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こんばんは!第二次世界大戦中の朝鮮併合について知りたいんですけど、日本が朝鮮併合をし始めたのは日露戦争に日本が勝ってからですか?現代の国際情勢で韓国が日本に対して怒っていることは、その併合に関して国として謝らないからですか?

第二次世界大戦中の朝鮮との関わりがよく分からないので解説お願いします。

A 回答 (4件)

>日本が朝鮮併合をし始めたのは日露戦争に日本が勝ってからですか?



韓国では日本の併合への意図が始まったのは
1875年の江華島事件からとされています。
いろいろと証拠をあげるときりがありませんので
朝鮮併合までの簡単な歴史です。

前提として、併合前の朝鮮は「(李氏)朝鮮」と言われるように
李成桂が起こした国です。この時、明にあいさつに行き
「今度、高麗を滅ぼしましたので国の名前を決めて下さい」
と言って和寧と朝鮮から選んでもらいました。
ところが、明が清に滅ぼされてしまい、
「これからは清に従属します」と宣言しました。
以後は清(中国)の属国となっていました。

1894年、朝鮮の影響力を巡って日本と清が戦争をしました。
この日清戦争の結果、予想に反して日本が勝ったために
下関条約の第一条で朝鮮が独立することになりました。
当時の紀行文「朝鮮紀行」によれば、当時の朝鮮国王は
清の隷属からの解放を喜ぶということではなく、
清の庇護をえられなくなるとガクブルでした。

1895年、多大な犠牲を払った日本が戦争で疲弊し
清が没落したため東アジアではロシアが強勢を持ち、
朝鮮への影響力を拡大していました。
このため、朝鮮は日本を軽視するようになりました。
当時の国王(高宗)は実権を王妃である閔妃に握られ
言いなりになっていました。
当時の閔妃は国政をもてあそび、国費を浪費し、
対立するものを容赦なく処断しました。
例えば、当時の皇太子の婚礼費は大正天皇の10倍。
当時の資料では民衆に蛇蝎のごとく嫌われていました。
このため、日本と朝鮮の改革派が閔妃を暗殺しました。
これらのことで国王はロシア大使館に避難しました。
ちなみに、この時日本を嫌ってロシアを頼った
親露派の一人が後に有名になる李完用です。

1897年、正式に「大韓帝国」と名乗って独立しました。
しかし、朝鮮の財政はひっ迫しながらも散財するので
お金がなく、外国に土地の利権を切り売りしました。
これを憂慮した日本(注:朝鮮に同情したわけではなく
日本のため)は、援助しては裏切られました。
例えば、朝鮮最初の鉄道である京仁鉄道では
お金がないから日本に借入をして、お金をもらった直後に
アメリカ人モールスに売ってしまいました。
結局モールスも資金調達できずに日本のお金で作りましたが、
今でも韓国では日本の関与は教えられていません。
(この様な対応はこれだけではありません)

1904年、朝鮮の影響力を巡って日本とロシアが戦争しました。
朝鮮での戦闘が一段落したころの8月22日には
第一次日韓協約を結びましたが、皇帝がこれを無視、
ロシア、フランス、アメリカ、イギリスに密使を送り
これが発覚したため再度協議が行われることで、
1905年11月には第二次日韓協約を結び日本が外交権を奪いました。
よく、この第二次で外交権を奪ったところだけが注目されますが、
国王がよりによって戦争中に敵国に通じていたとか
それまでに朝鮮(大韓帝国)が何度も日本に助けを請い、
日本がそれに応えて何度も助力していながら
約束を反故にしていたことは語られません。

1907年、第二次日韓協約で外交権を奪われた朝鮮は
事実上の保護国でしたが、これで権限が縮小した皇帝は
ハーグで開催された国際会議にまたまた密使を送りました。
当時の首相(李完用)はこれを憂慮し、日本に諮らずに
皇帝の強制退位を決めました。
当時の資料では、皇帝は伊藤博文(韓国統監)に
「伊藤君、助けて」とお願いしに来ましたが
伊藤は「韓国の国内問題なので韓国政府が決めることです」と
静観しました。
この時、第三次日韓協約が結ばれ、皇帝は譲位しました。

この時の日本側の資料では、協約に同意しなければ
併合することを検討する考えでした。
ちなみにこの時の資料です。
「韓国二於テ第二回万国平和会議へ密使派遣並二同国皇帝ノ
 譲位及日韓協約締結一件 第一巻/分割1」P97
(アジア歴史資料センター レファレンスコード:B06150550500)
十一.協約に国王同意せざるときは、合併の決心(即ち(一)を実行す)
(一)は韓皇日本皇帝に譲位で、日本の併合を意味しますが、
この時は(今日は否も含め)全員が否定しています。

このころの朝鮮は財政的に破綻しながらも浪費をやめることはなく、
当時の歳入が700万円なのに、日本への国債だけで1500万円、
歳出も1000万円規模では財政破綻は当たり前です。
以前に韓国が通貨危機で財政破綻したときはIMFが助けましたが
この時はもう頼る国は日本しかないので、当時の首相の李完用が
国王に全権委任されて日本への併合を決めました。

