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空しい大金持ちと言うものを想像するのは難しくないと思います。これは一つの人間像の典型でしょう。たとえ夥しい財を所有していて、数多の者を養っていたとしても、彼の心は満たされない。それは何故でしょうか。本当の豊かさとか、心の豊かさと言われるものは一体なんでしょうか。
彼は、散財したり人に奢ったり(財や食物を与えたり)することが豊かさだと思っているが、実にはただの一円さえも完全に使い切ることが出来ないでいる。

質問者からの補足コメント

  • 皆さま、ご回答ありがとうございました。
    今回の質問はこれで締め切らせていただきます。質問したことで、より深く、自分の理解が進み、また分かってないことが明らかになった様に思います。有意義なQAになりました事、お礼申し上げます。

      補足日時:2018/01/26 19:27

A 回答 (18件中1~10件)

欲望は満足させることが出来なくて、増殖することが目的だから。

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この回答へのお礼

とことん足りなくなると言うわけですね。

お礼日時:2018/01/17 14:46

人は他の人との関係の中に生きているからではないでしょうか?

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この回答へのお礼

大金持ちである故に、良い人間関係を構築するのが難しくなると言うことでしょうか。

お礼日時:2018/01/17 14:44

いやあ 大金持ちが良いなあふんぶはるんぼこ・・


きっと満たされるだろなあふんるん
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この回答へのお礼

大金持ちという設定は、たとえば生きる上での衣食住などについての制限を捨像していると言う意味もあるでしょう。

お礼日時:2018/01/17 14:43

まあそういう人もいるんでしょーけど



知ってるお金持ちの人で
飲みに行くと、みんなに奢ってあげる人がいるんです
この間も、高い日本酒を持ち込んで
みんなに振舞っていて、私もご馳走になったのですが
私を「日本酒が好き」と認識してて
「みんなで飲んじゃったから、あまり飲めなかったね、ごめんね」
って言うんですよ
すごく優しいのです
奢る側なのに、気をつかってくださる

さらに、いつも、お土産用にお寿司を店に頼むのですが
それは自分のためではなく
車の代行の運転手さんにあげるのです
「ありがとう」って

「あれはお金があるから出来るんだよ」って言う人もいるけど
それはやっぱりちょっと違うと思う
こういう人は、豊かなお金の使い方をしてるんじゃないかなと思うんですけど

それはお金だけじゃなく
気持ちもみんなにあげてるからなんじゃないかなって
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この回答へのお礼

私にも大金持ちの友人がいて、一緒に過ごせば事あるごとに、「俺が出すよ。」と言ってきます。しかし私は、妥当な理由が無い限りは、それを断っています。彼とは対等で居たいと思うからです。

玄米さんに奢るお金持ちのお知り合いは、食べ物だけでなく気持ちも皆に渡しているのでは無いか、との事ですが、その気持ちとは一体なんでしょう。いたわりのようなものでしょうか。それとも、いつもお世話になってますの感謝でしょうか。もし、食べ物だけでなく気持ちまでいただいてるとしたなら、尚更それに応えなければならないと私ならば思ってしまいます。日頃、私が彼を世話しているなら、たまにお礼なども受け取れる理由がありますが、ただ私の方だけがいつも貰う側に立つならば、恐縮してしまうでしょう。関係はイーブンであるのが当然だと思うからです。

お礼日時:2018/01/17 14:40

一言で言えば「社会的承認の欠乏」

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この回答へのお礼

自分から財を除けば何が残るのか、と言うことでしょうか。

お礼日時:2018/01/17 14:31

書かれている通りでしょうね。



「たとえ夥しい財を所有していて、数多の者を養っていたとしても、彼の心は満たされない」
⇒そういう人はたくさんいますね。

立身出世も同じです。
高学歴、一流企業で出世で財を得た人は五万といますが、それらの人たちのその後はどうでしょう。
とても寂しい日々を過しています。
財は、家族愛はもちろん友人愛や隣人愛を共にするために必要なのであって、誰ともコミュニケーションができずに財があっても虚しいだけです。
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この回答へのお礼

老いて増えるのは財ばかりで(老いることによって)学識は増えないと言われたりもします。
何があれば空しくないのでしょうね。

お礼日時:2018/01/17 18:51

「お金があれば何でもできる」と言われますが、その実、


お金というのは、実体として手アカに汚れた紙切れに過ぎ
ません。
『何でもできる』どころか、お尻を拭くのもためらわれる、
ティッシュの方がまだマシな物です。
お金にできるのは唯一、『お金があれば何でもできる』と
信じている拝金主義者に“何でもさせる”事だけです。
お金の真の価値は、その向うであなたのために働いてくれ
ている人々にあり、彼らへの感謝の気持ちがお金なのです。
だのに、お金を受け取る方が感謝する時点で、この社会の
価値観の逆転があります

「お金が欲しい」というのは、「自分では何もせず、人を
使役したい」という事を意味しています。
それは、生物として根源的意志=本質的喜びである生きる事
(社会生命として働く=助け合う喜び)を見失い、何もした
くない(死と同然)という事に他なりません。

生物は、淘汰の反力として“生きる意志”を基本とします。
それは、分業化による助け合い=社会化によって、労働と
なります。
しかし、その分業化=市場の拡大において、そうした自己
の生命の社会的拡張を自己の生の意志の延長として把握する
だけの認識の深まりを怠り、お金や出世といった“馬車馬の
目の前のニンジン”によって他律的に生かされる(お金をも
らうためにイヤイヤ働かされる)ようになってしまったの
です。
その結果、意識は利己的なまま、社会は競い奪い合う弱肉
強食の疑似ジャングルに堕してしまっています。
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この回答へのお礼

