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「江戸時代の日本の識字率は同時代の西洋と比べても高かった。それは全国に読み書きを教える寺子屋が多数あったからだ。」
という論をよく見ますが、西洋には寺子屋に類するものがなかったんですか?
無かったとすれば、なぜ無かったんでしょうか?逆に有ったとすれば、なぜあまり普及しなかったのでしょうか?
文字の読み書きができたほうが生きる上で役に立つなんて誰でも分かりそうなもんですが・・・

A 回答 (8件)

一応教会や識者が私塾のような形をもって読み書きを教えるということは西洋にも当然ありました。



ただ、一つのファクターとして「宗教界の考え方の違い」というのもあったようです。
日本における仏教、神道ですが初期の「エリートの学問」といった傾向から勢力を増やすために
「信徒を増やすための布教」へと形が変わっていきます。
特に当初の「領地、領民を持った荘園領主としての寺社(学校で荘園について学んだ時、寄進先に『寺社』が含まれていたのを
覚えているでしょうか)」が武士の社会になる過程で領主としての側面を奪われ、宗教面の力に限定されていったわけですが
そうなると「力=信徒の数&パトロン」といった感じになっていきます。
力ある大名や武士をパトロンとしての信者にすること、そしてその領民も信徒にすること。
その手段として日本では「民に文字を教える」ことを選択しました。
文字を教え、本を読むことをOKとし、武士や僧が領民に文字や宗教的教本を読めるようにすることを認めて信者が隣人を
教化することを認めたのです。

実は西洋ではちょっと違ってきます。
後に「宗教の知識にはそれぞれが自由にアクセスできるべきだ」という『革命』がなされて皆が聖書などを読めるように
なりますが 長い間文字が読めて聖書などの書物が読めるのは貴族などの上流階級と聖職者にのみ認められた『特権』であったのです。
聖職者は神の代理人であり、聖職者でない庶民が布教をしたり「聖書」などを「読める」こと自体が罪とされて罰せられたのです。
商人や法に関わる商売、役人など文字が読めなければならない一般人もいましたが、そうでなければ文字を読めるメリットがデメリットより少なかったのです。

よく中世ヨーロッパぽい舞台の映画や演劇などで「王の使者」や「町の役人」っぽい人が町の広場で「○○王よりの布告である!
魔王を倒した者には報酬と姫を…」みたいに巻物を広げて大声で叫んでいるシーンなんかがありますよね。
あれは「タウンクライヤー」という立派な職業で文字が読めない庶民に布告の内容を読んで聞かせる役目なのです。

日本のように「高札(布告が書いてある立て札)」を立てても読めない庶民がいる、読めない人が隣の人に聞いても
まずその人も読めないwので布告の内容を読んでしらせるほうが効果的だったわけです。
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abcの組み合わせ割と簡単に覚えられたのでは、明治時代にヨーロッパの文化文明が押し寄せ西欧米のお陰で近代国家になれた、キリスト教だけが浸透しなかった。

寺子屋がなかったのは仏教が皆無だったから、
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基本的なところとしては、西洋は階級社会があり、日本は階級社会ではなかったからです。



西洋の階級社会というのは、王侯貴族から奴隷まで内包する社会であり、また民族によって階級差がある社会のことをいいます。

西洋的な社会の源流はローマにありますが、ローマは貴族(王族は居ない)階級・平民階級・奴隷階級に分かれていました。貴族階級は元老院などに登壇しローマの指導者層を形成しつつ、家庭教師などを雇って師弟に勉学をさせました。勉学は経済学や経理学・法学などに加えて軍事学や馬術なども含みました。
 指導者でいるためには、読み書きだけでなく高度な知識や能力が必要だったからです。

平民は一般的に「自作農」であり、名前の読み書きができる程度が一般的でした。彼らはローマ軍の主体である歩兵として徴兵され、そのかわり選挙権を有していました。

奴隷階級は様々で、ギリシャの学者などもいました。戦争に負けた都市国家から奴隷として連れ出されたギリシャの学者は高い金額でローマなどの家庭教師として利用されましたが、庶民などは安い労働力として農場で働き、彼らには読み書きを与えることは有りませんでした。読み書きができると、物事を計画することができるようになり暴動の引き金になったからです。

