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プラトンの洞窟の比喩について。
わたしたちは洞窟の壁に映る影絵をただ見せられては一喜一憂しているだけなのかもしれないと思いますか?

またそうであるか否かを確認する術はあるのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 具体的な例も交えて分かりやすく答えていただき、参考になります。ありがとうございます。

      補足日時:2023/10/11 12:18

A 回答 (4件)

あります


先入観を捨て、常識を捨て、色眼鏡を外し、覚悟を決めて、信じて、
洞窟から一歩を踏み出せば、一瞬で、すべてが明らかになります

その人(悟った)は、今度は、洞窟に再び戻り、人々を誘います
「外へ出よう、緑の台地に七色な花、青い空に白い雲、そして生命の源、まぶしい太陽がある」・・・そう言うと
皆からバカにされます、キチガイ扱いにされます、迫害もされます

世の多くの正義を説く、賢人、哲人、聖人が迫害されたのと同じ方程式です。

真理を解いたソクラテス、普遍的な愛を解いたイエス、慈悲を解いた釈迦、仁義を解いた孔子、
この人たちは、きっと誰もその存在を知らない、想像もできない
巨人を、大竜を、究極の法を見たのです。

ソクラテスやプラトンのように悟った人は 
その実態を人々に伝えるために
批判されながら生涯を賭して戦い続けるのです

そのことから言える事は
悟りは 常識の及ばない はるか先にあるのです
悟りは 信 が強くなければならないのです
悟りは 勇気ある行動がともなうのです
信じて一歩踏み出せば 一歩外へ出れば
一瞬で すべてを理解するのです

学歴 知識 知恵 一切関係ありません
むしろ 知識のある人の方が 自分の頭で考えるため
なかなか悟れないのです

瞑想にふけって 悟るのは ただの思い込みです
無駄な修行などいらないのです

信じて 行動してこそ 悟るのです

今現在 ソクラテスのような悟った人が ここにいるとします
誰よりも 
誹謗中傷され 迫害され キチガイあつかいされた人です
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世界を自分達の主観だけで判断してはならないということだ。


人間の知り得た知識は九牛の一毛に過ぎない。
ましてや目や耳や鼻や肌で感じられる感覚を 脳が分析して認識しているわれわれ人間は 世界の本質を掴むには まだまだ足りない。
ゆえに 与えられた価値観に埋没せず その存在の真の姿を感じるべき と。

たとえば金。
これ自体は 実はただの金属や紙 場合によってはデータ。
人間通しの決め事によるルールの上でしか成り立たない ただのモノだ。

しかし人々はこれを求め やれ年収が300万だの1億だのと 多い少ないで一喜一憂する。
与えられた価値観に埋没し その中でしか世界を認識しなくなる。

自分が影絵を見ているかどうかを確認したいなら まずは何も持ってない自分を知ることだ。
スマホも金も 家族も友も 食べ物も酒も タバコも競馬も 場合によっては肉体や感情でさえ 全てが「無い」自分を 感じ取ることだ。
それと自分を比べることで 自分が見ているのが影か本質か わかるだろう。

ただし これは危険な事でもある。
価値観を手放すと その疑問は日々の生活にも及ぶ。
知った上でなお 生きるために 荷物を背負い続けるように。
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イメージとしては、人形劇を見て、本当に人形が自分で動いているように見えるけど、舞台裏を見れば、人間が動かしている。

それが実際の姿だというような感じ?
実際のところ、現実は、そういう感じのものだと思いますけど、それが認識できるようになるには、霊能力が必要ですね。
マンガで「三つ目が通る」なんてのがありますけど、あんな感じで、稼働していない眠っている人間の感覚器官が働くようになれば、分かるようになるのだそうです。
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そういう古典哲学、イデアや本質は肉体を持ってる我々には


「分からない」って至ったので近代哲学があります

そうかもしれませんね。だから何?
洞窟の壁に映る影絵かもしれないが一喜一憂して
自分の生を生きてるのは本当でしょ
イデアや本質を知らなくても人は感動できる
その感動に嘘とか本質じゃないとか他人が決めつけるのは
世迷い事でしかない
(この辺の価値観がを実存主義以降の近代哲学です)

イデアや本質は確認したらそれに対して
アンチテーゼが返ってくるだけなんで
肉体の中にいる我々の意識では確認する術は無いです
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