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江戸時代は未成年でもセックスできたんですか?
今だと小学生とやったら同意でも犯罪ですよね
江戸時代はそんなの関係なかったですか?
普通に小学生の年齢と同意があればやれたんですか?
もちろんレイプは犯罪ですよね?

A 回答 (6件)

#4です。

お礼ありがとうございます。

>ロリコンという概念がなかったんでしょうか?

ないわけではなかったでしょうが、あまり重要ではなかったと思います。ちなみにインドでは「カーマスートラ」と言う古代の性愛指南書に「少女に言い寄る方法」と言うのがあるようですし、古代ローマなどヨーロッパでは「若返り方法」として幼女(&幼児)と楽しむ方法などがあったようです。まあどうやって楽しんだのかまでは分かりませんが(ラテン語が読めれば文献があります(笑))

日本の場合、ロリコンという概念はあまり無かったようで、それよりは男色による少年愛のほうが強かったように思います。また数え13歳(満年齢14歳の年)だと、子供が産めるのが普通であり、夜這い文化はそのちょっと前の年齢からセックスできたわけですから、ロリコンと言う概念が育つ意味が無かったように思います。だからヨーロッパは「若返りの方法」として認知されていたわけです。

ちなみに処女好き(処女食い)というのは居たようで、有名人では伊藤博文猊下は無類の処女好きで水揚げを好んだという記録があるようです。

そもそも江戸時代までは「人生七十古来稀なり」と言われたように、70歳まで生きる人は多くなく、昭和も50年代ぐらいまでは70歳ぐらいが平均寿命でした。
 江戸時代だと還暦を迎える人もそれほど多くなく、となれば15歳ぐらいで第一子を産み、40歳ぐらいでおばあちゃんにならないと、孫は見れなかったわけです。
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この回答へのお礼

なるほど!
ありがとうございました!

お礼日時:2019/05/07 19:04

昔は元服も早かったしね。

今ほど倫理がうるさくなかったでしょうね。
男子は14歳程度で妻娶り。女子は12歳でも子供を産む時代あり。
皇室でもそういう時代あり。時代の違いね。
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この回答へのお礼

なるほど!

お礼日時:2019/05/07 17:52

武士の話は記録があるけど、庶民の話はなかなかないですよね。



答えは「娘が年頃になったら(事実上、初潮を迎えたら)セックスできた」のです。
だから、発育が良ければ11歳(ただし数え年なので、満年齢で12歳になる年)ぐらいからセックスしていたといえます。

江戸時代の庶民は地方の村などだと基本的には夜這いと呼ばれる風習が一般的でした。男子は数え12歳ぐらいなると「若衆宿」などと呼ばれる村の宿舎で寝泊まりするようになり、日中は大人に混じって見習いとして仕事を覚え、夜は宿で年長者からシキタリや祭りの運営(お囃子とか歌とか、神輿の担ぎ方)などを習って3年から5年程度で結婚して出て行ったようです。

そして夜になると村の娘たちに夜這いをするのです。同時に夜の村を見回って、近隣の村からレイプしに来ないか、なども見守っていました。

娘たちは初潮がくると、夜這いを受けるために自宅の一番外側の部屋に寝かせるように親が配慮しました。夜這いに来た男性を受け入れてセックスするか、しないかは女性が決めることで、付き添いの男性が必ず数人いるので、女性から拒否されて乱暴しようとすれば、付き添いの男性がそれを止め若衆宿でお仕置きを受けることもあったようです。

ちなみに、娘が年頃になっても夜這いができないように家の奥に留めておくことを「箱入り娘」とよび、非常に嫌われました。もし、娘が妊娠すれば、交渉のあった男性の中から夫を指名し、夫婦になりましたから、常に複数の男性達とセックスしていたことは間違いないでしょう。

江戸などの都市部は記録によると「夜になっても妻も娘も帰ってこない」と父親が嘆いているので、町娘たちも自由に外出していたようです。特に盆踊りなどはナンパしほうだい、お寺や神社の裏の森はそこかしこでセックスしていたようです。他に出会い茶屋というラブホテルもあって、日中からセックスしている場合もあったようです。

また町娘は食堂や飲み屋などで働くことも多く、彼女たちは人気者で「笠森のお仙」など今でも記録に残っているアイドルもいます。

この当時の日本の女子はセックスに対して奔放で、年頃なのに処女の女性は「未通娘(オボコ)」と呼ばれてどちらかというと蔑まされていました。

だから、昔の日本では「親がセックスしてもいい」と思えばセックスできたわけです。その年齢は初潮が来たかどうか、それと体の大きさがそれなりになったかどうかで、それを親が判断していた、ということです。

ちなみに西洋では「結婚するまで処女が偉い」ので、女性は年頃になると修道院などに行き、結婚するまでセックスすることはありませんでした(少なくとも表向きはそうでしたし、実際にかなりの女性が処女だったようです)