この方式は中世になっても変わらず、王侯貴族はそれなりに学問と軍事教練がありましたが、平民はそれほどでもなく、農奴に近い人々は殆ど読み書きできませんでした。

階級社会はエリート主義ですから「エリートだけ読み書きできればよく、庶民はそれに従えばよい」という考えだったのです。
この考え方は未だに一部残っていて、たとえばフランスのグランゼコールは指導者養成機関ですし、欧米の会社の幹部は一般従業員と別の食堂で会食し、一般従業員と交わることをしないのが一般的だったりするのです。
日本の社長なら大会社でも社員食堂で平社員の隣で食事をするでしょう。

日本はもともと「平等」が基本の国です。平等というのは「大和朝廷に参加するすべての豪族は平等」と言うところから始まっていて、武士階級も基本的には平等でした。
もちろん幕府と藩の差や、官位による差などはあるのですが、欧米のエリートと違って「出自だけで支配者層になれるわけではない」と言うところが違っていたのです。
特に江戸時代は、武家の家禄を買うことで成金の庶民が武士階級に入ることも容易にできました。

こういう平等の社会であることと、大陸から輸入された科挙の考え方(勉強ができるなら庶民階級でもエリートになれる)が相まって、学問が相当に普及します。特に武士階級は自前の土地を守り年貢の計算や武器の手当てなどをしなければなりませんから、読み書きそろばんはできなければ死活問題でした。戦国時代までは武士と農民の区分はあいまいでしたので「ちょっとした村の指導者層なら読み書きそろばんができた」ということなのです。

これが江戸時代になると、もっと普及します。江戸中期には「読み書きそろばんができなければ、大工になっても棟梁になれず、商家にあっても番頭になれず、船に乗っても船頭になれない」と言われるようになりました。

これは江戸時代の中期ごろには日本全体に貨幣経済が行き渡り、なにをするにも貨幣に換算されるので、読み書きそろばんができないと、まともに出世することができなかったからです。
この傾向は戦国時代からあって、戦国時代に来た宣教師たちは「町で店員をやっている娘たちが、休憩時間に本を読んでいる」とびっくりしています。

日本には武士階級という支配者層はいましたが、彼らがやっているのは「行政的軍事的な仕事」だけで欧米の王侯貴族のような「支配」はほとんどしていなかったのです。

そのため農民も町民も自前で何とかする必要があり、そのために「誰もが読み書きそろばんを勉強する」という具合でした。

もちろんそうはいっても、藩の外れの寒村などまで寺子屋があったわけではないので、識字率は70%ぐらいだったようですが、18世紀のヨーロッパは平均して20%ぐらいの識字率しかなかったといわれますので、日本の識字率は驚異的であったのです。

なぜみんなが文字を読めたかと言うと、日本がエリート主義ではなかったからです。
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日本でも女性に学問は不要、と言う考え方が明治・大正・昭和初期の時代までありました(女子大学の開校は遅かった)


労働者に学問は不要、と考えていたのでしょう。(西部劇をみていると牛飼いや石油関係の労働者が自分の名前も書けず「X」で賃金を受領していました)
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古代は初等教育は家庭の責任で、中等教育は私塾で行われていました。


キリスト教会下では「子羊は神の御教えにのみしたがっておればよい」でした。

もっとも日本でも寺子屋の存在は一部だったはずです。
でないと絵暦が存在した理由を説明できません。
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教会で日曜学校のようなものはありましたが、少し敷居が高かったのでしょう。


たとえば、アルプスの少女ハイジでも、原作ではピーターは羊飼いのままで学問する必要はないと設定されてます。アニメより年くってますし。。労働者階級と富裕層の格差が大きかったようです。労働者階級は、一生、単純労働だけしてろって感じでしょうか。
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>文字の読み書きができたほうが生きる上で役に立つなんて誰でも分かりそうなもんですが・・・


下流階級や所謂奴隷の人たちが生きるのに
文字なんて必要ないと考えられていたから
余計なこと教える暇があるなら徹底的に労働させたほうがいいという考え
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無かった理由。


上流階級だけが教育を受ければ良しとする考え方。
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