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認識と意識は同じ意味となりますか。

私の考えでは、
認識という心の働きはすべての生物に備わる能力。
下等生物では、物の存在をキャッチする働き。たぶん五感という事になりますかね。
高等動物では、五感に何か加わりますでしょうか。
さしあたり、結論としては五感の作用を認識と云う、と。

そして意識という心の働きは、人間にのみ備わる能力。
〔・・・・・・・・・・・〕
〔・・・・・・・・・・・〕
と、〔 〕内にはいろいろと補助的な一文、を入れられるかも知れません。

ご意見いただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • 皆さんの回答がどなたのもハイレベルなので、理解することが大変です。目下勉強中である事を報告しておきます。忘れないでおいて下さい。

      補足日時:2016/11/14 15:12
  • 哲学辞典に認容と云う項目はありませんでした。

    tanzouさんが使う認容は、意のちからが働いているように思います。
    また、瀬里香さんは意識が向く対象物を認識すると云っています。

    そんなところから、認識は表象に"意"が加わっているように思い始めています。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/24 08:12
  • 時間感覚と空間感覚を入れ物、容器と看做しました。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/24 08:37
  • "本来は何も無いのだ・派"はそのことを認めたくはないのだと思います。

    でも、"裏返せば、ぎっしりと詰まっている"なんて云ってもいるし。
    どうなってるんでしょうね。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/24 08:47

A 回答 (16件中1~10件)

ドイツ語か英語で書きなさい。



日本語で書くから、なんとなく分かったような錯覚に陥って自己満足しているんだ。
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日本語で考えたって、"さしあたり、結論としては五感の作用を認識と云う、と" 言葉遣いがおかしいです。

 なにを言いたくて、"さしあたり"で、"結論として"なのか、わからないです。
"心の働き"って、なんでしょう。 "すべての生物"には、シメジやコンブ、白菜、微生物も含まれているのですか。 通常は、"五感 ⇒ 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚"と想像しますが、 サザエに視覚や聴覚、嗅覚があるとは、なかなか想像出来ないです。
"高等生物 下等生物"って、wikiなどでも、「高等生物:より進化の進んでいるとされる生物を指す言葉である。下等生物に対する語として使われた」「進化が進んだ生物と進んでいない生物が存在すると考えられていた」「高等植物、高等動物」
犬や猫、鹿や熊も、鳥も、魚も、"気配を感じ取る"ように見受けられることはあります。 これが五感の作用なのか、心の働きなのか、体の働きなのか、皮膚や体毛/体表部分の連鎖反応なのか、筋や神経の反射反応のか、区分の方法がないです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89 …

"結論として"、"さしあたり"、日本語の勉強をやり直すことをお勧めします。
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この回答へのお礼

ここでの質問や回答?は日本語の勉強も兼ねています。
以前よりはだいぶ良くなったかなぁ、とうぬぼれていますが、それでもこうした注意をされると心、引き締まります。

さしあたり、と云う表現は、取り合えす、または仮にと云う意味で使ったのですが、良くなかったでしょうか。
"結論"は仮定です、と云う思いの意志表示だったのですが。
回答が欲しい、という私の思いを込めたつもりです。

心の働き、とは心の能力の事を云っています。よく言われる理性とか感情とか意志とかいう心の"作用・反応"の事です。
すべての生物に"五感"という働きが備わっているとは思っていません。
ただ、生きようと云う"意"は有るように思います。

アメーバだって、自身の存続に都合がよければ、対象の物を取り入れるし、悪ければ避けるような行動をとるから。

気配を感じ取る。
この表現は気に入りました。いいですね。
区別できない、と云うところも「真理」の表われかも知れない、とも思いました。

回答、有り難うございました。

お礼日時:2016/11/11 17:39

認識と意識は同じ意味となりますか。


   ↑
認識というのは、表象と認容に分解出来ます。

ここで認識を、表象の意味だけだと考えれば
認識と意識は異なることになります。

質問者さんが使っている認識、という言葉は
表象の意味だと思います。



高等動物では、五感に何か加わりますでしょうか。
   ↑
認容が加わります。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

認容、と云う言葉を初めて知りました。

まだ、考えがまとまらないので、補足欄を使うかもしれません。

有り難うございました。

お礼日時:2016/11/12 00:01

認識は、認知(cognition)と再認(recognition)を合わせたほどの意味でしょうか。


知覚は感覚情報の検出や処理に関わっていますが、認知や再認は、感覚情報から意味を引き出すのです。
こういう作業を指して、知覚刺激を弁別する、と言います。
そこには、知識の獲得、符号化、検索、再生、マッチングなどの情報処理の過程があり、また、色や顔などに対する特化したモジュールが確認されています。
人間の場合、イメージ情報と言語情報の異なるシステムが相互連絡して、1つの体制を為していると考えられています。

