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論理ってなんですか?

A 回答 (11件中1~10件)

論理と理論は違いますが、ここでは同じような


モノとして考えます。

結果と原因を因果の流れで結びつけるのが
理論です。

なぜ、そんなことが必要なのか。

ヤカンに水を入れ、コンロに掛け点火すれば
お湯ができます。

おそらく一兆回繰り返しても、お湯が出来る
でしょう。

しかし、一兆回の次はお湯が出来ないかも
しれません。

お湯が出来る、と保証するのが理論です。
だから、理論が構築できれば、予測が
出来ることになります。

社会科学では、この理論はあまり信用出来ません。
経済学などその典型です。
経済理論など外れてばかりです。

自然科学では、一応信用できますが、
それもパラダイムの内部に限定されます。
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繋がり



それぞれが、どのように繋がりを持っているのかを組み立てれば「論理的」であり、繋がりその物を書き出せば それが「論理」になり得る。
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辞書によると、「考えや議論などを進めていく筋道。

思考の妥当性が保証される法則や形式。」となっています。大体こんなところでいいのではないでしょうか。

論理学でいうところの論理はすごく狭くて、矛盾率や推論規則などのように我々がア・プリオリに持っている判断基準を公理化したものを指します。注意しなくてはならないのは、その中にはいわゆる帰納法などは含まれないということです。

我々が実際にものを考える場合は、論理の前提となるものが必要になります。数学では公理がそれで、公理の選び方によっていろんな数学が展開されます。自然科学の場合は経験から帰納された「法則」や事実を前提に論理を積み重ねて新たな理論や法則を作り上げる、ということを繰り返します。

論理的に正しい手順で考えられたものは、前提さえ正しければ必ず正しい結果が導かれます。自然科学の場合は導き出される理論がすべて仮説にとどまるのは、前提となる法則がすべて帰納法によるものだからです。
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土台からの整合性を外さないようにした積み重ね、


みたいな言い方はどうでしょうか。
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ああ、一方で、筋書き通りには行かねぇよ、何て言う事もありますよね。


論理の虚実ってものがそこにはあるのでしょう。
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筋ってやつじゃないでしょうか。


筋が良いねってことは合理性が実現されているとか、分かってるねって意味にもなると思います。
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1.論理の原点は、「単位と相互作用」の発生に始まる。


不確定性原理において、「無=不確定性無限」となる。
存在確率が無限に拡散すれば、存在=空間的有限性をなさず、
相互作用はできない。論理は成立しない。

2.「無=不確定性無限」の潜在的認識可能性において、
異なる仮定断面の自覚化(hの収束=物体の収縮=宇宙膨張)
=時系列化を仮想的時間軸とし、その経験において、究極的
に超弦=量子定常波(量子=仮想的時空に対する無の射影)
に還元する階層現象性を、経験的に表面的に(いい加減に)
捉える事で、有限な存在性を可能にし、その「階層現象性」
の下層に潜在する原理的共通性(媒介粒子)の確率的交換
において、相互作用は可能になっている(光量子の交換=
電磁相互作用、重力子の交換=重力、中間子の交換=核力)。
この、「時間の経過」「存在=単位の発生」「その相互作用」
がそろう事が、「論理」の前提条件である。

3.その存在=対象と、感受=概念の双方に、先述の「階層
現象性」が関わって、「論理」を可能にしている。
概念の発生は、経験の蓄積において、グループ化が可能な
要素の集合が得られるからであり、それは、階層現象化に
おいて原理的に共通性がある、あるいはその階層現象化した
進化(物質進化~化学進化~生物進化)の過程で系統を共有
する事が、類似性を生むのだ。
その「グループ化」されたイメージに条件反射的に言語を
結びつける事で概念は生じ、その組み合わせの中で抽象的な
概念(相互作用を含む)につながり、「論理」を可能にする
のだ。
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論理とは、と考えるヒントに「行動の論理」とは、と言う問いをご自身で考えてみて下さい。

論理は決して言語空間に固有な概念ではありません。
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「論理とは何か」というのはかなり漠然としており、私がそれに充分に答えるにはあまりに大変で、概括的に答えるとあまりに漠然とするので、(そこについては、ご勘弁ください汗)論理というのは、「論理的に正しいとは」に実は、本質的にかなり繋がりますので、ここでは主にそれについていいます



論理とはまず、かなり概括的に言いますと、考えの筋道、思考の手続きについての概念であって、実は、「論理的に正しい」というのは、その結果が「現実に合致してるか否か」ではなく、その考え方は、正しいか正しくないか、また妥当か妥当でないか
それに付加されるように、健全かそうでないか(健全性とは、考えに於いて前提にしていることは、本当に正しいのかな?というようなもの)というものです

犬であって、人の言葉を喋るならば、犬だろう

というのは、日常的には不自然極まりなく、おかしいだろ!どこが論理的やねん!と思うかもしれませんが、実は論理的には正しい推論であります

しかし、「犬であって人の言葉を喋る存在なんて、いる?いるわけないだろ」というような問題になるのが健全性について、ということですね

健全性の保証があるかどうか、というのは、論理的な正しさに影響せず
論理的な正しさとは、その考え方にのみ依存します、上の例でいえば、「○であり△である存在については、少なくとも○ではあるだろう」という「考え方」は、明らかに正しい、ということです
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「源義経の母親はナポレオンである」という論理学の問題が、いまツイッターで話題沸騰だそうで・・

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