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 私は「いじめ」というものついて、学校の授業で考えているのですが。なるべく多くの人の意見も聞いてみたいと思い質問をのせました。参考にしたいと思いますのでよろしくお願いします。
 「いじめ」というものは残念なことですが、実際多くの学校が抱えている問題だと思います。そこで、「いじめ」は完全になくせるものだと思いますか?どうすれば少しでも減らせるのでしょう?昔(皆さんが学生のころなど)と、現代の「いじめ」を比べて大きく違う点は何だと思いますか?

「いじめ」に対する皆さんの意見を聞かせてください。宜しくお願いします。

A 回答 (9件)

現代問題の一つですよね。

もしも、参考になればと思い投稿させていただきます。

>完全になくせるものか?
正直「完全」というのは難しいのではないでしょうか。受け方、感じ方それぞれ違いますよね。ある人がイジメられたといっても、イジメた方はそう感じてない場合もありますよね。みんなの意見とかが統一しているのなら、「完全になくなる」といえるかもしれないけど、努力次第で軽減させることはできると思います。

>どうすれば少しでも減らせるのでしょう?
学校、親、生徒・・PTAが一つになること。この3つのうちでどれかが非協力的であれば、絶対に良い方向にむくのは難しいのではないでしょうか。
それと、地域の行政とか教育委員会とかも真剣に事態を口だけではなくて、きちんと受け止めて考えてたりしたらいのですがね。

>昔(皆さんが学生のころなど)と、現代の「いじめ」を比べて大きく違う点は何>だと思いますか。
私は、今でも中学時代の先生と連絡を取っています。以前このイジメについて先生に聞いてみたことあります。先生は私たちの時代と今ではイジメのシツ自体も変わって来ているとのこと、私たちの時代はイジメというより、ケンカみたいなもの。
でもいまは、心まで壊す。これふがイジメなのかもしれない・・といっていました。
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昭和25年3月28日生まれの私はいじめられる側の子でした。

早生まれの一人っ子というのは低学年の頃はどうしようも無い存在です。
勉強だけでなくなにをやっても人より劣るので、恰好の餌食になるのです。
自分で振り返っても、とろくてださくて汚い、なにをやるにも人より時間がかかるので綺麗にするところまで手も気も回らない。おまけに自分に自信がないからいつもいじけている。私が他に子でもこんなのは相手にしたくなかったろうと思います。

そんな私が何の因果か4月1日生まれの一人っ子を持ってしまいました。後一日遅ければ一学年下になっていたのに。

ところがこの子が強い!
いじめ代表側に「チビ」と言われると「それで?私がチビだとあんたになんか迷惑かかる?」とやりかえす。その手下だとにっこり笑って「うん!」と言う。トイレの前で軍団バリケードを張られ入れなかったときは教員用を使う、「もし咎められたらバリケードのことを言うぞ。」と反対に脅す。
4階のの窓を指し「なまいきだ、ここから落ちて死ね!」と言われたときはおもむろに下をのぞき見し「この高さだと下手すると死なないかもしれないから、あんた先に飛び降りて見本を見せてよ。」とやり返す。中学に入った頃には何か言ってきてもいちいち対応するのが面倒だから、と全部「そうなの!」で済ませる。

周囲には恰好のターゲットでも芽が小さい内に反対に叩きつぶされてしまう上に、靴を隠されたり品物を盗まれたりしても本人が「あれっ、無くなっちゃった。」と全くいじめにあっている認識がないので、後から先生が持ってきて犯人を教えてくれても「あの野郎!」でおしまい。我が子ながらあっぱれです。

私との違いは『自信』「チビでも勉強ができなくても運動が苦手でもやることがのろくても貧乏でも、それがどうした、別に悪いことじゃない。」ときっぱりしたアイデンティティーを持っていることでしょう。
育てる課程で絶対大変な思いをすることは分かっていたので、「○○ちゃんが1歳でもう歩いているときにあなたは生まれた。小さいときの1歳の差は大きいけれど、大きくなるに従ってその差は縮まる。お母さんと○○ちゃんのお母さんは5歳も違うけどたいして変わらないでしょう?今はお友達よりできないことがたくさんあっても、時間が経てばできるようになるから大丈夫だよ。」と励まし続けたのが功を奏したように思います。

いじめられる方も悪い、と冷たく言い放つ人がいますが私と私の娘に限って言えば当たっています。
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いじめをなくすことは無理なようです



1.あるドラマでいじめは面白いって言ってた人がいました。
2.ニワトリの世界にもいじめはあります。ストレスがたまらない事はないらしいので
そのはけ口に弱者が使われるだけです
いらいらして物にあたった事ないですか?
あれの進化形だと思います。
3.学校も社会としてなっているみたいだし 上下関係みたいな物で 人気のある子が嫌いだといえば
それに感化されて その人の悪いところばかり見えてくるみたいです
4.テレビで芸人がやってる事を真似て見たくなったりします と同じで
何かを思いつけば試してみたくなる そんな感じだと思います