意識(consciousness)は、精神的経験について内観の報告を自分自身が持つことです。人は、遂行されている低次の認知過程を、はっきりと確かめることはできませんが、行動のプランニングやコントロールに関わる情報に関しては意識できることがわかっています。これは、部分的にせよ、自分の認知を認知する、というメタ認知の仕事なのです。

また、人は外界を内的なモデルとしていわばシミュレーション的に構築しており、そこから推論や置換を駆使して汎化しているのではないかと考えられており、現実と言葉(ディスクール)とが照応できるのはそのモデルの埋め込みのためであろうというのが有力な説ですが、意識を支える内観についても、こうした、世界についてののメンタルモデルからの再帰的な埋め込みが欠かせないだろうと考えることができます。
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この回答へのお礼

久方ぶりに分厚い"哲学辞典"を見てしまいました。認識に付いての項ではなぜか"意識"と云う言葉がほとんど出てきません。
認識、に付いては様々な、と云うか微妙に違う捉え方がされているようで、今でも思索の対象となっているようですね。
意識、に付いても、それに近い状況かと思います。

私の捉え方では、日本語としての認識と云う言葉は、感覚に依って(感覚を通して)発生する"情報の持つ意味"を知る、と云う事になります。
例えば、単純な生物においても"対象物"を感覚して、行動が決まれば対象物を認識した、となります。
もっとその基本を云えば、対象物を感知することを認識すると、表現してもいいのではないかとさえ思っています。

そう思うと、単純な(基本的な)"感覚的認識"と《意識》が発生させる"認識"とが有るように思うのです。
意識、を自身の心の反応を観る(知る)作用(能力)であるとした場合は、と云う事ですが。

思考に依ってもたらされる"認識"は《意識》と云う働きが理性を持って結論したもの、と云えないでしょうか。
・・・と、ここまで考えたら"認識"という言葉は感覚的な認識と、思考に依る認識と、二つの捉え方が出来るのではないかと思いました。

ブラジュロンヌさんは時々ぶっつけ本番、なんて言いますが私はいつもぶっつけ本番です。
先生(いつもそう思っているからこうお呼びします)の回答から、こんなことを思いました。

有り難うございました。

お礼日時:2016/11/11 23:48

1. われは おのれが世界にあるとき そのおのれをも含めて


世界を《知覚(感覚)》します。一般に五感です。

2. この知覚を 何らかのイメージにしさらに言葉化するなら
《認識》になります。

3. 味覚を味覚そのものという知覚として得たあと それを甘
い・辛い うまい・まづいといった言葉(≒概念)として表わす
と そのような認識を われは得ます。

4. 知覚そのものや認識の内容そのものについて わが精神の
認識作用を引き当てるなら それらはすべてわれが《意識》して
いるという状態になります。
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この回答へのお礼

カッパさん(先生)のお例文で、認識と意識に付いて触れました。

思考上の認識は意識の産物である、という考えをどう思いますか。

☆ 『意識し、理性が、生み出す』

よろしくお願いいたします。

お礼日時:2016/11/11 23:57

№5を承けます。



5. 人の《認識》は 一般に《知覚》をとおして得たその感覚を
言葉化(概念化)したものです。

6. 言葉化が《文》化であるとすれば 動物はこの意味での文化
を持たないと思います。

7. (動物も 実質的に同じような《認識》を持つと見なし得て
《文化》をも持つと言う人がいます。質問者氏も そちらの側でし
ょうか)。

8. 言葉として得ている認識内容を その言葉やその意味内容の
みから――ということは そのとき認識の内容じたいを認識すると
いう意識の作用をとおして―― あらたな認識を得ることがありま
す。

9. 《想像》による認識です。言葉の――ほとんど言葉としての
みの――加工です。人と馬から ケンタウロス。ペガサスは 馬に
翼が生えている。

10. つまり 認識の第一次資料としての知覚を経ないであたか
も《認識》したというようなことを人間はおこなう。天馬も人馬も
その要素は 初めの知覚につながってはいますが。
(ちなみに 雷を神鳴りというとき この《かみ》という語は 世
界の何を知覚して得たものか?)

