プロが教えるわが家の防犯対策術!

誰の頭の中にも記憶がありますが、たとえば誰かの記憶の中に、仮にあなたがいたとします。

あなたは「あれっ??ここどこ?」と周囲を疑い
「もしかして誰かの記憶の中?」と、
ふと気がつきました。そして我にかえったとします。

もし、あなたが誰かの記憶の中にいて、
他人の記憶の中で我にかえっている自分に気が付いたら、あなたはどういう行動をとりますか?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    NO14のお礼の補足と、多くの方へのお礼を兼ねてです。

    誰かが記憶の中で、あなたの脈をとって「気が付いてますか??」
    とあなたへの意識覚醒を促した場合、「ここはどこ??」と下手したらあなたは記憶の中で正気に戻るのでは、と疑った私がいましたが、様々な方の回答を見る限りではその可能性は0%なので、哲学的にはないと解釈しました。

    多くの方へのお礼に代えさせて頂きます。

      補足日時:2016/12/04 23:19
  • 補足1で訂正です。NO14→NO15のお礼の補足です。

      補足日時:2016/12/04 23:23
  • うれしい

    ”あなたと頭の中の誰か”と言うのを別視点から別の表現でとらえると

    連続した時間を細切れのように捉えて考えると、記憶はその都度細切れの時間の中で、その都度時刻と共に更新されている。

    しかし現実と記憶の中の時間の同時進行の可能性は乏しい。
    何故なら~という事からである。

    ~の部分がしっくりこなかったのですが、多くの回答をお寄せ下さってありがとうございます。

      補足日時:2016/12/05 13:34

A 回答 (19件中1~10件)

そうです。

ありえない質問だったのです。

naname3987さんが記憶の中で花子さんに呼びかけ、花子さんが「大丈夫です」と言ったとしても、その花子さんはnanameさんの意識が作り出したイメージに過ぎないということです。本物の花子さん(の意識が)nanameさんの記憶の中で覚醒しているわけではありませんね。
    • good
    • 0

(1)★(趣旨説明欄) たとえば誰か(=A)の記憶の中に、仮にあなた(=B)


がいたとします。
☆ この段階では ふたつの場合が考えられます。:

(1-1) 《あなた=B》が まだ・ただ《誰か=A》のあたまの中に そのA
自身の記憶の想起としてあるか またはAの夢の中にあるかの場合。

(1-2) あなた=Bが この(1)なる事態を なぜか知っているという場合。

(1-2a) 《知っている》というのはおかしいので 言いかえると 《Aなる
人物はそのあたまの中に こちら=Bのことを――夢の中でにせよ――想起してい
る》と Bが想像している場合。


