プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは。よろしくお願いします。

工学部の学生です。ものづくりの職、技術職を目指してきましたが、勉強すればするほど、興味が薄れてしまいます。
(机の前の椅子に座っているからだめなのかもしれません。。)

今まで大学の講義を受けて、いつまでも受験の延長のように勉強して単位を取ってきましたが、疲れました。
けっこう、疲れてしまいました。

私はものづくりが好きなのですが、どうも工学部では、私の好きが排除されるような感じがして辛いです。
ものづくりの大切なこころ…手を動かし、手の記憶を作り、その記憶を自分の解釈、心と結びつけて、世界観を作り、主張する。そして、人に問う。人を幸せな気持ちにする。

工学部の技術的なものづくり…理論的に実証できるか、仮説を立てつつ、検証していく。あくまでも論理的解決が重要で、そこには行き過ぎた感性的な投影は邪魔な要素とされる。チームで議論し、最適解を探し、効率化、信頼化を図る。表面的な数値の改善が求められる。モノづくりの工程の一部を引っこ抜いて、数理パズル化して、その解決をしているような作業のような。

自分の感性では、数式が解けて快感だとかはありません。。

受験勉強まででは、我慢すれば、我慢こそ美徳だ。
とやってきましたが、結局それが大学入って、これが勉強したい、あれが勉強したいと意気揚々な人と比べたら、笑えない状況になります。

そして、最近、技術関連の雑誌を読んでみました。→日経ものづくり、日経エレクトロニクス。
読んでみてようやく分かったのですが、技術職というのは、一生、発展する技術の勉強と、発展の中で認められるほどの技術の実現競争に巻き込まれるということだと思いました。

そうすると、モノづくりに関われるが、いつか廃れてしまう技術競争の歯車として、生きていくのがエンジニアなのかなと思うようになってしまいました。(言い方は悪いですが)
もちろん、技術的困難を突破した中に、トンネルを抜けて、明かりが差し込んでくるようなまばゆい感激があるのだとは思います。

しかし、それでも、人の原点の心に立ち返ると、数式や物理が発展する前の、古代の道具、武具を作った人には、「これを作りたい」というこころが備わっていたかと思います。
そして、その道順は、こころを伝わり、人の手を伝わって出来上がるもののように思います。

それに対して、現代では、その人の手が取られ、こころも規制的な観念、コスト、納期などの制約の中で、自由になりきれずに、頭だけ動かして、効率化した解を求めようとしている。そんな風に思います。
そして、ものづくりにはそのような所にはない感動があるのですが、それを味わえずに全世界的な技術競争に巻き込まれ、自分は自分の仕事をできたのかどうか、わからず、それでも、還暦まで、何とかやってこれたのだから良しとしよう。と、人生を終えていくような気がしてならないのです。

技術職のやりがいを、自分は理解できないです。でも、もし技術職として生きてそのものづくりにかけるこころを持った言葉を感じ取れる、出せる方がいらっしゃいましたら回答していただきたいです。
お願いします。

ものづくりが好きな人は技術職に生きて後悔が無いのか。これは私が解決できないテーマです。
つまるところ、ものづくりが好きな人は、最終的には自宅に工房を持つような気がしてなりません。。。

A 回答 (9件)

おじさんです。


「自分の感性では、数式が解けて快感だとかはありません」
→あなたは素晴らしいです。
つまり、理系馬鹿ではないからです。
もの作りに関するあなたの感性は正しいです。
現代の理系大学の内容に問題があるのです。
その一つに教員の偏狭さがあります。
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モノ作りに役にたつであろう学問、知識を勉強している最中ですよね。


将来、技術者になるに有利だろう、という学問です。
今現在、技術職、職人をしていないのですからわからなくて普通では?