お金が悪いのではなく、お金に対する考え方やお金の捉え方が間違っていると言うことでしょうか。二十歳ごろの事、私は、祖父の死後に配られた遺産、そんなに金額は多くないですが、それを受け取った時は嬉しかった。しかし後に、それは祖父が孫子の為にコツコツと貯めていたものだと知って、私はなんて短絡的で愚かだったのだろうと思いました。お金というものは大事なものです。問題はそれが、何のお金かということなのかもしれません。

お礼日時:2018/01/17 18:58

お礼ありがとうございます


私も対等でありたいと考える人間です

そのお金持ちの方と仲の良い別の方が
こんなことを言ってました

「あのひとは、自分がこれを食べたい、あれを食べたいって言うんじゃないんだ
みんなが食べたいものを奢ってあげて
楽しく飲みたいって人なんだ
はっきり言って、俺もお金はあるよ
(あるのです)
あるけど
あの人がいる時は
ごちそうさまです!ってご馳走になるの
それがあの人にとって一番嬉しいことだから
歳も俺のほうが下だし」

私も「対等」でありたい、つまり
「たかる」って言うんですかね、そうは、なりたくないのですが
対等ってお金のことだけではないと思うんですよね
その人にとっての1万円と私の1万円は違いますし
一杯奢ってもらったから一杯奢る、ということではないと
(そんなことしたら失礼になる)

だから奢っていただいた時は
喜んでご馳走になり(それがその方の望みだから)
後から、その方の好きそうなお菓子などを、何かの機会にちょこっとあげたりしてます
(何が好きかリサーチした、わかるまでだいぶかかった)
(そのたびに「悪いよお、いいの?」「ありがとね」と言われます)


まあお友達だとまた違うと思うんですけどね
私とそのかたは年齢もだいぶ違うので

「気持ちまでいただいているなら
なおさらそれに応えなければ」
そうなんです
その「応え」は金額で返せるものでもないってことです
その人が楽しく飲めるように、気を配るようにすることで
お返しする

繰り返しになりますけど
友達だとちょっと違うかもしれないけど
年齢の離れた方や先輩や上司などに
「奢ってもらう」のも大切なことだし
それをどうお返しするのかというのは
金額だけのことではない
そして相手の負担にならないように
スマートに奢ってあげることが出来るのも
大人の教養かなと

質問者さんのお友達の場合は
質問者さんがその方に奢られることを嫌がっておられるので
基本的にはすべきではなくて
何かの時「今日は特別にこういう理由だから奢らせて」というような形にするべきですよね
(奢ってあげたいならね)
ただお金を出しても、相手を不愉快にさせることもありますから
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この回答へのお礼

自分より身分の高い人間に奢られるのは確かにありますね。特に若い間はよくあります。下手な遠慮はせずに、サラッと受けるのが良いと思いますが、後に仕事や自分の為すことなどで成果を見せれば、それがお返しになります。でも、お返し出来なくても負担に思う必要はないですね。逆に後輩などには自分の負担にも相手の負担にもならないように、カラッと奢ってやるのが良い時もあるでしょう。

私の友達の場合は、基本的に彼が私の金銭レベルに合わせます。当然ですね。お昼ご飯なら千円以内の中華料理と言った具合です。もうその時点で普通なら心理的負担がある訳ですが、二人の距離感が友人の距離感である為には、それがごく当たり前の事であるかのように両者が振る舞えなくてはなりません。立ち振る舞いが難しいのは彼の方であるかもしれませんね。私は今まで通りでいいのに、変容したのは彼の生活の方だからです。
お互い、学生時代からの友人ですから大事にしたいのですね。

この質問の場合、空しい大金持ちは何故空しいのでしょうか。この大金持ちにとっては荷(財)が重いのでしょうか、財が人との間に壁を作っているのでしょうか。彼が他人の為に財を使うことを喜べば、それで事は解決するのでしょうか。

私は、玄米さんのお金持ちの知人が、「金があるからできる事だよ」と言われるのはわかる気がします。しかし、おそらく彼は、お金持ちじゃなかったとしても、別の方法で、気持ちを誰かに渡す方法を見つけていると思います。気持ちとは、たとえ一片の言葉にさえも乗せることができるものだからです。

お礼日時:2018/01/17 19:24

金持ちはいつでも貧乏人に成れるが、貧乏人が金持ちなることは困難。



つまり、金持ちの方がエンタルピーが大きいって事じゃないかなぁ。
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この回答へのお礼

お金持ちは不安定。。
私の友達は貧乏から成り上がったのですが、ハングリーによる例は少ないのだろうか。

お礼日時:2018/01/18 16:51

お金や権力では買えない、人の本当の優しさや、無条件の愛に飢えているからでわ…?


大金持ちはあるいみ才能の1つだと思います。お金で人を動かせます。だけれどお金ばかりを使う方法で人を助けても人々は大金持ちである彼に感謝するのであり、お金の向こうにいる本当の彼自身に対する感謝は100%では無いからじゃないでしょうか??

個人の意見です…(^.^)
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この回答へのお礼

お金を見られて人格を見られないということでしょうか。お金の壁はあるかもしれません。お金って何でしょうね。

お礼日時:2018/01/18 23:55

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