プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私の周りに心根が優しいのでしょう、後輩(男)が数人いるのですが、相談の内容が共通して、
「自分が傷つきたくないからだと思うんですが、誰にでもいい人を演じてしまう。嫌われたくないから傷つきたくないからがんばってしまうんです。本当の自分とどこかで演じている自分のギャップに悩んでしまうんです。どうしたらいいでしょうか?」という質問をされます。

その後輩たちはいづれも社会に出る前の学生、出たばかりの学生、など人生の大切な第一歩にいるとてもナイーブな時期にいると話の内容から私は察し、あまり性格的なことをたしなめるような言い方をしませんでした。

「誰だって傷つくのは怖いから演じてしまうもの」
「それでも離れてしまう人たちは君にとってそんなに大事ではなかった。大事にされたかったと割り切る」
「人は人、自分は自分」
「それを乗り越えてこそだよ」

といったような当たり前のことしか言うことができませんでした。

しかし、その後、彼らの様子や話を見聞きしていると、一見楽しく振舞っているようですが、
時折私に上記のような悩み事を度々相談しに来きます。

もし、皆様であったらどのような理解をし、どんな対応をされるでしょうか。また、上記のようなことで悩んでいらっしゃる方(学生さん)は意外と多いのでしょうか?

ふと、私もその後輩たちを傷つけたくないという老婆心か、「そんな子供みたいなことを20過ぎていうな!」といいたいところでしたが。。
同時に、叱る、教えることの難しさを感じてしまいました。

様々な角度からお話いただければ幸いです。

A 回答 (13件中1~10件)

こんばんは。


30歳男です。率直な意見を書かせていただきます。

この書き込みを読ませていただいて、まず感じたのは、本当に最近の若いやつらは!
って事です。
学生時代に『右へ倣え』をする事を身につけ、『出る杭』であったり『目立ち』や
『先頭に立つ』などの事をしない様に極力つとめ、周りの目線を気にし続けてきた
結果なのだと思います。
勿論、そこに『はじかれる』『いじめ』『仲間はずれ』などと言うキーワードが見え隠れ
しているのも事実です。

『身勝手な行動』を『個性』と言う言葉ですり替えて、いざ大人の年齢になった時、
周囲から求められる視線に対応できず、でも、『大人』の仮面をつけなれば、
自分だけ置いていかれる様な錯覚を常に抱いている…。

なんか悲しいです。
弱いという言葉すら違うように感じてしまうほど、脆い。
自分が傷つく事を恐れる余り、人を傷つけてしまうラインを知らずにここまで、
来てしまったしわ寄せの様なものが今まさに来ているのだと思います。

あなたが、彼らを『ナイーブ』であると感じる事、わかります。
わかりますが、苦しくとも躓いたり、転んだり、痛い思いをして
あなた自身も成長であったり、強さを身につけてきたのではないでしょうか?

彼らに免疫が無いと想像できてしまう事が、あなたに厳しい事を言わせない
状況にさせているのだと思います。

傷つくのは誰でも怖いし、出来ることならば、そんな事ない人生が送れれば
いいのかもしれません。
しかしながら、どこかで、強くなる為、というよりも木々のように年輪を重ねる為
には豪雨に耐え、暴風に耐え、立ち続ける事が出来たものだけが、
しっかりとした肉付きの年輪を刻むことが出来るわけです。

勿論立ち続ける事は並大抵の事ではないでしょう。けれど倒れかかっても、
倒れきらないように踏ん張る事で、形や見た目は良くなくても、
その削られた部分は太くなるものではないですか?

変な話ですけれども、骨も折れると太くなりますよ。

長々と色々書いてしまいましたが、本題です。
>…本当の自分とどこかで演じている自分のギャップに悩んでしまうんです。
>どうしたらいいでしょうか?」という質問をされます。
>もし、皆様であったらどのような理解をし、どんな対応をされるでしょうか。

との事ですが、私なら、
「それは、今に始まった事ではないのではないの?昔からそうしてきて、
今、周りからのプレッシャーが強くなり、初めて『つらく』なったのではないかな?
どうだろう?」
という質問からはじめて、まず、自分自身を振り返らせます。
「もし、そうだとしたら、それはもう癖になっていると思うんだよね。
じゃあ、その癖ってどうしたら直るかな?思う事言ってみて。」
というように、自分で答えを模索させる形をとるでしょうね。
これって意外と重要なんだと思います。自分で解決へ向けて考えてみる。
だけれども、一人悩むのではなく、あなたという彼らにとって頼りの人が
目の前で見守ってくれている。そんな状況で落ち着いて考えさせる。
これがいいのではないかと思います。

