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「しかしながら、」という文を日本語から英語に訳す場合は、文頭にHoweverをつけるだけで、日本語の位置とも対応していてわかりやすいのですが、

英語を読んでいると、文頭にあることと同じくらい、主語の後ろにカンマに挟まれてhoweverがあることがあります。

この文頭に置くパターンと、文中に置くパターンで、意味やニュアンスに違いはあるんでしょうか?

あと、この文中のパターンはどのように読んでいけばよいのでしょうか?
自分は文を読み始めてから、あっ「しかしながら」だ、と気づいて、もう一度文頭から読み直してしまいます。

英語は英語のまま理解するように努力はしていますがまだ難しくて。。。

A 回答 (4件)

文頭のButやHoweverが続くと見苦しいから、というのが一番多い理由だと思います。



また、文脈というものはたいていパターンがありますので、「こう来たら、次は逆説だな」と読者は思うものです。

反面、「こう来たら、次は逆説だな」と思いにくい箇所で文中のhoweverを使うのは、あまり美しくはありません。

例えば、ご質問の文章を読んでいて、最後に「英語は英語のまま理解するように努力はしています」という文面があれば、続く文は「ですが/しかし(まだ難しくて)」となると考えるものだと思います。「英語は英語のまま理解するように努力はしています。その通り(まだ難しくて)」となるとは一般的には思いません。
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意味的に違いはありません。


文頭に置く場合の方が、文中よりも、その前の文との関連がより深いことが多いと言われていますが、文中の置く方が、howeverを用いた文をより強調している場合もあります。
一方、文中に置くとカンマによって文の流れが中断されるという人もいます。

文法的には、文頭でも文中でも文末でもどこにでもおける単語なので、それを使う人のwriting styleや文のとしてのリズムみたいなものを作り出す感じととらえて、なれるしかないです。
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A. However, SV.


A. S (M), however, V ...
A. SV (M), however.

どれも、日本語的には、
A だ。しかし、...
というつながりです。

日本語的には「しかし」は文頭にくるのが自然。

しかし、英語の however は文頭でもいいのですが、
文中が一番自然で、文末にもよく来ます。

日本語で訳す場合に、無理に途中に入れると、日本語としては不自然です。
それを英語通りの流れだから、と言ってしまうと、日本語としてはおかしいです。

直観的に読むのであれば、その位置で「しかしながら」とはさむのもいいとは思います。

とにかく、日本語で当てはめて考えてはいけないということです。

but にしても「しかし」と訳されますが、
..., but ...
とコンマで区切るのが普通で、
... But ...
というのは好ましくなく
(このことで議論になりますが、実際には使われます。
状況によりますが、避けた方がいいと言われることも多いです)
そういう意味で however の方が「しかし、」に近い、
というのはあるのですが、それでも、日本語のように文頭にくるのが普通というものではありません。
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私は、英語の授業、講義(文章論のようなもの)で、 however (接続副詞)は、文頭に置くべきではないと学びました。


しかし、現実には、特に科学技術関係の論文では、文頭におくほうが圧倒的な印象です。これは、副詞というよりは接続詞という認識だからだと思います。その方が、文のつながり(論理関係)がはっきりします。

結局、副詞という認識であれば、文頭よりは、文中におく方が自然だということだと思います。論理的な文であれば、論理がわかりやすい形になっているほうがよいので、接続詞として文頭に来るということになりやすいのだと思います。
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