☆ ここですでに《あなた=B》は 《われに還って》います。(1-1)の場合
は そういう問題にかかわってもいません。

したがって 次のようなことは起こりません。:
(2)★ (同上) ~~~~~~~~~~~
あなたは「あれっ??ここどこ?」と周囲を疑い
「もしかして誰かの記憶の中?」と、
ふと気がつきました。そして我にかえったとします。
~~~~~~~~~~~~~
☆ 起こるとすれば 不思議の国のアリスのごとく その虚構が――あくまで虚構
が です――そのまま展開して行くといった場合です。
――それは ご勝手にどうぞとなります。(回答としてです)。


(3)★ (№18お礼欄)~~~~~~~~~~
〔* 文脈を省きましたが〕 時間が1秒の次の2秒目と3秒目を飛ばして4秒に
進むことは不可能だと同じくらい、あなたが我にかえることは不可能だというのが
多分結論だと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《時間が1秒の次の2秒目と3秒目を飛ばして4秒に進むこと》は 《不可能》
なのかも知れませんが そのように《想像すること》は まったく可能です。

《われに還ること》は 《想像》によるだけではなく《意志》によって誰もが割り
合い容易に成し得ます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

複雑になってきたので、メタ的な問題を考えるのではなく思考トレーニングの一つとして考えることにしました。
”あなた”が仮に目覚めたとしても、そこは不思議の国のように記憶とイメージが混在した虚構混じりの世界の中なのですね。

、あなたは我にかえり自己責任の中「まいっか。ここが記憶の中でも。」と思いながら好きに行動することがあったとしても、それは、
こういう事があったら、またそうすればの”~たら~れば”のもしもが関係した誰かの表現の中での問題なのかというふうに思えてきました。

そりゃ確かにご勝手にですよね。
時間が1秒の次の2秒目と3秒目を飛ばして4秒に進むことがあったとしても
我にかえったとしても、他の回答であったように、暴れるにしても自己責任で動けばいいだけの話ですよね。

しかしあくまでその世界は記憶とイメージの中なので、実在はせず、虚構を伴い、誰かの表現の範囲での出来事が起こるでいいような気がします。

まとめ、ありがとうございました。

お礼日時:2016/12/06 13:58

#6 のつづき


>>「記憶の世界での現時刻は、現実の世界の現時刻と同時進行するのか。」

記憶の中の世界は、その記憶の持ち主(の脳)が作りだすはずですね。
したがって、記憶の中で時計がイメージされ、その時計が、3時5分4秒、5秒、...、と進んでいたとしても、その時刻自体が「記憶の持ち主(の脳)が作り出したイメージ」のはずですね。
 ところで、頭の中のイメージと現実世界の事実は、一致することもあれば、一致しないこともあるはずです。
 したがって、「記憶の世界での現時刻は、現実の世界の現時刻と同時進行するのか。」という問の答えは、現実の世界の現時刻と同時進行する場合もあるし、しない場合もある、ということですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

したがって、記憶の中で時計がイメージされ、その時計が、3時5分4秒、5秒、...、と進んでいたとしても、その時刻自体が「記憶の持ち主(の脳)が作り出したイメージ」のはずですね。

という部分を前提にして、考えます。
複雑に現実と並行上に記憶の中の時間が同時進行する場合のパターンがあったとします。

仮に誰かの記憶の中のあなたが、誰かの脈をとり続けた1分間の記憶で脈をとられている側が不意にあくびをしたとしても確かに「記憶の持ち主(の脳)が作り出したイメージ」ですね。

イメージはイメージ、現実は現実、記憶は記憶ですよね。

ただあくびをするのはその状態が酸素不足だからで、記憶の中で、酸素の量と健康状態まで想像している私、もしくは誰かがいるだけですよね。
床に足が付いているのは地面がそこにあることを想像している誰かがいて、時計が・・・3、4、5と動くのは電池まで勝手に想像しているだけで、あくびまで想像するのは想像力が逞しいだけだと思うのですが、時間を細切れに1秒単位で考えるとあくびまでする誰かは次の1秒で別のパターンで動くのではないかと思い疑わしくなりました。

時間が1秒の次の2秒目と3秒目を飛ばして4秒に進むことは不可能だと同じくらい、あなたが我にかえることは不可能だというのが多分結論だと思います。

お礼日時:2016/12/05 15:57

もしかしたら、質問のカテゴリーが適していないのかもしれません。

(心理学とかの方が適当なのかもしれません)
質問文が、他人の夢の中の自分という設定だったので、これは論理的に考えるのが難しいし、仮定としても難しいからです。
実を言えば、質問文を見て、真っ先に連想したのは、現実を夢のように感じている人間が、現実を現実として認識した場合です。
これは、多分、精神的に未成熟な子供などならば、ありうる事だからです。
この場合は、当然ながら、現実を現実と認識する為に、脳は何回も自分自身の思考位置を移動していきます。(これは、合わせ鏡の中の自分が連続していくような感覚を伴います)
極端な場合は、パニック障害のような混乱状態になるでしょう。(これが、長期化すると精神疾患のようになります)
通常は、危ないと思って、思考を止めるので、このような状態から脱出できます。
実は、これは、普通は、逆で嫌な事を遮蔽する為に、現実感喪失症に移行すると考えられています。