これはあくまで、一例で応用は利くと思います。
上にも書きましたが、自分で考えてみる様に仕向け、
でも、きちんと見守っているから大丈夫だよと、安心感を与えて、
ゆっくり落ち着いた状態で現状を分析させ、解決方法を模索させる形。
私は一番のような気がします。
答えが必ずしも見つかるという保障はありませんが、
辛い現状を打破する方法は、だんだん身についていく気がします。

私が思うのは、現状の「解決する手立て」を伝える事ではなくて、
それをどうやって解決していくのかの「方法」を彼らに教えてあげる事だと
思うのです。

今回の彼らの打開策は私なりに考えると、少しずつ自分を出すようにする
事だと思うのです。
いきなりの変化は難しいと思うので、しばらくは相手に合わせている形を
崩すことはできないでしょうけれど、会話の中で、自分が共感できる部分に
「自分はこうこう思うから、それはいいのではないかな?」
みたいに同じ考え方なんだけれど、でも自分はこういう違う角度から
よい考え方だと賛同できる、みたいに話しに乗っていく事を繰り返す。
すると、自分の考えを整理して話す練習にもなるし、彼らが最も気にしている
相手に自分の印象を悪くもたれるという心配も不要になりますよね?
これが自然に出来るようになったら、ある程度、自分の考えを発言できる様に
なっているはずですから、賛成意見だけではなくて、
「こういう考え方もあるんじゃない?」
といえるようになると思います。
ここまできていれば、相手がどう思うかと言う事だけに心を奪われることは
なくなるのではないでしょうか?

20歳過ぎたんだから…というのは情けない話ですが、もう、違うのかもしれません。
体ばかりが成長し、中身が伴わない若者は多い気がします。
私の今の後輩(25歳)にも、「はぁ・・・なんてガキなんだ・・・」とあきれる事は
多々あります。

>悩んでいらっしゃる方(学生さん)は意外と多いのでしょうか?

ですから、多いと思いますよ。

あなたも立場的に大変かと思いますが、言葉で突き放すことは考えず、
成長する為の方法を模索する事がこれからの我々の仕事なのかもしれませんね。

お互い、がんばりましょう!
長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。率直なご意見で大変参考になました。「彼らに免疫がないことが厳しいことを言わせなくしてしまった。。」おっしゃるとおりだと思いました。私たち大人がもう少ししっかりしなければならないのは、そういうところかもしれませんね。「手立てではなく方法を教える、考えさせる。。」
大変参考になりました。この後輩たちに逆に学ばせられているところも随分とあるなあと正直思っておりました。ありがとうございました★

お礼日時:2004/08/21 08:47

>自分が傷つきたくないからだと思うんですが、誰に


>でもいい人を演じてしまう。嫌われたくないから傷つ
>きたくないからがんばってしまうんです。本当の自分
>とどこかで演じている自分のギャップに悩んでしまう
>んです。

ある意味、私も人と接する際は自分を「演じて」います。

多かれ少なかれ、誰だって人と接する際には自分の本質は覆い隠すものです。また、その隠そうとしている部分は「相手にとって不快に感じられる部分」であるため、結局は相手が不快に思わないように振舞っていることになりますよね。
これが極端な人は「八方美人」とか言われてしまいがちですし、逆にあまりに自己主張の強い人は傲慢だと言われがちです。

こういう話を聞いたことがあります。
人の人格には常に2つの人格が介在していて、ひとつは自我とよばれる人格、もうひとつはそれを客観視する人格です。
自分の行動をどこかで監視する役目を担う人格が自分の中にいるため、簡単に悪事に走らないのだそうです。
客観視している人格はいわば「道徳心」や「善意」といったものに近いのかもしれません。
そういった意味でも人には常にギャップのある二つの人格があるのは当然のことなのです。

