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このテカゴリーで間違っていたらすみません。。
日本人はなぜ宗教を信仰する人がすくないのでしょうか?他国に行くと、それを肌で感じることができます。私にも一応親から継いでいる宗教はありますが、何も知りません。日本人が信仰しないのは、何か歴史的な背景があったりするのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

こんばんは。

簡単に言えば日本人の心をひきつける絶対的カリスマがいないからでしょう。昔から日本には大地の恵みに感謝する教え(宗教と言えるのかどうか解りませんが…)がありました。秋祭り(豊作に感謝する)とかその名残ですね。そして飛鳥時代聖徳太子によって仏教が輸入されました。その時点で釈迦が興した当初の仏教とは違ってましたね。法隆寺や奈良の大仏など…仏の力で国を守ろうという発想です。寺や僧侶は国から保護され、一般庶民には敷居の高い存在でした。それからしばらくして鎌倉時代。浄土系の教えが流行ります。法然、親鸞など本来の仏教の姿を模索し、誰でも気軽に参加できる教えで庶民にとても支持されました。また、日々の生活にも苦労し、飢餓や戦争が絶えないなか生きる希望としての要素もあったと思います。その頃の日本は質問者様の考えになる他国のように宗教してたと思いますよ。
しかし江戸時代になると檀家制度などまた国の支配下におかれ、今の葬式中心の仏教へと変わっていってしまいました。
このことが今の日本人に信仰心が少ない原因ではないでしょうか?家が仏教の○○派だからといっても本来の仏教の考えを知っている人は少ないと思います。
そういう意味ではカリスマ性のある開祖が興した新興宗教。めっちゃ宗教ですよ。教えの善し悪しは別として…。
いまでも宗教が強く信仰されている国は開祖(マホメットやキリスト)の生誕地付近や貧困な国、また一神教の多い地方などでしょう(他の神の存在や信仰は絶対に許されない)。その店日本はもともと個人個人が勝手に太陽や水や大地を敬っていたり、今一番人口の多い仏教とても輸入物であったり、一つの教えが長く根付いていく環境ではなかったのでしょう。生活も豊かになり何でも手に入る世の中になりましたが一人一人心に貧しさを感じる世の中ではないでしょうか?こんなときこそ本当の意味で宗教っていいなと思いますが…。
PSアメリカなどもそれほど熱心ではないでしょうね。大統領は任命されたとき聖書に手を翳して宣誓するそうですが、その手は同時に核ミサイルのスイッチを押す権限も握ってますしね。イスラム教なども熱心すぎてテロ起こしてたんじゃなんの意味もないし。日本の新興宗教にしても崇拝しないものは地獄に落ちるとかね…。宗教の存在そのものが原点に帰らないといけませんね。
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こんにちわ<(^▼^



オイラは 1つは 自然の中に
神様がいるからだと思います。
あと 妖怪の 言い伝えも 影響してるのかも?

雷様とか 山の神様とか 井戸の神様とか
あと ご先祖様とか 全部 身近で、助けて欲しいより 
感謝するものだと 根付いているからじゃないかと。

あとは 他国は 原爆落ちてませんよね?

日本は 原爆なんかで 一瞬にして
人が ただ 影のみを残して 骨すら残らなかったのを
見てしまったので、人を 助けるのも 殺すのも
所詮は 人でしかないことに 気付いてしまったから
いまどきの人達は 受け継いでて 
神様を 信じなくなったんじゃないかと 思います。 
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わたしも同じ問題を考えたことがあります。


その時私が出した結論は、いわゆる「十五年戦争」が影響しているのではないかと言うことです。
国家神道というものがありました。
そして、「お国のため、天皇陛下のため」と言って、多くの人が死んでいきました。
その結果、日本人は宗教が嫌いになったのではないかと思っています。
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 日本人が宗教を信仰しないと考えるのは、恐らく、宗教=キリスト教としてみている部分が強いからでしょう。


 もっとも、キリスト教(カトリックやユダヤなど)は聖書という教典があまりにも有名であることから、宗教を信仰するということは、聖書を信じると解釈されてもしかたのないことかもしれません。
 日本人の場合は宗教(例えば神道)というものが日常生活の1部になっている部分が多いため、信仰しているという意識がほとんどないのではないでしょうか。
 身近な例を挙げると、初詣が分りやすいでしょう。正月に初詣に行く人はの数は、毎年、総人口の半分を軽く上回ります。にもかかわらず、ある調査で「神道を信仰している」と答えた人はほんの1%にすぎなかったそうです。
 
 
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大学で宗教(主に仏教)を勉強してました。



宗教の定義って、何だと思いますか?
・・・難しいですよね。
答えは人それぞれだと思うんですけど、私は拠り所だと思っています。
生きるために頼る拠り所です。

ちなみに、宗教って今現在存在する宗教団体だけではありませんよ?
宗教の定義を拠り所だとする場合、困ったときに「神様おねがい!」っていうのも宗教だと思いますし。

信仰する宗教がないのは、拠り所を必要としないからじゃないでしょうか?
比較的満足に生活できてる証拠だと思います。

ある国では特定の宗教が生活に密着していて、家族中で同じ宗教を信仰してたりしますが、中には、親が○○教を信仰しているから自分も○○教を信仰しているっていう人もいるようです。
でもその場合、本心からの信仰ではなくて形式的なものだと思いますけど。