ちょっと前、局は忘れましたがTV番組で、大学の建築課卒の人を積極的に受け入れて成功している工務店の話を見ました。
知識は十分会得した人を、実践の場で働かせると、学力が普通の人が若いころから修行して・・・よりも効果的らしいです。
大卒で知識は十分あっても、実務的な知識、技術は無く、下っ端のうちは決まったパートのみ担当や雑用担当です。
ですが、安給料でもやりがいと夢を持って働いているようです。
インタビューすると、将来は自分で理想の家を作ってみたい、とか・・
勉強してきたことが実際に目にできて自分で手をかけられるのは楽しいようです。
知識をふりかざして、自らの腰を上げない人は合わないでしょうね。

知識と実践は違います。
残念ですが、実践的な技術を身に着けるのは経験しかありません。
知識を十分身に着けたら、就職して、一生懸命、技術を身に着けてください。
それで、3年くらいは頑張ってみて、また、ふと、考えてみましょう。

やらないうちにアレコレ考えてもしかたないです。
また、若いうちから方向を限定する必要もありません。
やり直す、という道もありますから大丈夫です。
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あなたの感は正しい。

だからこそ病むのだ。
日本はEMS(仕様書発注)、他企業の買収で延命を図っている。
技術者や自社の技術者を慮る(おもんぱか)ことなどさらさら無い。
技術より金なのだ。
だから、巧みの腕前を持つものに対しても嫌なら辞めろという態度を取る。
その前に、PCにてデーターを取る。
日本は技術より金なのだ。
あなたが、技術を取るのならばやいば(刃)関係の仕事を取るがよろしい。
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構、ニュークリア・エナジー、なんて頭がおかしい人かも、という人たちが集まっている。
この国はそういうものなのだ。
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私は電気・電子が専門で、会社(メーカー)勤めでもその線で行きましたが、仕事ではなく趣味(いまは肩の荷を降ろして道楽と称していますが)でエレクトロニクス関係のモノ作りに興じてきました。

もともと小学校に上がる前から(もう60年以上も昔の話です)乾電池、スイッチ、豆電球、ベル、モーターなどを弄っていて遊んでいましたから。

仕事を離れて趣味でエレクトロニクスのモノ作りに興じるために、エレクトロニクス関連の測定器(たとえばオシロスコープ)はたくさん買い込みました。金額にすると100万円以上にはなったと思います。エレクトロニクスのモノ作りには各種の測定器を備えることが欠かせませんから。
これを駆使して面白い(世界のどこにもないオリジナルの)エレクトロニクス製品を自分で設計し組立ててきまして、某有名エレクトロニクス関連月刊誌には20年以上にわたって製作記事を書き続け(毎年200万円~300万円ほどの原稿料を手にしていました)、単行本も3冊出しました。
初期の頃はステレオアンプ(当時は真空管式)やスピーカーなどを組み立てていました。エレクトロニクス化が進むと、たとえば自宅の郵便ポストに何かが配達されると「お疲れさま!!」って言うような工作もしたんです。いまではしゃべる機械は珍しくありませんが、当時はビックリものでした(郵便屋さんを驚かせてしまいました)。

いまはもう歳で目が悪くなりハンダごてを握るのも苦労するようになりましたけれど、庭の片隅にある倉庫(イナバの大きな物置)には電源を引き込み、ボール盤をはじめ各種の工具を置いて簡単な作業ができるようにしています。工房というほどではありませんが。

ものづくりが好きな人は(私が思うに)凝り性なんでしょうね。打ち込むわけ。仕事として、ビジネスとして、モノ作りに手を染めるのは、たぶん面白くないと思いますよ。「こころも規制的な観念、コスト、納期などの制約の中で、自由になりきれずに、頭だけ動かして、効率化した解を求める」ようになるので、決して自分の思いどおりには出来ませんから。

ホントにものづくりが好きな人は、自分の趣味として、道楽として、ライフワークとして自分のやりたいようにやるんでしょうね。仕事として、ビジネスとして(義務化されると)、モノ作りに興じることはたぶん出来ません。

いま私が道楽としてやっているのは実は写真なのですが、自分だけの、世界にどこにもない撮影機材(エレクトロニクスのモノ作りをベースにしたもの)を考案・製作し、それを使って世界の(たぶん)どこにもない特殊な写真を撮っています。これが楽しくて…。
モノ作りは、机上で考えた理屈っぽいことが中心になってはダメで、自分の手を動かし、汗も流し、実践的でないと面白くありません。

