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愛とはなんですか?
心を受け止めることが愛ですか?
わかりません教えてください

A 回答 (18件中1~10件)

性愛することを、一般には愛と言っていますが、これは自己本位のものです。


真に愛を持つならば、寄り添いつつ人間として生きていく道を探し求めて人生の旅をすることと言っていいでしょう。この寄り添うためのスキンシップとして、性の営みを介在させています。どんなに熟年になっても、高齢になっても、この肌の触れ合いというコミュニケーションにを持つことが、スキンシップとなって愛となるでしょう。
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人を慈しむ心



求愛と施愛とのバランスが保てなくなったとき
人はあなたと同じ様に愛を見失って立ち止まる
実際には形をなしているモノではないが…

愛されることより
愛することを。
理解されることよりは
理解することを。Mother Teresa
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なんだろうね?


よく分かってないのに参加

とりあえず、押し付けるものでも押し付けられるものでも無さそうではあるね

頭で考えるものじゃなくて、感じるものっぽくはあるね

んで、個人的にはあふれ出る枯れる事のない泉みたいなもんかな?と思ってます。
自分の中から勝手に出てくるもののひとつかな?と。
心が揺り動かされて、自分の内部から出てくる感じと自分の体感的には思ってます

衝動で、直感的で、感動の一種で、誰の中にもあるものみたいなそんなものかと。

私に言えるのはこんくらい
どーぶつですね

また、ある経験?から、ただあるものみたいにも思ってます
しゅーきょーてきみたいになっちゃうけど、私もいろいろ悩んで、ぐるぐるして、倒れたりしたりして、世界の根幹の中に永遠にある愛みたいなものをみたよーなみなかったよーな
んでもってこれはみんな繋がってるから だいじょーぶ! と。(なんて楽天的!)

誰の中にも、あなたの中にも繋がってあるからだいじょーぶ
頭で解らなくても、体やその内側が分かってるから
あせらんで、ゆっくり行っていいと思うよ

急激に答えを出させようとしてる方がいるとしたら注意してね
その人に それがあなたの愛なの?と聞いてみるのもいいかもね


愛ってなーに?
どーいう定義のものなのか、私も興味があるから参加してみた
難しい話はどっかの誰かに丸投げして、他の回答を楽しみにしています
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こんにちはメルクリウスと申します。

昨今、哲学の板にやってきました。難しいこと考えています。日暮

ここには、いろいろな回答があって素晴らしいですね。

難しく定義することはいくらでもできますが、その辺は上に書いている人々に言葉を譲るとして、簡単な部分の説明。

愛とは、「心を真ん中に受け入れる」事と書きます
 (僅かに下の部分が異なりますが)

貴方の心の真ん中で、考え受ける事ともいえますが、
心を真ん中に据えて、相手を受け入れる事とも呼べます

貴方が愛を知りたいなら、貴方を愛する人・愛したい人の言葉を真摯(しんし)に受け止め、考えることが重要です。

誰でもいい、貴方にやさしくしてくれた人、幼いころから守ってきてくれた人の心を受け入れてほしいです。考えること・・優しさを受け取らなければ、言葉で愛をいくら飾り立てても、本質は永遠にわからないでしょう。

また愛は無関心の反対とも言います。
人の心に無関心であれば、アイは見えません(未明の闇)

貴方は愛に疑問を持ち、深く触れてみたいと考える段階に至った、ある種、思春期(思瞬期)でしょう。
ここから、どれだけ学び、また愛を深めるかによって、貴方の周りの人を幸せにする、愛を与える人にもなり得ます。
また考えることをやめることで、特に哲学という厄介な難題に生きる人々から遠ざかる事も出来るでしょう。
しかし生きている限り、考えることは完全にやめることはできません。
遅かれ早かれの違いかもしれません。