他国に行って宗教を肌で感じることができるのは、宗教行為=生活行為になってるからじゃないでしょうか。
日本にもそういう行為はありますよ。
たとえば合掌。
もともとインドやネパールの方で行われてる行為で、相手を敬う意味があります。
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「日本人は無宗教だ」という考えは、あくまでも「ユダヤ・キリスト・イスラム(この三教は『旧約聖書』<ユダヤ教では旧約とは呼ばない>を共通聖典とする、いわば兄弟のような関係です)」といった「神との契約を結ぶ」一神教的判断によるものです。

なぜなら以前は、西欧では一神教が優れた教えであり、宗教である。多神教は劣った教えであり準宗教、あるいは習俗だという認識が一般的でした。仏教ですら宗教でなく「哲学」だとされていました。
このような西欧的価値基準では、仏教徒が神社を参拝し、他宗派の寺院でもお参りし、また明確な信仰告白もされないので「日本人は無宗教」されたのでしょう。またその宣伝に対して何ら疑問を抱かず、無批判に同調し、それが常識となっていったような観もあります。また戦後はマルクス史観による「無宗教が進歩的」との感覚も手伝ったかもしれません。
 日本人は「無宗教」ではなく、「宗教に対して無自覚」な宗教感覚、あるいは「宗教」を信仰するのではなく、「カミ(広い意味での宗教上の崇拝対象。神道の神、仏教の仏、あるいは先祖など)」を信仰しているのではないでしょうか
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日本に宗教がないというのは間違いかなと思います。

定義にもよると思いますけど、わかりやすい神様だとか、お祈りだとかって必要なんだろうかと思うのが日本人という気もします。自分は唯一の神様を信仰しています、という目に見える露骨な感じを日本人は嫌っているように思います。日本には露骨な表現を隠すことが、文化の端々にあると思いますが、宗教についても言えると思います。言葉にできない何かを日本人は信じたり、なぜか誇りに思っていたりします。日本人全員が常にそれを意識している訳ではないと思いますが、その程度でいいと思います。もちろん、日本人の中にはおもしろいものはうまく取り入れるという特技もあるので、海外にあるわかりやすい宗教が好きだという人がいても全然いいと思います。
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 色んな側面から色んな回答が出ていますが、「地政学」の側面から話をしますと、「気候が穏やかだから」ということになります。



 日本は、気候が安定していて世界的にも暮らしやすい国の1つです。
 イスラム教圏などは気候的に厳しい国が多く、より厳しい教義を作って人々に徹底させる必要があった――というより、厳しい教義でも徹底させやすかったのです。
(気候が厳しく、またそれによる戦争なども多く、生活不安は大変なものなのです)

 それに対して日本などの穏やかな国では、気候に関する生活苦という考え方自体がないので、厳しい教義を作っても誰も守ろうとしません。宗教などの心の拠り所がなくても、人々は生きていけるからです。
 ゆえに、自然と宗教教義は緩やかなものとなり、緩やかすぎて他教と交じり合い、結果的に宗教乱立状態の現状が生まれたわけです。
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民族的に混在することを悪とせず、


外来の文明を受け入れて利用していく過程で
本来の土着的な八百万神信仰がいいように働いた結果ではないでしょうか。

渡来人が次々と権力闘争の覇権を交代しても、
狭い国土ですから孤立した「民族」にはなりえず、
他部族を皆殺しにして占領する政策ではなく、
神々の上下関係として使役として利用してきた歴史に由来すると思います。

このあたりは世界最大のヒンズー教にも似ていますが、
彼らが分離生活を基本にしているのとは違い、
この国では混在生活ですね。


便利な文明の利器、進んだ科学的知識、思想など、
今でも民族や宗教にかかわらず受け入れますし、
合理的な生活環境を優先して発達してきた近代までの歴史を思えば、
その行為自体がある種の歴史的に学習してきた「信仰」なのかもしれません。


世界の歴史から見ても、
宗教は戦争を起こすばかりで
戦争をやめさせたことなど唯の一度もありません。

それによって科学が進歩してきたのも事実ですが、
この国の宗教とのかかわり方は、
なにかしら今後の人類のありかたにヒントを与えるものかもしれないです。
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いいところに気がつきましたね、と、えらそうなことは言えないのですが、この疑問はいろいろな学者・識者が解明しようとしてきて、はっきりした結論には至っていません。

司馬遼太郎や山本七平や丸山真男や猪瀬直樹などなど他多数の人が著書の中で論じています。

この問題は広範な分野(宗教学・文化人類学・民俗学・政治学)にまたがっていて、論じると非常に長いものになってしまうので、簡単に言うと「日本にはあらゆる思想が伝統化しないという伝統がある」ということが歴史から言われています。

儒教・仏教・キリスト教などの宗教が輸入されてきたわけですが、まったく日本には根付いていません。日本人はあらゆる宗教・思想に対して寛容ではあるけれども伝統といわれるほど長期的に信仰したことがないのです。

では、日本人が日常、規範としている思想の正体とは何なのか?(日本は犯罪が少なく、争いを好まないという傾向ともからんでくるのですが)
「空」(くう)であるというのが現状での有力な説です。つまり、思想を輸入しては空に捨て去ることを繰り返して、一切根付かないのが日本人の思想というわけです。世界的にみて非常に特殊な民族ですね。
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