つまり、質問者さんの後輩の方々の悩んでいるものは、すべての人に共通して言えることであり、後輩の方々が
特別な人間というわけではありません。

>、「そんな子供みたいなことを20過ぎていうな!」
>といいたいところでしたが。。

このお言葉をみると、質問者さんはその点はよく理解していらっしゃるご様子なので、いらぬアドバイスだったかもしれませんね。

では、私の見解を述べさせていただきます。
こういった自分のメンタルな部分への悩みって言うのはモラトリアムの特権ではないかと思います。
社会に出るまでにはそういったことで悩むものです。
学生時代に「何で人は生きるのか」とか、答えの無いものに答えを求めるような思考をめぐらせた覚えはありませんか?そういったものとほぼ同様のものだと思います。
ある種、大人になっていく過程なのではないでしょうか?
とりあえずは今の質問者さんの対応で十分だと思いますよ(^^)
社会に出て年がたつにつれ、そういった悩みはどこかへ消えていってしまうものですし。

長々とスイマセンでした、ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます☆二つの人格のお話参考になりました。「つまり、すべての人に共通して言えることであり、特別なことではない。。」おっしゃるとおりだと思います。モラトリアム。。私にもそんな時期がありました。だからこそ、親心という甘さでこちらがどうしたらよいのかと悩んでしまいました。改めて自分を振り返る作業となったことは確かなようです。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/08/31 00:28

優しさと弱さは紙一重で、20歳を過ぎての相談となると、最近の学生さんたちの自我の目覚めは遅いのかな?と思ってしまいました。


(もちろん一概には言えないと思いますが)
当たり前のことの中に、全てアドバイスは入っていると思いますよ。

私が同じような内容で悩み、親と対立して、
親に敷かれたレールを排除したのは、
15歳でした。
全く同じ内容の悩みだったので驚きました。

「いい子」の殻をぶち破り、不満を述べ始めると、
親は露骨に、
「これまでのは全部演技だったのね!」と私に言いました。
とても悩んで苦しみました。
全部演技ではないけれど、演技の部分もあり、
どこからどこまでがそうなのか?本当に自分は何だろう?
そんなことを考えて、眠れなくなったりしてました。
何をどうやって乗り越えたか?とても複雑で、語りつくせない内容になると思います。
葛藤を繰り返し、それでも主張を曲げたくなくて、
手探りでつかみ、築き上げてはまた少し崩し、また築き・・・。
そんなことを繰り返したように思います。
相談出来る相手、何かアドバイスをしてくれる訳ではなくても、ただ自分の悩みを分かってくれる人、
苦しいのは貴方だけじゃないよ。という話しをしてくれる人の存在は、とても大切で大きいと思います。

ですので、何かを教えたり、叱ったりしなくても、
ごく一般的なことを言い、自分で道を探させることが、
そして、それを見守ることが指導でありサポートなのかな?と思います。

あくまでも、私の個人的な意見です。
私が悩んでいたとき、孤独で寂しく、不安だったんです。だから、話しを聞いて、「それでいいんだ」と言ってくれる人が居てくれたら、それだけで気持ちが楽になっただろうな・・・と思って・・・。
子供~思春期特有の、弱い優しさではなく、大人の強い優しさを得ていって欲しいですよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます☆貴方の回答を見て、とても若いうちからご苦労されたのだなあと思わず感心させられてしまいました。でも現在このようなご回答をして頂けるような成長を遂げられたことを文面から勝手ながら感じ取りました。
私は、私のできる限り彼らを受け止められればと思っています。それが本音なのです。人間は皆孤独と不安の生き物ですよね。だからこそ辛いときには誰かが見守っていることで安心できますもんね。
どうもありがとうございました(^^

お礼日時:2004/08/31 00:20

あまり深く考えずにサックリアドバイスさせていただきます。



そんなことで悩むなんて(すみません。。)なんて真面目で心優しい青年達なのでしょう!
自分が傷つきたくないと同時に相手も傷つけたくないという気持ちがあるのでしょうね。
それはむしろ欠点ではなく長所ではないでしょうか?

