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まず、9条の原点はどこなのか?から始めなければならないと思います。
マーカーサ元帥による「マーカーサノート」の第2原則、「国の主権的権利としての戦争は廃止する。…(以下省略)」にありました。
その条文にある「戦争」とは二通りの戦争があります。
一つ目は、「紛争解決の手段としての戦争」(戦争放棄)、二つ目は「自己の安全を保持する為の手段としての戦争」(自衛戦争の放棄)です。
一つ目の戦争放棄は、1928年の「戦争放棄に関する条約」(不戦条約)を引用しており、その規定は自衛戦争を排除するものではないと、国際的な合意があります。
そのことを承知した上で、二つ目の自衛戦争の放棄と共に「日本国憲法」に加えるように求めたものです。
しかし、GHQで検討された結果、1946年2月13日、日本側に示された「GHQ 案」では、現在の日本国憲法第9条通りでした。
その経緯は、マーカーサノートの2つ目の戦争である「自衛戦争の放棄」の条項がすっぽりと削除され、代わりに新しく「武力による威嚇または武力の行使」が加えられたものに変更されていたのです。
当時、GHQ案を取りまとめ総司令部民放局次長であったチャールズ・ケーディス大佐の宅を訪問した記録(1984年)に「~自衛戦争放棄を削除したのは非現実的だと考えたものです。また当時、国連憲章で『武力による威嚇または武力行使』の限定的な放棄が規定されていたので、加えたのです。~」との証言があります。

憲法9条は自衛戦争放棄、自衛隊は違憲と唱える方が大変多く居ますが、本来なら自衛戦争放棄の条文もはっきりと明記しているものではないでしょうか?
憲法9条を考える際、国連憲章はもとより、当時の様座な国際法も視野に入れる必要があります。
憲法9条は条文そのもの言葉だけで考えているよりも広範囲な国際的な知識や感覚がいるものと考えてます。
やはり、日本語訳ではなく英訳から思考したほうがベターだと感じました。
私は現在までの段階で、マーカーサノートの「非現実的」な内容(自衛戦争放棄)から、GHQ案の「現実的」な内容(自衛の為の武力行使は可能)に変更されたものと認識してます。
つまり、憲法9条は、自衛戦争を放棄しておらず、自衛の為の武力行使は可能であり、その為の組織や団体、つまり、自衛隊と言うことですが、憲法違反ではないとの認識になりつつあります。
私の作業はまだ終わりません。
この先、国内議論、政府見識や国会議論、憲法学者などはまだまだ目を通さないとならない作業があります。

私のこのような安易的な認識について、皆様の意見を求めたいと思います。

A 回答 (6件)

法律をどう解釈するかは、永遠のテーマではないでしょうか?十人十色ですよね!

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この回答へのお礼

何を述べても構いませんからね!
「言論の自由」

十人十色とは?

如何に解釈するかは「個人の自由」と言うことかな?
そうだとすると、法律の意味を完全に失ってしまう恐れもありますよね。
秩序は乱れ、社会崩壊へと繋がってしまいます。

お礼日時:2016/09/30 17:01

直接的表現は無いにしろ事実上の自衛も放棄しているとも捉える事が出来ます。


何にしろ日本語による表記に於いては曖昧な点がありますのでその曖昧さを利用しての解釈論で圧してきたし逃げてきたのが
今に至るまでの歴代政府。
ですので解釈に於いてはNo.1の方の回答にも有ります様に十人十色。
自衛の為の武力行使に於いては専守防衛として曖昧さは残しつつも明文化した方が良いでしょう。
曖昧さを残さずデジタル的表現にしますと、想定外な事が起きた場合に対処出来ませんからね。
何れにしても現行憲法九条は解釈論も限界ですし自滅条項ですから、時代に合った内容に変更すべきでしょう。
自民党草案には賛成できませんがね。(笑)
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この回答へのお礼

そうか!
十人十色とはそう言う意味か?
あなたの回答で納得しました。
確かに仰る通りです。

ある法律での許容範囲での「想定外」は有り得ますが、憲法を考える上で「想定外」とは?

その曖昧さを国民は半世紀以上も放置し、曖昧を正す作業もしないで9条下の自衛隊を支持しているようかに見えます。
政府も政府ですが、国民もその曖昧さに責任があるように感じます。
自衛権も放棄している見識も生まれていたのなら、この問題はもう既に9条改正して解決していると思います。

今となって問題が急浮上し、今まで考えていなかった者が急に芽生え、それこそ「十人十色」となっているわけですが、法には必ず根拠があると思います。
曖昧ではなく納得していないだけで?との考えもありますが、大半の国民が判断する資として、まだ充分に知識を知らないだけと思います。

私はこれを求めて9条を考えて参ります。
有り難う御座いました。

お礼日時:2016/09/30 18:11

そういう意味で言った訳ではないよ。

裁判官でも一人一人違ったりするからね。
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この回答へのお礼

はい、2番さんの回答で仰る意味がわかりました。申し訳ありません。
今まで否定してきた集団的自衛権容認の解釈も憲法解釈を180度へと転向させた見事な業であり、「十人十色」とは、仰る通りですわ!
有り難う御座いました。

お礼日時:2016/09/30 18:20

現在、自衛戦争まで放棄している、と解釈


している学者はほとんどいないと思います。

ただ、自衛戦争を認めるから、直ちに自衛隊が
合憲だとするひとも、これまたほとんどいません。

自衛戦争を認めているから、国民のゲリラ的
闘争や警察力により抵抗は許される、というのが
おそらく多数派ではないか、と考えます。

かといって、かつては自衛隊違憲論が大多数でしたが、
現代ではなんとなく認めてしまっている、という
のも現実です。


憲法解釈総てにいえますが、特に9条は前文を
加味して解釈する必要があります。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
 われらの安全と生存を保持しようと決意した」

この部分です。
この部分と9条を併せ読めば、世界10指に入る
軍事組織である自衛隊を認める余地はありません。





まず、9条の原点はどこなのか?から始めなければ
ならないと思います。
  ↑
そんな必要があるのでしょうか。

今の憲法は、日本が二度と逆らわないようにという
意図のもとに、米国が占領中に作成したものです。
それだけで、国民主権に違反し、無効です。

無効な憲法の文言をいじくり回して70年。
神学論争はもう終わりにすべきだと考えます。
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この回答へのお礼

憲法に学者は必要ですか?
学者の認識が正しいのですか?
憲法のことは全て学者に任せれば良いでしょう。
まるで共産党と全く同じ解釈ですね。

お礼日時:2016/09/30 22:31

自然法の世界に自衛破棄は、生存を破棄になるのです。

誰も認めない事なのです。デスティニーに都合が良いからでは、法律事態が壊れます成り立た無いのです。
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自衛破棄を認める幾ら何でも自然界にいません。

猫や犬でも自衛するのです。
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