現実感喪失症では、心理バイアスにより、現実からの感覚の入力を、一回記憶に移してから、必要な形に整理して認識すると解釈されています。(人間の心理機能としては、誰でも記憶バッファーに入れてから解釈しているので、あくまで心理的にワンクッション置いていると言う事です)
記憶から、自分にとって、嫌な部分を除いて現実として認識していますが、これは心理的には現実と同じです。
もし、このような事が可能だとしたら、記憶を現実感を伴って再生する事が可能である可能性があります。(幻覚を現実と感じるのと同じです)
この場合は、記憶の中の他者を、現実に目の前にいる他者として認識する事になります。
つまり、記憶の中の他者は、記憶の保持者からは、完全に生きている人間として認識されます。
その時に、その人間がどう動くかと言えば、記憶の保持者が、その人間が行動する事が自然な動きをすると言う事です。
あくまえ、記憶の中の存在ですから、記憶の保持者からは、自律的に動いて見えても、実体は存在しないので、そのように見えるだけです。(もしかしたら、記憶の保持者がこうあってほしいと言う行動を取る場合もあるかもしれません)
ただ、現実感を伴っている以上、その存在は自律的に動いているように見えるでしょう。
それを、記憶の中に別の人格が生じたと感じた時にその人格がどう考えるかと言うのは、脳科学的な問題としては考えられるでしょう。(たとえば、多重人格などは、似たような現象とも言えます)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こんがらがった部分を、スッキリさせて下さってありがとうございます。

今回の問題自体が、私の頭の中で知恵の輪のように、外れそうで外れないもどかしさがあったので、質問しました。
表現の枠が乏しく、多くの方に妙だなと感じさせてしまった事だと反省します。

①「実は、これは、普通は、逆で嫌な事を遮蔽する為に、現実感喪失症に移行すると考えられています。
現実感喪失症では、心理バイアスにより、現実からの感覚の入力を、一回記憶に移してから、必要な形に整理して認識すると解釈されています。」
     ↑
多分この部分の説明が心理学的に質問文の状況に当てはまるのではないかと解釈しました。
しかしご指摘のようにカテ違いの質問だったのかもしれません。

以下は戯言ですが、
パターン1・記憶が記憶の通りに動く。

パターン2・記憶が記憶の通りには動かない。
補足すると(例としては不十分かもしれませんが、認知症の高齢者のように予測のつかない行動をする”誰かの記憶の中のあなた”だった場合、記憶の中で脈をとった直後に暴れ出す。)

という妙なパターン2を空想していた部分がありました。

②「この場合は、記憶の中の他者を、現実に目の前にいる他者として認識する事になります。」
②「  」内のこの部分のご指摘が自然な動きをするというご指摘通りの事なのですが、その部分がどうも知恵の輪のようにこんがらがった思考回路に発展していました。

今後、脳科学的な別問題として考えます。
以上です。

お礼日時:2016/12/05 13:03

今、我々はnanameさんの記憶の中に現れているのかもしれない。


そうだとすれば、これまで寄せられた回答はすべて「意」に沿った回答と云えるかもしれない。

そこで想像してみました。
nanameさんの記憶の中の私が我にかえってみると、そこはnanameさんの心の中でした。そしてその情景は複雑な色模様には見えるけど形にはなっていませんでした。

だから掴み所がありません。ご自身も自分を模索中であるかのように見えました。

ハテナ?の扉を叩きます。
nanameさん。どうしてこんな事を考えたのですか?思い付いたのですか?
被害者心理?
加害者心理?

かっぱ先生の回答は難しいので何度も読み返ししていたら、上記の様な事を考えてしまいました。
入れ子構造という事が、想像しにくいですね。

箱の中の箱?鏡の中の鏡?
やっぱり、難しい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。
掴みどころの無い質問に答えていただいてありがとうございます。

ご質問の、鏡の中の鏡というのも、箱の中の箱と言うのも少し私には解釈が難しいです。

しかし、どうしてこんな事を思いついたのかと言うのは答えられます。

文中の言葉を借りるなら、確かにその情景は複雑な色模様には見えるけど形にはなっていませんでした。
どこか掴みどころが無いところがあり、モザイクがかったように鮮明さが乏しかったは間違いありません。

答えにはなっていない部分があるかもしれませんが以下の部分からこういう事を考えました。

誰かの記憶の中の他人と言うのもあいまいな表現ですが、回答させてください。

私は過去に、日常的に他人の手首の脈をとる機会が多かったのですが、ある時ふと記憶がフラッシュバックのように思い出されて、
他人の手首の脈をとるところが思い出されました。記憶のその場面では、私が脈をとっている場面を、その時の視界のまま私が行っている所を想像していました。

記憶の中でその時とった脈は確かに動いていましたし、「あれ??」と思い私はその時の視界が生々しく、そしてそのままな事が急に疑わしくなりました。
そして記憶の中の私を、その中で強引に周囲をぐるっと見渡させ、記憶の中の記憶の部分を疑いました。

この質問が入れ子になっているのは私にそういう生々しさを伴った記憶があるからかもしれません。

フラッシュバックのような鮮明な記憶って想像しにくいですよね。
あれは体験としては入れ子に近いです。

被害者心理か、加害者心理かはよくわかりません。
心配して下さってありがとうございます。