ただそういう行動が自分の心を苦しくさせることも多々あるでしょう。

社会の荒波にもまれれば今以上に悩んだり壁にぶつかったりすることがあると思います。
そんな時にその「優しい心」がボロボロにならないように
今から心を強くする訓練をしておけたら素晴らしい
社会人になれる気がします。

ただ、その訓練の方法は私にはわかりませんし
むしろ教えていただきたいくらいですが・・σ(^◇^;)
(ボロボロになっては自分で修復することの繰り返しで強くなれるのかもしれませんね。)

なんだか感想みたいになってしまいすみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます☆ザックリのアドバイスありがとうございます。おっしゃる通り、まじめで心優しい青年達だと思います。今からその準備をしたり、いや、きっと修復することで忍耐強くなったりと、問題は意外とシンプルであると私も思います。
ボロボロになっても立ち上がることのできる人間の強さと素晴らしさを彼らにも教えてあげたいような気がしました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/08/31 00:04

社会における人間関係については、年よりも経験だと私は思います。



国会での討論を見てもよくわかりますが、優れた大人たちであっても、1つの決定事項についてさまざまな立場や意見があると、
みんなにとって良いところで解決しようと議論しても、難しい。
時には50代すぎた男性たちがとっくみあいの喧嘩してまで、主張しなきゃならないところをよく、見かけるはずです。

世の中には驚く程、千差万別の価値観の人がいるから、後輩さんたちの対応は、ごく当たり前の平和的、自然な協調でしょうね。

そして、いろんな人がいる社会において、必ずついて回るのは、生存競争ということです。
それによって、おおかれすくなかれ、自分の意見を通して得する人と、いつも合わせてばかりで損する人がいるという見方もあります。

誰もが考えることで、誰もがやっていることであることを告げて、それになぜ悩むのか、、、
その深層心理にある理由、本人が気づいていない気持や目的、希望こそが大切なのではないでしょうか?
それは彼等の心の中に 見つけることができるはずです。
それさえ自覚できれば、次にどうしたらいいのか、解決に繋がる行動、対策は、彼等の中にあるはずです。

社会に出たばかりの人、や 1つの業界、会社でずっとやってきて、視野の狭い人、がよくこの手のことを悩んだり、逆にスマートに
本音と建て前をこなして生きている人が八方美人的に見えて信頼おけない、等の悩みを抱えることが多いように思えます。
或いは、自分がいつの間に、世渡り上手になっていた時、など・・・。

人は社会に出ると、自分の立場だけで何かをすれば良い時、と、社会的立場に応じて、「TPO」に応じ、演じること、良い人になること、
嫌われものにならなきゃならない時、ズケズケ、言いたくなくても強く言わなきゃならない時ということも出てきます。

それが当たり前のことなのですよね。
ただ、何をするにもいろんな人がいれば、その結果についてもいろんなことを言われる。
程度というものがありますし、ルールやモラルもでてきます。

つまり、、、
人は経験のないことにはパニックを起こすし、生きて経験を積んで、バランス・・・中庸を体得してゆくものと感じます。
自分のポリシー・方向性、が大切で何か目的や希望を持った時には、平和的な人でも、
時には強く主張することも大切であることを、教えてあげればいいのではないかと感じました。

もしわかりきったアドバイスでしかなかったら、すみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます☆大変お返事遅れて申し訳ありませんでした。彼らはまだいわゆる一人前になる一歩手前なのかと感じるところがありました。
大人になってもやはり人間ですから時にバランスを失うこともありますが、バランスを失うときほど強く主張したい瞬間なのでしょうね。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/08/30 23:59

難しい問題ですよね。


みな、生きていれば必ず人間関係で、考えや感じ方が違って驚いたりします。

だから、何か不都合があると、
「適当にやればいいんだ」
と思うようにします。
いい加減でしょうが、それが「イイかげん」(良い感じ)になったり、ならなかったり。

なんでも完璧は無理だし、いい人ぶりっこも限界があるのではないでしょうか?
とりようによって、人によって、様々な展開をします。
一番残酷なのは、ウソを言うことです。
それさえ気をつけたなら、あとは「適当に」でいいんじゃないでしょうか。

上手く言えませんが、適当にやる限界も人様々でしょうし、経験を積むしか無いように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いい加減という言葉は非常にバランスを要求される言葉ですよね。どんなに大人の態度と考えをもっていても時にはそのバランスを崩してしまうときがあります。一番残酷なのは嘘。。
社会に出ると沢山の嘘があります。後輩たちはまだむごい嘘に対する免疫がないように思えます。どうもありがとうございました★