このように、日本が併合を決めたのは1910年の併合が決まる直前です。



>韓国が日本に対して怒っていることについて

韓国(と中国)は易姓革命の国なので、過去にあった
自らの恥ずかしい歴史は書き換えたいと考えています。
このため、戦争に負けた日本が悪くなっています。
彼らにとっては書き換えられた歴史が正しく善なのです。

これに追従して、ろくに資料も読まずに
日本が悪く歴史を書き換えようとする方々が多く、
「韓国施政改善ニ関スル協議会」の議事録などをみれば
国王(皇帝)と政府が外国に土地利権を売るとか
国璽を押印して販売するとかで、伊藤博文が
「このままでは国が亡ぶから、もっとしっかりしなさい」と
訓示していました。

ちなみに、印綬の話は韓国施政改善ニ関スル協議会
1906年7月23日(第九回)のお話。

 伊藤統監
 宮内府に於て、啓字の御印を濫用せらるるの弊害、
 実に甚しきものあり。此の問題に関しては、
 既に宮内大臣にも注意し置きたる所なるが、
 今や弊害其の極に逹し、啓字の御印を捺したるものを
 売買するものあるに至り、尚此の儘に棄て置かんには、
 終には全く其の真偽を判別すること能はざるに至らん。

この時の国璽濫用の収益は皇帝の私財扱いで
韓国政府はだれも止めることができないありさま。
このような状態で指導することが、偉い先生には
(李完用政権は)日本の実質的な傀儡政権と
言われてしまうようです。
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日本が朝鮮併合をし始めたのは日露戦争に日本が勝ってからですか?


   ↑
そうです。
日露戦争が1905年で、日韓併合が1910年です。




現代の国際情勢で韓国が日本に対して怒っていることは、
その併合に関して国として謝らないからですか?
  ↑
1,日韓併合は韓国から依頼されてやったモノです。
 当時の首相「李完用」が一進会という、日本の自民党みたいな
 最大政党の協力を経て、議会の賛同のもと併合を
 依頼してきました。

 日本は断りましたが、それでもしつこく併合を依頼して
 来ました。
 それで四度目の依頼を受けて併合に至ります。
 日本としても、あそこがロシア領になったら、安全保障上
 問題だからです。

 この併合は国際的にも承認されました。

 韓国は、李王の了解を経ていないことを理由に、
 日本が一方的に侵略して、天国を地獄に変えた、と
 教科書では教えています。

 その反面「李完用」は、韓国史上最大の悪者に
 なっています。
 




2,日韓のこうした総ての問題は、1965年の日韓基本条約で
 総て完全に解決したと明記されています。


つまり、韓国が怒っているのは、日本が敗戦国になったので
言いがかりを付けているわけです。

韓国の反日は日韓併合が原因ではありません。
西郷隆盛の書見に「反日激しい韓国」という記載が
残されています。
当時、既に反日だったのです。
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回答者: mcnj0561 回答日時:2017/07/29 12:28


ごく普通の日本人です。

他国の歴史を論ずるにあたっては、正しい歴史認識の下に行われなければなりません。

乙巳保護条約「第二次日韓保護条約」1905年

4月:日本政府は、朝鮮と、保護条約を締結し、その外交権を奪って、保護国化する方針を明らかにして
「韓国保護権確立の件」を閣議決定します。
日本は、3月に、日露奉天戦に勝利しましたが、その戦力は既に、限界に達していましたので、
日露講和条約を締結を開始しようとします。

その地ならしとして、
対アメリカ
7月に、フィリピン支配を認める代わりに、朝鮮保護国化を認めさせた、「桂ータフト協定」を締結。

対英国
8月には、イギリスのインド支配承認することと引き換えに、朝鮮保護国化を承認させる、「第二次日英同盟」を
結びます。

対ロシア
9月には、「日露講和条約」が締結されます。

こうして、日本は、列強の賛同を基に、11月、伊藤博文を特派大使として朝鮮に派遣して、保護条約をの締結を要求します。

伊藤大使は、日本軍を出動させて、極めて高圧的な交渉を開始しました。

同月11日、伊藤は、公使林権之助、軍司令官長谷川義道を参席させて、政府の閣議に臨み、各閣僚に賛否を問います。
強硬に反対した、参政大臣(首相)韓きゅそるを室外に連れ出して、学部大臣李完用ら5名に調印させます。

これが、乙巳保護条約(第二次日韓条約)です。

賛成した、李完用は、後に、伊藤により、参政大臣(首相)を任じられ、実質的な、日本の傀儡政権を
勤めさせられます。

条約に賛成した、五名は、「乙巳五賊」と称され、売国奴として、厳しい指弾を受けることになります。

以上、全世界史山(川出版社)朝鮮史武田幸男編より抜粋。
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1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合しました。



そもそも、韓国は日本から独立したことで成立した国家です。
そういう背景もあって、日本を敵視することが国としてのアイデンティティーの一つとなっているのです。
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