様々な方がお答えいただいていますが、脈が動いている記憶はあまりに克明で、他人が動いてはいませんでしたが生きていてその様子からは自由に動くのではないかというように感じたという部分が、私にはあったのでその部分が質問の動機です。
以上です。

お礼日時:2016/12/04 22:47

やっぱり、気付いた記憶が誰のものなのか?に、よると思います。


一般の人ならば当然、知り合いの人になる訳ですが、その記憶に気づくくらいだから、結構親しい人だと思います。

あゝ、あの人かあ、、、ヤダなあ、と思えば早いとこ忘れてよ、と、ド忘れ促進に加担します。

当事者が習近平氏ならば、チャンスとばかりに記憶された億という多くの人の洗脳に努めます。
また、精神世界は時空間の制約を受けないから、記憶の中に現れる事は億という数であろうが同時に、また瞬時に可能でしょう。疲れるという事もないはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。
私もそうします。
精神世界複雑ですよね。
疲れることが無い方を選ぶことにします。

お礼日時:2016/12/04 23:22

わたしも意に沿った回答をしていますよ。

yy8さん。
行動は「現実と変わらない」と。
トランプ氏の記憶の中でわたしがわたしとしてあるかぎり、
そこで暴れたくなるのなら、
いまこの世界で、現にわたしが暴れうることと、変わらないでしょう。
わたしの意識と記憶において、
現実の明証性もなく、虚構の保証性もないということであって。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

たまたま「ここが記憶の中だ。」と気付くという設定は、今までの回答からあり得ない場面のような気がします。

私は、記憶は記憶のままで記憶の通りに動くというパターン1と
例外的に記憶の中で記憶を疑い記憶の中で気付くというパターン2を疑いました。

私もトランプ氏の記憶の中で暴れて、トランプ氏の行動に別パターンが生まれるのか、動けた時にはやってみます。まずは屈伸ぐらいから試してみます。
現実の明証性もない虚構の保証性もないという部分が考え方の勉強になりました。

お礼日時:2016/12/04 23:07

NO4です。



一部、回答に対する誤解が生じる可能性があるかも
知れませんので、補足します。

「「あなた」が仮に、トランプだったら?クリントンだったら?習近平だったら?
アイドルスターだったら?セクシー女優だったら?ついでに、蓮舫だったら?」

とは、「あなた」は夢の中の存在であるので、「相手が夢をみる。」ことを
前提に、存在できます、という意味です。

上記の「有名人?」は、世間で周知の人間ばかりで、しかも、「好まれていない。」
連中ばかりです。

何十億もの、世界中の人間が、この連中の夢を見て、貶す確率は、結構高いだろう、と
言う意味であり、その多数の「相手が見た夢」の中で、目覚めて、「ここはどこ?」と
思う煩雑さ、夢の中での「自分の置かれた」シチュエーションを考えると、
体がもちませんよ、と言う意味です。

習近平なんかは、何億かの人間が、習近平をギロチンにする夢をみているかも知れない。
そんな夢の中で、「ここはどこ?」と気が付く、習近平も気の毒です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます。

仰る通りです。

お礼日時:2016/12/05 13:21

繭の中に入って そこでしか考えることをしない。



というのであれば それは明らかに 人生の逆走です。

たとえば《テンノウ》という記憶がシャッポと成って――孫悟空の
あたまを締めつけるあの輪っかのように―― 変なかたちで人びと
の思考力を 抑圧はしないとしても 何かにつけ 既存のナラハシ
や既成のお仕着せなる思想への同調圧力(クウキ)となって みご
とにハタラキを発揮しているのでしょうか この国では。

しかしながら われらが悟空のあの如意棒は どうしたのか? ど
こへやったのか?

ムラカミハルキなるモヤモヤ・ワールドは ただの屁の河童だとひ
とこと言えば それで すっきり。富士山の日本晴れ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

頭の輪っかはキンコジとかいうそうですよね。関係ないですが私はそれを知った時スッキリしました。

解からない部分を屁のかっぱと思っときます。
勉強になりました。

お礼日時:2016/12/04 23:11

誰かほかの人間の頭なる記憶の中に自分があるといった夢(虚構)を


仮想しようがしまいが その人間と話し合えば済むこと。

トランプとも話し合えばよいだけのこと。

それとも この列島に閉じこもってみんなで祈りますか?

あるいは 呪文をとなえ その効力にわれらがいのちを懸けますか?

腹の内を知りたいなら 想像の内に・夢の中であれこれ想いめぐらす
のではなく 会って話すのがよい。

なんで繭の中に閉じこもらねばならないのか。

あたまに輪っかを嵌めるというよりも――それはもともと良心のハタ
ラキを言おうとしたのでしょうが―― 互いに自由におのれのを含め
てその思想を検証し批判し 共によりよい共同の施策が持てるように 
やはり話し合いをどこまでも推しすすめるのがよい。

哲学カテは メリーゴーラウンドか。
お遊戯の時間がそんなに好きなのか。

殻をやぶって蚕に成れというよりは 蝶と成って飛び立って欲しい。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す