お礼日時:2004/08/21 08:36

こんばんは★



後輩さんたちからの信頼が厚いのですね。お羨ましいです。

後輩さんたちは思春期は過ぎたけれど、まだまだ悩み多きお年頃という時期ですね。
まだ不安定な時期に社会での現実の厳しさを教えるのはまだ早いと私は考えます。なぜならばこれから身をもって彼らは嫌でも体験していかなければならないからです。
そんな過渡期にいる彼らにはその気持ちをまず認めてあげてください。後輩さんたちの言うことは私たちが元々持っていた気持ちを表していますから…。

また後輩さんと相談者様がどのくらいの年齢差かわかりませんが、相談者様は彼らよりより多くの現実に向き合っていたと感じられました。まさに「愛のムチ」ですよね。でも「愛のムチ」でも、よかれと思って言う一般論は意外と悩む側にとってはあまり効かないと思います。
彼らは現実をうかがいたいのではないでしょう。極端ですが、「人生とは何か?」とあの年頃に初めて向かい合う真摯に問いにぶつかっているのだ感じました。

答え方はあくまでも私の場合ですが…。
「あなた達は今の時代、沢山の人たちから愛をもらいたいし、あなた達も与えたいと思っている。だからそんなに頑張るのは素敵なこと。でももっと広い世の中に出ると、それだけ人との出会いがあるし、その数だけ自分を合わせていたら疲れてしまう。自分を解放したとき、それに見合う人は必ず現れるて、それが本当のかけがえのない人になるから、今も無理に演じることはない」
と言います。もし参考にならなかったらすみません。

それにしてもいまだにこういうピュアな学生はいるのだなあと、30半ばの「ねえさん」(あえて)はそう思います。感動。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「よかれとおもって言う一般論はあまり効果がない。。。」勉強させて頂きました。どうも親心みたいなものが働いてしまうのでしょう、おっしゃる通りピュアな後輩にこの先に様々な紆余曲折が待っていることを想定して自らの体験談を踏まえて、事前にたしなめることが果たして彼らの為になるのかとうことを考えたとき、私の一歩が出ませんでした。難しいところです。ですが、貴方の助言の仕方は私の理想とするところです、ありがとうございました★

お礼日時:2004/08/21 00:28

22歳の学生です。


私の場合は、「自分が傷ついても、嫌われてもいいから好きなようにやる」
というスタンスをとっています。それは強靭な心臓を持っているからできるというのではなく、
「やりたいことをやって傷つく」のを選ぶのか、「自分を押し殺して傷つく」のを選ぶのか、
どっちかだと思うからです。私ははっきり言って人より神経が弱いし、やりたいようにやって
死にたいくらい落ち込むこともあります。でも「他人と自分とどっちが大事か」と言ったらやっぱり
自分だと思うので、他人のご機嫌取りはキッパリやめて、自分のしたいようにするのが一番だと感じます。
もしそれでも「やっぱり他人を傷つけるのは嫌だ」と言い張ったら、それはもう「自分が我慢すればいいんだ」と割り切るしかないでしょう。
演技せずに正直に生きるのは損だし、辛いし、泥臭いし、馬鹿な目に会うし、
あまり理解も得られませんけど、何となく曖昧に笑ってやり過ごすより人間らしいと思います。
以上です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。もし貴方がその相談の場にいたらどんなに私は助かったことでしょう。
「自分らしさ」は「人間らしさ」でもあるんですね。
同年代の貴方の貴重なご回答ありがとうございました★

お礼日時:2004/08/21 00:09

20代の若輩者ですが、私の目線から彼らへの意見です。



「自分らしさ」が分からなくなっている、もしくは全く無いのではないでしょうか。

何が好きで、何が苦手かというのは各個人のアイデンティティに繋がると思います。
自分を殺し、誰にでも良い顔をしていては、そのひと自身がどういう人間なのか他人に伝わりません。

たくさんのひとに好かれることも良いですが、たったひとりでも「本当の自分」で付き合えるひとがいなくては人間関係なんて虚しいだけだと思います。
本当の自分を出さず、あまつさえ「ギャップに悩んでいる」とまで口にしながらでは、理解者もなく、最終的にその本人が傷付いて終わるのではないでしょうか。