11. 以上のように 次の命題の内容を理解します。
★(№5お礼欄) ~~~~~~~~~~~
思考上の認識は意識の産物である、という考えをどう思いますか。

☆ 『意識し、理性が、生み出す』
~~~~~~~~~~~~~

12. 《意識》は 認識の自己認識ですから あまり主体として
のハタラキはないのではないか? 主体は 理性。(あるいは 超
理性?)

13. ただし 意を用いて何かを意識しようとしていると その
意識につられてのように その意識の肥大化を生んだり 別のもの
へとみちびかれたりすることがあるとは思われます。
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この回答へのお礼

だいぶ考えが混沌となっています。

認識に判断能力を持たせるか?
意識にその能力を持たせるか?
両方にあるか?

例えば、下等生物の行動はこれまでは普通、本能に依るという一言で済んでしまっていますが、その行動は「物」を認識する事によって決定されると思うので、そうすると認識には判断するという働きがあると言えます。

有り難うございました。

お礼日時:2016/11/17 13:18

認識と意識は別でしょうね。



まず、認識とは、五感はもちろんですが、言語にしろ何にしろ、その前提となる感覚も含めた総てを結集して得られた結果だと考えます。
時間感覚、空間感覚、質量感覚、硬度感覚(気体、液体、柔らかい個体から剛体まで)、熱感覚などの総てです。
これらは、勿論、外界から刺激がによって働きますが、そもそも備わってしまっている感覚がそうであるから、人間はそのように認識するということ。重要なのが時間感覚と空間感覚。これらが五感全ての土台のようになっています。
この二つの感覚は当たり前すぎて気づかないかもしれませんが、未だ解明されていませんが超絶な機能なのです。
こういったことから、人間の感覚こそが宇宙を形作っていることが分ります。

外界からの刺激と書きましたが個人が受けるこれらの総体が宇宙でないことは明らかです。
しかも、これらの刺激をひもといてゆくと曖昧で特定が困難となり、結局何も見いだせなくなります。

また、認識は全て過去であると言えます。たとえ、今見ている1m先のモニター画面も3.3ns過去です。

一方、意識は、感覚、言語、認識がどうあれ、ものごとに対して、今、自覚や注意が向いていること。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

「人間の感覚こそが宇宙を形作っている」という所が、どうしてそうなるの?と、いつも思います。

心は鏡(かがみ)。

これをキーポイントにして見ようと思います。
有り難うございました。

お礼日時:2016/11/17 16:33

意識は状態、認識はその働きに力点を置いた単語。

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この回答へのお礼

この回答を頂いた時は
「たったこれだけ?・・・ケチ!」
と、思ったのですが

この短い言葉には、psytexさんの深い世界があるのでしょう。

意識には“働く力”は無いという受け止め方ですね。
有り難うございました。

お礼日時:2016/11/17 16:42

№6を承けます。



14. 思いっきり飛躍してみましょう。トンデモ認識説です。

15. 《認識存在》説にとっては 人間の能力を超えた《メタ認識》が
あるかどうか。これが 鍵を握る恰好になっていると思います。

16. ですが そういうまだるっこしいことを考えなくても われわれ
の認識は――いちいち意識しなくても―― 世界の中にあるなら すぐさ
ま しかるべき・必要な認識は――意識になおまだのぼらなくても――得
られているのではないか? という飛躍の道です。

17. どういうことか? すでに縁起が起きているのですから わざわ
ざこれに聞き耳を立てることもない。

18. どういうことか? 縁起の起きた世界のその場に 認識の妖怪は 
すでにわれわれを取り巻いてつねに出来上がっている。のではないか?

19. 認識のお化け あるいは 認識の天使 あるいは 世音を観ると
いう(?)観音菩薩。

20. だから わたしたちは 必要に応じて このようなスペクターた
ちにちょっと 尋ねてみればよい。

21. 認識にかんする情報を 必要なときに・必要なだけ かれらのク
ラウドからぬすんで来ればよい。

22. われらが認識と意識 また 感性(知覚) これらは こういっ
た妖怪たちの織り成すファンタジーの中に位置づけられる。のでは?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

No.6の続きです。
投稿した後で気になりました。下等生物に“本能”なんて言葉は使わなかったでしょうか。

認識って、対象物を捉える、ということですよね。対象物を捉える、というのは“主体が”ということですよね。
主体にとっての“問題”ですよね。

その主体は精々が百年程しか存在しないんですよね。

とりあえず、有り難うございました。

お礼日時:2016/11/17 16:57

言い捨て似て失礼します。



自分の属する「世界」を「うつくしい」と思い、また「醜い」と感じる。
これは「美意識」という「認識」方法でしょうか?
また「醜さ」「美しさ」という認識(?)意識(?)は何に依って生まれるのでしょうか?

またその「美醜」の意識(認識)というものは変えられるものでしょうか?
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この回答へのお礼

これは“情”の世界ですね。

霊魂の魂。
これの仕業でしょう。
たぶん命の核は、すでに“色”が付いているはず。

「美醜」の感覚を変えるのは難しいと思います。
それこそ昆虫の様に、脱皮して変体しなければなりません。

今の自分を棄てることは出来ますか?

お礼日時:2016/11/17 17:05

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