ただ、下女と呼ばれる身分の低い女性たちはある程度は奔放だったようですが、日本と違って若衆が守ってくれることは無く、乱暴される確率も高かったようです。

西洋の男性は下女を使うようなレベルの貴族や金持ちなら、使用人の女性とセックスすることが可能で、特に既婚または未亡人の使用人女性の契約書には「息子たちとの性交渉」という項目もあったようです。ですから男性に関しては13歳ぐらいになれば、セックスしていたようですし、年上の女性たちが「女の扱い方」を教えていたようです。
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この回答へのお礼

詳しいですね!
昔は良かったですね〜!
12歳とエッチできるなんて!
ロリコンという概念がなかったんでしょうか?

お礼日時:2019/05/07 17:54

20歳が成年とされたのは近代になってからです、現代の基準で考えては駄目です。



江戸時代の武家の男子は元服を迎えると大人の仲間入り、通常で12~16歳あたり
女性は10前後、初潮を迎え子供が埋める準備が整ったら形式的には成人扱い、公家ではこの時に裳着という儀礼を行っていました
地域によりますが、民間では男子には褌祝(ふんどしいわい)というのがあり、これも年齢的には14歳前後の男子が行っていました。これも生殖能力を有したという前提で行われていた儀式であり、概ねこういった大人の仲間入りの儀式は「生殖」が鍵になっていると考えていいでしょうね。

戦国時代の話になりますが、前田利家に嫁いだ「まつ(芳春院)」の年齢は11歳、初出産は11歳11ヶ月目です
当時は年令による縛りはなく、婚姻相手として適正かどうかは子供が産めるかどうかが基準だったと考えるのが普通でしょう。
また、本人の同意が必ずしも必要だった訳ではありません、戦国時代などは同盟の代償として人身御供よろしく敵国に嫌々嫁いだ女性も数多くいましたし、江戸の民間に置いても政略結婚のようなものは多かったと思います。

ちなみに、時代や状況によって裁かれ方は変わるでしょうけど、江戸時代においてもレイプは違法です。
人妻を寝取った不義密通の場合は死罪などもありえました、未婚の女性を犯した場合は追放刑に処されたようです。
また、幼女への強姦は相当厳しかったようです、鼻を削いだ上に性器を切断するなどの刑が処された記述もあるようですね
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この回答へのお礼

まじすかww
幼女きびし!
ありがとうございます!

お礼日時:2019/05/07 07:54

身分によりいろいろ。

厳しい階級もあれば放任も。貞操というのは武士、豪商など上層。下層は自由恋愛。女性の結婚年齢は若い。男は一生結婚できないか高齢結婚、40歳は普通。結婚できないとか若い者の性犯罪を防ぐため岡場所があった。夜鷹はゴザ1枚で商売。幕府は性管理に頭を悩ましていたことでしょう。
https://uwaki-pro.com/magazine/20/
江戸では女性は一生で平均3回結婚したということです。三行半で離縁された女性は実家にたどり着く前に求婚されるようなことも。女日照りだったんです。
>もちろんレイプは犯罪ですよね?
尾張藩畳奉行旭文左衛門の日記(文庫本)によれば下女をレイプした武士(隠居)を身内が処分(強制切腹)したと書き残しています。目に余る場合は身内や地域(五人組)で処分したんじゃないでしょうか。今より厳しい目があったと思います。
女中を手籠めにすれば悪評はたちまち知れ渡る。口コミは怖い。その辺は抑止力でしょう。旭文左衛門の下女レイプ事件は誰も知ることとなり風評に耐えられなくなり家門の名誉のため切腹させたのです。

一概に論じることはできません。一部を見ているだけです。現在でも性がどうなっているか全体像は分かりませんね。ごく一部が報道されたり週刊誌ネタになるだけです。小学生が売春していたと書かれてもレアーなことだから記事になるのであって普遍的ではないですね。
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この回答へのお礼

なるほど!
日本は緩くなったんですね!
嬉しい!
馬鹿なやつらばっかで!

お礼日時:2019/05/07 07:55

現代でも保護者の承認があれば男は18歳、女は16歳で婚姻できます。


質問者さんが冒頭に「未成年」と書かれていましたので。

江戸時代はさぞかし結婚も早かっただろうと想像できますが、いろいろネット上を調べましたが、現代とそんなに変わらないという意見もあれば、10代なかばという意見もあります。

ただ、男女関係なく昭和時代初期までもそうでしたが、口減らしのために商家などに「丁稚」や「奉公」として家を追い出されていました。奉公先の主人が手篭めにしても泣き寝入りでしょうね。もちろん実の親のように優しい主人もいたでしょうが。
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この回答へのお礼

なるほど!

お礼日時:2019/05/07 06:25

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