全世界的な技術競争に巻き込まれるのはビジネスの世界に身を置いてのモノ作りだとそうなるわけで、自分の趣味として、道楽として、ライフワークとしてやると、採算性や売れ行きにまったく関係なく、世界のどこにもない自分独自の面白いモノが作れます。そこは技術競争なんて無縁で、むしろアイデア勝負の世界ですね。
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ものづくりが好きな人は技術職に生きて後悔が無いのか


    ↑
大きなものづくりなら、企業で、つまり組織で
やるしかありません。
そこでは、物づくりといっても、その一部だけに
携わるだけです。

組織の責任者になっても、統括という仕事を
やるだけになるでしょう。

そもそも、質問者さんがやりたいものづくり、って
なんでしょう。

設計ですか。

旋盤を動かすような技能職ですか。

旋盤だって、大きな仕事なら、部品の製造の
そのまた一部に携わるだけで、やる仕事は
同じ事の繰り返しで、ロボットみたいになる
だけです。

中小企業にでも勤めないと、ものづくりの醍醐味は
味わえないかもしれません。



つまるところ、ものづくりが好きな人は、最終的には
自宅に工房を持つような気がしてなりません。。。
    ↑
そういうことです。
趣味でやるか、職人として生きるか、になると
思います。
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現実の女を好きになる前に愛を語っておなか一杯になっちゃった感じだね


具体的に何を作りたいのかイメージしてみたらいいと思う
そのための知識であり技術であり哲学であろう
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大きな勘違いをしているような。



「ものづくり」とは求められた物を作ることです。
作りたいものを作るのは趣味。
作りたい物を作る人もいるでしょうが、作成者が亡くなれば忘れ去られます。
他人に必要無い物は作成者以外にとってゴミだからです。
一見自由に作ったように見える芸術作品ですら、購入者が保存した物しか現存していません。

顧客に求められるのは品質です。
品質とは性能、納期、コストを合わせたものです。
性能:必要な作業が出来るか
納期:必要なときに手元にあるか
コスト:必要なときに購入できるか
一つでも欠けたら何の役にも立ちません。

顧客の頭の中にある漠然としたイメージを創意工夫して実際の製品に変える。
かつ顧客が必要とするときに入手可能な状態にする。
それが技術職の主なやりがいだと思います。
顧客のお願いを制約と感じるようなら技術職は向いていないと思います。
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私は、絵を描く”ものつくり”ですが、正直なところ、収入らしい収入がないので、家計は夫に任せきりです。



夫は、石油化学かつ、電気系のエンジニアです。もうすぐ引退する年齢ですが、今でも大学でとった、解析の教科書を大事に持っています。自分の仕事の原点になったからでしょう。昔は、手作業で図面を引いていましたが、最近はコンピューターばかりです。

年を取るとともに、経験も積み、チームワークの難しさにも慣れ、最近は、石油化学プラントの、安全装置担当さんのようなことをしています。何かの手違いで、爆発事故が起きる前に、プラント全部、あるいは、一部を自動的にシャットダウンする仕組みを作って、維持してゆくのが、どうやら性に合っているようです。

周りには、女の子で初めて、地理学者として、石油発掘にかかわって、最初は女だと馬鹿にされたけれど、最近はようやく認められた、と張り切っている人や、石油精製工場をたち上げるために、州外や、タイまで出張っていくエンジニアの女の子もいます。質問者さんは男性かと思いますが、そういった仕事には、やりがいがあると感じる人が多いようです。いい遅れましたが、石油のメッカ、ヒューストン在住です。

夫はというと、おっしゃるように、ごく最近まで、PEの試験を何度も受けていました。勉強に時間がかかりますね。

ご質問を読んで、感じたのは、ご存じのように、工学といっても、機械工学、土木工学、環境工学、コンピューター工学。。。などなど、四十種類近く分野があり、その中でも、土木あたりは、もう少し、ものづくり感、臨場感があるかもしれないなぁ、などと思い、回答いたしました。

ただ、最近は、インドあたりのエンジニアが台頭しており、コスト・ダウンやを迫られるので、どの分野でも、厳しい競争力が必要になるのは、ご存じのとおりです。

ご健闘を祈ります。
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今は口だけの人に先人の知識と情報を得る


実践でその蓄えた知能を応用するわけで
今つまらないのは当たり前です。
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