なくす方法は

今よりちょっと効率的な世の中にする
シェルターでがんじがらめにして 決まった情報を的確に流しつづけて
流れに逆らうものを残酷な方法で処刑する事ぐらいだと思います

少なくする方法は

見せしめをつくる事だと思います
今の子供に 子供の権利など必要なんでしょうか?
甘やかしすぎてると思います だから ちょっと大人の偉大さ(?)を見せてあげれば良いと思います
結論を言えば 恐怖で押さえつけるですね
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人に対してしてことは、いい事も悪い事もどんなに時が経っても自分に返ってくる、という事を基本にしてみてはいかがでしょう?私自身そういう事を見たり聞いたりした事が多いものですから。

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「いじめ」問題について教育者(教育に携わる全ての業界)が真剣に考えていないのではないでしょうか。


いじめに負ければ死ねばよい。しかし自分の所では困る。やはり根幹は義務教育制度にあると思います。明治の時代は富国強兵政策(兵隊が文盲なら兵への教育に困り、商人なら尚更困る)に基づき制度を維持し戦後はホワイト及びブル-カラ-含めて均一な人間を育て産業の発展に寄与。
教育者も何所で勘違いしたか「できない子供を」をできるように指導しなければならないのに「できる子供(何も先生が指導しなくてもできます)」を指導し、今の経済不況の原因の基となった人材を輩出した○○大学に合格率の高い予備校(公立も含む)の予備校へ進学させることが目的に変化。
『10年ぐらい前に、ある科学分野の最先端で活躍されて世界的に有名な大学教授をある団体が招待したときに中学校(誰か馬鹿な先生が自慢したいと思ったのでしょう)を見学。講演会で、その教授に対して「私達の教育は」と質問した所、教授の回答は子供達のスリッパはきちんと下駄箱に、休み時間もふざけて大きな声もなし「気持ちが悪い」の回答でした。』
この辺りから個性を伸ばす教育に変化していかなければならなかったが教育者、そのものに発想の転換する能力が欠けており二言目には虐めの問題も最近の子供は・・と。
子供や、父兄の責任して改善策も見出せない事は教育者と言うよりは生徒を生活の糧とする無気力なサラリ-マンと考えた方が妥当と思います。子供(見かけは変わっていると思うが根本は変わってなく大人が変わっていると思います)を変える前に先生一個人の力では無理だと思いますが義務教育制度に対して規制緩和及び構造改革を今しなければ100年後まで禍根を残すことになると思います。
私達の子供の時代は個と個の虐めよりも集団と集団の虐めが多かったように思います。当時の教師は元軍人の先生が多く人の生死を見てきただけにチェンとナイフは駄目だが素手ならよろしいと暗黙の了解。
クラス編成の当初は腕に憶えのある子供が喧嘩を始め一ヶ月ぐらいで喧嘩の強いランクが決まると先生が一番喧嘩の強い生徒にクラス全員を守らせ、大体2ヶ月ぐらいで学年の順位が決まると学校全体が落ち着き、それから学校間のボス争(中には学校へ喧嘩をしにくるボスもいたが当時の先生は強かった)いで一年経てば地域全体が治まり、その流れが町内に引き継がれて町内の小さい子供を大きな子供が守ることが義務のようでした。
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いじめは古今東西どこでも普遍的に見られるもので、


人間の本能(攻撃性、支配欲)に根ざしているものだ、
と思います。
ナチスによる虐殺や同和問題等は、教室で見られるいじめ
とレベルが違い過ぎて、同一の問題と認識されることは
あまりないようですが、根は同じであると思っています。

昨今次第に陰湿化しているという意見もあるようですが、
昔は人権意識が弱かったから、「陰湿」という言葉が
当てはまらなかっただけでしょう。
むしろ歴史をさかのぼれば、いじめはすぐにリンチ
や虐殺にまで発展していたもので、それに比べれば
現代はよほどましになった言えます。

しかし、いじめは世の中から一向になくなりません。
なぜでしょうか。
これは、「いじめは社会の歪みがもたらす特異な現象
である」という一般的な認識が根本から誤っているから
なのです。
「話せばわかってくれる」
「子供たちがストレスに取り囲まれているからだ」
そんな意見がいじめを減らすのにどれほど役立ったで
しょうか(全く役立たないとまでは言いませんが)。

いじめは人間の本能の自然な発露なのです。
これを少しでも減らそうとするならば、人間の攻撃性、
支配欲をコントロールする方法について科学的アプローチ
を行わなければ効果など望めません。

特に教育現場などにおいては「人間は攻撃性、支配欲を
持った存在である」という意見は忌み嫌われるのでは
ないでしょうか。
目を背けていては問題が解決することなどないのです。

具体的な対策をひとつ。いじめは、下のものが上のものに
従わなければならない、という雰囲気と非常に相性がよい
ものです。
学校の中で(特に運動部)「先輩と後輩のけじめのが大事」
などといっているといじめを助長するだけです。
十代の方々など、私のようなおじさんから見れば皆子供。
先輩後輩などとは笑止千万です。これをやめるだけで
いじめは減ることでしょう。
「先生のいうことをよくきけ」ってのも似たものかも。