難しく考えず、気の合うトモと共に、今を謳歌するのも良いでしょう。
それもまた、貴方の生(聖)を彩る 個性となります。


◎ここで愛の定義を一つ。■漫画:タッコクの読み解きより、

見詰める事。その情熱こそ愛の根源..
いつまでも見詰めていた、そのすべてを知りたい。
 (知的には、飲み干したいという欲求にも似る)
だからこそ、その人の為にどうすればいいか考え、
考える時間を、情熱に費やす。

人の命は限りあるもの。しかしそれをも、一片の悔いもなく惜しいとも思わず燃やし尽くすに似るもの。それが、激情の愛です。
劇場はロマンチズム、しかし夢のごとき儚さで世界を見てはいけない。

純粋な愛は、見返りを求めません。
しかし、見返りながら、相手に欲求を置くところに、恋の色どりは存在します。未熟でも人は恋愛の道を歩き出します。
また、相手が未熟なうちに、見返りを求めない愛を与えても、また意中の相手の人生に妨げを生む場合もあります。

傲慢になっては愛は消え失せます。理解したという奢りこそが、いずれ最大の敵となります。それは人類が争いをやめられない事にも似ている。

愛しい相手を己が瞳に写し続け、何故、この感動が、生れ落ちた自身に与えられたものなのか、それを問い、そして、感謝したことを忘れてはいけない。心に刻み付けておかなければいけない。

それを忘れない限りは、愛をおざなりにすることにはならないでしょう。

((瞳においても))
鏡写しは自分を見返る為のもの。
いつか触れてみたい(心に)と、思える相手に出会えるまで。
愛に惹かれるなら、探してみることも良いでしょう。

昨今、熟年離婚なども増えていますが、それにも原因はあると思います
永遠は、どこにもない物ですが、それでは言葉として作られた意味がありません。
永遠がある場所・・それは、その瞬間まで (始まりから)、今を生きるまで永遠に終わりがないと信じられる存在にこそ、その人の中にこそ永遠はあります。
私は愛が、今も永遠の旅の途中にある物ではないかと考えています。

・・ 人の幸せは人の営みの中に、されど苦しみとも背中合わせ ・・

それでは、ここまで読んでくださった方々ありがとうございました。
皆様の人生に幸あらん事を。あなたの
青春に桜花・・ (ロマンチズムは浮き過ぎるので気をつけましょう。世間的に(笑) )

シェークスピアは、愛の詩聖。永遠の魂に刻まれ詩編を残せし人物です。何故なら、愛する人の像を、愛するという行為と共に、自らの詩に残せたからです。永遠と呼ばれる賛美と共に。アディオス!愛の哲学を探究する方々。アイトウアイトハ
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愛とはいと惜しむ心だと思います。


相手をいとおしむとは相手の生をいとおしむこと。
相手の生をいとおしむとは
相手の生の証としての個性の発現を祈る心。
相手の気持ちに接するにあたって
そこに矛盾すると思えば受け止めることだけが愛ではない
みたいな気がします。
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>心を受け止めることが愛ですか?



うーむ。もしかして、男かなにかに求愛されて断ったら、「おまえには愛なんて分からない」と罵られたんじゃないですか。それなら、「おまえこそ分かっていない、おまえのはただの押し付けだ。愛と呼ぶに値しない」って言い返してやれ。

こういうのは、人に聞くんじゃなくて、自分で見つけて行くものなの。そして、受け入れてくれる人がいた時、初めて「自分の思う何かは、愛って言葉で呼んでいいんだな」とわかるものなの。

他人に聞いたり、辞書を引いたり、有識者に聞いて「そうなんだ、愛ってXXXなんだ」ってわかるものじゃないの。お分かり?
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愛は与えてもらうものなのか、与えるものなのか。

おそらく後者です。
単に好きでは愛とは呼べません。相手を想っての愛です。
愛は目に見えないものです。なので、与える側にしか愛は分かりません。
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愛に溢れた生活を送っている人ほど、愛とは何かを尋ねたがる。


あなたの心にいつも寄り添っているそれのことです。
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見返りを求めないで、相手の幸せを心から願う気持ち

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