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天神様にお詣りした帰りは、なぜこわいのでしょうか?

「子供を騙して天神様に連れて行き、人身御供の生贄として殺して捧げたから」という説があるようですが、それにしては、「この子の七つのお祝いに」お詣りしています。
七つになった子供をみんな生贄にしていたのでは、子孫繁栄、種の存続がはかれません。

「七つのお祝い」は乳幼児死亡率が高かった時代に、なんとか幼児期を死なずに乗り越えた、これも神様のおかげ、というお礼の気持ちで神社にお詣りするものです。

それなのに、「子供を殺して天神様への捧げものにした」のでは、意味がないです。
いかに天神様が恐ろしい祟り神であったとしても、どうにも理屈が通りません。

恐ろしい祟り神=強大な力を持つ神、として、子供の大きな守りとなるようにお詣りするのだと思います。
強大な力の庇護をお願いして、その帰り道は、なぜこわいのでしょう?
身の程知らずのお願いをしたことへの恐怖なのでしょうか?
「すみません、すみません、でも、この子をお守りくださいませ」という悲痛な親心でしょうか?

詳しい方、わらべ歌に興味をお持ちの方、ご教示いただきたいです。

A 回答 (1件)

昔は、子どもは「七歳までは神の子」として神様に守られている存在、七歳を過ぎたら神様のご加護を離れるから外敵から守ってもらえないと考えられていました。


だから七歳の札を納めるまでは「神の子」、札を納めた後の帰り道は「帰りは恐い」だったそうです。
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この回答へのお礼

うわー!!
すごい回答をありがとうございます。

そうなんですか!7歳で「神の子終了」なわけですか。
あとは自分の才覚で生きていけ、と。

未知への出発、自己責任の始まり。
それは、こわいですね、たしかに非常にこわい!

どうもありがとうございます。

お礼日時:2018/02/22 11:21

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