最後に。
人間は攻撃性だけでできているのではなく、その奴隷でも
ありません。良心や理性もまた、人間は持っています。
正しいアプローチをすれば、多少はいじめを減らすことが
できるでしょう(ちょっと悲観的)。
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こんばんは。

いじめを完全になくすことは不可能でしょう。

ただ、この問題は学校の生徒だけの問題じゃなく、私たち大人?の問題そのものではないかと思います。

実際、職場、サークル、PTA、行政・・・至る所で人が集まれば、ほとんど類似の現象があるでしょう。

生徒たちはそれをまのあたりにしてるはずです。

「大人たちがやってるのに何が悪い」って言われたら率直な話、何も言えなくなっちゃいません?

それを威圧的に叱りつけたりしたらそれこそ大人に不信感を深め、何か問題があっても相談なんかしないでしょう。

そして、今、生徒たちが丸暗記と成績で追い回され、強いストレス環境下にさらされている事です。また、あまりに高度な勉強を押しつけ、その勉強の意味が見えない事も相当なストレスになっていると思います。

生徒達のおかれている環境も、体を動かす部分はどんどん減らされ、頭ばっかりこき使われることを小さい頃から強いられ、ストレスに耐えられる精神力や体を作る事がなおざりにされていると思います。
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 昔のイジメ問題と現在のイジメ問題の一番の違いは、あいまい性にあります。

昔の40人学級においては、きわめて明快な理屈があり、平凡な35人とそうでない5人、と言った風に、きたない、とか、貧乏とか、片親とか、いわゆる平凡でない、社会的に見て、差別されそうな原因を推し量ることが出来ました(一般論として語っているので、誤解のないようにお願いします)。ですから、最初から外れていた、といえば言えなくもない雰囲気を持ち、なおかつ、この5名については、いわゆるクラスの良い子たちによって、あるいはガキ大将によってカバーされ、実際は差別しているが、しかし、ルールを守って、彼ら5人を異邦人扱いしなかったのです。この点、民主主義の常識は守られ、アットホーム的であったとも言えます。
 しかし、現在広まっている<イジメ>はもっと陰湿です。クラスで1番成績の良い子、先生にヒイキされている子、体型的に肥満な子、芸人に似ている子、昨日までイジメていた子、すべてが明日からイジメられる側に転落する危険を秘めて学校に通っています。ルールは何もありません。ある日、ある時、ちょっとしたことで変わります。このため、誰もが、このイジメに無縁を装うことが出来なくて、イジメられるよりイジメる側にまわろうと苦心しています。安心をするのは、イジメられている側にいない、イジメてる方に荷担していることが、子ども達の安心なのです。学校教師が、いくら力説をしても「生徒達の中に、人をイジメることは良くない」という基本的なルールが無くなっているのです。ここでまかり通っているいるルールは「イジメられたくないから、黙っていても良いからイジメるほうにいよう」というきわめて現実的な感性です。キャワイイーとかキモイとか、感情の発露に従順な行動、と言っても良いでしょう。
 特に、小学校、中学校の特徴として、女子の発言権の強さは近年目を見張るものがあり、女子同士のイジメあいは「リストラいびり」とよく似ています。ちょっとした欠陥を見せると、ただちに大騒ぎが始まり、「学校に来られないくらい過激に言葉イジメを開始」します。
 残念ながら、学校教師のほとんどは、これに対して無力です。
 当たり前です。貧乏がなくなり、誰もが「うちの子は普通の子」と思ってくらしていたものが40人も一つの教室に詰め込まれ、「それも個性、あれも個性」と行動のすべてを保障され、それでいながら、中学が終わった途端に「高校」でしっかり「優秀校」「普通校」「鼻つまみ校」と選別されてしまうのです。運動会で順位すらつけられない「平等主義」のぬるま湯が<ウソ>と感覚的に気づいているからこそ、彼らは、今のうちに自分が1番、と主張しないではいられないのです。
 彼らは、40人の中で「リストラ」されたくないために、必死でがんばっているのでしょう。しかし、リストラをしなければ、経済は回復しないのです。
 私は、こういった論理がおかしい、と思っています。それほどに、イジメの根絶は難しいのではないでしょうか?
 
 最後に。イジメにあったらどうするか。勿論、闘争よりは逃走です。感情に論理で対抗することはドロ沼です。あまりヒドイ場合は当然、弁護士を雇用し、「イジメ行為の差し止め」を文書で相手側の子どもと親に突きつけてやるべきです。それくらいしなければ、収まらないことも事実です。
 
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いじめって絶対に無くならないと思っています。

私自身 いじめられた、いじめた経験はありませんが「いじめ問題」に関してよく考えてしまいます。
私は 逃げていいと思っています。学校をやめてもいいと思っています。深い傷が残るなら その前に逃げてもいいんじゃないかな・・・って思います。
いじめがある・・学校自体なくなってしまえばいいのに・・とまで思ってしまいます。
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