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大和政権が東(あずま)を制服し、東人は九州の防衛に駆り出されたのですね。防人歌は、大和朝廷に征服された被征服民の苦しい思いの姿、といえます。
ところで、大和政権は、被征服民の苦しみの防人歌を、文学価値があるとはいえど、なぜ、万葉集に載るのることを政治上認めたのでしょうか?

A 回答 (3件)

そもそもの万葉集の成り立ちが多様性を求めるものであったところに


編纂に関わった大伴家持が兵部少輔という防人に関わる役職に就いたことがきっかけであると思われます。
万葉集に大和朝廷のとりまきの和歌だけで固めるよりも、防人のような一般庶民の和歌を入れる方が遥かに
多様性を持たせることが可能です。

また収められた和歌は防人の作となってはいますが、当時の防人がどの程度文字の読み書きができたかどうか
詳しいことは判りませんし、多分「和歌」のルール自体も知らなかったのではないでしょうか。
全て私の推測ですが、家持は役人たちに命じ、防人から多くの「和歌」を集め、厳選を重ね、更にそれを添削した上で
万葉集に収録したものと思われます。それは万葉集編纂に当たって、むしろ必要なものだったのではないでしょうか。

実際、防人たちの和歌の中に朝廷を恨むような内容のものはどこにもありません。
例えば「 置おきて行かば、妹はま愛し、持ちて行く、梓の弓の、弓束にもがも」とか
「 我が妻は、いたく恋ひらし飲む水に、影さへ見えて、よに忘られず」は妻を思う心を歌っているもので
万葉集に多様性を持たせているように思われます。
また「大君の命畏み、磯に触り、海原渡る、父母を置きて」などは天皇を敬い両親を思う心にあふれています。

この様に、防人の詩は万葉集に色を添えていると思います。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
<防人たちの和歌の中に朝廷を恨むような内容のものはどこにもありません。>
なのですね。したがって、朝廷も万葉集の編纂に口を出す必要がないのですね。そして、大伴家持は
<多様性を持たせているように>
を意図していたのですね。彼の経歴も役に立って、防人の歌が編纂され、
<色を添えている>
のですね。

お礼日時:2017/12/20 16:02

No.2の添付図は、まさにNo.2のことで、笑ったw

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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2017/12/31 14:41

A:>大和政権が東(あずま)を制服し、東人は九州の防衛に駆り出されたのですね。



大和政権の場所については、未だに確定していません。



B:>大和政権は、被征服民の苦しみの防人歌を、文学価値があるとはいえど、なぜ、万葉集に載ることを政治上認めたのでしょうか?

私は、普通に歌として良かったからだと思いますが。

載せる事を決めた理由が「政治上」のものであるという根拠は何でしょうか?
あなたの疑問の根拠ですが、A(大和政権が東を制服→被征服民を徴用)=事実 という証明がない限り、質問として成立してないと思います。



思考力の残念な方は、「思い込み」を「願望」により「事実」と「確信」する傾向があるようですね。
また、知識の浅い方ほど、幼稚な考察を大発見のように語るようにも思います。
「文学価値があるとはいえど防人歌を、大和政」の回答画像2
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2017/12/31 14:39

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