>どうしたらいいでしょうか
もなにもないですよね‥
本当の自分を見せずにどこまでいけるのか、考えれば分かることだと思います。

とここまで書きましたが、これは「青春の悩み」そのものだと思います(笑)
彼らは自分探しの真っ最中なのではないでしょうか。
私も中学生の頃にこういったことで悩んでいました。

乱文、お許し下さいませ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そういえば後輩たちは、その相談の最中に「本当の自分は何か」ということも漏らしていました。「自分らしさ」というものをある程度確立してしまった私には、どういう手立てがあるのか模索してしまいました。
自分の若い頃をみているようでどうも可愛らしさが先行してしまい対応が甘かったかなとも思いましたが。。

お礼日時:2004/08/20 23:58

「嫌われたくないから「よい子」でいる」



…というのは、じゅうぶん理解できますが、はたしてその子達がどこまで現実問題、体験しているか…

「疑問」だらけです。

私は、以前の職場で、後輩や現場の人間 VS 先輩や上司の間を取り持つことでヘトヘトになって「うつ」を発症しました。
家族との理解の相違でパニック障害も発症しました。

「嫌われたくない」
聞こえはいいですが
「自分が一番かわいい」
…ということでしょう?

「演技している」
…どうでしょうか
無意識のうちに自分が判らなくなっているだけでは?

確かに先輩や上司の前では「いい子」になってますが、「嫌われたくない」からではなくて「説教はいいから、言いたい事は判ってるんだから出てくるなよなっ!」
…と感じてましたけど?私の場合。

最近、小学生にインタビューするテレビ番組多いですよね?
なんで、あんなに「台本通り」の回答をするんでしょう?

思うに核家族化が進み、両親は共働き。
夕方、家に帰れば一人ぼっち。
悪い事をすれば親に怒られるし、学校で騒ぎを起こせば先生から親に連絡がいって両親に迷惑をかけてバツが悪くなる。
その上、その事で両親に怒られる。

結果「よい子」でいることが普通の行為になる。
勘付かれると困るので悪い事は隠れて行う。
イジメがそうですね。

親が共働きで居ないので第二反抗期が来ても八つ当たりする相手が居ない。
親は子供に変わった点が無いから気づかない。
気づいていても知らぬ振りをする。
どう扱えばいいか判らないから。

そういう子供が中学から高校、最近では大学生にまでなってしまった。
二十歳になっても世間の事が判らない。
「ゆとり教育」のせいでもありますが、「お勉強」はできても頭の回転は恐ろしく遅い。
=周りの空気が読めない。

でも「知識」と「能書き」は知ってるから、就職時の面接では可もなく不可もない受け答えをする。
それこそ小さな頃から畜えた「いい子」で居る事が役に立つ。
で、ここの質問で「面接時の服装は?」とか質問してくる。
判断できないんですね。
マニュアルないから。

で、いきなり社会に出て、昔ながらの私達が今までと同じ様に人員教育しても逆ギレして3日目で辞めたりする
知ってる限りで一番非道かったのは
1日目:社内挨拶回り。
2日目:就業後新人歓迎会
3日目:朝、無断欠勤 午後、退職届を出す為出社。

ウマがあうとか、あわないとか以前の問題。
「演技」は「無意識」でやってるはずだから、その人が「嫌われたくないから演じている」…というのは「逃げ口上」にしか聞こえない。

何年、何十年社会経験を積んだ人間なら説得力もありますが、ついこのあいだまで親の脛カジってた人間の言う事がそう簡単に信じられるはずも無いわけで…

まぁ、中には博識で人生について死ぬほど考え悩んでいる人も居ますから(そういう人は対人関係に非常にデリケートなので、鬱や自傷行為があったり、存在意義を求めて自殺願望がでてきたり)一概には言えませんが、現在2000年前半を生きているすべての「若者」を根元から信じる気は毛頭ありません。

「人に聞く前に自分で血が泌むくらい考えろ」と言いたいです。
「精神を病んでる人達やイジメにあってる人達は、お前達よりずっと深く考えているぞ」…と。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。様々な角度からお話頂いて嬉しい限りです。私も一時期仕事で精神的に病気になった経験がございますので、貴方のおっしゃる意味が痛いほどお察し致します。貴方のご回答しっかり受け止めさせて頂きました、ありがとうございます★

お礼日時:2004/08/21 00:18

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