文科省?)~桁以上の計算は出さない(何故に?)教科書に電卓使用で解く問題有り(小学生ごときに電卓なんか使わすな!)

私の親は中学教師なのですが、ゆとり教育を「いい迷惑だ!」といった感じです。

ゆとりで「のびのび~」を想定していた文科省、始まり早々ボロが見えてきて人間形成どころかその低下。振り回される親・子・先生のことを考えるべきです。

α.2)「現在の教師のあり方」
―――――
「教師」って昔はすごく良いイメージがあったんだと思います。いい人、素晴らしい人、立派な人、尊敬出来る人、博識な人etc「教師」=イメージカラー・白 こんな感じ。
けれど、今はどうでしょう?
尊敬できる先生、どのくらいいます?今の「教師」って何をする職業ですか?
勉強をあたかも義務のように認識させ、勉強の丸暗記・詰め込み、「やれ学歴だ~やれ受験だ~やれ偏差値だ~」って同じ事の繰り返しで、それが尤もな言い方をして、「まっとうな生き方」だと押しつける。
勉強の楽しさを教えない、考える楽しさを教えない、答えは先生があらかじめ用意してあって、後々生徒はそれを鵜呑みする。
生徒中心ではなく、先生中心の授業・・・。
子供達はどんな先生を欲していると思いますか?
「勉強を教えてくれるだけの先生」なら近所のお兄ちゃんお姉ちゃん程度で務まります。
キレる・情緒不安定、そうゆうオーラの違う子を爪弾きにすることなく、子達を論理で説き伏せることなく、心を以て接することの出来る先生、心を寄せることのできる先生。道を説き、徳を説く―――
「現在の教師のあり方」=「“今”だからこそ求められる教師」というのは少し変だと思いませんか?
「今はこうゆう御時世だから“勉強だけ教える先生”なんて流行らないね」
とんでもない!今も昔もそんな先生、生徒は求めてません。時代が変わろうと、社会が変わろうと、求められている教師像はほとんど変わらないと私は思います。

α.3)「教育基本法は改善すべきか」
―――――
改善したところでそこまで何か変わるとも思いませんけど(←諦め?)改善して変わるもんなら改善するべきですね。

学力低下に歯止めを。数学・理科嫌いに歯止めを。本を読まない、読解力の低下に歯止めを。現在の教育基本法に見切りを。子供達に真の教育を。

結局、「踊る大捜査線」と同じで
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」
この一言に尽きます。お偉いさん達(文科省)は何も分かってないのです。


*・・・なんか無茶苦茶な回答で申し訳ありません。
参考にまるでならないと思いますが、no_55--love さんのが良いディスカッションになることを期待しています。
no_55--love さんのような方が今後の教育界に明るい光をもたらしてくれることを願います。

今の日本の教育は腐ってます。教育する方もされる方も。
    • good
    • 0

no_55--loveさんは素敵な先生になりそうですね☆



私は何を教育されていたらよかっただろう‥☆

キレたり精神的に不安定になったりしないような教育が求められるような気がします☆常に前を見て、そのコが正しいと思う道をまっすぐ進んでいけるような‥☆そのためには学校も家庭も、生徒が安心して時間を過ごせることがとても重要だと重います。そういう環境にあるコは絶対に間違ったことをしたくはなりません。

例えば誰かが理不尽なコトをした時、どう動くのか?
うまくいかない時はどうすればいいのか?
どの様にして、素晴らしいモノは創られるのか?(感動とか)

何にも役に立たない教育って何だろう。
出来事の年号を覚えるだけ、とかでしょうか?
みんながやってることに合わせるってことが正しいんだよってことも何の意味もないですよね☆

もしお子さんが生れたら、どんな風に育てたいですか?それをボ~っと考えてみると、教育に大切なもの像が浮かんでくるかもしれません☆

あまり役に立たなくて申し訳ありませんでした(T T)☆
    • good
    • 0

 no_55--loveさんは「陰山メソッド」はご存知でしょうか?


知らなければ、これについて調べてください。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!